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LIVE ANOTHER DAY ~僕達の物語~  作者: SAKURA
2章 再会
24/26

現代人達は旅立つ 2


 朝陽が海面を蒼く照らし出す頃、二隻のガレオン船がカルカンの港に入港しようとしていた。


 複雑に組み上げられた木製の船体には、天に伸びるように三本のマストが立ち、中央のメインマストには壮麗で巨大な有翼馬ペガサスの刺繍が施され、風を受けて走るその様は、見る者にまるで有翼馬ペガサスが大空を駆けているかのような錯覚を感じさせた。


 有翼馬ペガサスはフェナメス王国の旗印であり、この二隻のガレオン船は、フェナメスからの食料をカルカンへと送り届ける任に就いていた。


 遥か上空では、十騎の有翼馬の騎士(ペガサスナイト)が、一糸乱れぬ隊列を組み、船の護衛にあたっていた。


 白銀の鎧を身に纏い、右手には長尺なランスを構え、左手には王国の刻印の刻まれたカイトシールドを携える彼等こそ、フェナメスの誇る有翼馬の騎士(ペガサスナイト)であった。


 騎士の騎乗する有翼馬ペガサスは、いずれも体格が良く、その背に二枚の翼を持ち、その翼によって大空を自在に飛び回る能力を有していた。


 有翼馬ペガサスも、主と同じようにその身に馬鎧うまよろいを装備しており、ある馬の兜からは一角獣ユニコーンのような鋭い銀の角が伸びていた。

 いざ戦闘ともなれば、その角を突き出し、敵に対して果敢に突進を仕掛けるであろうことは容易に想像がついた。


 カルカンの港には大勢の人が押しかけ、二隻の船と、上空の有翼馬の騎士(ペガサスナイト)に割れんばかりの歓声を送っている。

 子供達などは、憧れの有翼馬の騎士(ペガサスナイト)に気付いてもらおうと、空に向けて両手を広げている。

 そんな、半ば熱に浮かされたような民衆を監視するかのように、至る所に重厚な黒鉄の鎧の兵士の姿があった。


 彼等はカルカンの街の兵であり、その名を黒鉄の団といった。


 今回、フェナメス王国からの船を受け入れるにあたり、あらかじめ港の各所に配置されていた。

 とはいえ、彼等とて守るべき対象の民衆を捕まえる気など毛頭ない。

 要するに、羽目をはずし過ぎるなという戒めのための存在であった。

 その証拠に、見晴らしを求める数人の子供達が、黒鉄に覆われた彼等の体をよじ登っているのだが、注意を与える素振りすら見せない。


 一騎の有翼馬の騎士(ペガサスナイト)が、先立って港に降り立った。

 彼は王族に連なる者だけが纏うことを許される真紅のマントを背にし、騎乗する葦毛の有翼馬ペガサスの美しさも相まって、その姿は完成された一個の彫刻のように優美であった。

 それまで歓声を上げていた民衆も言葉を忘れ、しばしの間、この有翼馬の騎士(ペガサスナイト)に目を奪われた。


 そんな騎士の元に、黒鉄の兵士を引き連れた一人の男が駆け寄った。

 決して華美ではなく、どちかといえば地味な紺の貴族服を着たその男は、髭を整えた口元に、人当たりの良さそうな柔和な笑顔を浮かべている。


 騎士は男の存在に気付くと、真紅のマントを翻し有翼馬ペガサスから降りた。

 そして白銀の兜を外すと、その見目を露わにする。


 若い男であった。

 日の光で輝く長いブロンドの髪を海風に揺らし、造形の整った中性的なその顔には、港に押し寄せた婦人達から黄色の歓声が上がった。


 若き騎士は、盾を有翼馬ペガサスの体に取り付けると、長尺なランスを垂直に立て、貴族服の男に対して片膝を付いた。

 その行為は、相手に最大の敬意を示す際に行われる有翼馬の騎士(ペガサスナイト)の作法だったが、これに恐縮したのが貴族服の男である。


「エドガー様、おやめ下さい。私のような者にそのようなことを・・・」


 男は慌てた様子で片膝を折り、エドガーと呼んだ若き騎士と目線を合わせた。


「どうかお立ち上がり下さい。貴方様にそのようなことをされては、私は父君に顔向けできません」

「父エイガスより、失礼の無きようにと言い渡されております」


 そういうとエドガーは、夏空のように清爽な笑顔をみせた。

 男はその後に、幾度かの言葉を重ね、やっとのことでこの美丈夫を立ち上がらせた。


 一連のやり取りを、民衆は固唾を飲んで見守っていた。

 自分達の長への敬意とは、エスバール大陸へと捨てられ、忘れ去られた自分達という存在への敬意であり、どこか卑屈な感情を常に持ち合わせているカルカンの民の自尊心というものを大いに揺さぶった。


 ガレオン船が着岸しようとしている。


 カルカンの民は、エドガーが彼等の長に見せた敬意へのお礼とばかりに、割れんばかりの歓声で船を受け入れるのだった。



☆彡☆彡☆彡



「ハムムムム~・・・ハムッ!」


 屋敷の庭園では、メイド服姿のハム美ちゃんが桜の樹に顔を埋めていた。

 そんなハム美ちゃんの背後から、息を殺し、そろりそろりと忍び寄る少女達の姿があった。

「ハムッ!」のかけ声と共にハム美ちゃんが振り返ると、少女達は一斉に動きを止めた。


「ハム~?」


 ハム美ちゃんが少女達に送る視線には、些細な動作も見逃さない厳しさがあった。

 その厳しさでもって、ハム美ちゃんは石像のように固まった幸姫、彩、小梅さんの検分を行う。

 息を呑むような緊迫した時間が流れたが、三人に不審な点を発見できなかったハム美ちゃんは、再び桜の樹に顔を埋めて謎の呪文の詠唱を開始した。


「ハムハムム~・・・」


 背を向けたハム美ちゃんに、今がチャンスとばかりに少女達が接近する。


 様子から察するに、彼女達はだるまさんが転んだに興じているらしい。

 鬼役のハム美ちゃんも、少女達も真剣そのものである。


 屋敷で行われる遊びには、他にけんけんぱ、かくれんぼ、鬼ごっこなどがある。

 広大な屋敷を舞台に繰り広げられるかくれんぼなどは、彩にとって不利な遊びである。

 広い屋敷の片隅に、どれだけ巧妙に身を隠したとしても、耳と鼻の良い幸姫や小梅さんにすぐに見つかってしまった。


 彩の感心する点は、そのことに不平不満を言うのではなく、逆手に取ったことだろう。

 少女は絶望的な現状に屈するのではなく、隠れる場所を詮索しがてら、要所に自分の匂いの染み付いた衣類を残していく方法で打開を試みたのだ。


 デコイの発想である。


 幸姫が彩を見つけたと思って押し入れを開ければ、あるのは片っぽの靴下だったし、小梅さんが「にゃわん」と樹の陰を探れば、黄色の学童帽がちょこんと置かれていた、なんてことがあった。

 幸姫や小梅さんがデコイに狼狽し、首を傾げていると「クスクス・・・」と笑い声が聞こえ、彩がひょっこりと姿を現すのだ。

 どうやら彩はかくれんぼに新たな楽しみを見つけたようだった。


 子供達に一番人気のある遊びといえば、鬼ごっこだろう。

 特に鬼の役がヨーコになった時の遊びの白熱具合は、他の追随を許さない。


「だぁ~れぇがぁ~・・・鬼だってぇ~ッ!!」


 ヨーコを指差し「鬼」と呼んで逃げる子供達に、彼女は過剰な反応をみせた。


「だぁれぇのぉ~顔が鬼みたいだとぉ~ッ!!!」


 時には言われてもないことまで勝手に付けくわえ、そのことを怒りに昇華しては、逃げ惑う子供達を猛追した。


「まぁてぇ~がきんちょ共ぉ~~ッッ!!!!!」


 茶色の髪を振り乱し、鼻筋と眉間に皺を寄せたその顔は、鬼というよりかは子供を攫う山姥のようであり、彼女達の繰り広げる鬼ごっこを傍から観戦したのならば、誰もがそんなイメージを頭に思い描いたことだろう。


 逃げてる最中の勇太が、ヨーコに向かって尻を振るのも良くなかった(少年に取ってはファンサービスの一環)。

 その行為はヨーコの怒りをさらに燃え上がらせ、執拗に勇太を追いかける様など、白桃を手中に収めんとする山姥のまさにそれであった。

 ヨーコの形相は凄まじく、たまたますれ違った歩を戦慄せしめ「ヒッ・・・ヒィッ・・・」と悲鳴を上げさせる程だった。


 山姥となったヨーコの身体能力の向上も著しい。


 屋根の上に安全を求めた小梅さんが、猫の身軽さで飛び乗ったわけだが、それを追うヨーコが「とうッ!!」のかけ声と共に、驚くべき跳躍力で屋根に降り立ったのだ。

 これには一部始終を目撃していた歩もヤトも啞然とし


「嘘だろヨーコちゃん・・・」

「まぁ・・・」


 と声を漏らすしかなかった。


 ヨーコの驚異的な身体能力は、歩とヤトの議論の的になった。

「怒りによって溢れ出た脳内麻薬エンドルフィンがヨーコのたがを外し、超人的なパフォーマンスを発揮させたのだ」とか「成長促進や慈愛と同じように、あれは隠された第三のスキルなのでは?」などの意見が出たが、結局答えを導き出すまでには至らなかった。


 だるまさんが転んだが、終わりを迎えようとしている。

 桜の樹の下で、ハム美ちゃんと手を繋ぐのは彩で、彩はもう片方の手を小梅さんと繋いでいる。

 少女達は、ハム美ちゃんが振り返っている時に動いてしまったため、今はこうして捕らえられている。

 二人を解放するには、残された幸姫がハム美ちゃんの体に触れるしか方法がない。


「ハムムムム~・・・」


 ハム美ちゃんが背を向けると、捕らえられた少女達から「今だよ早く早く」「にゃわんにゃわん」と声援が飛んだ。

 幸姫は慎重にハム美ちゃんの様子を伺うと、今が好機とばかりに走り出した。


 トテテテテ・・・。

 と擬音を付けたくなるような可愛らしい走りで、幸姫は遂にハム美ちゃんに肉薄する。


「妾の勝ちなのじゃ~ッ!!」


 満面の笑みを浮かべた犬神の姫が、ハム美ちゃんのモコモコの体に飛び込んだ。


「ハムハム~」 


 勝負はハム美ちゃんの負けであったが、悔しそうな素振りをみせずに、柔和に微笑んでいる所をみると、子供達と遊ぶことが純粋に好きなのだろう。


「お茶にしましょう」


 縁側から声がかかる。

 ハム神様もお母たまも、子供達の遊びが一段落するのを待っていたようだ。

 セバスハムの淹れたお茶が、湯気を立てながら少女達を迎える。


「歩兄達・・・元気かな~・・・?」


 お茶を飲み、一息ついた彩がポツリと呟いた。


 歩達が旅立ってから四日が経っていた。

 旅が順調ならば、カルカンの街に着いていてもよい頃だ。


「大丈夫じゃ。きっとみんな元気なのじゃ」

「にゃわんにゃわん」

「ハムハム~」


 幸姫の言葉に、小梅さんもハム美ちゃんも同意した。

 しかし彩の表情は薄暗く曇ったままだ。


「勇太・・・みんなを困らせてないかな・・・?」

「にゃ・・・わ・・・」


 彩の心配事とは、弟のような存在の勇太にまつわるものだったらしい。

 彩の心配は勇太を良く知る小梅さんにまで伝染した。

 勇太と共に過ごした数々の思い出が、走馬灯のように小梅さんの脳裏をよぎった。


 歩の背に乗る勇太。

 泣きじゃくり歩を困らせる勇太。

 かくれんぼの最中、行方不明になる勇太。

 歩の股間にデッドボールを喰らわせる勇太。


 表情の曇ったままの彩に「彩ちゃん大丈夫にゃわん。勇太はきっと立派にやってるにゃわん」と胸を張って言いのけるまでの確固たる根拠を、残念ながら小梅さんは持ち合わせていなかった。


「大丈夫じゃ。勇太も頑張ってるはずじゃ」


 代わりに幸姫が力強く答えた。

 犬神の幼き姫君は、彼女の家臣達が行商の旅を無事に成功させることを信じて疑わない。

 そんな前向きで一途な想いが、彩と小梅さんの不安を少しばかり緩和させた。


 空を西へと流れる雲があった。

 桃のような何ともヘンテコな形をした雲であったが、彩はこの雲がやがては歩達の頭上を通るだろうと思い、願いを託した。


ー ・・・どうかみんなが元気でいますように・・・。勇太がわがままを言ってみんなを困らせませんように・・・。

ー ・・・にゃわにゃわ。・・・にゃわん。


 桃の形をしたヘンテコな雲は、少女の願いを受け取った伝令のように、遥か西方へと流れて行った。



☆彡☆彡☆彡



 太陽が沈み、荒野に夜の帳が下りた。

 僅かな光源すら存在しない荒野は、数メートル先までしか視界が届かない暗闇に包まれた。

 その僅か数メートルの視界を確保するのは、太陽の代わりに夜空に昇った月であり、その周りには空を埋め尽くす程の星々が浮かんでいた。


 美芳を出て四日、旅が順調ならばカルカンの街に着いている頃合だが、歩達は未だ荒野に居た。

 揺らめく焚火の炎が、闇の中に旅人達の顔を浮かび上がらせる。


「歩くん大丈夫ッ!?ほらこれ食べられるッ!?」

「ワオンワオンッ!!」

「クゥ~ン・・・」


 歩に甲斐甲斐しく世話を焼くのは勇太とソラで、はなちゃんは不安そうに飼い主を見上げている。


「大丈夫だよ勇太・・・熱が出たわけでもないんだし・・・」

「勇たん落ち着くのハム~」


 一方の歩は、右足をヤトの膝の上に預け、上半身を起こしている態勢だった。


「ヤトちゃん・・・。歩くん・・・治るよね・・・?」

「ワンワン・・・?」

「クウ~ン・・・?」


 歩の右足に手をかざすヤトは、今にも泣き出しそうな勇太を安心させるかのように微笑み「朝までには治りますよ」と言った。


「ヤトさんすいません・・・」


 右足をヤトに預ける歩は、本当に申し訳なさそうに何度も謝った。

 そんな歩に対してもヤトは「いえいえ」と優しく目を細めた。


 カルカンの街までもう半日という所で、歩は負傷してしまった。

 整備のされていない土と小石の混じった道は、容赦なく現代人の足に負担をかけた。

 歩は一日目からその大半の時間を勇太をおぶって歩いていたものだから、足に豆が出来た。

 そして四日目にして豆が破けてしまったのだ。


 悲鳴と共に大地に手を付く歩ではあったが、背中の勇太を落とさなかったのは流石といえるだろう。


 右足の裏の、土踏まずから上の皮が全て剥けていた。

 もはや用をなさない皮がデロリと垂れ、その下から筋張った赤身が顔を覗かせているというような、何とも痛々しい有様だった。


 豆の潰れた足を見て、勇太が大声で泣き出した。

 足裏の様子は、大人が見ても眉をしかめるような有様で、まだ六歳の少年には刺激が強すぎたのだろう。

 そして、それ以上に勇太は、歩の足裏に起こった悲劇は、自分が歩の背にしがみ付き、足に負担をかけさせたせいだと思った。

 強い罪悪感に駆られた勇太は、歩の首筋にしがみ付き、泣きながら何度も何度も謝った。

 そんな勇太に歩は「勇太のせいじゃないさ・・・」と苦痛に顔を歪めながらも気遣うのだった。


「僕・・・ヨーコちゃんを呼んでくるッ・・・」

「ワオンッ・・・」


 勇太はヨーコの力ならば歩の足を治せると考えたし、そのことは間違っていない。

 だが、美芳の地からはいささかならず距離が離れすぎていた。

 空を駆ける有翼馬の騎士(ペガサスナイト)ならば、その距離をものともしないだろうが、少年の足では実現することは不可能のように思われた。


 実際、ソラと共に駆け出した勇太をヤトが止めた。

 

「勇太さん、そんなに泣かないで下さい。私が何とかしてみせます」

「なんとかちてみせるのハム~」


 ヤトは頭の上のハムちゃんと目を合わせ、いつかのように「「ねぇ~」」と声を揃えるのだった。


 そして今に至る。


「ヨーコさん程ではないですけれど、私も傷を癒せますよ」

「ヤトたんは傷を癒せるのハム~」


 ヤトとハムちゃんにそう言われ、歩の右足は半ば強引に二人に確保されてしまった。

 こういう時の二人のコンビネーションは素晴らしく、あれよあれよと言う間に歩の右足はヤトの膝の上に預けられた。


 ズキズキとした痛みが続いていた足も、ヤトが手をかざすと不思議と痛みが引いた。

 じんわりとした温かさが傷口に広がり、心地良ささえ感じられた。


「うっ・・・うっ・・・」


 勇太はまだ泣いていた。

 今回の出来事は少年に取って余程のことだったようだ。


 そんな勇太を、歩は何とかして元気づけたかった。


 足の豆が破けたのは結果論であって、元々歩は、勇太が今回の旅に参加すると決まった時から、少年を背負っていく覚悟はできていた。

 あの日、約束を破ってしまった罪を今回の旅で償いたかったのだ。

 歩が望むものとは、勇太の屈託の無い笑顔であって、泣き顔などではない。

 

 ふと夜空を見上げると、なんともヘンテコな形をした雲が月の前を流れていた。

 桃のような形をしており、歩にはその雲が勇太の尻に見えてしまってどうしようもなかった。

 気分転換も兼ねて、明るく勇太に話しかけてみる。


「勇太ッ、勇太見てみなよあの雲ッ。勇太のお尻にそっくりだッ」


 勇太少年は我が耳を疑った。


 歩の指し示す先には、桃のような形の雲があり、人によってはそれが人間の尻に見えてしまうのかもしれない。


 それは良い。


 解釈は人によって様々であり、そのことを否定したりだとか、反対意見を言ったりする程、勇太は子供ではない。

 問題は歩の主語である。

 彼は雲を形容する時に尻という言葉を使い、あろうことかその主語として少年の名前を掲げたのだ。


 その雲は、両方の膨らみの形も歪であったし、右側などは形が崩れてしまっていた。

 自分の尻はこんなに不格好ではないし、何よりそんなことを言い出す歩に強い不快感を覚えた。


 歩の誇大解釈が罷り通るというならば、そこら辺に落ちている何の変哲もない小石が宝石になってしまうし、田んぼに立つ案山子がアイドルになってしまう。


 断じて許せることではない。


 勇太に取っての尻とは、武士に取っての刀であり、彩に取っての黄色の学童帽であった。

 もしも武士の下げく太刀を罵倒する者がいれば、武士は鞘から白刃を抜き放つことだろう。

 もしも彩の学童帽を貶す者がいれば彩は・・・彩はどうするのか分からないが、どちらにせよ血を見ることは明らかだ。


 それは自己の存在証明アイデンティティに関わる繊細デリケートな問題であり、軽々と悪罵を吐いて良いものなどではない。


 勇太に取って、あのような不格好な雲と自分の尻を同一視されることは、この上ない屈辱であった。


 この少年は、あと何年か年を重ね、尻の円熟味が増した時に、【勇太のお尻ファンクラブ】なる集いを形成しようと考えていた。

 その時、名誉あるファンクラブ第一号の称号を、勇太の尻を良く知る歩に上げてやっても良いとさえ考えていた。


 勇太は歩が、自分の尻の良き理解者であると信じてやまなかった。


 ファンクラブの第一号の責任は重い。

 常に良識ある発言と態度を心掛け、あられもない誹謗中傷が勇太の尻を襲った時には、その身をもって尻を守り抜く覚悟と決意が必要なのである。

 時に詰めかけたファンから尻を護り、パパラッチの悪意あるシャッターから尻を護り・・・そんな仕事も、歩ならばきっと任せられると思っていた。


 だのに・・・このザマである。 


 尻の守護神たるべき存在が、勇太の尻を卑下した発言をしたのだ。

 

 少年は激情に駆られた。

 少年は激怒した。


 一番信じていた者に、一番頼りにしていた者に裏切られたのだ。

 自分の小さな体の、一体どこからこんなに怒りが沸き上がるのかと、自分自身で驚いた。

 今すぐにでも歩の横っ面を引っぱたいてやろうかとも思った。

 歩は勇太の尻を侮辱しただけではなく、自分達の未来まで汚したのだ。

 その罪は重い。


 一方で、少年を押しとどめる感情もあった。

 歩を負傷させてしまった罪悪感である。

 相反する二つの感情で、少年は板挟み(ジレンマ)に陥った。


「勇太・・・どうしたんだい・・・?アイタタタタ~ッ!勇太~やめてくれ~ッ!」


 勇太は歩の横面を引っぱたく代わりに、お腹を思い切りつねり上げてやった。


「歩くんがいけないんでしょ~ッ!」

「ちょッ・・・待ってッ・・・アイタタ・・・」

「ワオンワオンッ!」


 そこにソラまで加わった。

 歩が勇太の尻を侮辱したことを、この賢い犬は分かっていたのだ。

 歩の上半身に果敢に犬パンチを繰り出しては「ウゥ~」と唸ってみせた。


「ワンワン?」


 さらにその輪にはなちゃんまでが加わった。

 はなちゃんはなんだか楽しそうだから加わってみた。

 根が呑気なこの白い犬には、些細な喧嘩がまるでじゃれ合っているように見えたらしい。


「まあッ・・・!?」

「ハムッ・・・!?」


 ヤトとハムちゃんは驚いたように声を上げるが、すぐに目を細め、頬を緩ませながらこの喧嘩を見守るのだった。



☆彡☆彡☆彡



 更に夜が更けた。

 辺りは静寂に包まれ、焚火にくべられた薪が時折パチパチと小気味よい音を奏でた。

 弥助は夜間の歩哨に立つということで、少し離れた場所で警戒にあたっていた。


 歩はすでに眠っている。

 歩の体には勇太が抱き付き、先程まで喧嘩をしていたはずなのに、今は仲良く一枚のマントにくるまっていた。


 二人の両脇では、はなちゃんとソラが耳をペタンと折り畳み、夢の世界へと旅立っていた。

 はなちゃんなどは「ワ・・・フン・・・」と寝言を言い、両手で空を掻き回している。

 水を泳ぐ夢を見ているのか、はたまた凶悪な魔物を相手に大立ち回りを演じているのか、それはこの白い犬にしか分からない。


 空を掻く手が何度か歩の顔に当たった。

 その度に歩は「むにゃ・・・」と反応をみせたが、起きる事はなかった。

 みんなこの四日の旅で疲れていた。

 特に歩と勇太の疲労は甚だしく、日中でも欠伸を嚙み殺している様子が散見された。

 眠る時の寝具は皮のマントのみで、おまけに固い土の上で寝るものだから、疲労が回復するはずもなく、むしろ蓄積されていった。


 ヤトは歩の右足に手をかざしていたが、空いているもう片方の手を勇太、はなちゃん、ソラに順番にかざしていった。

 ヤトはヨーコ程ではないにせよ治療の力を持っていると言っていた。

 その力の中には、疲労の回復も含まれているのかもしれない。


「ヤト殿は治癒の術も使えるのだな・・・」


 正面に座るアサヒが感慨深そうに口を開いた。焚火のぼんやりとした灯りでは、アサヒの顔の僅かな機微までは確認出来なかったが、その表情は穏やかである。


「ええ・・・」

「キツネさんは何でも出来るのハム~」


 言い終わった後で、ハムちゃんは慌てて口を塞いだ。

 アサヒがヤトの正体を知らないことを、ハムちゃんは知っていた。

 ヤトの断りもなしに軽口を叩いてしまった自分を酷く後悔した。


 ハムちゃんを弁護するならば、ハムちゃんはこの行商の旅が楽しくて仕方なかった。

 歩とヤトとはなちゃんと、勇太にソラにアサヒと弥助を加えたこの旅が、遠足のようで心が躍ったのだ。

 既に歩達が寝入っていることと、そういった高揚感が、ハムちゃんの口を迂闊にした。


「キツネ・・・さん・・・?」


 アサヒはその言葉を口ずさみながらも、どこかで妙に納得している自分がいた。

 ヤトから発せられる空気は、他の転移者達とは一線を画していたからだ。

 それはどちらかといえば野の獣のような、あるいは自分達犬人族のように、人と同じ姿形はしていても、人に非ざる者の放つ独特の空気と同じものであった。


 頭の上で口を塞ぐハムちゃんを、ヤトは咎めたりなどはしない。

 ヤトが自分の正体を隠すのは犬友達だけであり、アサヒにそれを知られたとしても、この純朴な女性がわざわざ告げ口をするなどとは考えられなかった。


 正体が知られているといえば、美芳の民もヤトとライの正体を知っている。

 狩りで獲った獲物を村に運ぶ時、ヤトは頭の上にキツネの耳を乗せ、腰から尻尾まで生やしているし、ライだって勇猛で巨大な雷狼の姿になっている。


 美芳の民は、犬友達の前でヤトとライが正体を見せぬ違和感にすぐに気付いたし、犬友達が二人の正体を知らぬことにもすぐに気付いた。

 そのことを疑問に思う者もいた。

 しかし弥助が「他言無用なり」の厳命を下し、それを徹底させた。

 日常の様子からも、ヤトとライが正体を隠していることは明らかであった。


 大恩ある者に砂をかけるなど、犬人族の名折れであると弥助は思っている。

 だから、犬神アルクが逝去した後、幼い幸姫と美芳の地を捨てて出て行った者達のことを許していない。

 今、美芳の地に残る者達は皆、弥助と同じ考えを持っている。

 犬は一度受けた恩を生涯忘れぬというが、過酷な過去を経験しても尚、幸姫と美芳の地を支えて行こうと決めた者達は、特にその傾向が強いようだった。


 思わぬ所でヤトの秘密を知ってしまったアサヒの場合はどうだろうか?

 アサヒは目を細め、口元に微笑みを作り「みんなは・・・そのことを・・・?」と聞いた。


「アサヒたん・・・このことはみんなには内緒なのハム~・・・。秘密にちて欲ちいのハム~・・・。」


 つい口を滑らせてしまったハムちゃんが懇願する。


「決して口外せぬことを刀に誓おう」


 その言葉でハムちゃんはほっと胸を撫でおろした。


「貴方とライ殿が屋敷に現れた時・・・」


 アサヒがまるで昨日の出来事のように話し出す。

 その口調はあくまでも穏やかである。

 記憶にあることをゆっくりと言語化している、そんな様子だった。


「背筋が凍り付く思いがした・・・。どう足掻いても私では貴方達に勝てぬと思った・・・」


 アサヒには武芸の心得がある。

 犬神アルクやその家臣達に直々に鍛えられていた。

 美芳に現れた魔物を狩る一団に加わったこともあるし、そういった経験からアサヒは人を敏感に観察するようになった。

 真に強い者とは、独特のオーラを発するものである。

 犬神アルクには当然あったし、魔物の中にもそのオーラを発する者もいた。

 そして、アサヒはヤトとライからもこのオーラを感じ取っていたのだ。


 ヤトとハムちゃんは黙ってアサヒの言葉に耳を傾ける。


「幸姫様の前に連れて行って良いものかと考えた。仮に貴方達がよからぬ心で幸姫様に害を為そうとした時、私には止める手立てがないのだから・・・。いっそ死ぬ覚悟で貴方達に手傷を負わそうとも考えた・・・」


 ヤトはアサヒと初めて対面したあの日のことを思い出していた。

 確かに彼女の耳はピンと立ち、警戒心を露わにしていたし、表情は強張り動揺しているように見えた。

 そのことを不思議に思ったりもしたが、まさか原因が自分とライガだったとは考えもしなかった。

 こういう所が、安穏とした性格のヤトらしい。


「キツネさんもライたんもそんなことちないのハム~ッ!!」


 ハムちゃんが身を乗り出してアサヒの言葉を否定した。

 あまりの勢いにヤトの頭の上から落ちてしまったが、差し出された白魚のような手がハムちゃんを受けとめる。


 ハムちゃんはヤトとライの潔白を何としても証明してやりたかった。

 二人のことを良く知っているから、知り過ぎているからこそ、他者にそう思われてしまうのが我慢ならなかったのだ。


「ではなぜ・・・」次に口を開いたのはヤトである。


「私達を幸姫様の元へ・・・?」


 そう、あの時のアサヒは緊張と動揺を見せたが、すぐにそれを隠し屋敷の中へと招き入れたはずだ。


「貴方達の目が・・・」アサヒは胸に手を当てると、荒野に一輪の花が咲いたような笑顔をみせる。


「貴方達の目がとても優しかったから・・・。事情を話せば幸姫様の・・・私達の力になってくれると思った・・・」


「私は間違ってなかった・・・」ともアサヒは言った。


「ヤト殿は本意ではないかもしれないが・・・貴方の秘密が知れて私はなんだか嬉しいのだ・・・。勿論、誰にも他言せぬことを改めてこの場で誓おう」


 そこまで喋ると、アサヒは「ふう~・・・」と大きくため息をついた。


「誰かに胸の内を話すのは本当に久しぶりだ・・・。だから疲れた・・・」


 ヤトとハムちゃんは声を上げて笑った。

 荒野の夜はさらに更けていく。


 明日はいよいよカルカンの街である。

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