十五限目 〜聲〜
天井には何もいなかった。
「き、気のせい……?」
「なの……か?」
俺たちは、それぞれ辺りを見回す。
特にこれと言って、怪しい影は見当たらない。
――――だが、それでもなお、雑鬼たちは酷く怯えていた。
「どうした?」
俺の質問に雑鬼たちは、互いに身を寄せ合いながら小刻みに震えている。
『あ、《アイツ》がいる……』
『近くにいる……』
『俺たち、喰われちまうよぉ……!』
雑鬼たちの言葉に、俺たちはもう一度天井を仰いだ。
「優心……ライト、持ってるか?」
「あ、あぁ……ペンライトなら……」
俺は胸ポケットからペン型のライトを取り出し、猫山先輩に手渡す。
猫山先輩は俺からライトを受け取ると、天井に光を当てる。
「なんかさ……『水』の臭いがするんだよな……」
「『水』……ですか?」
「何っつーか、薬品の臭いも少し混じってるような……」
猫山先輩の言葉に、俺は首を傾げる。
俺には猫山先輩が言うような臭いは、特に感じない。
他のメンバーも、俺と同じなのだろう。俺たちは互いに首を傾げ合う。
《…………よ……》
「え……?」
突然、涼星が手を耳の後ろに当てて、何かを聞き取るために耳を澄ませ始める。
「涼星? どうし……」
涼星の異変に気付き、俺が涼星に質問をしようと手を伸ばす。……と、それを制するように、猫山先輩が口元に指を立てる。
そして、涼星に近づくと、耳打ちするように質問をする。
「お前……今のが聞こえたか?」
「あ、はい……微かですか」
俺と桔梗は何も聞こえず、「何の事だかさっぱりだ」と言う顔で見合わせる。
何が起きているのか理解できない俺と桔梗に、猫山先輩は険しい表情で説明する。
「『声』が聞こえた。……確かに、雑鬼たち(コイツら)の言う通り、何かが近くにいるな」
その時だった――――。
《……い……》
どこからか、微かに『声』が聞こえてきた。
それは、頭の中に直接響き渡るような……そんな感覚だった。
《……い……よ……》
《くる……よ……》
《……る、し……い……》
《……く……る、し……い》
《……る……いよ……》
最初は聞き取りにくかった『声』は、徐々にはっきりと聞こえ始める。
《くる、し……いよ……》
《……る、しいよ……!》
《く、るしい、よ……!!》
《くるしいよ!!》
声は「苦しい」、そう何度も言っている。
だんだんと声は大きくなり、まるで重なるようにそれ以外の言葉も含まれる。
《いたい、よ……いたぃ痛い、ゐタイ痛イイダイィいゐいイダ痛ィ痛イダ痛ィいぃイいたい痛イ痛いいたイ痛い痛ヰ痛ぃ痛いィタィゐタィイタヰイタいいタイィ、痛ィ痛い痛痛いイイゐタイイだイ痛ィいたいィタゐ、ぃたィい、いゐヰいぃたい痛い、ぃタい痛い痛ィゐイィいゐいイィタぃ痛ィいたタたたたイダ、いイイゐ、痛いタい痛ィイタい痛いいぃいゐいイイぃぃぃぃだダダダたダ痛、イタいイタゐぃいイいだぃ、ヰゐいい痛いいぃぃゐ痛い痛ィいだいタダたィだいダいぃい、ゐぃイタいいた痛いィイダゐイィい痛痛いぃヰ痛いィいゐぃヰタぃイタイ痛ィイダイタイぃタイ!!》
《スケ……たす、け……タスけて助ケテ助ケテたすけテたすけ、テタスけてたスケてタズケて助た、タスけデタスケて助けてタスけテたスケて助、ただただタタタダダ、タズた、助ケ、タタスて助、けタスけてタスけて助けてタスけてタスケて助ケタスたたす助たすけテタズた、タスけテタズゲ助けたダダたタスけてタスげテ助ケ、てたスケてタスけてタズた、タダたたただだダダたタズ……ずずすずたずずタずす助、助タスけテ助タスけて助ケタスダスケズげゲゲズケ助け、たす助けテたスけて助てタスけて助ケタス、タタタダ助た、助ケたすタタタズた、タス、たすケ、テ……》
《イヤだいやだ嫌ダ! イヤだィヰいイイぃいゐぃ、ヤダ嫌だイヤだ嫌だイヤだィいイイぃいゐぃヤダ嫌だ嫌だ嫌、ダ嫌だいやだいやだイヤだイィヰヤダ! ヤヤやヤメやめて、ヤメテ、やめテッ! 助けタスけて助ケテタスたたすたタス、ダスけ助たタスタスズズズス助げでタスけテぜぇゑえぇぇンセぇゑえェヱェェエエえェえ!》
《くる……しい……クルシヰ、苦しい苦シイクルシぃ苦しいクルシイクるしぃクルシ、イクるしクルシイ苦し、ぃ苦クククググくぐクククグルグくくるルルシぃ、苦ぐ、苦ルルルゥヴゥ苦ヴうじぃぃいゐぃィ苦ぐヴゥぅぅぅゔゔ、くるぐゔゔゔゔルぅぅぅゔゔぐる苦ヴ、ククルヴ、クルシイくるシい苦シい、くるグルグぐる、ぐ苦苦ググぐグくるしぃ苦しゐクルシぃクルシイ苦シヰクルシイぃ苦シゐ、クルシヰ苦しグルシゐぃいイ苦ヴゔゔ苦苦ぐく苦、苦しい苦シイクル……シぃヰいいイイぃいゐぃヤダ苦ヴゔゔヴぅぅぅゔゔ苦く、クルシぃ……》
《み、ンな……ど、何ど、ドドぉおど、こォ……ミ、みミミん、みんナ……ァァァァあ、ど、ドどど、ゴゴこごここぉお何、処……? ミンナ、みミミ、ミンな……どどトドとごごぉおぉおド、処ォ?》
《くるじ……ぐルじィよ……痛ィょ……助、タスけて……せンぜェ……タス、たたタダだダだ、助ケ……苦ぐゔゔゔゔヴぅぅぅゔゔ苦、ジいイイぃいゐぃ……痛痛ィいイイゐイダい、痛ィいイイぃいゐぃィたィイダゐいイダ痛ィ痛ィ痛いィゐ、ゐいいイイぃぃぃぃだいィィヰィイイ! 苦ぐヴゥ苦しい苦シイクルシぃヰいいイイぃぃぃぃ苦しいクルシイぃクルクククググ、苦くぐクククグル、グくくるルルシイィヰ……たダいダダタたタ、スズズずスすずズズす助、タたたス、タスけて助た、タスケテ!!》
《せん、せ……センせ、せンセせせセイぜん、せゐ、せんせぇ……セんぜぇヱ? ドこ? 何コせ、ンせェゑ? せン、せんせヱ、ド処セんセィ……どドドど、何処ぉ? ミィ……みみミ、ミン、ミんな……せ、センセゐゐゐゐ……?》
《た……たタダ、タ、助、タスけテ……助ただだたタすたずスズ助助、ケ……苦ぐくぐく苦しい苦……痛ィ、よ、痛ィいイイぃいゐぃ痛ぃょォォおぉォお……助たタタたたタただすたずズた助ゲ、タスけてた、スケてデでデデ助タス、けて……タスケ、テ……》
《かえり、たい……ヨぉ、カエりたゐ……かゑりタ、かエリたヰイィいかえ、カガカ、かェリたィ……かヱぁ……イイヰイィいいゐガぇりたゐカエ、カカカかヱェかえぇゑリ、かゑリたゐ……せェ、セ、んぜェゑえぇぇ、カエりたィ……かえりか、カヱりたいィィいいいカエか、カえリたゐ……カえり……》
声と共に、窓ガラスが割れそうなほど揺れる。
ドアが、壁が……まるで校舎そのものが悲鳴を上げるように、軋み始める。
《く、苦、ぐググくぐク、くルしゐ、苦ぐくく……クルぐ、くグくくるしいょ、くるグクぐる苦シィゐくるグクジぐる、くぐるじぃヰ苦苦く、嫌、イィゐイヤだ嫌イゃダゃやダ……シゐ、クルグぐるるく苦ク、ルしゐ苦ぐくググるシゐ苦ぐググ、苦ジジジジジシィヰ、苦ジシシジシぃいゐィいいいよ! セ、せん……せぇゑぇゑえぇぇヱぇぇえ!!》
《ゐぃい、嫌イヤダイヤャアァアやイヤだいゃだイャダ嫌だ嫌、嫌ダいヰぃ嫌ダぃいゐぃ、嫌だいやだいやだイヤだイヤだゐやダ、イヤだよ、嫌ダいイイゐいやイゃダ嫌ダイヤだィやだ嫌、イイヰイィゃダ嫌ダだゐヤだイヤだイヤダ嫌だイ、ぃヤだ嫌ダいぃぃゐヤだよ……ォォおぉォおィイヤだ! タスけて、タスケテ助ケテ助たたタスたたす助ケテ! イヤだ嫌だョォォおぉォお!!》
《おォォおボボぼぼぉ、オネガゐ、オ願ゐシマす……ぉぉぉォォおぉォおねが……お願ヰ、ネガガガがガ、がガ、おネガヰ、お願、ネガ、ね……助げ、テ……願いゐゐヰオォォおぉォおボボォォおぉォお願……おネガいィィいいい願ぃ、お願ゐしまス……お、ォォおぉォおお願ぃしまス……お願ヰ、しマスぅゔゔヴゔゔヴぅぅぅゔゔ……ぉぉぉぼボぉオね、オネガガガが……お願ゐ、シマスぅぅぅゔゔ、っ助、タスタタタスた、助ケ……助け……》
《みミミみ、みん、な……ミンな何処……ミンみみミミンみんな、どドドどトドドとドド何、処……? みん……ミ、ンナアァア……セン、セ……イ? セせせせんせぇ、ゑえぇぇヱ? ど、何どドドどととドドどとと、ど処ごゴコここご? どゴ、ミ、みミミィ、ンな……ゼゼぜぜゼぜせぜせン、ぜぃゐィヰ、何処ぉオぉおぉ……ぼぼボボぼぼぼォォおぉォおお?》
《タ、たた、助たただダダたタズす、タスけてタスけ、たスタダた助けテ助たすススけ、助たタスけたスケでタズた、タスげて……いいゐィヰいィイダいゐぃぃイイいいい、痛ぃ痛ィイダゐいイダい、痛痛ィヰぃぃぃいィィゐ! 嫌ダイいイイィヰヤだィいやだだいや嫌ダイヤだイィヰゐイヤダイヤだィ、いイイぃいゐぃヤダ嫌だアァアァァァあ! せん、ぜェゑえぇぇぇぇえ! 助、ぅぅぅゔゔヴ……たすぅぅぅゥヴゔゔたすタタタ、助タズ助……け、タタタダたたズ、クルシイぃぃいゐぃ苦ぐゔゔ苦しい苦シイくルシゐ……せ、ンぜぇゑえぇぇヱぇぇぇぇ!》
《イダィイィヰ、いイイぃいゐぃタイ痛いィいゐ痛ィいイイ! イヤだイィヰヤダ嫌だ! 痛ィ、痛いよォォォおぉォお、痛ゐイダゐイダ痛ィいイイぃいゐぃィ、ヰたいょォォおぉォおオォォオお! たっ助ゲ助タタすタス、タタたズズズズずずずずズズず、たダダダた……イヤだ痛ィヰい嫌ダいイイゐヤダ! 苦しい苦シイ痛ィクルシイグクグ、苦シイィヰ苦しい苦シイくぐくクルシイ苦シイクルシぃいゐぃぃイイ! 痛ィ痛ィいイイぃいゐ、ぃたいょォォおぉォお! 助たすたすススたタスけ、テ……センぜ、センセぇゑえぇぇヱ! タス、タスけて助け、テ……!》
《たすけて、せんせ……せェ、んせぃ……タスけ、タスけてタスけ助ケテタスたたすた助たたたタ……セせせせんせヱ、た助助助ケてた、すずスタスタタタ、タスけて助たたダたタすケ……ぜんぜヱぇぇぇぇゑせ、んせェ……セ、ンせ、ぇぇぇぇゑえぇぇせンぜヱた、タたす助ゲだただ助けせん、せぇゑぇぇぇぇ、センぜヱ……助、ケ……せ、んせぇゑえぇぇ……セン、せェ……?》
《ぐる、ぐる……シぃ……タズ、た、たすダ助ったすゲ、助げで、タス……センぜぇゑえぇ、セン、セぇヱぇぇぇぇ、助、タスけて、タスケ……》
《たすケて》
《タスけて!》
《助けて!!》
――――――――――シーン……。
……先程の声や物音が嘘のように、静寂が流れる。
「……今のは一体……!?」
今ので怯えきった雑鬼と涼星が、小さく身を震わせる。
俺たちは固唾を呑んで、再び辺りを見回す。
「……来る!」
猫山先輩がライトを涼星に向ける。
『ア゛……ア゛ァ゛……』
涼星の後ろには、三メートル近い影があった。
「涼星! 後ろ……!!」
「えっ……?」
涼星が振り向いた瞬間、教卓くらいの大きさの手のひらが、涼星を押しつぶすように振り下ろされる。
「危ない……!」
俺が駆け出すよりも早く、猫山先輩が走り出す。
「猫山先輩……っ!!」
その直後、鈍い音が廊下中に響いた。





