五限目 〜その兄妹について〜
何とか逃げ切った俺は、旧校舎の部室に戻った。
桔梗が多分、実験で失敗して作ったであろう。あの煙と臭いを、何とかしなければならないからである。
思い返せばまだ、俺は昼食も食べていない。
桔梗が倒れているのを見つけた際、思わず廊下に荷物を投げて放置してしまった。弁当の中身は……正直あまり想像したくない。
部室はまだ、あの謎の煙と臭いが充満している。
仕方ないので俺は、階段のところで食べることにした。
弁当の蓋を開けてみる。中身は案の定、悲惨な状態だった。
見た目は酷いが、食えないこともないので黙って食べる。自分で作った弁当だが、我ながら美味い。いい出来だ。
「そういえば……」
桔梗のせいで忘れてたが……あの夢は一体、何だったのだろう?
「何か、いつもと違ったんだよな……」
思い出そうとするが、どうしてだか上手く思い出せない。
「……いや、しかし。今、俺が一番に気になるのは……」
桔梗に打たれた、あの注射器の中身だ。
本当に桔梗という人物は、恐ろしい人間だ。
気になることや疑問に思うこと、作った薬品を何でも実験に使うから困る。
桔梗が突然、『猫は本当に水が嫌いなのか』という疑問を抱いた際の事だ。
これを証明するために、猫を川に落としたことがあった。
気づいた俺が、すぐに猫を助けるために川に飛び込んだ。
俺が小学校高学年の、少し肌寒くなった秋頃の事だった。
また、『人間は、睡眠薬をいくつまでなら投与しても大丈夫なのか』という実験をするために、俺は睡眠薬が大量に入った飲み物を飲まされ、危うく死にかけた。
……勿論、俺は何も知らされていなかった。
その他にもありとあらゆる……桔梗の思いつく限り、数々の実験の実験体として、俺は何度も死にかけたし、危ない橋も渡った。
子供のしてきたこととはいえ、今まで生きてきたのが本当に奇跡だとさえ思えてくる。
桔梗の突然の実験の被害者になる度に、勿論俺だって怒った。
しかし桔梗から「優心なら、許してくれると思ったから……」と涙目で言われ、毎回許してしまったのだ。
桔梗を思えば、許さないのが正しいのだろうが……どうも俺は、桔梗の涙にもろに弱いらしい。泣かれるとつい許してしまうのだ。
……実際のところ、桔梗の涙は目薬なのだ。毎回騙された後に気づく。
正直、ここまでくると心が広い以前に、俺は相当な馬鹿なのではないかと思えてくる。
だが、さすがに仏の心を持つ俺も、今回は許さないぞ!
絶対に、桔梗の涙に騙されないからな!!
空になった弁当箱を、鞄に入れる。
そしてバケツに水を汲んで、掃除の準備をする。
保健室に行ったり、弁当を食べたりと……換気をしてだいぶ時間が経ったはずなのに、まだ充満している。本当にアイツは、一体何を作ったんだ?
「猫山先輩は鼻が利くからな。先輩のためにも、早くどうにかしておかないとな」
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「しかし、遅いな……」
念入りに掃除を終えた俺は、一人ソファーに座って二人を待つ。
時計を見ると、十七時を過ぎたところだった。
「どうしたんだ? 今日は十四時に、部室に集まる約束だっただろう」
二人が来ないことには部活動も特にすることもないので、暇を持て余した俺は課題をすることにする。
「もうしばらく待ってみるか……」
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「遅い……!!」
外を見ればとっくに日は沈んでいて、時計を見れば十九時を過ぎていた。
「流石に遅いにも、ほどがあるだろ……!」
ふと、携帯の通知ランプが光った。
携帯を開いてみると、一通のメールが届いていた。
差出人は『猫山千里』……猫山先輩からだった。
特に何も考えずに、俺はメールを開いてみる。
『件名:本日の部活動について~☆』
『本文:優心今ドコ~? あのね、俺は今自宅☆ 何か今日は怠いから部活はお休み! また明日ね♪ じゃ~ね~(^_-)-☆』
という内容だった。
メールを読み終えた俺は、苦笑いをする。
普段から猫山先輩の気まぐれさには、振り回されている。
だがしかし、こうして連絡をしてくれているのだ。猫山先輩が出したメールに俺が気付かなかったせいだろうと思い、俺は『定期的に、携帯をチェックする癖をつけよう』と思った。
「……ん?」
帰り支度をしようと思い、メールの送信されたであろう時間をよく見てみる。
……それは俺が、携帯を開く少し前に送信されており……。
「ん……? んん!?」
下に行けば、まだ文面が続いているようだった。
俺はメールの下の方へと目を向ける。
そこには『P.S.』という文字が現れた。
『ゴメーン、優心にメールするの忘れてたわ。許して(笑)』
そこまで読んだ俺は、目を伏せて立ち上がる。
そして窓のカギを全て閉めると、荷物をもってドアを勢いよく閉めては、そのまままっすぐと家に帰る。
その帰り道に、俺は考えるのだ。
「このやり場のない怒りを、どうしようか……!?」
……と。
結局、その日の晩。俺は弟が見守る中、庭でひたすら竹刀を振り回したのだった。