二限目 〜一年前の過ち・後編〜
向かいのソファーに座った猫山先輩は、真剣な顔つきでこう言った。
「実は、部活を作りたいんだ。『イカれた奴等が集まる部』を」
「………………はぁ?」
長い沈黙の後に、俺は思わず間抜けな言葉が出てしまった。これはまごう事なき、俺の素の言葉だった。
そんな呆気にとられる俺を無視して、桔梗は俺が先程入れたお茶を飲む。
俺はきっと何かの聞き間違いかと思い、少し間を置いて改めて先輩に聞き返す。
「えっと……よく聞こえなかったので、もう一度いいですか?」
「部活を作りたいんだ。『イカれた奴等が集まる部』を」
「………………」
俺はそっと目を伏せる。……と、鼻から息を吸っては、口からゆっくりと吐きだす。それを数回繰り返し、額に手を当てて俯く。
そして内心ではこう、盛大に叫ぶのだ。
「意味が分からない……!!」
別に部活を作るのはいい……いいが、何で作りたい部が『イカれた奴等が集まる部』なんだ!?
きっと俺には理解できないだけで、深い意味や事情があるのだろう。そう思った俺は、先輩の意図をくみ取ろうと、さらに深く掘り下げるために質問をする。
「えっと、何っすか? その、よく分からない名前の部は……?」
「ん? そのまんまの部活だよ?」
親指を立てながら、猫山先輩は爽やかな笑顔で、そうはっきりと言った。
意ー味ーが分からない!! だから聞いてるんじゃないか!!
俺の……いや、普通の人ならだれでも思う疑問を、目の前の先輩は相変わらずの爽やかな笑顔で返しやがった!
何が『ん? そのまんまの部活だよ』だ!
「いや、意味が分からん! それって、どういう部活なの!? 部活の内容は、具体的には何するの!? 全然わかんないよ!! ……というか、さらっとスカウトされてるけど、俺もイカれてるの!? 俺、今まで自分は普通だと思ってたんだけど! 違うの!?」
「いや、優心は私と普通に接している時点で、違うと思うぞ?」
俺がまくし立てるように猫山先輩に質問攻めしていれば、桔梗が静かに会話に割って入る。桔梗のよく分からない自虐ネタ……なのだろうか? その言葉に、俺は何とも悲しい気持ちになる。
確かに! 桔梗には俺以外、まともに話せるような友達はいないけどよぉ! そんな悲しいことを、冷静に言う……。
俺が内心でそんなことを考えきる前に、桔梗の目つぶしが俺の両目にヒットした!!
「ぬあっ!? ……き、桔梗さん!? 何で今、目つぶ……っ!?」
「なんか今、猛烈に腹が立った」
桔梗は涼しい顔でそう言った。何たる推理力……恐るべし、桔梗!!
「すみません、ごめんなさい……」
俺は両目を抑えながら、素直に桔梗に謝った。それでも、涙と激痛が止まらない!!
「……で、優心。入ってくれる? 新しく部活を作るには、最低でも部員が三人は必要なんだよ〜」
こんな俺の状況を見ても、例のごとく爽やかな笑顔でそう問いかける猫山先輩。少しは心配しようよ、旧友ならさ!? さっきまでの再会の時の嬉しそうなアンタは、一体どこに行ったんだ!?
……あ、でも。昔からこんな奴だった気がする。
小さい頃の記憶が、少しずつ鮮やかに蘇ってくる。
確かに、この人物……というか、この兄妹。己のペースを決して崩さない、自己中心的なところがあった。特に兄である先輩は、率先して俺と桔梗を引っ張り回し、俺は振り回された。
おかげで俺は、良くも悪くもある程度の無茶振りなら、耐えられるくらいの忍耐力は身についた。
少しだけ視界の戻ってきた俺は、猫山先輩を見る。先輩は下を向きながら、口を押えて小刻みに震えていた。よく聞けば、時々「んふふっ♪」と声が漏れている。
この野郎……笑ってやがる……!!
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勿論、当時の俺は全力で否定。断固として拒否した。
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「絶っっっ対に、嫌だっ! 俺は普通の部活に入って、普通に生活するんだ!! そんなよく分からない部活には、何がなんでも入らないからな!!」
……何て俺が言えば、桔梗が――――。
「優心は……私の事、嫌いなの……?」
「えっ……?」
慌てて俺は、桔梗へと振り返る。
そこにはカップを置いて、一人俯く桔梗の姿があった。
「えっ、えっ? き、桔梗さん……? ななな、何でそうなるんだ……?」
俺は内心焦りながらも、出来るだけ冷静に……何故桔梗がそう解釈したのかを、できるだけ丁寧に問う。
「だって……普通の生活をしたいってことは、私が嫌いだからでしょ?」
「いやいやいや! その解釈は、あまりにもおかしくはないかな!? 」
桔梗の答えを聞いた俺は、思わず声を上げてしまう。
すると、桔梗が顔を上げる……が、その両目には、涙が浮かんでいる。
俺は不覚にも、ドキッとしてしまう。
「優心は、私の事が嫌いなんでしょ? 私が面倒くさい女だから、嫌気がさして、優心は『普通の生活がしたい』って言ってるでしょ?」
「そっ、そんなことない! 俺はお前のことを嫌いだなんて、全然思っていない! ……というか、俺がそんな理由でお前を嫌いになるわけないだろ……!?」
涙目でジッと見てくる桔梗に、俺は目を逸らしながらも本音をポロリとこぼす。
「……まぁ、確かに変な実験とか問題に巻き込まれた時は、多少なりとも面倒くさいとは思うけど……」
「うわぁ、優心……その優しそうな顔と態度とは裏腹に、実はそんなこと思ってたんだ……」
猫山先輩は口元に手を当て、俺の揚げ足をとり始める。
「やっぱり嫌いなんだ!!」
「ち、違う! 今のは言葉の綾で……! そういう意味じゃないんだ!!」
桔梗は両手で顔を覆い、小刻みに震え始める。
俺はどうすればいいか分からず、あたふたと周りを見回したりする。
「わぁー、女を……しかも、ウチの可愛い妹を泣かすなんテー。優心、マジサイテー。『優しい心と書いて、優心』って言うのは、とんだ詐欺だナー。女の敵ー、男の風上にも置けないゼー」
猫山先輩が茶化すように、どこか棒読みでそう煽ってくる。アンタはちょっと、黙っててくれないかな!?
俺はため息をつきながら、桔梗の目の前に跪く。
「……あのな、桔梗。俺は本当に、お前の事を嫌いになんか、なっていない。これは本当だ。どんなに振り回されたって、俺はお前に嫌気がさしたりしない。今も、昔も。……これからだってそうだ。だから頼む、泣かないでくれ……」
これは、俺の本心である。
きっと俺は、どんなにこの幼なじみの少女に振り回されても、心から嫌いになることも、嫌気がさすこともないのだ。きっと彼女が悲しむくらいなら、許してしまうに違いない。
桔梗は指の隙間から、チラッと俺の事を見る。
「……じゃあ、部活に入ってくれる……?」
「あぁ、勿論。桔梗がそれで俺を許してくれるなら、入るよ」
「本当に……?」
「あぁ、本当だ」
「……絶対に?」
「あぁ、絶対……に……」
俺の声は徐々に、小さくなる。それは何故か?
俺のこの言葉を聞いた目の前の少女の顔つきが、一変したからだ。
そして、背後から流れる音声……。
「『じゃあ、部活に入ってくれる……?』『あぁ、勿論。桔梗がそれで俺を許してくれるなら、入るよ』『本当に……?』『あぁ、本当だ』『……絶対に?』『あぁ、絶対』……いやぁ~、最近の録音機は優秀だねぇ~。こんなにくっきり、ハッキリと音声を録音できるんだからさぁ~♪」
俺の全身からは、滝のように冷や汗が溢れ出す。口角や頬の筋肉が、ピクピクと引き攣る。
恐る恐る振り返れば、ボイスレコーダーを持った猫山先輩が『どこの悪党だ』と言わんばかりに、先ほどまでの爽やかな笑顔からは想像できないほど、悪い顔をしているではないか。
「ね……猫山、先輩? そのレコーダーは一体……?」
「いやぁ~、優心なら全然心配ないし、大丈夫だとは思うんだけどねぇ~。一応、保険に……ねぇ?」
そして俺は再び、幼なじみの少女へと顔を向ける。こちらは実兄である先輩とは違って、とても満足気に笑っている。
「優心は優しいから、嘘ついたりとか……絶対に、しないよね?」
「………………っ!!」
俺は苦虫を噛み潰したような、渋い顔をする。
「や、やられた……!」
俺は内心、そう思った。
桔梗が泣いたのも、猫山先輩が俺を焦らせるようにワザと煽ったのも……これらは全て、俺を貶めるための、この二人の計画通りだったのだ。
つまり俺は、見事に二人の策に嵌まったのである。
そして全てを悟った俺は、瞬時に後悔したのだった。
……そう、これが俺の一年前の過ち。
元凶である悪魔のような兄妹たちと、久々に三人で揃ったと共に……この日、新たに設立された『イカれた奴等の集まる部』、通称:『イカ部』の、設立記念日であった。