二十四限目 〜自己犠牲と覚悟〜
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化け物が強制的に退場させられた後、黒板の亀裂についていた液体に、涼星が触れようと手を伸ばす。
だが、その行動はすぐに桔梗から止められる。
「あまり無闇に触れるなよ、ヘタレ。こういう類のものは、何が起きるか分からない。なにか起きてからじゃ、遅いからな」
桔梗にそう言われ、涼星は慌てて手を引っ込めた。
「えっ? あっ……は、はいっ! スイマセン……以後気をつけます……」
桔梗は懐から薬品やら試験管を取り出すと、それを黒板の濡れた亀裂部分につけて調べ始めた。
「……どちらのリトマス試験紙も、反応は無し……つまり、これは中性の液体……」
さらに札を一枚取り出しては、先程調べた亀裂部分へと貼り付ける。
……すると札は、溶けるように液体の中へと消えていった。
「うむ、呪詛や呪術系の反応も無し……この液体はただの『水』だな。害はない」
「……えっ? どうしてそんなことが分かるんですか?」
涼星に問いかけられ、桔梗は振り返ると、無表情で答える。
「企業秘密、だ」
その言い回しに、涼星は内心で「わぁ……この人たち、本当に兄妹なんだ……」と。千里と桔梗のこういう、ふとした行動や言い回しに、改めてそう思う。
化け物の吐き出した液体を調べ終えた桔梗と涼星は、千里たちの後を追うように廊下へと出る。
「み、水……水っ……っ!!」
廊下に出た涼星は、真っ先に水道を探す。
……が、水道は一つも見当たらない。
……いや、正確には、廊下の水道は化け物によってなのだろうか……全て破壊されて無くなっていたのだ。
「あっ……水、が……」
予想以上に肩を落とす涼星を不審に思った桔梗が、疑問をぶつけようとした時。廊下の奥から、自分たちを呼ぶ声が聞こえた。
「ん……? あっ、桔梗~! メガネ~!」
声の主は、先程化け物を廊下へと投げ飛ばし、さらに拳を見舞った張本人……千里であった。
「ねぇ〜! コイツの腕、マ〜ジで鬱陶しいんだけど~!!」
千里は大きな声で、不服そうに訴える。
それもそのはず……千里は今まさに、化け物の腕、十二本の攻撃を同時に一人で捌いているのだ。
そんな千里の不満とは裏腹に、桔梗たちへ普通に話しかけてくる余裕さに「何であんな素早い動きをしてるのに、普通に喋ってるんだろう……」と涼星は困惑する。
それと同時に「猫山先輩って……実は物凄い人なのかもしれない……」と、失礼ながらも涼星の中の、千里の評価が少しだけ上がった。
涼星がそんなことを考えていると、二人に気づいた化け物が、顔だけを桔梗と涼星へと向ける。
「…………チッ」
「えっ……?」
化け物は口の中に、再び『何か』を溜め込む。
「アレは……さっきの、液体……?」
「……っ! コイツ……!」
千里は二人の元へと、一秒でも早く駆けつけようと、跳ぶように走り出す。
……だが、化け物の腕の一本が、千里の右足を掴む。
「あっ、ヤベッ……!」
駆けつけるためにつけたその勢いで、千里は勢いよく転倒する。
そして転倒した千里の右足を掴んだまま、化け物は勢いよく天井へと叩きつける。
「か……はっ……っつ!?」
叩きつけられた衝撃による痛みで、千里が小さく苦痛の声を漏らす。そして少しだけ反応が鈍くなった千里の左足、左腕、右腕を、化け物の腕が掴む。
さらに身動きの取れなくなった千里を、化け物は壁に押し付けて、そのまま勢い良く首を掴んで絞めつける。
「猫山先輩っ!!」
「まて、ヘタレ」
助けに向かおうと駆け出そうとする涼星を、桔梗が制止する。
「どうして止めるんですか!? このままじゃ、猫山先輩が死んじゃいますよ……!?」
涼星の必死な言葉に、桔梗は凍てつくような瞳と声色で答える。
「……それがなんだ? これが私たちの仕事だ」
桔梗のその無機質な一言に、涼星は凍りついたように固まる。そんな涼星に、桔梗は続ける。
「それに、ヘタレ……今のお前が行ったところで、なんの役に立つ? 今のお前はただの足でまといで、何も出来ずに無駄死にするだけだぞ?」
的を得た桔梗の言葉に、涼星は「そ、それは……」と口ごもる。
そんな涼星、桔梗はさらに言葉を紡ぐ。
「それでも、行きたければいけばいい。だがな、ヘタレ……『正義感』だけでは、何も救えない。そしてお前のその身勝手な『自己犠牲』なんて、お前が満足するだけで、誰もお前を称賛などしたりしない」
桔梗の容赦のない言葉に、涼星は只々黙るしか無かった。
そんな涼星をしばし無言で見ていた桔梗は、小さく呟く。
「…………お前のその覚悟は認める。……が、残される側の気持ちも、少しは考えてみろ……」
「えっ……?」
上手く聞き取れない上に薄暗い廊下では、桔梗の表情は読めない。
……だが、その纏う空気からは、どこか『悲しみ』や『辛い』といった感情が現れているように思えた。
化け物の腕の拳が、千里へと向けられる。
「あっ、ははっ……コレはちょ〜っと、ヤバイかも……♪」
こんな状況でも、千里はいつものように笑っている。
「なぁ、メガネ……」
千里は真剣な表情と声色で、涼星を見据える。
「優心が来るまで……桔梗を頼んだぞ」
そう言い終えると、再び千里は『ニコッ』っと笑う。それと同時に、化け物の拳が千里の顔面へととんでいく。
「猫山先輩……っ!!」
涼星の叫び声は、化け物の拳と破壊音で、かき消された。





