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LIVE ANOTHER DAY ~僕達の物語~  作者: SAKURA
1章 犬友達は頑張る
14/26

現代人達は召喚される 14 ~ 勇太少年の憂鬱


  屋敷の庭園には剣呑な雰囲気が漂っていた。


 朝餉が終わり、歩達が村へと仕事に出掛ける時間ではあるが、ここ三日間は違っていた。


 庭園の端の方には朽ちた丸太が的のように立てられており、10mの距離を開けて相対するわ彩と小梅さん、そしてそんな二人の側で師匠のように佇むヤトであった。


 彩は白の木綿の服と、アンバランスとも思える黄色の帽子という出で立ちであったが、どうやら頭にこの帽子が乗っかっていないと落ち着かないようだ。


 彩と小梅さんはまるで積年のライバルにくれてやるように丸太を睨むと、顔を見合わせ、やがて意を決し呪文の詠唱を始める。


「炎を操りし地獄の王サルエルよッ!今こそ我の呼びかけに答え、古の約定の元、その力を我に貸し与え給えッ!ハァーッ【地獄の業火(ヘル・ファイア)】ッッ!」

「にゃわ~んッ!」


 彩の掌から紅く渦巻く高温の炎の玉が飛び出し、容赦なく丸太を燃やし尽くす。


 やがて炎は渦巻き、竜巻のように空へと昇っていく。


 離れていても伝わる圧倒的な熱量に勇太は両手で顔を覆い隠し、思わず「ふわぁ~」と悲鳴を上げた。


 ・・・・・・・。

 ・・・・。

 ・・。


 なんてことは起こらずに、彩の掌からは炎のほの字も出ていない。

 

 縁側に座りその様子を眺めていた勇太は思わず「ふわぁ~・・・」と眠たそうに欠伸をついた。


「・・・どう・・・?ヤト姉・・・?」

「にゃ・・・わん・・・?」

  

 彩と小梅さんはつぶらな瞳をキラキラと輝かせヤトを見つめる。


 その表情は真剣そのもので、その態度は師から教えを乞う勤勉な弟子のまさにソレであった。


「・・・よ・・・良かったと思います・・・」

「本当ッ!?じゃあもう少しかな?もう少しで私も魔法が使えるようになるのかな?」

「にゃわにゃわッ?」

「ええ・・・。彩さんも小梅さんも頑張り屋さんですからきっと魔法を使えるようになりますよ」


 ヤトは笑顔でそう応じた。 


 事の発端は三日前で、村での仕事を終え屋敷に戻ったヤトに彩と小梅さんが飛び付き、魔法を教えてくれと懇願したことから始まる。


「私もヤト姉みたいに魔法を使いたいッ!魔法少女になりたいッ!」

「にゃわッにゃわッ!」


 二人のあまりに真剣な様子と打って変わって、ヤトは少し困った顔をしていた。

 

 聞けば、ヤトの使っているものは魔法ではないらしい、とのことだった。


 だからヤトは魔法の出し方が分からないから彩に教えることが出来ない、そういう訳だった。


「えっ?じゃあアレってどうやって出していたんですか?」


 その歩のもっともな疑問にヤトは「ウフフフ」とお上品に微笑み、ライまでも「ワフフフ」と笑っていた。


 そんなやり取りがあってから、彩の熱烈な要望によって魔法の練習にはヤトが付きそうことになった。


 魔法とは勝手が違うとはいえ、実際にヤトは火や水を出しているから、精神的支柱といった意味で、近くにヤトが居て欲しいのだろう。


 彩も小梅さんも練習に余念がない。

 

 ヤト達が村へ行っている間も、暇さえあれば丸太に向かい呪文を詠唱しているそうだ。


 残念ながら今の所、成果は見えないが、そのやる気と根気は目を見張るものがあった。


 出来れば彩が魔法を使えるようになり、願い通りに魔法少女になって貰いたいものだと皆が思っている。


 朝の魔法練習も終わりの時間が近付く。


 ヤト達が村へと仕事に出掛ける時間になったのだ。


 彩は名残惜しそうにヤトを見上げると「ヤト姉、火を出すところを見せて」とせがんだ。


 ヤトが「ええ分かりました」と優しく応じると、その白く細い指先の上で小さな火の玉が揺らめいた。


「こっ・・・これこそまさにサルエルの炎・・・」

「にゃわ・・・」


 その小さな火の玉を羨望の眼差しで見つめる彩と小梅さん。


 その可愛らしい二つの口から「わぁ・・・」「にゃわん・・・」と感嘆の声が漏れる。


「あの・・・地獄の王サルエルってどちらの人なの・・・?」


 歩からの質問であった。

 

 彩の魔法の練習が始まってからというもの、この少女は事あるごとに「地獄の王サルエル」だとか「冥界の守護者ペイルダルト」などといった人物名を上げるのだが、歩にはそれが誰なのか分からない。


 しかし犬仲間達はその人物のことを知っているようで、ヨーコに至っては「もっとサルエルの存在を近くに感じないといけないんじゃない?」と彩にアドバイスまでしていた。


 何かのアニメのキャラクターかとも思ったが、この機会に聞いておこうと思った訳だ。


「えッ!?歩兄、知らないのッ!?」

「にゃわんッ!?」

「ワオッ!?」


 彩と小梅さんの顔が驚きに変わる。

 

 まるで幻の生物ツチノコでも見たかのような表情である。

 

 ついでに何故かはなちゃんまでもが驚いていた。


「はなちゃんも知ってるの?」


 今度は歩が驚いてはなちゃんに聞けば「ワオンッ!」と、まるで「当たり前だッ!」と言わんばかりに吠え声を上げた。


 ー はなちゃんまで知っているなんて・・・そこまで有名なアニメなのか・・・?


 歩が自分の無知を恥じていると、慌てたようにはなちゃんが彩と小梅さんの側まで駆け寄り「キュ~ンキュ~ン・・・」と詫びるような仕草を見せた。


 飼い主の無礼を二人に謝っているようだ。


 その後に何かをせがむように彩に真っ白な体を摺り寄せた。


 どうか飼い主のために説明をして上げて欲しい・・・といった所であろうか。


 彩と小梅さんはそんなはなちゃんの必死の懇願にウンウンと頷くと、歩への説明を始める。


「歩兄、地獄の王サルエルはね・・・甘党で・・・部下に厳しいんだけど、実は部下のことを一番に思っていて・・・だけどそのことをなかなか口に出来ないツンデレさんなの・・・」

「にゃわにゃわ・・・」

「甘党で・・・ツンデレさんなんだね・・・?」

「うん・・・。特にホットケーキが大好きで・・・砂糖をたっぷり使って焼き上げたホットケーキに溢れんばかりのハチミツと、零れ落ちそうなくらいの生クリームをかけて食べるの好きなのよ・・・」

「にゃわん・・・」

「ホット・・・ケーキ・・・」


 ホットケーキにハチミツと生クリームだなんて、大層な甘党さんだ。


 そもそも地獄になぜホットケーキとハチミツがあるのか・・・疑問は尽きない。


 疑問は尽きないと言えば、古の約定とは何なのだろうか?彩はいつの間に地獄の王と約定を結んだのだろうか?色々と聞きたいことはあるが、歩はもっとも根本的な質問を少女達にぶつけることにした。


「それで・・・何てアニメなの・・・?」


 皆が固唾を飲んで見守る中、いつの間にかはなちゃんのオデコの上で黄色の蝶々が羽根を休ませていた。


 が、はなちゃんはそんなことを気にもせずに歩と彩と小梅さんの成り行きを、真剣な表情で見守っている。


 ソロリ・・・ソロリ・・・とその背後から手を伸ばしながら勇太が忍び寄る。


 やがて少女が静かに口を開いた。


「歩兄・・・地獄の王サルエルはね・・・」

「にゃわにゃわ・・・」

「うん・・・地獄の王サルエルは・・・?」


 歩は思わず生唾を飲み込んだ。


 勇太の手は、はなちゃんのオデコに届きそうな距離にまで近付いている。


「私と小梅さんの作ったお話の登場人物だよ?」

「にゃわん?」


 歩は盛大にズッコケた。


 その拍子にはなちゃんのオデコにとまっていた黄色の蝶々は空へと飛び立った。


「ああん・・・」と残念そうに勇太が声を上げた。



☆彡☆彡☆彡



 歩達が美芳の地に来て五日が経った。


 少しづつ・・・本当に少しづつではあるが、村の再建も始まっていた。


 それまではその日の食料の調達に充てられていた村人達の時間も、歩達の存在によって別のこと、つまり老朽化した家屋の改築やその他の仕事へと回せるようになっていた。


 黒々とした土を讃える畑は今や十になったし、水田も三個になった。


 村人の胃袋を満たすには十分な数である。


 十分である所か、ヨーコのスキルによって植えた種がその日の内に実を付けるのだから、村の食糧問題は一挙に解決していた。


 それまでは栄養不足からか、やせ細っていた村人達の体も今では見違える程に健康的だ。


 村の広場では子供達や犬達に混じって、勇太、ソラ、それにはなちゃんが元気よく走り回っている。


 最初は内気な様子を見せた勇太であったが、すっかり打ち解け仲良くなっている。


「神名川をどうにかすることは出来ませんか?」


 彦助の父、弥助であった。


 彼は大柄な体をすぼめ、どこか遠慮がちに歩達の様子を伺っていた。


 彼の傍らには息子である彦助も居たのだが、父と同じ様に耳をペタリと垂れさせ、不安そうに成り行きを見守っていた。


 神名川といえば、その豊富な水量からかつては美芳に様々な恵みを与えていた。


 霧音岳から流れ来る神名川は、山の栄養をたっぷりと含み、美芳を肥沃な大地へと導いた一番の立役者であったが、今ではその面影もない。


 川はすっかり枯れ果て、僅かな水流を保つだけで精一杯といった、疲れ果て肩でゼェゼェと息をしているような有様だ。


 白く乾いた苔を付けた川石が幅20mに広がり、何とも寂しい限りである。


「雨の日は、水もある程度は流れるのですが・・・」


 弥助は悲しそうに顔を曇らせた。


 歩は美芳の地を守るかのようにそびえ立つ霧音岳に目をやった。


 季節は夏に向かっているから、本来山々は緑を生い茂らせていなければならない。


 しかし山に緑はなかった。


 立ち枯れた樹々が折り重なるように倒れ、土砂崩れを起こした斜面さえ見える。


 幸姫の屋敷の周りには辛うじて緑があったから、おそらく犬神の恩恵だとかそういうことなのだろう。


 歩はかつて祖父に聞いた話を思い出していた。


 歩の故郷の村も山々に囲まれていて、小さいながらも豊富な水量を誇る川が流れていた。


「いいか歩、山に沢山の樹が生えて、それが川に水を流してくれるんだ。俺達がこうして畑を耕して暮らせるのも山のお陰だ。大事にしなきゃなんねえ」


 そういえば祖父は定期的に山に入って、間引きだとか枝打ちをやっていて、そうしてしっかりと根を張った樹々を育てるのだと言っていた。


 あの頃は飼い始めたハムスターや、仲良くなったキツネさんと遊ぶのに夢中で、山のことなど興味を持たずに祖父の言葉を聞いていたのだが、今になってその意味がやっと分かった気がする。


 山に樹々が無いせいで、雨水を貯めることが出来ずに、神名川は枯れ果てようとしている。


 日々の生活では気にもしなかった自然の循環が、美芳の地では上手くいっていないのだ。


ー 樹々を育てることから始めないと・・・。僕が土を豊穣にして・・・ヨーコちゃんの成長促進のスキルをかければ・・・なんとか出来るんじゃないか・・・?


 歩がふと横に目をやれば、ヤトが笑顔で歩を覗き込んでいた。


「良い考えは浮かびましたか?」

「ヤトさん・・・。昔に・・・田舎の爺ちゃんが教えてくれたことを思い出していました・・・」

「田舎の・・・おじい様・・・」


 歩がそう答えると、ヤトは実に不思議な反応を見せた。


 切れ長の眼を細め、まるで何かを懐かしむような、そんな表情を浮かべる。


 そのヤトの横顔に、歩は何故か子供の頃に遊んだキツネさんの面影を思い出した。


ー どうしてキツネさんのことを思い出すんだろう・・・?


 ヤトは人間で、キツネさんはキツネさんである。


 似ても似つかぬはずなのに、歩には何故記憶の中のキツネさんが思い出されるのか、自分でもその理由が分からなかった。


「アーーーンッッ!!!」


 不意に村の広場の方から子供の泣き声が聞こえてきた。


 慌てて広場へ向かえば、犬人族の幼い少女ミコトが、擦りむいた右腕から血を流していた。


 そんな少女に心配そうに寄り添う勇太達の姿があった。


 恐らく駆けっこの最中に転んでしまったのだろう。


 傷は大したことはなさそうだが、流れ出る血が痛々しい。


 ヤトがミコトの所へ走り出すよりも早く、ヨーコが泣きじゃくる少女を抱き抱えた。


 ヨーコは確か種にスキルを付与する仕事をしていたはずだが、ミコトの泣き声を聞いて飛んできたのだろう。


 優しくミコトの体を包み込むと「ヨシヨシ。痛かったね。もう大丈夫だからね」と声をかけている。


 不思議なことはその後に起こった。


 ミコトの傷口にヨーコが手を添えた瞬間に淡く光りを放ち、流れ出る血はピタリと止まり、泣いていた少女も「アレ?」と言った表情を浮かべた。


 そして「痛くない・・・?」と擦りむいたはずの右腕をマジマジと見つめるのだった。


 遅れて歩達が駆け寄り、少女の右腕を見てみれば、そこにあるはずの傷口がすっかり治っていた。


「えっ・・・?いや・・・マジで意味わかんないだけど・・・?」


 何よりも驚いていたのはヨーコ自身であった。



☆彡☆彡☆彡



 ~ 勇太少年の憂鬱


 少年はひどく落ち込んでいた。


 今日は旗日で平日だというのに幼稚園が休みで、いつもの勇太ならばソラと共に喜んで外へ飛び出しているはずだった。


 だのにこの日は違った。


 プゥ~~・・・。


 少年のお尻から可愛らしい音と共に、メタンガスが放出された。


 いつもは元気なこの少年を陰鬱な気持ちにさせ、笑顔を奪い去った原因こそ、まさにこれであった。


「はぁ~・・・」

「ワフゥ~・・・」


 二階の子供部屋の窓辺で頬杖を突きながら、勇太は深いため息をついた。


 その隣にはソラが座り込み、同じようにため息をついている。


 窓の外には青空が広がり、西へと流れる雲がまるで勇太とソラを遊びに誘っているかのように見えてしまう。


 ソラを連れて今すぐにでも外に飛び出したい気持ちを抑え込み、勇太はぼんやりと空を見上げた。


 なんて良い天気なんだろう。

 プゥ~・・・。

 ソラと一緒に外で遊んだらどんなに楽しいだろう。

 プス・・・プピプス・・・。

 あ~あ・・・外に行きたいなぁ~。

 プップップ~・・・。


「はぁ~・・・」

「クゥ~ン・・・」


 少年と愛犬は再び深いため息をついた。


 その変調は目覚めると同時に起こった。


 どういう訳だか屁が止まらないのである。


 原因は分かっていた。


 歩がおすそ分けでくれたさつま芋が甘くて美味しすぎて「そんなに食べたらオナラが止まらなくなるよ」との由紀子の忠告を無視して、バクバクと芋を喰った自分が悪いのだ。


「僕・・・このままずっとオナラが止まらないのかなぁ~・・・」

「ワオン・・・」

「プゥ~・・・」


 勇太が悲しそうに呟くと、同じように彼の尻から悲哀に満ちた旋律が奏でられた。


 少年は自分の尻に絶対の自信と誇りを持っていた。


 瑞々しい水蜜桃のようなその尻は、程良い形と豊かな弾力を備えており、しかしひとたび力を入れて引き絞れば、一朶の雲を背景に、凛とそびえる富士のような泰然さを持ち合わせていた。


 音だって良い。


 少年の尻を手の平で叩いた時に出るソレは、崇高で格式の高い和太鼓を、匠が十全の技術でもって打ち鳴らした音に勝るとも劣らない程であった。


 それが・・・今はどうだろうか・・・?


 プゥ~・・・プピ~・・・プ~・・・と吹き損じた木管楽器のような音をひり出す体たらくぶりである。


 その不甲斐なさは、少年の自尊心を痛く傷付けた。


 幼稚園が休みで本当に良かった・・・。


 勇太は心の底からそう思った。


 こんなにも惨憺たる音色をひり出す尻を見たのならば、勇太の尻のファン達は(注:多分いない)嘆き悲しみ途方に暮れてしまっていただろう。


 地道な活動によって堅実にファンを獲得してきたアイドルが、ただの一度だけのスキャンダルによって失墜していく様をテレビで何度も見て来たし、そしてそれは決して他人事ではないことを勇太は知っていた。


 尻をアイドルとし、自分をマネージャーに見立てるならば、己は失格であると少年は思っていた。


 多くのファンのいる(注:いない)アイドルの尻が、屁が止まらなくなるなど、これ程スキャンダラスなことはない。


「大丈夫・・・僕が守ってあげるから・・・」

「プゥ~・・・?」


 少年が尻に優しく語り掛けると、尻は不安そうに返事をした。


 まるで「本当に・・・?」と言っているようで、弱々しいその様子が勇太の庇護欲を一層駆り立てた。


「勇太~ッ!早くソラを散歩に連れて行きなさ~いッ!」


 階下から由紀子の声が聞こえる。


 散歩というキーワードにソラは敏感に反応して尻尾をパタパタと振るのだが、この犬はすぐにその行動を恥じた。


 兄弟とも相棒とも呼べる存在の勇太が、こんなにも思い悩んでいるというのに、散歩なぞという甘美な言葉に無意識にレスポンスしてしまう自分の尻尾が許せなかった。

 

「ワオン・・・」


 ソラは尻尾を止めるために、悲しかったことを思い出すことにした。


 あれは勇太の父親が酔っ払いながら酒の肴を探していた時の出来事だ。


 この父親は何故かソラのおやつBOXをガサゴソと物色し始め、ソラが一番大好きな【ワンちゃん大満足スーパーささみ棒】~もう辛抱たまらんワンッ!~を取り出し、封を開け、喰らい始めたのだ。


「ワンッ!!ワンッ!!!」


 ソラの抗議の叫びは父親に届かない。


 この酔っ払いは、値の張る物だからと一カ月に一本しか買って貰えない宝物のようなささみ棒を、ゆっくりと咀嚼し、時折首を捻り、やがて咽喉を鳴らすと、舌の回らぬその口で「なんだぁ~コレ?えらく不味いなぁ~」と言い放ったのだ。


 その日の夜、ソラは悔しさと悲しさで勇太のパジャマを濡らした。


「ワ・・・ン・・・」


 悲劇の思い出はソラの尻尾を止めることに成功する。


 しかし同時に、ゴールデンレトリバーの心に再び深刻なダメージを与える結果となった。


「はぁ~・・・」

「クゥ~ン・・・」

「プスゥ~・・・」


 子供部屋に三者三様の溜息が漏れた。


 トントントン・・・。


 由紀子が階段を上る足音が聞こえる。


 どうやら返事もしない勇太に痺れを切らしたらしい。


 それももっともなことで、時計の針は九時を指し示しているから、朝の散歩というには大分と遅い。


「勇太、聞こえているんでしょう?ソラの散歩に行って来なさい」


 由紀子が子供部屋のドアを開ける。


 そんな母の声にも勇太は反応せず、愁いを帯びた瞳でただただ空を眺めていた。


「ソラだって散歩に連れて行ってもらえないから悲しそうな顔をしてるじゃない。ねえソラ、散歩に行きたいよね~?」

「クゥン・・・」


 ソラが悲しそうな顔をしているのは、自身の自爆技によるものなのだが、由紀子はそのことを知らない。


「プップゥ~プ~・・・」


 勇太の代わりに、オナラが返事をした。


「ププッ・・・プス~プッププ~。プププ~プスプス・・・」


 それはまるで「お母さん・・・悪いのは僕なんです。だから勇太君を責めるのはやめてあげて下さい・・・。僕が・・・全部僕が悪いんです・・・」と言っているようだった。


「オナラくん・・・」

「ワオン・・・」


 勇太とソラは感動していた。


 大きな炸裂音と強烈な匂いを放つだけの、ヤクザ者のようなオナラが蔓延る昨今の世の中において、この屁のなんと奥ゆかしいことか。


 屁は有翼馬の騎士(ペガサスナイト)のような高潔さで、母から勇太を庇ったのだ。

 

 勇太は己の浅はかさを恥じた。


 オナラというだけで蛇蝎の如く嫌い、内面を見ようともしなかった。


 はたしてどうであろうか?この屁は母からの叱責の矢面に立ち盾となった。


 それはなかなか出来ることではない。


 己に批判の目が向けられるのを承知の上で、彼は健気にも犠牲となる道を選んだのだ。


 その崇高な精神は、少年とゴールデンレトリバーの心を震わせた。


 そして勇太は、この勇敢なるオナラを母との戦争の最前線に立たせてしまっている原因が自分であることに思い至り、恥じた。


「僕・・・ソラの散歩に行ってくるよ・・・」

「ワォン・・・」


 決断するのにさしたる時間を必要としなかった。


 屁にここまでの漢気を魅せられたのだ。


 それに応じないほど、勇太は落ちぶれちゃいない。


「さっきまであんなに嫌がっていたのに、いきなりどうしたのよ?まあいいわ。行ってらっしゃい。車に気を付けるのよ?」

「うんッ!行ってきま~すッ!」

「ワォ~~ンッ!」

「プッププ~ッ!」


 三人は元気よく家を飛び出すのであった。



☆彡☆彡☆彡



「小梅さん、とっても良い天気ね?」

「にゃわ~ん」


 少女と犬となった猫は、うららかな陽気の中、散歩を楽しんでいた。


 彩は小梅さんの首輪とお揃いの真っ赤なスカートと、お気に入りの黄色の学童帽といった装いで「ルンルン♪」と鼻歌を歌っていた。


「あっ・・・勇太とソラだッ!お~い勇太~ッ!ソラ~ッ!」

「にゃわ~んッ!」


 曲がり角を曲がると、前方に見知ったシルエットを発見する。


 彩と小梅さんは息を弾ませながら駆け寄った。


「わ~い彩ちゃんッ!小梅さんッ!おはよう~ッ!」

「ワンワンッ!」

「プゥ~ッ!」


 勇太とソラはピョンピョンと飛び跳ねながら二人を歓迎した。


 ー えッ・・・何?今・・・勇太オナラしなかった・・・?


 ー にゃッ・・・にゃわ・・・?


 彩と小梅さんの鋭敏な聴覚は、挨拶のどさくさに紛れて放たれた屁を聞き逃さなかった。


 二人が次に考えたことは、そのことを指摘するか否かであった。


 いくらそれが事実であったとしても、わざわざ白日の下に晒して良い事柄と、そうでない事柄があることを彩と小梅さんは知っていたし、今回の件でいうならば多分、後者であった。


 現に勇太は住宅街で白昼堂々と盛大に屁をこいたというのに、今日の天気のように朗らかな笑みを浮かべているではないか。


 恐らく、少年は自分が屁をこいたことに気が付いていないのではないだろうか?ならば尚更のこと、わざわざそれを指摘する必要などないと彩と小梅さんは思った。


 人の些細な瑕疵をあげつらうことは、彼女達の信義に反している行為だし、何よりも美しくないと思うのだ。


 そういった訳で、二人は勇太の屁をひとまずスルーした。


「勇太も一緒にお散歩しようよ」

「うん。一緒に散歩しよう」

「ププゥ~」

「どこに行く~?」

「う~ん・・・どうしようかなぁ~」

「プップップ~」

「取り合えず公園に行ってみる?」

「うんうん。そうしようそうしよう~」

「プイップスプス~プ~」


 勇太が何かを言う度に、自分の存在をアピールするかのように屁も何かを言う。


 ここまであえてその話題に触れてこなかった彩と小梅さんも、当たり前のように何度も放たれる屁に、いよいよ我慢の限界がきていた。


 あとほのかに芋の匂いがした。


 ー あんたさっきから屁がでとりまんがなッッ!!


 ー にゃわんッッ!!


 彩と小梅さんは、無性に突っ込みたい衝動に駆られた。


 しかし先程も述べたように、些細な瑕疵を指摘することはこの二人の信義に反した。


 だからもうあと少しで口から出そうになった言葉を何とか飲み下し、平静を保った。


「今日は歩兄もヨーコちゃんもお仕事みたいだから、会えなくて残念だね」

「プスプス・・・プゥ~ン・・・」

「そういえばね、お母さんがお菓子を作ってくれたんだよ。お散歩が終わったら私の家で一緒に食べよう」

「プ~プ~プププッ♪」


 何故か彩の相手を屁がしていた。


 彩は顔がひくついていたが、それでもまだスルーするようだ。


 しかし小梅さんは違った。


 小梅さんはキラリと瞳を輝かせると、「にゃわんッ!」と勇太の尻に猫パンチをお見舞いしたのだ。


 愛しい彩の相手をオナラに任せるなど、小梅さんが許すはずがなかった。


「わッ!?どうしたの小梅さんッ!?」

「プッ!?プププッ!?」


 勇太とオナラが驚きの声を上げた。


「勇太がさっきからオナラばっかりしてるから小梅さんが怒ったのよ」

「にゃわん」


 ついに彩はオナラのことを勇太に指摘した。


 指摘された勇太の方はあっけらかんとしたもので「朝から止まらないんだ~」とにこやかに笑った。


「彩ちゃん、小梅さん。このオナラくんはね、とっても漢気の溢れるオナラなんだよ」

「ワンワン」

「プスゥ~」


 勇太にそう紹介されると、恥ずかしそうにオナラが出た。


 まるで「勇太さん、そんなことを言われては照れてしまいますよ」と言っているようだった。


ー オナラに漢気なんてあるのかしら・・・?


ー にゃわん・・・?


 彩と小梅さんは揃って首を傾げた。


 とはいえオナラを出しているのは勇太で、本人が気にしていないのならば良いのかもしれない。


「プス・・・プッ・・・ププ・・・」


 別れの時は突然訪れる。


 先程まで快音を響かせていたオナラくんが、苦しそうにしているのだ。


「オナラくんッ!どうしたのッ!?」

「ワオンワオンッ!!」


 勇太とソラはオナラくんの異変に敏感に反応した。


 今朝にオナラくんと出会った訳だから、その関係は短い。


 しかしその短い時間の中で、オナラくんと勇太達は確かに友情を育んでいたのだ。


「プ・・・プスゥ・・・プス・・・」


「勇太君とソラ君に出会えて僕は本当に嬉しかったよ・・・。ありがとう・・・」とオナラくんが言っているように勇太とソラには聞こえた。


「オ・・・オナラ・・・くん・・・」

「クゥ~ン・・・」


「プスゥ~・・・」と最後にオナラくんは音を出した。


 それを最後に、勇太の尻は二度とオナラを出すことはなかった。


「オナラくぅ~~~んッッ!!!」

「ワォ~~~ンッッ!!」


 少年達は空に向かって叫んだ。 


 二度と会えない友達のことを想って叫んだ。


 二人の目から一筋の涙が零れていた。


 そんな勇太とソラを冷ややかな目で見ている少女達がいた。


 彩と小梅さんである。


ー 男の子ってなんて馬鹿なのかしら・・・。


ー にゃわにゃわ・・・。


 なかなかに辛辣である。

 

 少女達に取って、勇太とオナラの友情などどうでも良かった。


 むしろ止まって良かったじゃないかとさえ思った。


 涙をゴシゴシと拭う少年に、彩が話しかけた。


「お散歩が終わったら私の家に行こうよ。お母さんがすっごく美味しいお菓子を作ってくれたから。その・・・元気・・・だして・・・?」

「にゃわんにゃわん・・・?」


 心ではどう思っていても、少年を気遣う素振りを見せるあたり、さすがは年長の彩と小梅さんである。


「おいしい・・・お菓子・・・?」


 勇太がポツリと呟いた。


「そうだよ。え~と・・・スィートポテト・・・?って言うお菓子だよ?」

「すぅいーと・・・ぽてと・・・」


 散歩が終わり、彩の家に招かれた勇太は、甘くて美味しいスィートポテトをばくばくと食べた。

 

 翌日、勇太とソラがオナラくんと再会したことは、言うまでもない。

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