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流離流離は旅をする

 かんかん照りの朝だった。

 久方ぶりの故郷の匂いに懐かしむ余裕などなく、冷房のきいた車内でボケーっと過ごしたかったところを、あそこの運動場で遊びてえと騒ぎ出す女の要求に応えることになり、俺は今、クソ暑い炎天下のもとで利用手続きの手伝いをしていた。

 俺も小学生の頃はここでこうして自分の名前と小学校の名前を記入した覚えがある。それから多少の変化があったのか、今は名前を書くだけで利用ができるようになっていた。


 「えー……お嬢ちゃん、この名前で間違いない? ホントに?」


 「そうだぞ! なんだ、なんか文句あんのか? 間違ってないだろ?」


 「いや、字は間違ってないけどね、これ……なんて読むんだい? いや! わかるぜ読み方は、おっちゃんもよく本を読んでたからな……『さすらう』だろ? えーけど、それが二つ並んでるとなると……」


 えらく饒舌に困っている様子の受付のおっさんに、俺から答えを出してやろうかとも思ったが、先に本人が名乗った。


 「『流離流離』! 難しくないだろ? 僕の名前だよ、なあ、のっぽ」


 「りゅうり? あありゅうりって読むのか! さすらいりゅうり……へえ、また面白い名前だな、お嬢ちゃん……お父さんの方は? 流離なんて言うんだい」


 「俺の名前なんぞ聞いてもしゃあないだろ。ホレ、遊んでこいわんぱく坊主」


 「誰か坊主だ誰が! 泥濘はデリカシーってもんがねえなあ、なす! 行ってくるから目ぇ話すなよ、僕も僕がどこ行くかわかんねえし!」


 「わかれよ。あと『おたんこ』を略すな、そりゃただの精霊馬だ。確かに盆の真っ只中だがよ」


 白い髪を翻し、ズボンの足のとこを砂まみれにしながら流離はさっさと走っていく。

 この炎天下の中、マジで元気が過ぎるもんだとしみじみ思う。俺は運動場の入り口のとこの日陰に身体をやって、男児のドッヂボールに飛び入り参加するあいつの背中を見届けた。


 「クソ元気だなあ、あのちび……」


 受付のおっさんも日陰の中とはいえ暑いらしく、ぐびぐびとスポーツドリンクのペットボトルを空にして、俺のほうへ顔を向けた。


 「ぬかるみって言ったかい、お父さん。……お子さん、ほんとに元気だね?」


 「だろ。ああ見えて日焼けはしねえし視力はイチてんゴだ。力は俺より強ぇし、嫁の貰い手っつか、嫁になれんのかね、あいつ」


 「の割にお父さんは随分死んだ目をされてらっしゃるが」

 

 「うるせえ。似なくてよかったと思ってるよ」


 拾ったんだから似るも似ないもないが、性格のとこは真逆になってよかったとは思っている。

 俺が二メートルの細長い棒みたいな体躯なのに対し、あいつは百三十センチで出るとこが出たバランスのいい体型をしていた。食っている飯は同じ筈が、どこでどう差が出るのかわかったもんじゃない。


 「しかしまあ、変わりませんね、ここ」


 「お父さん、地元がここかい? 市長の、百合子さんの意向でね……景観を出来るだけ残すようにってさ。だから中身とかは変わっても、見た目はそのまんまでさ。わざわざ前と同じ形に建て直す店なんかも多いよ」


 きさらぎ県繋歌市空音町。

 昔は『泥濘村』なんて呼ばれていたが、いつの間にか俺の苗字は無くなって、別の名前に変わっていた。

 名前は変わっても、曰く現市長の繋歌百合子氏の意向で中身は出来るだけ変えないようにできているらしい。こちらとしては、当時のままで道も変わらないなら運転もしやすくて助かるというものだ。

 流離がボールを受け止めて投げ返す。ドッヂボール用のでかいボールは柔らかく投げにくい覚えがあるが、それでもあいつは腕全体をムチみたいに振るってブン投げて、カーブまで描く投球を見せた。不意打ちを喰らった男の子がくやしそうに外野へ走っていく。

 相手のチームは残り二人で、流離がいる方は三人。飛び入りで参加したのだから当然そっちの方が多い。ちと不平等かな……なんて考えていたら、相手のチームの方に大人がひとり飛び込んできた。


 観戦をしていたやつか? いや待て。あの茶髪には見覚えがあった。


 「しゃあ!! ここから巻き返すぜ、ちびっこども!!」


 「誰だお前!? かかってきやがれチンピラ!!」


 子供の遊びに全力で楽しもうとしていやがる茶髪に指を指し、的確な言葉で様相を示す流離。

 その間に割り込む形で全力疾走し、茶髪が投げたボールを俺が片手で受け止めた。


 「――鹿島ァ!!!」


 そして俺は、茶髪の名を叫ぶ。


 「あーー!! ずりぃっスよ泥濘さん!! 駄目じゃないすか子供の遊びに大人が混じっちゃ」


 「そうだぞ泥濘、今のは僕が取るつもりだったんだぞこの邪魔のっぽ! 何考えて生きてんだ!」


 前から下から騒ぎ立てる声に手のひらを向けて静止を促し、ぽんぽんとボールを浮かす。

 そうして投げようとしない態度でタイムの意志を表示したかったのだが、子供連中はいつ飛んでくるかとそわそわしている様子だった。


 「オーケーオーケーいったん落ち着けお前ら、数秒で二つも三つもツッコミどころをぶつけられちゃ反応に遅延が生まれる。とりあえずはな……お前が何でここに居るのかを聞こうじゃねえか、鹿島」


 こいつの名は鹿島玲。年齢は俺のひとつ下。つまりこいつは子供の遊びに混ざった大人である。

 俺の方が頭ひとつデカいので見下ろす形にはなるが、こいつも十分長身の男だ。そんなやつが混ざっては流離と言えど困るだろうと思ったが、とうの本人はふくれっ面でこちらを睨むだけなので、いらぬ節介だったかもしれない。


 「ほう、オレが何故ここにいるかを知りたいと……泥濘さん」


 「……おう。知りたいね。何だって子供しか集まらねえだだっ広いだけの運動場に、お前が居るんだ」


 鹿島はズビシッと親指を自らの胸に指す。


 「オレに勝てたら教えますよ!! 泥濘センパイ!!」


 うん。そう。

 こいつはそんな奴だった。



 *



 俺、泥濘八尺は、相棒のキャンピングカーと共に旅をして暮らしている。

 どこへ向かうかなどは特に決めず、ハンドルを向けた方向へ気ままに走る。その結果、海や山に辿り着くことはざらにあり、来たこともない街に着くこともあれば、いつぞや来た覚えのある街を訪れることもあった。

 帰る家を失って以来ずっとそうして暮らして来たし、いつまでもそうして暮らすのだろうという確信はあったのだが。ある村を訪れたとき、その帰り道に、『忌み子』と呼ばれている赤子を拾ってしまった。

 その土地の文化がどうであれ、目の前の命を見捨てる真似は出来なかった。今にして思えば、親も家もないその赤ん坊に、俺は自分自身を重ねていたのかもしれない。


 色素を持たぬが故に真っ白に煌めく髪と、血の色を透かした紅い瞳。

 人形のようにぬらりとした、これまた白い肌。

 俺は溶けた粉ミルクをごくごくと景気よく飲むそいつを見て、『みにくいアヒルの子』なんて童話を思い出したりもしていた。

 忌み子といえば、そうなんだろう。ふつうとはまるで違う見た目は、それだけで忌避されるものだ。


 「泥濘ーーーー!!!」


 「あい。どうした」


 「スイカまだーーーー!?」


 「今切ってるよ。鹿島が」


 とうの本人は、そんな出生など毛ほども思わせないほど、活発で力の強い娘に育ったわけだが。

 ……直射日光の下、汗をにじませながら遊びまわり、目は俺より良い。精神面も含めて健康の権化と言わんばかりに成長したそいつに、俺は妻の旧姓と、つけるつもりだった娘の名前を寄越してやった。


 ――流離の無双で決着したドッヂボールのあと、俺は実家に帰省していた。

 

 表札は『泥濘』とあるが、中で暮らしているのは居候の鹿島だけである。ここを発って旅をすると決めたとき、親のすねをかじって生活するわけにもいかないが、持ち前の気性から働くことも難しい鹿島に、俺の家の管理をする代わりにそこで暮らしてもいいと伝え、今まで居座らせているためだ。

 今は作家の端くれをやっているらしく、それなりに収入もあるという。そのため締め切りに追われてさえなければ奴はそれなりに自由な身であり、時折子供に混ざってあの運動場で体を動かしてもいると、鹿島はけらけら笑いながら俺に話した。


 「お待ちどうさんっス、泥濘さん」


 「おう。サンキュ」


 ごとん、と大きな皿が縁側に置かれる。その上には切り分けられたスイカがたっぷりと盛り付けられており、水気が陽光を反射してきらきらと輝いていた。

 鹿島のやけにモコモコしたクセっ毛は小学生の頃から変わっていない。色は脱色されて明るい茶色になったが、持ち前の黒髪よりも自然に見える。

 昔は同じぐらいの背丈だったはずが、中学校を出たあたりで親の血が覚醒したか、俺は俺で今の二メートルまで背丈が延びた。母さんには負けるが、街中では十分目立つ身長であり、頭もよくぶつける。


 「流離」


 壁に向かってサッカーボールを蹴っていた流離に手招きをする。

 呼ばれて振り返れば目に入る皿の上のスイカ。わかりやすく紅い目をきらきらさせて、流離はボールを壁の端のあたりにぺいっと投げた。


 「手洗ってからな」


 「おー! すぐ洗う! ぜんぶ食べる!」


 「やめろ、腹下すぞ」


 とたたっと駆けてサンダルを脱ぎ、ちっこい背中が洗面所に向かっていく。


 「元気っスね、娘さん」


 「だろ。俺にはてんで似ねえ」


 口にしながら俺は少しずつスイカをかじり、口の中で種を取り分けて、プッと吐き出す。

 

 「庭から芽ぇ出ますよ」


 「出たら収穫しとけ」


 「あ、いっすねそれ」


 いいのか。

 鹿島も隣に座り、スイカをかじってはプッと同じく種を吐き出す。


 

 太陽は真上に居た。

 時刻はいつの間にやら昼過ぎである。真っ青な空と真っ白い雲が絵になっている。

 子供の頃も、こうしてあんな空を見上げていた気がする。

 あの頃見た空も、今見る空も、同じものなのだ。

 

 違っているのは、俺たちだけで。



 「泥濘さん」


 「……ん」


 「なんか、用があって帰って来たんでしょう?」


 「…………」


 俺は、洗面所の方でキュッと蛇口を閉じる音を聞いて、それから答えた。


 「ああ」


 「……今は話しにくいことですか?」


 「……夜んなったら、話すよ」

 

 たたたっと足音がして、流離が現れる。

 それから俺とスイカの間に割り込む形でのそのそっと入ってきて、足をぷらぷらさせながらスイカを頬張りはじめた。


 「んー!!」


 「うまいか?」


 「んまい!!」


 そりゃあよかった。

 


 *



 泥濘村の夜は都会のそれより数段暗い。

 いや、今はもう空音町だったか。いずれにしろ、家の裏にある墓まで行くのに懐中電灯が欠かせないくらいには夜の闇は深かったし、空は無数の星で埋め尽くされていた。


 「……ただいま」


 墓の前、土の上に腰を下ろし、俺は酒を開ける。

 懐中電灯の灯りを消してしばらくすれば、闇に慣れた目と、月明りが墓に刻まれた名前を見せてくる。


 『流離案山』。


 画数の多いこの名前を、よく刻んでくれたと感謝している。

 案山という名前は戸籍には『かか』で登録されているが、学生の頃は専ら『あんざん』とか『あん』とか、『あんちゃん』なんて呼ばれていた。かか、という読み方がわかりづらかったのと、本人が「産んでもないのに『かか』は変だ」と、自分からアンザンを名乗っていたというのもある。


 かく言う俺も『やさか』という名前でありながら、呼ばれ方は『ハッシャク』の『ハッちゃん』とかだった。度数の低い酒が回ってくるにつれ、案山と過ごした時間が蘇って来る。


 「泥濘さん」


 心はすっかり独りのつもりだったところに、鹿島の声ではっとなる。

 

 「こんばんは。さっきぶりっスね」


 「おう。さっきぶり」


 そう言って、鹿島も地面にどっかりと腰を下ろした。

 

 


 暫くの沈黙があった。

 

 俺から切り出してくれるのを待っていてくれているのだろうと、そう思った俺は、くいと一口酒を運び。


 「玲」


 

 「俺は、流離を、ここに置いてこうと思ってる」



 鹿島は、声を荒げるでも取り乱すでもなく、ただ静かに答える。


 「……それは、どうしてでしょう」


 「…………」


 見上げた先には星空があった。

 俺は星空を見ながら答えた。


 「あいつにも……あいつの人生がある。ここに居りゃあ、友達だって出来る。学校だって行ける。……俺みたいな人間と一緒にいるのは……あいつにとっては、望ましくないだろ」


 そうしてぽんぽんと出て来る建前に、少しばかりの嫌気を覚えながら。


 「……俺はな、玲」


 今度は地面を見て、続けた。


 「あいつと一緒に居るのが……怖えんだ」


 長い付き合いの友人が相手だからこそ。

 こぼれ出た本音を、何度も胸の内で反芻した。


 「二度と家族を失うような、帰る場所を失うような経験は御免だって、そうして旅に出た。……ここから逃げたんだ。だから……俺は」



 「……もう一度、逃げたいんですか?」



 …………。


 「ああ」


 「俺は臆病者だ。図体はデカいし、口は達者だが……臆病なんだよ。俺は……俺はあいつが大事だ。俺はあいつを愛してる。だから俺は、俺は――」



 「あいつのもとから、逃げ出したくて――たまらねえんだ!!」



 鹿島は、何も答えなかった。


 静かな時間が流れて、口に運んだ缶からは、もう一滴も酒は流れてこなかった。



 「オレは……」


 「オレは笑いませんよ、泥濘先輩」


 「……鹿島」


 「オレは結婚も交際もしたことない人間です。いや……できない人間です。そうして、できないなりに生きてきました。だから……先輩のことを、その気持ちを、わかることも、否定することもできません」


 「…………」


 「けど」



 「けどそれを、流離ちゃんに話しましたか?」



 「…………」

 

 「彼女には彼女の人生がある。それはきっとそうでしょう。でもだからこそ……泥濘先輩と一緒に旅を続ける、その選択をする自由だって、彼女にはある筈でしょう?」


 「……それは」


 「流離ちゃんがここに住むって決めたら……勿論オレは、全力で支えます」


 掌の内に収まった空き缶を、俺はくしゃりと握る。


 「オレに断言できるのは、それだけです」


 俺はゆっくり立ち上がって、ケツについた土ぼこりを払った。

 胸の内にあったぐちゃぐちゃした何かはとうに消えていて、どこか懐かしい緊張が残っていた。

 それは見下ろした先にある墓と繋がるものだった。


 「明日、オレたちの秘密基地に行きません?」


 「……秘密基地?」


 そんなものに覚えはなかった。

 なかったが、鹿島のそれはやけに自信たっぷりな声だった。


 「ええ。折角ですし、流離ちゃんに案内しましょうよ」


 「…………」


 おぼろげながら昔の記憶が蘇りかけて、けれども現れきらないまま消えていく。


 流離の顔を浮かべると、胸の内に去来する緊張は。

 ああ、そうだ。この緊張は。

 昔、この女に告白を試みたときの緊張と似ているのか。


 「悪い。覚えてない」


 「……」


 「だから――明日案内してくれ、玲。流離と一緒に」


 「……はい!」


 心と心で向き合うことを決めた、その決心がもたらす緊張は。

 今の俺にとって、どこか、心強かった。




 *




 『冒険』、というものに、元来憧れていた。


 だから、正直に言って、はじめてキャンピングカーに食料を詰め込んで走り出したとき、この上ないほどわくわくした。

 骨を埋めるのだと思っていた故郷を離れ、帰る場所も無くした俺には、どこへでも行ける足だけがあった。


 けれど結局、俺にとっての冒険とは、どこまで行ってもただの逃避に過ぎなくて。

 どこへも行けるということは、どこへもたどり着けないということでもあると気づくのに、ひどく時間を要した。


 

 『アンちゃん! 来たぞーーっ!!』



 ――秘密基地の入り口に立った時。

 俺の横で、俺が、そう叫んだ。


 『おーーー! こっちこっち、はやく! ハっちゃん!』


 東部公園と名のついた、小さな公園。

 その中央を陣取る、虫食い穴がぽこぽこ空いたドームの上で、白い女の子が手招きしていた。

 白い髪。白い肌。白いワンピース。そんな様相に似合わない、両腕をがっしりと組んだ勇ましい立ち姿。

 ふんっと鼻を鳴らすのが癖で、いつも得意げな顔をしていた。


 たいそう綺麗な舞を舞う、その才能に満ち溢れていた少女だったが。

 本人は『こんなくねくねした動きは好きじゃない、頭がおかしくなる』と、自分で自分の舞を嫌っていた。


 

 「……泥濘さん?」


 鹿島の声で、俺の意識は今に戻る。


 「……ああ」


 秘密基地とは……ここのことだったか?

 そのことを訪ねようとした時だった。


 「なあ鹿島――秘密基地って」


 「何あれ!!? 泥濘なにあれ!! あれなに!!?」


 「あ……あー、あー。えっとだな」


 たいそう興奮した様子の流離に手を引かれ、俺を引っ張る方とは逆の腕をびょんびょんと伸ばして、流離はあのドームを指していた。

 ただの穴が空いたドームだ。それ以上も以下もない。そう言おうとした自分の思考に、酷い懐かしさを覚えた。

 

 前にもこんなことがあった。



 『泥濘くん!? なにあれ!?』


 『あー……っとぉ……』



 聞いてきたのは、隣に居る、この鹿島玲だ。


 俺は、それにこう答えた。



 「――秘密基地だ。中に入れる」



 「入れんの!!? なかに!!?」


 「入れる。すげえだろ」


 「すげえ!! 入っていい!?」


 「いいぞ」


 何が凄いのかよくわからんが。鹿島のやつも同じ反応をした。

 たぶん、あいつの中ではドームの遊具といえば登って遊ぶものだったのだ。そして、この流離にとってもそれは同じことで。

 『内部がある』ということにひどくわくわくする、そんな心は、俺がとうに失っていたもので。


 たたたっと駆けていく流離の背中は、舞い踊る白い髪は、亡い妻のそれに似ていたが。

 一心不乱にドームに向かう姿は、見たこともない俺の背中によく似ていた。


 ああだったと、何故か、確信していた。



 「……鹿島」


 「秘密基地。ですよね? 泥濘先輩。ところで」

 

 「ああ……そうだな。そうだった。……ところで何だ」


 「オレも入っていいスか?」


 「勝手に入れよ」


 なんでこぞって俺に許可を求めるんだ?

 俺の基地だからか? いや、俺の基地ってわけでもねえんだけど。


 「秘密基地だーー!!」


 そして駆け出す、でかいのが一匹。

 それでもって、中で縮こまっていたちっこいのがそれに気づく。


 「ぎゃーーー!! ちゃらいのが攻めてきた!! 泥濘ー!! おいのっぽ!! 助けて!!」


 どう助けりゃいいんだ、俺は俺で。

 ひと気のない公園のド真ん中、穴あきドームの中で騒ぐちっこいのと窮屈そうに収まるでかいの。

 その様子を見に、外の穴から頭を突っ込む、一番でかいの。流石に中には入れねえ。


 「助けるたってどうすりゃ」


 で、そののっぽが顔だけ突っ込んできたのがたいそう面白かったらしく。


 「ばひゃひゃひゃひゃひゃ!!!! のっぽの顔だけ出てきたーーーー!!!! ひゃひゃひゃひゃ!!!!」


 「うわっっ顔近っ怖!! 泥濘先輩顔怖っ!!!」


 爆笑する流離とビビる鹿島。

 なんか楽しくなって、両腕も突っ込んでみたところ、流離はツボって鹿島は本気でビビり始めた。

 その様子がやけに面白く、俺も俺で子供にかえった気持ちになったが、肩のあたりまで突っ込んだところで引っこ抜けなくなり、わりと本気で焦った。


 なにをしているやらと省みるような余裕もない、バカみたいに騒ぐだけの時間が、ゆっくりと過ぎていった。



 *



 「流離」


 「ん?」


 昼時よりも少し前、日が上へ上へと昇りだす時間。

 ドームのてっぺんに両膝を立てて座る流離に、ドームのてっぺんに肩を預けて俺は問いかけた。


 「楽しかったか」


 「ん! 凄く! スイカ食ったし、ドッヂやったし、秘密基地来たし」


 「そっか」


 こいつは何をさせても、何をしていても楽しそうに笑う。

 その彼女に、そんな流れに乗っかって、本題を切り出そうとした時だった。

 

 お前は、ここに住む気はないかと、問うより速く。



 「次はどこへ行くんだ? 泥濘」



 きらきらした真っ赤な瞳が、俺を覗いた。


 「…………」


 俺は、少しの間、何も言えなくなって。

 それから、素直な疑問が口をついた。


 「俺との旅は…………いやになったり、しないか」


 流離は、いまさら何を言っているんだと言わんばかりの顔をした。


 「ぜんぜん。楽しいよ? どこへだって、泥濘が連れてってくれるもんな」


 その瞳は、その顔は、あまりにも純粋で、純真で。

 俺は、ああそうかと、やっと知った。


 俺にとっての旅は、俺にとって人生の延長にすぎなかった。

 逃避から手に取ったハンドルで、俺は逃避することしかできなかった。

 俺の心は結局、どこまで行ってもこの町に囚われ続けていた。


 だが、彼女にとっては違った。


 俺に拾われて。

 俺の都合で。

 俺に連れまわされて、育ったこの女は。


 流離流離は――。


 この旅こそが、人生で。

 その心は、ずっと彼女自身のもとにあるのだと。



 「…………」


 「……どうした? 泥濘」



 少なくない罪悪感が駆け巡った。

 そんな人生にしたのは俺だ。

 俺に付き合わせてしまったが為に、彼女はこの人生を生きることとなった。

 その罪悪がこの上無いほど身勝手で赦されざる傲慢だということも、俺は知っていた。


 ――だと言うなら。

 ああ、そうだと言うなら。


 「流離」


 小さな微笑みをたたえて、首をかしげてこちらを見る彼女に、俺は問う。



 「次は、どこへ行きたい」



 その微笑みは花開いたような笑顔になった。



 「海!」


 

 ――その生が、彼女にとっての『楽しみ』であるというなら。

 いつか彼女が降り立つ場所に辿り着くまで、俺は彼女を運び続けよう。


 彼女を俺の人生に付き合わせることはない。

 俺が……彼女の人生に、終生付き合い続ければいいだけのことだ。



 ……海、か。


 俺も、行きたいと思っていた。



 「くらげいるぞ、今の季節」


 「まじ? なに、くらげって」


 「刺してくる。痛えぞ」


 「痛いんだ! 注射とどっちが痛い!?」


 「…………………………注射?」


 「じゃ平気だわ。行こーな、泥濘」


 たくましいな、こいつ。



 *



 まことしやかに語られる、こんな話がある。

 曰く――『世界中を旅してまわる女』の話。


 地域や語り手によって姿かたちを変えはするが、おおまかな概要は一致する。

 真っ白な髪と肌、そして真っ赤な目の女の目撃証言、である。

 はじめは情報の濁流に流される単なる「お話」に過ぎなかったそれは、年月を重ねるにつれ四肢を得て、ひとり歩きをしだすに至った。

 会えば不幸になる、命を取られるといったおそろしいものから、一目見れば幸福になるとか幸せが訪れるなんてものまである。いったいどうしてそんな話が生まれて、そして育っていくに至ったか。


 簡単なことだ。

 『まことしやか』なんて阿呆らしい。

 そもそも、その女は実在している。


 「バナナチョコクレープひとつ。あ、クリーム抜きで」


 やけに緊張した様子のクレープ屋のお姉さんを見て、僕はくすりと笑う。

 はじめは鼻で笑っていたけれど、いざサングラスを外した顔を見せてみると、みんな一様にこんな顔をするもんだから、最近はなんだかちょっと楽しくなっていた。

 だからあせあせとお会計とクレープを焼く用意をするお姉さんに、悪戯っぽくこんなことを言ってしまう。



 「な」



 「僕、綺麗かい?」



 裂けてもない口をにぃっと歪ませて笑って見たり。

 とってもお綺麗ですなんて言葉が返ってきたことに素直に喜んだりしながら。

 あーあ、何やってんだかと、自分で自分を笑いながら。

 僕はずっと、これから先も旅をする。


 流離流離は、旅をする。

「さすらいりゅうりはたびをする」、依頼文は「腕っぷしが弱くて口がうまいのっぽと、化け物みたいに強くて悪態が小学生並みのちびの二人旅」でした。


悪態が小学生並みという一文が由来で、流離はことあるごとに喋ります。

成長しておしとやかになっても、ぽろっと出る口の悪さは変わらない。

怪談を元ネタとする名前が多いのは、現代とはどこかズレた現代が舞台なのです、

という説明を挟む予定だった名残です。

流離流離はキャラクターとして気にいっているので、連載作品として主人公をやらせられたらいいなあ。

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