私のエッセイ~第四弾:タイムマシンは果たして作れるのか? (※)の部分を追加しました。
こんばんは!ご機嫌いかがでしょうか。
今宵は、「タイムマシン」についてのお話です。ドラえもんでもおなじみの、この夢の装置・・・果たして実際に作れるものなのでしょうか・・・?
以前、ダウンタウンの松本人志氏が、「ガキの使い」のフリートークの中で、こんな興味深い話をしていました。
「ええこと教えたろか?タイムマシンは作れへんねん。過去や未来から来たっていう人に会ったことがないやろ?だから、この先何年たっても、未来永劫、作れへんねん。」
んー、さすが松っちゃん。なかなか鋭い。
結論から言うと、未来へ行けるタイムマシンは理論上作れるし、「すでに存在している」けど、過去へ行けるタイムマシンは絶対に作れない・・・となります。
まず、未来へ行けるタイムマシンについてですが、これは、あの偉大な科学者アインシュタインの「相対性理論」を利用して、いくらでも作れるそうです。
この理論によれば、「高速で移動する物体では、時間がゆっくり経過する」ということらしいですが、この現象を積極的に利用して、たとえば超高速のロケットで宇宙空間を旅し、久しぶりに地球に帰還して何百年も経過した未来の地球にたどりつく・・・このようなタイムマシンなら、理論上作れるのだとか。
ただ、いくら可能とはいっても、ロケット程度のスピードでは、生じる「時間の差」というものはほんのわずかで、とても実用に耐えるものではなく、仮に実現しても、『俺、めでたく、何億分の一秒先の未来へたどりつけたぜ!』・・・せいぜい、そんなレベルらしいですね。かなり長い年月・・・光速度に近いロケットで何百年スパンで旅しても、せいぜい「数年先」らしいです。もう死んでますって(笑)。
それに、そんなものを「未来へ行けるタイムマシン」なんて考えたら、新幹線だって厳密に言えばそうだし、私たちが運転する自動車だって、超超超・・・超微小ですが、「未来へ行ける夢の乗り物」となっちゃいますよ。
そういった意味で考えれば、「タイムマシンはすでにある」という結論になるんですよね。
だけど、こんな使えないタイムマシンだったら、誰もいらないですよ。
おまけに、ドラえもんのタイムマシンのように、時間と行き先を入力して、すぐに好きな時空に到着できる・・・そういうシロモノでもないですからね・・・。
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では、「過去へ行けるタイムマシン」の方はどうでしょうか?
希望を失くすようでしょうが、たとえ過去へ向かうタイムマシンが百万歩譲ってできたとしても、「そのタイムマシンが出来た時点までしか戻れない」んです。令和3年8月20日に出来たとしても、完成する前の8月19日以前には戻れないんです。
なぜ、人間は過去へ戻れないんでしょうかね?
実はそこには、重大な2つの法則が関係しているからなんです。
それは、「熱力学第二法則(エントロピー増大の法則)」と「因果律」です。詳しい解説は、あとで紹介するHPを参照してみてください。
エントロピーとは、「乱雑さ」ということ。この宇宙のあらゆるものは、手を加えずに放っておくと、どんどん乱雑・無秩序になっていくという法則です。そして、無秩序の状態から整然とした元の状態の方向には絶対に進まないんだそうです。
湯船にバスクリンを入れれば、瞬間的に広がっていき、一度均一になってしまえば絶対にひとりでには元の状態には戻りません。
廃墟になったホテルが、何もせずに勝手にピカピカの新築された状態に戻った・・・なんて話も聞いたことがありません。
そして「因果律」というのは、哲学にも関係しますね。「原因があるから結果がある」ということです。
フランスのことわざに、「卵を割らずにオムレツを作ることはできない」というのがあります。
これは、失敗を恐れて卵を割ることをしなければオムレツを作ることは出来ない、ということで、冒険をしなければいい結果は得られない・・・という教訓です。
「オムレツが出来上がる」という結果の前には、必ず「卵を割る」という行為・原因が絶対に必要で、もしこの順番がさかさまになっちゃったら・・・もうワケワカメですよね。
あと皆さんも一度は聞いたことがあると思いますが・・・「親殺しのパラドックス」というものがあります。過去に戻って自分の父親、あるいは祖父を、母親や祖母と会う前に殺してしまった場合、果たして自分はこの世に生まれてくるのか・・・という矛盾ですよね。生まれてこなければ、祖先を殺しに過去には行けない・・・堂々巡りの、頭がよじれるようなパラドックス。
(※) このように、「過去へ行けるタイムマシン」というものを考えましたとき、ただ単に、物理的な自然現象が「おかしなことになる」というだけでなく、論理的観点から見たリクツの面からも「おかしなことになる」というのが、この問題の非常にユニークなところだと思います。
つまり、「過去へ戻ったら・・・」なんていう『仮定の部分』が、そもそも完全に誤りだからなんですよね・・・。
さらにしつこく考えてみまますと、この「過去へ戻ったら」という仮定の部分さえなくしてしまえば・・・ちゃんとスジが通ってきます。
ちょいと脱線しますが、数学の証明法に「背理法」というのがあります。
これは、ある命題を証明する際、直接それを証明するのが難しい場合、はじめに、ある「仮定」を立て、「おかしな結果」を導くことによって、「そもそも最初に立てた仮定そのものが誤りであった!」ということを証明する手法です。これと何か似てるなぁ・・・と。
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本題に戻りますが、このようなわけで、先に述べた2つの法則を破るということは、「宇宙の崩壊」をも意味するらしく、それで「過去へは戻れない」ということになります。
宇宙が「戻ることを許さない」という方が正確でしょうか・・・?
気になる方は「タイムトラベルは不可能? 実験が示唆」・「第12講 時間はなぜ未来へ“流れる”か」・「因果律とは」などで検索してみてください。詳しいことは、そのあたりに任せます。
でもアレですね、人間が過去へは戻れないんだってことは、大昔から、みんな経験的にも分かっていたんでしょうね。
ことわざや格言にもありますもんね。「覆水盆に返らず」とか「こぼれたミルクを嘆いても無駄だ」とか。
・・・そうそう、「後悔先に立たず」なんてのもありました。