生葬り
前に震災後とはいつまでなのか? なんてことを書いた。
それに対する答えはコロナで明確に出た。
コロナが流行する2020年までが震災後である。
震災の記憶は完全にコロナで塗り潰された。
あの時のちょっと選択を間違えたら死ぬ、どこからも助けは来ないし誰も助ける余力はないひりひりした感じと比べるとなんか温いなあ。
医療崩壊? わざわざ誰も言い立てないけどあの時経験してるじゃん。病床が足りない? 医薬品も電力も足りないのと比べたら楽勝じゃん。
おまけに食料と燃料もあるんだぜ。
一体なにが問題なん?
と思うが、とにかく震災は完全にコロナに塗り潰された。
天災の恐怖から、ウイルスの恐怖へ。
しかし、それでいいのだろうか?
今後10年20年かけて細胞一つ残さず灰するはずの震災の記憶が、半端のままでコロナにスイッチしてしまった。
火葬で言うなら、いまだ生、灰になってはいない。
であるのならば、それがいずれ立ち上がるだろう。
葬るということは、それが二度と立ち上がらず歩き回らないようにすること。
だから、原始時代には遺体を頭を下にして逆さに埋めたりする。
それをコロナで途中でやめてしまったのだから、当然それは再び起き上がり歩き回る。
例えばこんな風に、
原発が爆発し日本中の絶望したあの日、
多数の人が被爆したあの日々、
よくわからない論拠でただちに影響はないと、被爆許容量が引き上げられたあの年月、
被爆は基礎疾患に入りますか?
原発の風下に居た人と風上に居た人、コロナの感染リスクは同じですか?
コロナで急死した人に被爆の履歴はありませんか?
最近妙な震源な地震がありますが、南海トラフは大丈夫ですか?
関東大震災は心配ありませんか?
コロナで避難所はまともに機能しませんよ、あなたは生き残れますか?
このようにいくらでも葬送をやまてしまったのだから、震災の記憶はウイルスのように変異して還ってくる。
だから、あの日津波に流された人たちも姿を変えて還ってくるのだろう。




