二十五限目 〜命がけの駆け引き〜
突き当たりの壁に押さえつけられた千里の顔を目掛けて、化け物の拳がとんでいく。
その勢いで、壁は破損。
破片やら埃やらで、千里と化け物の姿が隠されてしまう。
「猫、山……先輩……?」
小さく呟いて、涼星は膝から崩れ落ちる。
……会ってまだ日も浅く、千里について知らないことばかりだった。
優しい優心とは違い、横暴で無茶苦茶で、常に笑顔でサラッと酷いことや無茶ぶりを言ってくるような、サディスティックな先輩。
――――――それが今日まで抱いていた、涼星から見た千里の印象だった。
……だが、今日初めてこの部活動に参加して分かった。
涼星から見た千里は……――――――。
優心のように、誰にでも手を差し伸べるほど、決して優しくも甘くもない。
涼星のように、自身の感情や情に任せて、行動や現状を見誤ったりなどしない。
桔梗のように、合理性のために、必要最低限の言葉だけで会話を終わらせたりしない。
ふざけているように見えて、常に周囲に目を配り。
場の空気が重くなったり状況が不利になった時、気を紛らわすように明るく振る舞い。
情に絆されず、物事を冷静に見極め、時に非常な決断すら容赦なくくだす。
涼星の中で『猫山千里』とは、『飴と鞭を使い分けるのが、長けた人物』なのだと思った。
……そんな千里が、化け物によって倒された。
そして化け物に倒される間際、千里は涼星に『優心が来るまで……桔梗を頼んだぞ』と、託された。
涼星は、千里に桔梗を託された。……これは『たまたま自分が居た』からなのか……それとも千里には『何か考えがあって』涼星を選んだのか……。
その答えは、千里にしか分からない……。
……だが、桔梗を託された以上。涼星は『千里の言葉に応えたい』と、意を決した。
『………………ニャーン』
涼星が決意を固めた……それとほぼ同時だった。
何処からか『猫』の鳴き声が聞こえてきた。
……その鳴き声を聞いた桔梗は、瞼を伏せて静かに口を開く。
「……どうやら、猫山先輩は無事のようだな」
「え……? でも、猫山先輩は……」
視界が少しずつ晴れていく。涼星はすぐに、千里と化け物がいたはずの場所を、目を凝らしてよく見る。
そこには化け物、と――――――。
「……黒い、『猫』……?」
いつの間にか一匹の『猫』が、千里を壁に殴りつけた化け物の腕に静かに座っていた。
夜の闇と一体化しそうなほど黒い毛並みの『猫』は、こちらを『ジッ……』と見つめている。
……そして『猫』は、器用に化け物の腕や身体を伝ってこちらに走って来ると、桔梗の肩へと乗っかる。そして『ニャー』と鳴いては、暗闇でも輝く双方の赤い瞳で涼星を見つめる。
「……あの状況で生きてるとは……流石『猫山先輩』ですね」
『ニャー♪』
桔梗の皮肉に、肩の『猫』はどこか楽しそうに鳴いては頬を擦り寄せる。
……だが、桔梗のその言葉に、涼星は驚愕に満ちた顔で目の前の『猫』を凝視する。
「えっ……えぇっ!? その『猫』って……猫山先輩なんですか!?」
「ああ、そうだ」
表情を一切変えずに、桔梗は冷静に頷く。
「まぁ、コレはコレで困るのだがな……喋れないし、闘えないし……出来るのはせいぜい『あざとく鳴いて、媚びを売る』だけの、ただの無能な猫だ」
『ニャーッ!』
黒猫……もとい『猫山千里』は、桔梗の散々な物言いに反論するかのように、大きく鳴く。
何がどうなって、千里は猫の姿になってしまったのか……。涼星は困惑しながらも、桔梗に問いかける。
「えっと……猫山先輩を元の姿に戻す方法、とかは……無い、んですか……?」
涼星の言葉に、桔梗は「あるにはある……」と答える。
その言葉に、涼星は希望が見え――――。
「……が、それには優心が必要だ」
……その続いた言葉を聞き、涼星は胸の内で「宇辻先輩、早く来て下さい……」と只々懇願する。
「とりあえず……コレで完全に『戦力はゼロ』だ。また教室に籠もって、優心が来るのを待つか? それとも、一か八か……反対側の階段から下へ降りて、助けを呼ぶか?」
桔梗の二択に対し、涼星は「……あの、来栖先輩」と、おずおずと口を開く。
「何だヘタレ」
桔梗の自身の呼び方に、涼星は内心で「来栖先輩の方が、猫山先輩より僕の呼び方が酷い……」と、思いつつ……化け物の方へと振り返る。
「アレって……『水』、なんですよね?」
涼星は、化け物の口に集まっていく『何か』……もとい、液体を指差して聞く。
「……あぁ。先程の攻撃と同じなら、恐らくそうだろうな」
その言葉を聞き、涼星は「それなら……」と、何かを決意したように拳を握る。
そんなやり取りをしている、ほんの少しの間……化け物は今にも吐き出しそうなほど溜まったそれを放つために、大きく口を開く。
「……チッ! 私がまた札を貼って、時間を稼ぐ! 早く教室に入るぞ!」
桔梗が近くの教室のドアを開きながら、涼星に早く入るように促す。
「……すみません、来栖先輩……」
……涼星はそう呟いて、教室へ入る…………事はなく。それどころか、桔梗の背中を勢いよく突き飛ばし、無理やり教室の中へと入れる。
不意打ちのあまり、桔梗はバランスを崩して倒れる。
「……っ、おい! 何をする、ヘタ……」
涼星の思わぬ行動に、桔梗は驚きと怒りの混じった声をあげようとした。
……が、それは涼星によって遮られた。
「あ……あの、その……ぼ、僕、は、大丈夫……です、から……」
涼星は震える声を必死に抑えながら、ドアに手をかける。
「で、でも……もしもの事があったら……宇辻先輩が来るまで、どうか頑張って耐えてください」
涼星は今にも恐怖に飲まれて、逃げ出したい気持ちを誤魔化すかのように、引きつった笑みを浮かべる。
「ちょっ……ま――――――」
桔梗の反論を聞く前に、涼星は勢いよくドアを閉める。
「本当は……凄く、怖い……」
恐怖のあまり、全身の震えが止まらない。
「……っ、けどっ!」
涼星は両目に涙を浮かべながらも、化け物をしっかりと見据えて睨みつける。
「僕が、ココで『あの子』を呼ばなきゃ……本当に『戦力がゼロ』に、なってしまうから……っ!」
涼星が両腕を広げて、覚悟を決めたと同時。化け物の口から、先程と同じ液体が勢いよく吐き出される――――――!!
「……きっと『あの子』は、すごく怒るだろうなぁ……『こんなに水浸しにして!』って」
まるで消防隊が消火活動で放水する水のように、勢い良く吐き出される。
「うっ……ふぐっ……っつ!」
小柄な涼星の身体は、その水圧に耐えきれず、あっという間に反対側の……突き当たりの壁まで、吹き飛ばされる。
水圧によって吹き飛ばされた勢いと、壁に打ち付けられた衝撃で、全身が張り裂けそうなほどの激痛が走る。
「うぐ、ぅっ……! ……あ、あと、は……っつ!」
水圧による痛みとは別の……身体の奥底から湧き上がる『衝動』が、電流のように涼星の全身を駆け巡る。
「……よろ、しく……ね…………」
化け物の吐き出していた液体が、そろそろつき始める頃。
「……涼菜……ちゃ、ん……――――――」
……涼星の意識は、張りつめていた糸が切れたかのように、そこでプツリと途切れた――――――。





