九限目 〜旧校舎の掃除~
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瀬辺くんが入部して、数日が経った。
この前は瀬辺くんの思わぬ訪問で、さすがに今すぐに部活動に参加させる訳はいかず……あの後帰宅させた。
その際、瀬辺くんにはご両親に『この部活は他の部活と違って、帰りがかなり遅くなる』ことを説明するように伝えさせる。
後日、再度瀬辺くんに確認をとった上で、入部希望届けに記名させた。
……とは言っても、まだ『仮入部』という形である。
なので、本格的な部活動は訳あってまだ参加させることはできず……今日は瀬辺くんと共に、旧校舎の掃除に勤しんでいた。
「悪いな、瀬辺くん。仮入部中なのに、こんな雑用押し付けちまって」
「いえ……そもそも、僕が押し掛けたので。……それに、これから自分の身の回りがきれいになるのは、気持ちがいいことなので」
並んで掃除用具を運びながら、そんな会話をする。
普段から猫山先輩も桔梗も、散らかすだけ散らかして片づけをしない。だから俺が定期的に掃除しているのだが……何と、掃除している俺を見つけた瀬辺くんは、自ら手伝いを申し出てくれたのだ。
正直こんなよく分からない名前で、さらによく分からない変人の集まる部活で、後輩が入ってくるなんて微塵も期待していなかっただけに……瀬辺くんのような後輩が出来て、俺は素直に嬉しかった。
「あの二人も、君みたいな考えが少しくらいあれば、俺も気が楽なんだけどな……」
俺の小言に、瀬辺くんは苦笑いを浮かべる。
俺たちは階段を上って、廊下を歩く。今日の掃除場所は、三階の教室がメインだ。
そして南側から順に、北側へと移動しながら掃除を始める。
「そう言えば、瀬辺くん。瀬辺くんはどうしてこの部活に入ろうと思ったんだ?」
ほとんどが何もない空の教室か……または物置と化しているかの二択ゆえに、掃除自体は溜まった埃を掃いたり、軽い拭き掃除程度で済む。なので普段使っている校舎や、主に使っている部室と使っている教室と違い、掃除はスムーズだ。
……たまに、猫山先輩や桔梗が散らかした跡がなければの話だが。
「あ、えっと……涼星でいいです。その、そっちの方が、後々混乱しないと思うので……」
「……? 君がそれでいいなら……分かった、涼星」
瀬辺くん……改め涼星は、どう説明しようかと悩んでいる様子だった。
「う、噂を聞いたので……」
「噂……?」
「はい、少し変わった人たちが集まっているという話で……」
思わず聞き返してしまったが……よく考えたら『イカれた奴等の集まる部』、通称:『イカ部』なんて。変な噂こそ流れても、いい噂が流れるはずもなく……俺はそんな現実に、頭を抱える。
「本当はちょっと怖くて、行こうか迷ったんですが……でも、宇辻先輩みたいな常識のある先輩もいて、正直ホッとしました」
涼星の表情は、本当に安心したものだった。俺も、涼星の中で常識枠認定されていることに、内心安堵する。
「僕、ちょっと特殊な体質を持ってて、それで中学まではあまり人と関わらないようにしてて……この学校に入ってすぐにこの部活の噂を聞いて、実際に部活動紹介も見て……もしかしたら、僕も変われるんじゃないかと思って」
涼星は少し口元を緩めて笑う。その姿は、希望に満ち溢れている。
……が、俺はそんな涼星を見て、逆に不安が湧き上がってくる。
「こ、高校デビューなら、他にもきっといい方法や部活もあったんじゃないかな……!?」
「えっ? ……あっ!」
俺の言葉に、涼星は首を傾げる。そして何かに気づいたように、慌てて訂正を入れ始める。
「ち、違います! その、僕も変人になりたいとか、学校で変に有名になりたいとか、そんなんじゃなくて! むしろ僕は、出来るなら静かにひっそりと、平穏に学園生活を送りたいです!!」
慌てているためか、ところどころ毒を吐く涼星……その必死な姿から、悪い意味での高校デビューをしたいようではないのは、重々伝わってくる。
「そ、そうか……なら安心したよ。涼星みたいな大人しくていい子が、猫山先輩や桔梗みたいな変人になりたいって言いだしたら、俺の胃にいくつ穴が開くことだか……」
「あ、アハハ……」
俺と涼星は、互いに苦笑し合う。
一瞬、本当に胃に穴が開くかと思った。
一方の涼星は、俺の勘違いが解けたことに安心したのか、ホッと胸を撫でおろしている。
「まぁ、正式にこの部に入部することになったら、この階にある姿見には、興味本位ではあまり近づかない方がいいぞ」
俺はこの先……北廊下の行き止まりにある姿見を指さす。
少し陰っているがために、陰湿な雰囲気を放つ行き止まりの壁面……そこには、遠目からでも分かるほど大きめの鏡が一枚貼られている。
「……? どうしてですか?」
涼星からの疑問に、俺はどう説明をしようかと悩む。
「ん~、俺も詳しくは知らないんだが……」
まだ使える水道の蛇口を捻り、持ってきたバケツに水を汲みながら、俺が知っていることを話す。
「どうも一部の話では、この旧校舎が旧校舎になった所以らしいんだ。ずっと昔の事だから、何とも言えないんだが……まぁいわゆる、ウチの学校の七不思議の一つだよ」
「七、不思議……?」
ドバドバと、蛇口から勢いよく水が出る。
「そう。正直知ってる人も少ないし、ひっそりと語り継がれてきたものだから」
俺と涼星、二人しかいない静かな廊下。
「……でも皆、口を揃えて『危ないから』、『危険だから』って言うんだ。だからさ、この旧校舎を管理してる、今の代である俺らも、あまり近づかないようにしてる。……皆も、そうしてるから」
水の溢れ出る音が、響き渡る。
「宇辻先輩」
そんな中、涼星は新たに浮かんできた疑問を、俺にぶつける。
「『皆』って……誰の事ですか……?」
沈黙が流れる。
ようやくバケツに溜まった水が限界を迎え、とうとう溢れ出す。
それでもなお、水は蛇口から出続けている。
俺は涼星から視線を外すと、無言で水を止める。無駄な水を捨て、振り返りながら笑顔で返す。
「『皆』は『皆』、だよ」
何かを悟ったのか……涼星が息を呑むのが、手に取るように分かる。
しかし、今の俺には、そう言うほかなかったのだ。
「まぁそう警戒するなって。お前を怖がらせるつもりは、微塵もなかったんだ。悪かったな」
俺は涼星を少し怖がらせてしまったことに対し、謝罪する。涼星は「いえ……」とだけ呟くと、無言で俯く。
「『皆』については、後日詳しく説明するとして……今日はココを掃除し終えたら、涼星はもう帰っても……」
俺はバケツを持ち上げ、一歩踏み出す。……と、何かに足を引っ張られた。
「げっ……!?」
体制を崩した俺は、持っていたバケツを思わず離してしまい……目の前の涼星に向かって飛んでいく。
「……!!」
俺も涼星も、バケツに視線を向ける。
「み……」
俺は慌ててバケツに手を伸ばす。
「水……っ!!」
そう言って、涼星は反射的に持っていた箒を振る。
箒は見事にバケツに当たり、俺の頭上へと打ち上がったかと思えば、天井にあたり……。
――――バシャーン!!
……俺は頭から水を被る羽目になった。
そんな俺を見た涼星の表情は、みるみるうちに真っ青になっていく。
「す、すみません、宇辻先輩! 僕……っ!!」
今のは誰がどう見ても、仕方のないことだ。涼星は自分の身を守ったに過ぎない。ゆえに、涼星は何も悪くない。
「あー、気にするな涼星。今のは……」
「いえ! 僕のせいです! すみません!!」
だが、涼星はそれでも自身が許せないのか……何度も俺に謝罪する。
「す、すぐに何か拭くものをとってきます!!」
そう言って駆け出し、曲がり角に消えていく。その途中、「はう!」っと涼星の苦痛の声が聞こえてきたあたり、転んだか壁にぶつかったのだろう。
「大丈夫か、涼星……?」
涼星を待つまでの間、俺はずぶ濡れになった自分の髪や服を軽く絞る。暖かくなってきたと言っても、まだ春先だ。水を被るにしては、まだまだ早すぎる。
すると、視界の隅に何か小さな影が横切る。
《クスッ……》
《クスクス……》
《クスクス、クスクス……》
小さく笑い声が聞こえ、俺は横切って行った影へと視線を向ける。
《クスクス……カカッタ、カカッタ》
《見事ニズブ濡レダ》
《ズブ濡レ、ズブ濡レ》
まだ笑っている影を、俺はキッと睨みつける。
「お前ら、覚えてろよ……!」
俺がそう言うと、影たちは『オォ、コワイコワイ』と口にし、どこかへと消えていった。
俺はため息をつくと、大きなくしゃみをする。
その後、俺は涼星の持ってきたタオルで身体を拭き、ジャージで部活動に参加したのだった。