六限目 〜苦痛の部活動紹介〜
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「宇辻くん、どう? 少しはよくなった?」
伊椰子先生は眼鏡の位置を戻しながら、心配そうにたずねる。
俺は苦笑いしながら、「はい、おかげさまで何とか」と、答えた。
俺は今、保健室で胃薬を貰って飲んだところだった。
先生は「そう? ならよかったわ」と微笑むと、お茶を差し出してくれた。
「あ、ありがとうございます。いただきます」
俺は伊椰子先生が淹れてくれたお茶を啜りながら、ホッと息をつく。
伊椰子先生には桔梗ともども、実にお世話になっている。
俺の場合は二人の無茶ぶりについての、愚痴や相談など。桔梗の場合は……まぁ、あの謎な実験で失敗してぶっ倒れた時が主であるが。
「しかし、君も大変ねー。来栖さんのお目付け役に、猫山くんの無理難題をこなして……。本当に、働き者ね」
先生は苦笑気味に、どこか心配そうに言われる。
「まぁ、大変ですけど慣れているんで。あの二人の無理難題とか、無茶ぶりには」
俺も苦笑いしながら答える。決して悪い奴等ではないのだが、悪ふざけが多すぎるのだ。まぁ、それも俺が許してしまっていることが、二人の悪ノリに拍車をかけているのだろうが。
「正直、俺以外の他人に迷惑をかけていないのが、不幸中の幸いです」
「本当、幼なじみも大変よねー。ウチの河樹くんにも、言ってやりたいわ」
「本当ですよね。はははっ」
俺と伊椰子先生は、お互いの幼なじみの苦労話で盛り上がる。
伊椰子先生は自分用のカップにコーヒーを淹れると、自身の椅子に座りなおす。
「そういえば……最近どう? 部活の方は? 新しい部員とか、入りそうかしら?」
「…………」
俺はその言葉を聞いて、笑顔のまま固まる。
多分、先生は悪気もないし、何気ないものだったのだろうな……。
固まったかと思えば、一気に顔を青ざめさせては気が沈んでいく俺を見て、俺がどうして保健室に来た意味を思い出したのだろう。先生は触れてはいけないものに触れてしまったと言わんばかりに、『しまった!』という顔をする。
「あ……ごめんなさい! 今のはなしで……!」
慌てて謝罪する先生に、俺は「いえ、いいんですよ……」と、まるで死んだ魚のような眼をして明後日の方向を見る。
「どうせ部員が入らないのは目に見えてますし、あんな新入生全員の前で恥を晒したんですから……あははははっ……」
何と言うか……本当に、あの二人はやってくれるな。
それは、一時間も経たない話の出来事だ……。
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桔梗に注射を打たれてから、一週間が経った。
さすが桔梗の調合した薬と言うべきか……特に副作用もなく、俺はこの一週間を生き延びることに成功した。
桔梗にこの間の注射の事を怒ったところ、また『優心なら、許してくれると思ったから……』と、涙目で言われた。
さすがに、今回は『許さない』の一点張りだったのだが……桔梗が『優心は私の事が、嫌いなんだね……そうなんでしょ?」と、さらに泣くもんだから致しかたなく許してしまった。
勿論、いつものごとく。涙は本物ではなく、目薬だった訳だが。
そしてこれは認めたくはないのだが……これは桔梗の打った注射の薬の影響か。心なしか打たれる前より、体はすこぶる快調。本音を言うと、むしろ調子がいいくらいだ。
……だからと言って、また打たれたいかと聞かれたら『絶対に嫌だ』と答える。
……さて、今日は何をするのか。
まずはそうだな。この反応を見ていただこうか。
「あれは……科学部、か?」
「いや、着ぐるみがいるし……演、劇部……じゃないか?」
「演劇部はさっき紹介してただろ」
「部活の名前違うから、別の部活じゃない?」
「というか何? 『イカ部』って……?」
これは一体何の集まりか?
それは今年入った、新入生たちのための『部活動紹介』をする集まりだ。
以前も話した通り……この学園は校則で『必ず部活に入らねばならない』という決まりがある。
ゆえに、この場には今年新しく入った一年生の諸君と、この学園にある様々な部活動が集まっている。『部活動紹介』ということもあり、ウチも例外ではなかった。どんなに変人の巣窟であり、へんてこな部活動名でも、部活動である限りは絶対参加である。
無論、どうせ部員は入らないだろうし、元々期待もしていない。
ただ、俺はまだ紹介もしていないのに頭痛にさいなまれており、新入生たちからの『うわぁ……何あの部、マジでウケるんですけど』や『あの人たち、頭大丈夫なの?』など、残念なものを見るような痛い視線が辛い。マジで痛い。
だって、考えてみてくれ。俺たちは今から、新入生たちに『部活動紹介』をするんだ。
なのに、何でこの二人は『新入生が困惑するような格好』をしているんだ!?
二人の恰好を、簡潔に説明しよう。
桔梗は制服の上から白衣を羽織り、猫山先輩に至っては何故そうなったのだろうか……どうしてクマの着ぐるみを着ているんだ!? おかしいだろ!?
百歩譲って、百歩譲ってだ。桔梗は普段実験している時の恰好ゆえに、ありと言えばありだ。
が、猫山先輩の着ぐるみのチョイスは何なんだ!? せめて名前に『猫』がついているんだから、ネコの着ぐるみでも着ろよ!! もしくは『イカ部』なんだから、イカの着ぐるみとか! どうしてクマなんだ!?
確かに……頭がイカれている感じはよく分かるけど……。一歩間違えたら、これはただのバカで残念な集まりの部だぞ!?
しかも猫山先輩、いつもの笑顔で『普通の人間厳禁!』とか『イカれた奴以外立ち入り禁止!』とか『ヘタレはいらん!』など……一年前に話し合って決めた、最低限の入部条件を……何の恥ずかしげもなく、堂々と言ってる。
こんな変な恰好をした人物から言われたら……いや、言われなくても、普通の生徒からすれば『こっちから願い下げだ!』って、キレられるレベルだよ。むしろキレても良いぞ、新入生諸君。
そしてこの中で唯一、普通の制服を着ている俺。
多分、新入生たちから『あ、あの人。この中で一番まともそうな人』だと思われているに違いない。すでにそんな無言の視線が、チクチクと飛んできている。間違っちゃいない……間違っちゃいないが、そんな憐みに満ちた目で見ないでくれ!
俺は内心で「頼む、一年生の諸君……そんな目で、俺を見ないでくれ……!! その目が逆に痛いんだ!!」と、涙を拭いながら懇願した。
だんだん胃がキリキリし始め、俺は唇を噛んで軽く腹をさする。
そんな俺のことなど、お構いなしに……猫山先輩は隣で好き放題やっている。
一方の桔梗はというと、終始無言・無表情を貫き通し、まるで『我関せず』といった態度である。おい、どうにかしろ、桔梗。お前の実の兄貴だろ。
俺が心の中で「あぁ、早く終わって欲しい……」と考えていると、どこからか『クスクス』と笑う声が聞こえてきた。
《アイツら、また変なことしているぞ》
《本当だ、本当だ》
《今夜また、からかってやろうぞ》
聞こえてるんだけどなー……。
俺は横目で、声の主へ睨むように視線を向ける。
声の主は俺の視線に気づくと、一目散に逃げていった。
俺は小さく、ため息をつく。またアイツらに話のネタを与えてしまった。
この部活動紹介と言い、今夜弄られることを考えると、既に疲労困憊である。
ふと、何気に新入生へと目を向ける。すると一人だけ、違う方へと顔を向けている生徒に気づいた。
その生徒は気のせいか……先程の声の主が去っていった方向を見ているような気がする。
「もしかしてあの子……見えてる、のか……?」
俺はポツリと呟く。
ジッと見すぎてしまっただろうか。俺の視線に気づいたその生徒は、慌てたような顔をすると、すぐに俯いてしまった。
……そして俺が、様々な疑問や痛みに耐えている間。とうとう猫山先輩は詳しい活動内容と時間を言わずに、最低限の入部条件と部室の場所だけを言い終えようとしていた。
……その頃には、新入生たちは全員ドン引きしていた。
ちなみにだが、ウチの部の掲げる最低入部条件はこうだ。
《入部条件》
『普通の人間厳禁!』
『イカレた奴以外は立ち入り禁止!』
『ヘタレもいらん!』
『口が軽い奴もいらん!』
『冷やかしは帰りやがれ!!』
……と、いう内容。
きっと今頃、新入生たちの中では『絶対にヤバそうな部活動ランキング』で、堂々の第一位をとったに違いない。
逆にとってなかったら、ウチの部以外のどこが一位をとったのか、理由を教えてほしいくらいだ。
……と、たったこれだけの紹介をする約三分間ほどが、俺にとってはやけに長く……頭痛と胃痛に悩まされる地獄だった。
もし、あと数分させられていたら……俺の胃には、確実に穴が開いていたことだろう。
猫山先輩は実に満足そうだったが、このドン引きの状態で次の部活動にバトンを渡すというのが、俺からすれば物凄く申し訳なかった。
正直、ほかの部から『切腹しろ!』と言われたら、介錯なしでも迷わず切腹していたに違いない。
そして心なしか、他の部活動の生徒たちとすれ違う度に「宇辻、お疲れ……」という、慰めの視線と表情を向けられる。やめて、どんどん悲しくなるから。
俺は残りの部活動が紹介をしている間、心の中では「後で保健室に行って、胃薬を貰おう」と決意していたのだ。
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実に滑稽な話である。
あんな新入生全員の前で、羞恥を晒した挙句、どうせ誰一人、部員は入ってこないのだ……。一層の事、一思いに笑ってくれよ。
「先生……俺、もう行きますわ……。あの二人のこと、気になるし……」
何をやらかすか分からない二人のことだ。これでまた、何か問題を起こしていたら、俺は耐えきれなくて泣くぞ。
ドアの取っ手に、手をかける。後ろから伊椰子先生が「お、お大事にー……」と、物凄く申し訳なさそうに言うのが聞こえる。
ドアを閉めると、俺は一人、トボトボと重い足取りで廊下を歩く。
「あぁ……来年の今頃も、またこんな思いをしなければならないのか……」
そう考えると、俺の胃は再びキリキリし始めるのだった。