一限目 〜一年前の過ち・前編〜
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~ 一年前・春 ~
俺は入学したばかりということもあってか、心なしか少し緊張していた。
そんな俺が何とか頑張れたのは、一つに幼なじみである来栖 桔梗が居たからである。
「優心、何度言われても私は行かない」
そう言って幼馴染の少女は足早に、スタスタと歩いていく。何度聞き返しても同じ答えしか返ってこないことに、俺は内心で盛大なため息をついた。
そうだ、自己紹介をしよう。
俺の名前は宇辻 優心。明るめの亜麻色のストレートな髪に、母と同じ蒼い瞳を持って生まれた。今年で十六歳になる、いたって普通の高校一年生。
家は父方の祖父が剣術道場を営んでいるためか、幼少の頃から剣道に打ち込んでいた。
下には二つ年の離れた弟が一人おり、やや病弱ながらも今は発作も起きずに普通に過ごしている。
母は幼い頃に他界してしまったらしく、あまり覚えてはいない。だがアルバムに映る母は、とても優しそうで綺麗な人だった。
そして俺は今、祖父と弟と共に三人で、慎ましく生活している。
「桔梗……。お願いだ。一度でいい、教室に来ないか?」
「いくら優心のお願いでも、断る」
俺は幼馴染の少女、来栖桔梗の後をめげずに追いながら、話しかける。
来栖 桔梗……見た目は華奢で小柄な少女であり、肩まである癖の強い黒髪と、少しだけキツ目の印象を与える大きな瞳が特徴の容姿端麗の少女。模試は常に一位を取るほどの頭脳を持ち、成績は優秀。
実家は金持ちで、また入学試験は主席合格するほどの頭脳明快。一見非の打ち所がない、自慢のできる幼なじみである。
付き合いは長く、かれこれ十年近い。幼少期は腰まであった長い髪を、ある日突然、バッサリと切った。その頃からか、あまり笑わないようになってしまった気がする。そして俺個人の感想だが、長髪もなかなかに良かったと思う。最初こそは驚いたが、見慣れてしまえば今の髪型も悪くは無い。
そんな容姿も頭脳も完璧な幼馴染の欠点を、強いていうならば。人付き合いが苦手を通り越して他人とは全く関わろうとせず、幼馴染である俺以外に友達がいないのが欠点くら……。
「優心。今なにか失礼なこと、考えてたでしょ」
「え? うわっ!? 目がァァァァァァ!!」
俺は目を覆い隠す。突然、桔梗から試験管に入った謎の液体を見せつけられ、その液体から発せられる異質な煙が目を刺激して涙が溢れ出る。
しゃがみこんで悶えていれば、「大丈夫、人体には影響はない。危険はない」とあっさりと言われる。たとえ人体に危険が無かったとしても、この刺激で溢れ出す涙は十分と言っていいほど影響はあるし、大問題だ!
「桔梗さん……、その怪しい液体は、一体何なんだ!?」
俺は袖で涙を拭きながら、桔梗に試験管の中身を問い質す。桔梗は小首を傾げながら、「……知りたいの?」と質問を質問で返した。
俺は怖くなり、「いや、やっぱり知りたくない……」と眉間に皺を寄せながら、だいぶ治まってきた痛みから最後の涙を拭き取る。
そんな桔梗と同じ学園に入学した俺は、ちょうどその時、先生からの言伝と共に、桔梗と『部活動は何にするか』という話していた。
この学園は、校則で『必ず部活動に入らねばならない』らしく、俺は実家が剣術の道場ということもあって、スポーツ系の部活動に入ろうかと考えていた。
先程は先生からの言伝でやや不機嫌ではあったが……この日の桔梗は、普段はあまり笑わないのに、異様なくらい爽やかな笑みを浮かべていた。
まぁ、普通ならば『おめでたい』だとか『ありがたい』だとか、嬉しく思うべきなのだったろう。……なんというか、あまりにも爽やかすぎて、逆に何か悪いことを企んでいるようにさえ思えたのだ。
……今思えば、俺はあの時の直感を信じ、疑問を抱くべきだったのかもしれない。
そして半ば無理やり、桔梗に引きずられるように連れられた俺は、気づけば旧校舎の二階にある科学準備室のドアの前へと立っていた。
「……ん? なぁ、桔梗。ここは一体……?」
「じゃあ、優心。『部活動』について話し合おうか」
「いや、待て。そもそもここって、旧校舎だよな? 勝手に入って……」
俺の言葉を遮るように、桔梗は勢いよくドアを開ける。
……と、そこには少年が一人、長いソファーに寝転がっていた。
春だといっても、まだ肌寒い季節。それなのに、長袖のシャツを半袖並みにまくり上げ、第一ボタンを外して緩めた赤いネクタイに、腰には黒いセーターを巻いている。
そしてどこかで見たことのありそうな携帯ゲーム機で、これまたどこかで噂になっているような某有名なゲームソフトで、狩りに勤しんでいた。
少年は少しして俺たちに気づくと、ゲーム機越しに俺たちをジッと見る。
癖のある柔らかな黒髪に、猫のような目元と瞳の美少年。外見やこのどこか自由な感じが、どことなく黒猫をイメージさせる。
猫目の少年は、桔梗と……特に俺を見ては、にっこりと笑い、そして――――。
「お、桔梗♪ 無事に入学したんだな!」
と、言いながら、俺たち二人に近づいてきた。
そりゃあもう、眩しいくらい爽やかな笑顔で。
「いやぁ~、一時はどうなるかと思ったよ。『高校なんてくだらん。興味ない』……なーんて言うからさ。俺はもう、それはそれは心配で心配で」
少年は、目じりを指で釣り上げては、桔梗のマネと言わんばかりに口調を似せた。……と、思えば。次はハンカチを取り出してワザとらしく、涙を拭う仕草をして見せる。
「仕方ないだろ。優心が『どうしても』って言うから」
「なーるほど♪ 桔梗は優心には甘いからなぁ~……ぐほっ!!」
何かを言いかけた少年の脇腹を、桔梗は容赦なく肘で殴る。少年はややオーバーアクションではあるが。小刻みに震えながら、脇腹を抑えて床に突っ伏す。
天才とは、実に恐ろしい生き物だ。数ミリの……いや、コンマレベルの誤差もなく、的確に急所を狙って放たれる桔梗の肘鉄は、師範である祖父の打ち込みをもろに食らった時と同等の痛みを受ける。正直、俺も何度か経験しているので、目の前の少年には同情の意を込めて、俺は無言で目を伏せる。
「……で、隣が優心?」
少年は相当痛いのだろう。青白い顔をしながらも、確認するように俺と桔梗に問いかける。
「え……? まぁ、はい。そうだけど……」
「そうだ。さっさとその醜態をどうにかして、優心に……」
「わぁ~! 優心だ~! ひっさしぶり~!!」
先ほどまでの弱っていた姿は何だったのか……桔梗の言葉を遮った少年は、目を輝かせながら、俺の手を掴む。
「え、何? ……何っ!?」
俺が困惑していると、少年はズイッと顔を近づける。興奮しているのか、頬が紅潮している。
「もぉ~、何改まってるの~? 俺だよ、俺! 俺、俺、オ~レ~♪」
そう言って掴んだ手を『ブンブン!』と、風を切る音を立てながら上下に振る。
「いやぁ~、ちょっと見ないうちに随分と大きくなって~。すっごく男前にもなっちゃって、お母さん嬉しいわ!」
「アンタ、俺の母親知らないだろ!?」
少年の謎のテンションと切り替えの早さに、俺は若干引きつつも、思わずお門違いなツッコミを入れてしまう。
それでもなお、少年の勢いは止まらない。「男前になっちゃって~、よっ! 色男!!」や、「ところで、彼女はいるの? どんな子がタイプなのさ~?」などと言いながら、ポンポンと肩を何度も叩いたり、気安くペタペタと体を触ったりする。
そんな見覚えのない少年に戸惑いを隠せない俺は、救いを求めるように隣にいた桔梗へと目を向ける。
……が、隣にいたはずの桔梗の姿が見当たらない。軽く辺りを見回すが、見つからない。
と、そんな時。少年の後ろから、小さな影が現れる。影はゆっくりと静かに……そして確実に相手を捉えると、少年の首を目掛けて何かを刺した。
「あ、れ……?」
何かを刺された少年はというと、膝から崩れ落ちるように倒れる。そして、影……もとい桔梗に対し、率直な疑問をぶつける。
「あの、桔梗さん……? 何か凄く、体が痺れるんだけど……?」
桔梗は無表情で、静かに答える。
「ただの痺れ薬だ、十分もすれば動けるようになる。……まぁその間、残念にもほどがある、その浮ついた頭を……少しは冷やしたらどうだ?」
まるでゴミムシでも見るような冷ややかな目で、少年を見下ろす。
「分かった。ごめんなさい、桔梗さん……」
そして少年は、桔梗に言われた通り。約十分間、ただただ静かに反省していた。
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桔梗が提示した時間……十分ほど時間が経った。
俺たちはテーブルを挟んで、向かい合わせになったソファーに座っている。
少年は手のひらを『グーパー、グーパー』しては、痺れが残っていないことを確認する。
「おぉ、さすが桔梗の作った痺れ薬。時間ピッタリだな♪」
少年は体が自由になった為か、どこか嬉しそうに言う。そんな少年の身動きがとれない間に俺が淹れたお茶を、桔梗は静かに飲みながら答える。
「当たり前だ。誰が作ったと思っている?」
「流石、桔梗様です。よっ! 来栖家一の天才児!」
少年が桔梗をよいしょしようと、声を張り上げ……ようとした時。桔梗の鋭い眼光と共に新たに取り出された注射器に、少年は静かにソファーに座りなおす。先程の事を踏まえて、『賢明な判断だ』と、俺は思った。
そんな少年に、桔梗は小さくため息をつく。
「……まったく、先輩は馬鹿なのか? 優心は何年もずっと会っていないのだから、覚えてないんだよ」
「あ、そっか。ゴメンゴメンゴ、優心~。そういえば、十年近く会ってなかったね」
あざとく舌を出しながら、少年は謝罪をする。
桔梗と少年の間では、淡々と話が進んでいくが……俺は全くと言っていい程、話についていけてない。
そんな俺にやっと気づいたのか。少年は自身を指さしながら、唐突に自己紹介を始める。
「あ、俺は猫山 千里。君らの一学年上の、二年生♪」
先程、一瞬だけ桔梗の口から『先輩』という単語が聞こえていたが……どうやら聞き間違いではなく、正真正銘の先輩らしい。
俺は失礼な態度をとってしまったことと、二人の会話から察するに、俺にとってもこの先輩は知人であることは間違いない。急いで頭をフル回転して、記憶を遡ってみる。が、『猫山』という苗字の、ましてやこんな爽やか笑顔の少年の知り合いを、俺は知らない。
「あー、分かんない? じゃあじゃあ、スペシャルヒント~!」
「この人の旧姓は、『来栖千里』だよ。優心」
「あー! 俺のスペシャルヒント~!!」
桔梗の言葉に、俺はハッとする。
「来栖千里? 来栖千里って、どこかで……」
ふと俺は、幼なじみである桔梗と、目の前で不貞腐れる猫山先輩を見比べてみる。
黒い癖のある髪……。どことなく似ている目元……。そして、旧姓が同じ二人……。
「……あっ!!」
長い沈黙の末に、俺は答えを導き出した。
「千里! あぁ! 桔梗の兄貴の、来栖千里か!!」
「ピンポーン! そうそう、大正解!」
猫山先輩……もとい、『旧姓・来栖千里』は、桔梗の実の兄である。桔梗の家は、少し複雑な家庭環境にある。そしてある日突然、実母の家に引っ越すと人伝に聞いて以来、まったく会っていなかった。
そんな目の前にいる、『旧姓・来栖千里』は、それはそれは嬉しそうに両手を広げて喜んでいる。
「あー、そうか。あれからもう、十年も経つのか!」
うんうん、いたいた! 確かに旧友にいた!
「何て言うか……凄く、久しぶりですね!」
「もー、なんだよ優心! その堅っ苦しい敬語は! 昔みたいに、タメでいいのに。タメで話そうよ~」
俺の敬語が、よほど気に食わないのだろうか。猫山先輩は子供のように頬を膨らませて、プイっと顔を背けては再び不貞腐れる。
「いやいや、さすがに先輩にタメは駄目ですよ」
俺はコレからの学園ライフのために、やんわりとお断りする。子供の頃はよくても、上下関係の発生する学校や社会で先輩にタメで話すのは、死亡フラグを意味する。よって、安寧を求める俺にとっては、NGである。
「ちぇ~、優心とは昔みたいに仲良くしたいのに……」
「優心は先輩と違って、真面目なんだ。無茶を言うな」
「桔梗もたまには、昔みたいに『千里お兄ちゃん♡』って、呼んでくれてもいいんだぜ?」
「それはない」
人を殺せそうなほど鋭い眼光で睨みながら、キッパリと答える桔梗に、猫山先輩は口を尖らせる。
「……まぁ、いいや。とりあえずくつろいで、くつろいで~。リラックス~、リラックス~♪ 優心とも、たくさん話をしたいからね」
猫山先輩は俺たちの肩を軽く叩いたり、揉んだりしては、どうにかくつろがせようとする。
まぁ、俺も。なんだかんだで、旧友との話に花を咲かせたいこともあり、深くは疑わなかった。
「じゃあ、優心。実は優心に、お願いがあるんだ」
「『お願い』……?」
猫山先輩は「そう、『お願い』♪」と言いながら、改めて俺と桔梗の向かいのソファーに座る。
……旧友の頼みとは言え、どうして俺はあの時『お願い』なんて聞いてしまったのだろうか。
後悔しても足りないことに対し、一々文句を言うことはおかしいとは分かっている。女々しいことだとも、重々承知している。
でも、だからこそ、これだけは言わせてほしい。
本当、一年前の俺のバカバカバカ!!