十限目 〜部活開始〜
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前回の出来事から、さらに数日が経ち……週末になった。
その間に、顧問の河樹がご両親に部活の内容(……とは言っても、あくまでこれは『部活動』としての体裁を保つためだけの、表面上のもの)を説明し、数日かけて承諾を得ることに成功。
そして今日から、涼星は晴れて部活に参加することとなったのだ。
そんな俺たちは今、それぞれ好きなことをしていた。
猫山先輩は携帯ゲーム機で、俺でも知っているようなゲームを。桔梗は言わずもがな、いつものごとく怪しい実験に勤しんでいる。
俺はというと、テーブルに教科書やノートを広げ、今日出された課題や授業の予習・復習をしていた。
家に帰ってからでは、まともに勉強をする時間がなく……只でさえウチは特殊な部活なのだ。この部活を理由に、成績を落とすのだけは回避しなくてはならない。だからこそ、俺はこの貴重な時間に出来ることは、全て終わらせるのだ。
そんな俺らを見ながら、ソファーにちょこんと座っていた涼星は……俺の服を軽く引っ張って、質問してきた。
「あのー、宇辻先輩……」
「ん? どうした、涼星?」
俺は書いていた手を止め、涼星に向き直る。そして、質問の意図を探る。
そんな涼星は、おずおずと口を開く。
「えっと、先輩……イカ部って、具体的に何をすればいいんですか?」
「え? あぁ……えーっと、今は何時だ?」
俺は時計を確認する。
時刻は午後五時を、少し過ぎたくらいだった。
「まだ暇だよ」
「えっ?」
涼星は、キョトンとした顔で俺を見る。まぁ、その反応……分からなくもない。
なんせ今の時間帯だったら……普通の部活は、それぞれの部活内容に勤しんでいる時間帯だ。
それに、涼星が入部してから今日まで。涼星には本当の意味で、イカ部の部員としての活動をさせてこなかったのだ。その反応も、少し考えれば頷ける。
なので俺は、この部活の本当の活動時間を、今初めて教えるのだ。
「あのな、涼星。ウチの部の活動時間は、主に放課後……正しくは、部活動を終えた生徒全員が帰った後の、夜の学校だ」
そこまで聞いていた涼星の顔が、引きつったのがよく伝わってくる。
「よ……夜の、学校……?」
確認するかのように、涼星が聞き返してくる。
残念だが、聞き間違いなんかではない。
「そそ、夜の学校♪」
追い打ちをかけるように、先程までゲームをしていたはずの先輩が、楽しそうに顔を向ける。
涼星の顔が、見る見るうちに青くなっていく。
残念だったな、涼星。
この部の『ヘタレもいらん!』という入部条件は、こういう意味だったんだよ。
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午後七時頃。
先程まで部活動をやっていた生徒たちも、すでに帰り支度を済ませ、学校は徐々に静けさを取り戻していた。
生徒が全員、帰宅したであろう頃。少しして、俺たちは部室を出る。
――――誰もいない体育館……――――
――――誰もいないグラウンド……――――
――――そして、誰もいない新校舎……――――
俺たちは今……一部の教師を除いて、誰もいなくなった校舎の中にいる。
中途半端に締めていたのであろう、どこかの水道の水が滴る音が、静かな廊下に響く。
オカルト好きには、持って来いなベタなシチュエーションである。
そして俺は今、物凄く震えている。
……正しく言えば、俺の腕を掴んでいる涼星の震えが、俺の体全体に振動して、俺が震えているように見えているだけだ。
決して、俺が怖いからとかではない。断じて違う。
寧ろこの程度で怖がっていては、こんな部活に一年も在籍していない。
涼星には悪いが、こんなに震えられると、めちゃくちゃ心配になってくる。そして何より、歩きにくい。
俺は一応、確認のために涼星に聞いてみる。
「なぁ、涼星。大丈……」
「はイっ!? だ、ダイジョウブ、です! あ! あ、歩きにくいんですか!? スイマセン!! 今離れますね……ッブあ!!」
そう言って、俺からは離れた涼星は……すぐ横の壁に思いっきり顔面から突っ込み、鼻を抑えてしゃがみ込もうとする。……が、どうしてそうなったのだろう……涼星は足を滑らせ、バランスを崩す。そして追い打ちをかけるように床に、側頭部をぶつけている。見てるこっちが痛くなるレベルだ。
いや、全然大丈夫じゃないだろ! めちゃくちゃ、声が裏返ってたぞ!?
「いやいや、無理しなくていいから。別に離れなくていいよ……というか、寧ろ掴んでてくれ。逆に危ないから」
「はい……、すみません……」
鼻を左手で抑えながら、涼星は右手で俺の袖を掴んだ。
「あっはっはっ! 涼星はめちゃくちゃヘタレだな~♪ そんなんじゃ、モテないぞ~?」
猫山先輩は、物凄く爽やかな笑顔で、それはもう楽しそうに言った。
気のせいかもだけど……涼星の体には、何か矢印のようなものがグサグサと突き刺さったように見えたのは、俺だけだろうか?
涼星を庇うように、俺は猫山先輩の言葉をそのまま返す。
「そんなこと言って、猫山先輩はどうなんですか? 実際、モテたりするんですか?」
前から、何気に気になってはいた、素朴な疑問。
この兄妹は、顔は結構きれいな方なのだ。この際、聞いてしまえ。
「ん? あ、いや……どうだろう? 俺は特に、恋愛感情的なのは抱いてないけど……この間、手紙は貰ったよ?」
マジか……こんな鬼畜でも、好きになる人なんていたのか。
その子はきっと、猫山先輩の本性をまだ知らなかったのだろう……。この人、本性はサディストだが、愛嬌と顔だけは本当にいいからな。
「ねぇ優心、今俺の事、かなり酷く言わなかった? ねぇ?」
「チッ、この兄妹は何でこんなに勘がいいんだ……」
「おーい。聞こえてるぞー、優心?」
猫山先輩は頬を『プクーッ』と膨らませる。すると、仕返し言わんばかりに「そ~う〜い~う~」と言って、俺の右腕に腕を回す。
「優心の方は、どうなのよ~? 彼女の一人や二人くらい、いないのかぁ? このモテ男!!」
猫山先輩の言葉に、思わず吹き出す。
な、何を言っているんだこの人は……!?
「それはちょっと、僕も気になります……」
まさかの涼星が、話にのってくる。さらに、何故かさっきまで……興味など一切持っていなかったはずの桔梗までもが、俺をジッと見てくる。
何だよ、この状況! みんなして、どうして俺を見るんだ!?
助け舟を出したはずが、いつの間にか泥船に乗せられる。
「い、いませんよ、そんなの! ってか、俺は『モテ男』じゃないです!!」
「え~? いないの?」
「当たり前でしょ!!」
俺が否定すると、猫山先輩は心底、残念そうな顔をする。
「え、意外です」
そしてどうしてだか……涼星までが、意外そうな顔をする。何故だ!?
「ちぇ~、つまんないの~」
「そこまで言うんだったら、猫山先輩が恋人でも作ればいいじゃないですか」
俺がそう言うと、先輩は真顔でこう即答する。
「え、ヤダ」
「えっと、どうしてですか……?」
涼星が聞くと、猫山先輩はいつもの爽やかな笑顔で、こう答えた。
「そりゃあ、勿論。自分じゃなくて他人の……それも初々しいカップルをいじる方が、断然面白くて、楽しいからに決まってんじゃん♪」
この人……最低だ!!
俺と……多分涼星は、同じことを思ったであろう。
曇り一つない……ましてや、罪悪感すら微塵も感じられないほどの笑顔で、ハッキリと言いきったのだから。
こんなに清々しい程の笑顔で言われると、一周回って……いや、回らなくてもやっぱり嫌だ。
「けどさ、優心。本当に恋人作る気とかないの? 一応、花の高校生だし、青春を謳歌しないともったいないぜ?」
全く作る気のない人に言われても、説得力の欠片もない。
「で? 好きなやつとかいねーの? 俺ぇ〜、優心の恋バナとか、聞ーきーたーいーなー♪」
可愛らしく上目使いしてくるが、やってるのが野郎だということと、相手が猫山先輩という事実で、これっぽっちも可愛いとは思えない。
俺はため息をついて、頭を掻く。さっさとこの話を切り上げないと、いつまでも猫山先輩からいじられそうな気がする。
「もうその話はいいから、部活しましょうよ……」
「わー、無理やり話を逸らしたよー」
「逸らし方が、意外と雑ですね」
いつの間にか猫山先輩サイドに回った涼星が、ヒソヒソと井戸端会議風に会話している。
全部丸聞こえですけど! って言うか、裏切ったな! 涼星!!
「なぁなぁ、桔梗ー。桔梗は誰か、好きなやつとかいないのかー?」
猫山先輩は手招きしながら、桔梗に笑顔で聞く。
その質問に対し、桔梗は全くの無表情で。
「興味ない」
と、断言した。
うん、だよね。知ってた。
今の桔梗にとって、『研究』が恋人だもんな。
あーでも、もし『桔梗に彼氏が出来たら』……なんてこと、考えたこともなかったな。
その時の俺はどうするのか?
喜ぶ? 祝福する? それとも、どれでもなく反対する? いや、どれも違うような……。そうだな、こう、何と言うか……。
「娘を嫁にやる、父親の気持ち……?」
「は? 何が?」
いつの間にか隣にいた桔梗が、俺のつぶやきに反応する。
「うおっ、ビックリした!」
俺が驚いていると、桔梗は首をかしげては俺をジッと見てくる。何故見てくるのか分からず、俺が黙っていると桔梗は口を開き……。
「で? 何が『娘を嫁にやる、父親の気持ち』なの?」
その桔梗の質問に、俺はドキッとする。
ジッと見つめてくるその目から、話題を逸らせなくて、俺は観念したように素直に答えることにした。
「いや……桔梗に『もし恋人が出来たら』って、考えてたんだよ」
「フーン……それで?」
……ん? 『それで?』って、何ですか、桔梗さん?
「え、それでさっきのつぶやきになったんだよ……」
「……それだけ?」
「それだけ、だけど……?」
「………………」
「………………?」
それを聞くと、桔梗はスタスタと少し先へと歩いて行ってしまった。
……え? 俺、何かまずいこと言ったか……?
別に、悪いことは何も言ってないはずだが。今、明らかに桔梗の機嫌が悪くなった。
俺は『後で桔梗に謝ろう』、そう内心で思う。
……と、そんなことを考えていると、遠くからかすかに音が聞こえてきた。
その音は、徐々に鮮明になっていく。
《ペタッ……ペタッ……》
《……ペタッ、ピチャッ……》
それはまるで、『濡れた素足で歩いている』……そんな音だった。
「……来るぞ」
猫山先輩の目つきが、先程とは打って変わって、鋭くなる。
その言葉を聞いて、俺と桔梗は身構える。
足音は、だんだんと近づいてきて――――。
俺たちの前方には、一人の女子生徒が現れた。





