二十限目 〜非情な選択と決断・解答〜
教室に、重い沈黙の空気が流れる。
先程の口論により、今もなお千里と涼星の無言の睨み合いは続いている。
……その間にも、化け物は結界を破るために扉を何度も殴り続ける音が、教室中に響き渡る。
千里の数分前の言動や、氷のように冷たい今の表情に……涼星だけでなく、雑鬼たちにも緊張が走る。
この千里と涼星の互いに一歩も引かないほどの睨み合いは、永遠に続くだろうとさえ思えた。
……だがそれも、長くは続かなかった。
意外にもあっさりと折れたのは、何を隠そう千里の方だった。
「……はぁ~あ、や〜め、やめやめ。やめだ、やめだわぁ~」
先程までの凍てつくような態度や表情はどこへやら……千里の打って変わった、からっとした態度に……涼星をはじめ、雑鬼たちも思わず『ぽかん……』と口を大きく開け、呆気にとられる。
そんな彼らを置いて。千里は一度大きくため息をつくと、すぐにいつものように笑って見せる。
「いやぁ~、ゴメンゴメ〜ン☆ 試すようなことして、悪かったなぁ〜。フフッ♪」
よほど涼星たちの反応が面白いのか……千里は口元に手を当てて、笑いを堪える。
……いや、端から堪える気などないのだろう。口からはバッチリと笑い声が漏れ出ている。
「ぷっ、くふふっ……あはははっ♪ ……いやぁ〜まぁ〜、簡単に言うとさ〜。メガネの器を確かめさせて貰ったんだわ〜♪」
千里の態度の変わりように、未だについてこられていない一人と三匹は、何度も魚のように口をパクパクと開閉を繰り返す。そんな彼らを、桔梗は軽く鼻で笑う。
「けどなぁ〜……あの化け物の登場は、マジで予想外だったけどさぁ……ちょうどいい機会だし、この際だから『ついでにメガネの本性、暴いちまおうZE☆』的な!」
お茶目に笑ってみせる千里に、ようやく怒りの沸点まで感情が追いついてきたのだろう。雑鬼たちは涼星から離れると、ピョンピョンと跳びはねながら千里へと近づき抗議し始める。
『酷いぞ千里! 俺たちをだしに使ったな!!』
「だから悪かったってぇ~♪」
『俺たち、本気で死ぬかと思ったんだぞ!!』
『そうだそうだ! さっきの千里、本当に怖かったんだぞ!!』
「アッハハァ~♪ ドッキリ大成功〜☆」
雑鬼たちは小さな手足で、千里の足元を何度もペチペチとゲシゲシと叩いたり蹴ったりする。
「……まぁ〜、でもさぁ~。も〜しメガネが雑鬼ーズを囮に使うって言ったら、俺は容赦なく札を剥いで、メガネをあの化け物の目の前に突き出してただろうな~♪ アハッ♡」
笑顔でさらっと恐ろしいことを言う千里に、ようやく自分の置かれた状況に思考が追いついた涼星は「ひぇっ……」と小さく悲鳴を上げる。
「もっちろん♪ 雑鬼ーズもあれ以上騒がしいようなら、言わずもがな……問答無用で化け物の餌、決定だったぜ☆」
『『『やっぱり、千里は鬼だ!!』』』
親指を立てながら笑顔でそんな言葉を聞いた雑鬼たちは、慌てて千里から離れ、再び涼星の後ろへと隠れる。
「……けどさぁ〜、優心の名前を出すのはちょ〜っと、ズルいよなぁ~。俺ら、優心には超〜甘いからさ♪ なぁ、桔梗?」
「私に話を振るな」
同意を求めてくる千里に、桔梗はあしらうようにバッサリと答える。
「まったく〜、桔梗は素直じゃないなぁ~♪ そんなんだと、お兄ちゃんは桔梗の今後が心配………………いやぁ、うん。全然違う、違うなぁ。桔梗さんは常に素直です、はい。それはもう、俺、スンゲー尊敬しちゃうくらい、桔梗さんはとても素直で可愛らしいと思います。……だから何一つ作戦が決まってないのに、無言で札を剥がそうとするのやめて? いや、やめてください。本当、ゴメンって……いやホント、マジですみませんでした……っ!!」
先程までの威厳は、一体どこへ行ったのやら……迷わず実の妹に土下座をする千里の姿は、完全に桔梗の尻に敷かれている状況そのものである。
そんな姿を見た涼星と雑鬼たちは、哀れみの混じった……いや、残念なものを見るような表情で、二人のやり取りを黙って見ていた。
▷▶︎◀︎◁▷▶︎◀︎◁▷▶︎◀︎◁
「……でもさ。ヤバい状況なのは、マジで変わりないんだよな~。現に、こんだけ茶番劇やってても優心が戻ってこないあたり、相当打ちどころ悪かったんだろうなぁ~」
先程までの醜態など、一切晒してなどいなかったかのような……いや、そもそも先程のやり取りなどなかったかのように、千里は腕を組んでは「うんうん」と大きく頷きながら勝手に一人で納得している。
千里のその堂々たる姿に……呆れを通り越し、もはや誰も何も触れないことにした。
しかし、先程からずっと気になってはいる……が、誰もがスルー……と言うより、全く気にしていないかのような重大なことに対し、涼星は我慢できずに思わず口を挟む。
「……あの、ずっと気になってることがあるんですけど……」
「ん〜? どうしたメガネ?」
「えっと……さっきから誰も何も言わないので、あえてスルーしていたのですが……」
涼星はおずおずと、疑問を口にする。
「そもそも宇辻先輩が三階から落ちている時点で、普通は……というか、かなり大惨事なのでは!?」
全くの正論である。
……だが、そんな涼星の心配と疑問をよそに……千里と桔梗は、今後の作戦についてどんどん話を進めていく。
「どうするよ、桔梗。俺が『化ける』には、ココは狭すぎるぜ?」
「『化ける』も何も……そもそも狭すぎる以前に、今日は条件的に猫山先輩には分が悪すぎるでしょう?」
「そう、本当にそうなんだよなぁ~。どの道、条件的に俺は詰んでるから厳しいんだよなぁ〜……」
何のことだかさっぱり分からない涼星は、二人の会話についていけず、ぽかんとしている。そんな涼星を、端から会話に加わる気のない雑鬼たちは蹴ったり突っついたりと、好き放題して遊び始める。
千里と桔梗が、何か作戦を立てている。自分だけ本当に足手まといになるのは、涼星は嫌だった。
――――――だからこそ、涼星は本当の意味で覚悟を決めた。
「やっぱさぁ、雑鬼ーズを餌に……」
「あ、あのっ……猫山先輩!」
「ん〜? どうしたメガネ?」
突然の涼星の割り込みに、千里は首を傾げる。
しかし、今一つ勇気を出しきれない涼星は、どう切り出したものかと言葉を詰まらせ俯く。
そんな涼星に対して何かを察してか……千里は涼星に近づくと、顔を覗き込む。
「なになに〜? 自分が囮になる覚悟でも出来たかぁ?」
少し茶化すように笑って問いかければ、涼星慌てたように「ち、違います!」と全力で首を横に振る。その反応を見ながら、千里は「あっはっはっ!」と大きく笑っては、涼星の頭を『ポンポンッ』と軽く数回叩く。
「冗談だって♪ ……んで? マジでどうしたよ?」
「あ……えっと、その……『水』とか持ってませんか……?」
「『水』……?」
涼星の唐突な言葉に、千里は顎に手を当てて考える。
「俺は持ってないけど、廊下の水道になら腐るほどあるけど……でも、結局あの化け物がいるから、手に入れるのはちょーっと難しいぞ?」
その言葉を聞いて、涼星はガクッと肩を落とす。そして「うぅ……やっぱり無理ですよね……」と呟きながら、どうしてだか落ち込み始める。
「何だ、メガネ? 喉でも乾いてんのか?」
「ち、違います! 僕は……!」
「猫山先輩、そろそろ結界が持たなくなるぞ!」
桔梗の言葉に、千里は軽く舌打ちをする。
「……悪いメガネ、話は後だ」
そう言って千里は、入り口の前に机や椅子を運び始め、バリケードを作る。化け物相手に意味などない、気休め程度でしかない……が、ないよりはあるに越したことは無い。
その姿を見ながら、涼星は自身のベストの端をギュッと握る。
「違うんです……僕は……」
涼星は慌ててよじ登ってきた雑鬼たちを腕に抱えながら、小さく呟く。
「僕じゃ、駄目なんです……!」





