非現実世界の現実へ
僕は放課後、一人でテニスコートを見ていた。そこには硬式テニス部が大会に向けて練習を重ねていた。前まではあそこに僕もいたはずだった。でも今はもう立てない。僕は膝を撫でながら、ため息をついた。
「どんな深いため息ついてどうしたの?」
ふと背後から声がした。見ると、そこにはバドミントン部の幼馴染がいた。
「結愛……」
「秀馬のそんな顔、見たくないって。辛いってことは理解してるけどさ。もうそうなっちゃのはしょうがないよ。せめて応援してあげなよ。硬式テニス部のみんなは待ってるよ」
「……うっせ。嫌に決まってるじゃん。僕はまだ大人になれないんでね」
「ま、それもそっか。幼稚園のころからそういうとこ、変わってないよね~」
結愛は僕の隣に来てそう言う。二人の時だけそんな幼稚園の頃のことを掘り返して僕のことをいじる。嫌じゃないが、好きじゃない。
「変わってない方が良いこともあるんじゃないか? 例えば、家族ぐるみで仲良い僕たちの関係とか。色んなところ旅行に連れてってくれるし」
「マジでそれな~秀馬のお父さん本当に最高だと思う。うちのお父さんと学生からの友達なんだもんね。今度はどこの旅行を計画してくれるんだろ?」
「また話し合うご飯会でもやるでしょ。ほら、結愛もまだ部活だろ。僕は先に帰るよ。また明日な」
「はいはい。……ほんとに、もう気にしてても辛いだけだと思うよ」
僕は彼女の最後の言葉は無視して、背中に背負ったラケット袋を肩にかけ直し、スクールバッグを肩にかけて帰路に着く。
空はまだまだ明るく、これから来るであろう夏を感じさせる気温の中に、心地よく吹く風が体を巡った。今年の夏休みは何をして過ごそうか、今から考えても良いかもしれない。そんなことを考えていると、ふといつもと違う道を歩いていたようで、廃墟と化した工場に続く道がある場所へと来ていた。この道自体は普通に通ったこともあるが、廃墟に行ったことはない。僕は何を想ったのか、少し廃墟の工場でも眺めてから帰ろうと思い、向かった。
大きな天井に広い敷地。何もないただ広いだけの空間。その時の僕は何故かその空間にくぎ付けになった。静かな空間に響く、息切れした人間の声が聞こえた。
「誰かいるの?」
小さな声で返答が聞こえた
「――くんなよ」
声のした方へと行くと、そこには、血まみれで壁に寄りかかる少女がいた。見た目は僕とそこまで違いのない子で、弱弱しく息をしている。
「すぐに救急車を呼ぶから!」
「ばか、静かにしろ――」
僕が携帯を手に持ったその時、何やら大きな影が僕を覆った。携帯のスリープ状態の黒い画面にはなにやら現実感のない何かが見え、ゆっくりと、その姿を確認するために振り返る。そこには、僕の一回り大きい、人型の黒い存在がそこにいた。僕の認識能力ではそれがなにかを理解出来ない。
「おいおい、こりゃ思わぬ収穫だぜ。頑張ってこいつをぶちのめした俺のボーナスかよ!」
「…………」
「ばか、逃げろよお前――くそ!」
僕は緊張で力が出ず、立ちすくんでしまった。その黒い存在は笑っているようなしぐさで、明らかに僕の方を見る。そして両手を掲げ、口を大きく開けて、明らかに食べるような動きを、僕に目掛け……
しかし、その口は僕の頭を捉える前に目の前から消えた。向こうの方へと吹き飛んだのだ。それを実行したのは、けがをした少女だった。そのまま少女は黒い存在へと駆け出し、拳を構える。だが、その拳はその黒い存在に呆気なく防がれ、蹴り飛ばされた。彼女は僕の前まで吹き飛ぶ。
「き、君、大丈夫……?」
僕が膝まづいて彼女を様子を見ようとした時、眼下にそれがあることに気づいた。それは鳥の羽っぽいデザインの指輪だった。そして、僕は明らかに自分の意志と反して、その指輪に手を伸ばす。まるで誰かに行動を囁かれ、導かれているかのように。
「お、おい。生きてる人間がそれつけても意味は……」
僕は彼女の言葉に反し、それを右手の人差し指にはめる。その指輪は光り輝き、その光は次第に大きく、そして弾けた。気づくと右手には、白い1つの羽の形をした、剣のようなものを握っていた。
「……おい、もし死にたくなかったら、そのヘブンズブレードを使ってあいつを斬れ」
「え、で、でも……」
「それが出てるってことは、つまりは大丈夫ってこと。適当に振ればやれるから。ほら、あいつが来る!」
僕はこちらに走ってくる黒い存在に気づく。僕は意を決し、剣を構えて少女の前に出る。黒い存在が拳を振りかぶる。僕はその拳をテニスボールと見立て、テイクバックをする。拳が飛来するのとタイミングを合わせ、フォアハンドをスイングする要領で斬りつけた。その拳は難なく弾かれ、切り傷が付く。そのままの勢いで今度は片手バックハンドの動きで体に向けて斬りつけた。さらに弾かれて後方へと倒れ込む黒い存在。
「そのまま叩き込め!」
少女の力強い声が僕の体を動かした。片手バックのフォロースルーの勢いのまま、スマッシュの構えをする。軽やかなステップで距離を詰める。
「……んなめんなごら!」
その黒い存在は最後の抵抗のように踏ん張り、口を大きく開けて牙をむく。僕はその頭をテニスボールと見立て、ベストタイミングでそのテニスボールにスマッシュを叩き込んだ。真っ二つに破壊されるその頭部、勢いで地面に叩きつけられるのその体。僕はその時、非現実世界の現実に、入り込んでしまったのだった。
この日から、僕の世界は変わり、そして広くなったのだった。