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そしてまた月は満ちる  作者: 春日野霞
四 生活
9/89

衣食住

2021.01.05 投稿

2021.01.10 改稿(内容の変更なし)

 食事の後、晴瀬は部屋でぼうっと海を眺めていた。あれだけ降っていた雨はすっかり止んで、初夏の淡い青の空が広がっていた。海はそれを映しながら無数の青を湛える。せわしない小波が太陽の光を砕いていた。

「晴瀬も食べるんだから、獲りに行くよ」

 唐突にかかった声に振り返ると、青颯が腰に手を当てて立っている。

「何をだ」

「夕飯の獲物だよ」

 二人は連れ立って、塔を出る。凌光が釣りをしていた、崖に続く道を下って行った。

「晴瀬は、なんで死んだの」

 前を行く彼が聞く。

「……その、怨霊に追いかけられて、海に飛び込んだ」

「で、目覚めたらどこにいたの?」

「桜ばっかり咲いてる里に、いた」

「何……それ」

 と青颯は立ち止って振り返る。

「生えてる木が全部、桜になってる。毎日満開で、春から季節が進まないんだ。人がいなくて、静かで」

「そりゃいいね」

「それだけならな」

「なんかあったの」

「……寝ると、いつも殺した人が夢に出てくるんだ。それで、毎回違う方法で殺される。夢なのに苦しいんだ。だから寝るのが怖くなったけど、どうしても眠くなる。腹は減らねえのにな。寝ては、殺されて、どっちが起きてる状態なのかもわかんなくなった。苦しいから、もう、自分で死ぬしかなくなった。自殺すると夢は見ないんだ。目が覚めてから、これだって思った。自分で自分を刺すのは本当に苦しかったけど、夢見るよりましだった。毎日三回は自分で自分を殺して……たら、みちに……女の子に会ったんだ」

「さっき、言ってた人か」

青颯は歩き出す。

「そこは、日は昇ったり沈んだりするの?」

「ああ」

「そこも、時間が止まってるのかもしれないね。桜が満開で咲き続けてるってのはその象徴のような気がするよ。日が昇ったり沈んだりするのは時間の存在を示しているように思えるから、そこには疑問が残るけど。ここは地上だからきちんと時間がある……少なくとも四季がある。俺ら自身は死者みたいなもんだから、そっちの世界の原理と同じように時が止まってて、歳取らないんだ」

 晴瀬は感心してしまう。

「なんで、そんなこと分かるんだ」

「それが真実なのかどうかは分かんないけどね」

 森を下りきり、階段に至る。崖についた頃、青颯は少し息を上げていた。

「ほら、あれ」

 細い指が示す先に、奇妙な生物がいる。

「術を使ってあれを獲る」

 波打ち際に半身を露わにし、鰭のように見える手で浅瀬に腕を立てている。顔も身体も蜥蜴に似ているのに、波の下に揺らめいているのは、海中を進むための尾鰭だ。

「あれ、何なんだ」

「トカゲウオ。禰々島にいる生物は、何かと何かを半分ずつとったようなもんが多いんだ。さっき食べた魚も、蛇みたいな魚で、ヘビウオって呼んでる。もう時期は過ぎたけど、梅みたいな木に桜みたいな花が咲いたりもするよ」

 二人は崖の上に座った。

「トカゲウオは休むときに、陸に上がってくる。あっちからこっちは見えてないから、術を失敗しなければ、大体は仕留められる」

 やってみな、と促され、晴瀬は闇の銛を作る。狙いを定めて投げるが、距離が遠すぎたせいか、惜しくも届かない。近くに突き立った銛に驚いたトカゲウオは、海へと戻ってしまった。

「……すまん」

「まあいいよ。その辺にまだいっぱいいるから、じきにまた上がってくる」

 海を見ても、トカゲウオの影は見当たらない。

「どこにいるんだ」

「晴瀬も、術士なんでしょ?なんで沖を読まないの」

 言われてみれば、自分も漁をしていたときは、魚群の沖をつらまえていた。

「すっかり忘れてたな、そんなこと……」

「いくら術士の記憶にロクなものがないからって、術の感覚まで鈍らせることないと思うけどね……それに、本当の銛を使ってるわけじゃないんだ。狙いが当たるように、沖をあらかじめ繋げておくとかしなきゃ」

「そんなことできるのか」

「晴瀬が相当術音痴じゃなければ、できるようになるよ」

「教えてくれよ」

「また今度ね。あんまり騒がしくしてると、さすがに上がってこなくなっちゃうから」

 雨が降った後は、空気が澄んで空が高い。うねる波も快活に、どこまでも青い。海風を受けて遠くに目を馳せ、晴瀬は水平線に大きな半島の影を見る。

「あれ……」

「故郷だよ」

 胸の奥から、言葉の無い感慨が浮かぶ。生まれ、育ち、罪を刻んだ場所。二度と行きたくないと思う場所ばかりが脳裏に蘇るのに、かえりたい、という言葉が滲む。抗いがたい郷愁に、声が震えた。

「青颯は、どんな村にいたんだ」

 少し間を置いて、彼は答える。

「国の一番奥……北側を、山脈が塞いでるでしょ。その山の中にある村だ。あんたらの言う王様の支配は及んでない場所で、術士の扱われ方も全然違うし、外との交流が全く無いから、古いものがずっと残ってる村だ」

「術士も、ちゃんと人なのか」

「うん。普通に一緒に暮らしてる。生活にもあると便利だしね。術士のいる家ばっかりじゃないから、術士は村の長の所に集められて、色んな家の手伝いを持ち回ることになってた」

 術士が生活に溶け込んでいる。なんとも羨ましい話だった。

「お前の、沖を獲物を繋げる術とかも、村で教えてもらったのか」

「そうだね」

「俺もそこに生まれたらなあ……」

「一面だけみて判断するもんじゃないよ」

 海に目を落とす彼の声は低い。

「……なんか、悪いところがあったのか」

「じゃなきゃ、俺は死んでないね」

 片手に闇の銛を現す。晴瀬はそれを見て、息を飲んだ。自分の闇は縁が多少滲んでいるが、彼の闇はまるで夏の日差しを受けた影のように、空との境が截然と切れている。

 トカゲウオが海中から浅瀬に上がってきた瞬間を捉え、彼は腕を軽く振って銛を放つ。それは鋭い勢いで空を裂き、見事頭に命中する。彼は痙攣するそれに手をかざす。すると、銛の後ろが伸びて彼の手に収まるのと同時に、銛の闇がいくつにも裂けてトカゲウオを(たが)めあげる。握った闇を軽く引っ張ると、それは滑らかに空を滑り、崖の上に着地する。すっかり動かなくなったそれの首に闇を集めると、少年は自分の身の丈以上ある生物の傍らに膝をつき、トカゲウオの身体を傾ける。喉の側にある闇が肉を切る。血が一気に溢れて崖を濡らした。

「さあ、これ持って。帰ろう」

 晴瀬は、拙く思える自らの術でトカゲウオを縛り、背負いあげる。見た目にそぐわず重たい。晴瀬にとって、担いで山を上がれない重さではなかったが、青颯はどうやって運んでいるのだろうかと不思議に思う。

 塔につくと、「勝手口のとこにいて」と彼は開け放たれた扉から中に入る。言われたとおりの場所で待っていると、彼が盥と莚を持って出てきた。

「凌光は忙しいらしいから、今から夕飯作るよ」

「お前も料理できんのか」

「料理ぐらいできないでどうすんの」

 とは言うが、生活能力があるようには見えなかった。

「まあ見てなよ。トカゲウオを莚の上に置いて」

 彼はそう残して台所に戻ると、石の包丁を持って出て来る。すると、莚の上の大きな生物を器用に捌き始めた。

「それは術でやらないのか」

「凌光に教えてもらったから、術にはならないね。確かに、術でもどうにかなるかもしれないけど」

 晴瀬は次々と切り出されていく肉や内臓を見ていると、見る間にトカゲウオの原型は消え食べられるを待つ状態になる。

 肉や内臓の汚れを水で綺麗にすると、二人は台所に戻る。晴瀬はその時、竈に置かれたものを見て驚く。鍋は大きな貝殻で作られていた。

「こんな貝もあんのか」

 彼は頷く。

「今度見に行ってみなよ。これもちょうどくたびれてきたし、ついでに取ってきてほしいな」

「任せとけ」

 海で貝をとるのは、本業のようなものだ。

「それにしても、包丁とか盥とか、机とか椅子も、全部二人で作ったのか」

「いいや、ここにあったものが多いよ。ボロボロで作り直したものもあるけどね」

「晴瀬」

 凌光が下りてきて、彼を手招く。手に、麻の布を持っていた。

「ちょっと後ろ向いて」

 と布を背中に当てる。

「大体いいね、よし、ありがとう」

 とまた、二階に去っていった。

 日没が近くなった頃、料理ができあがる。みそ汁と漬物と、トカゲウオと青菜の煮物だった。机の真ん中に、穴のあいた石の器が置かれる。青颯がそこに火の玉を浮かせると、食卓がぼやりと明るくなる。揃って「いただきます」と手を合わせ、晴瀬はしっとり光る煮物に箸を入れる。肉が固いのかと思いきや、魚のように柔らかく、鳥と魚の中間のような味がした。

「うまいな」

 ポツリと漏らして黙々と食べる彼に、凌光が口を開く。

「その、みちっていうのは、どんな人なの」

「……華奢で、綺麗で、」

「違う違う。あんたにとってどんな人なの」

 やはり凌光は、どちらかといえば女なのだろう。青颯はどうでもよさそうに箸を動かしている。

 晴瀬は、迷った挙句に無難な答えを口にする。

「……俺には海の神が憑いてて、みちには月の神が憑いてる。その男女は惹かれ合うんだ。それで、男は絶対に女に殺される……っていう人だ」

「はあ、あんたにも神サマが憑いてんのね」

「あんたに、も?」晴瀬は驚いて聞き返す。

「青颯にもね、雷の神が憑いてるんだって。それで、雷雲が近くにあったら自由に落とすことができるんだってさ」

「それじゃ、別に晴瀬自身がみちのことを好きとかそういうわけじゃないの?」

 霹靂の神を憑けた少年が、文脈の外から口を挟む。

「さっき言ってたのは、晴瀬にとってじゃなくて、憑いてる神にとって、みちって人がどんな存在か、じゃん」

「そういう野暮なこと言うんじゃないよ。運命的に惹かれ合うなんて素敵じゃない」

「運命に恋情を任せて自分が無いなんて馬鹿みたいじゃない」

「これだから嫌だよ理屈っぽい奴は……」

 二人の言い合いを耳にしながら、晴瀬は半ば自失としていた。

 懐かしさに似た、親愛。

 それは本当に、自分の内から湧き出たものなのだろうか?

晴瀬の目は遠くを見る。彼女を初めて見たときのしだれ桜が、ぼんやりした闇の脳裏に浮かんでくる。桜の花弁が、光の雨のように舞い散っていた。日の出の青い時のその向こう、何かを望洋する彼女を見たのだ。その顔は、ある素朴な感情に、そっと輝いていた。

 彼女の持つ小さな光の清らかさに、目を奪われた。

「綺麗だなって、思ったんだ」

 ポツリと呟いた彼に、二人は閉口する。

「清らかで」

 二人は同時に噴き出し、声を上げて笑った。

「なんで笑うんだよ」

 晴瀬は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。それが存外間抜けた表情で、二人は尚更腹を抱えた。

「なあ、何がそんなにおかしいんだ」

「……や、ごめんとは思う。笑って悪いとは思う」

 と青颯が目の端の涙を拭う。

「思ったよりも青いことを言うからさ」

 灯りのせいか、彼が老人のように見えた。

 夕食を終え、晴瀬は与えられた部屋に入る。

 石の壁に投げられた光が、闇を窓の形に切り抜いていた。

 晴瀬はハッとして足を止める。月の光を浴びると寿命が縮まると言われていたからだ。月を見れば目が潰れるとまで言われていた。しかし養成所ではお構いなしに、夜も外に出された。誰もが下を向き、月を見ないように速足で歩いた。

 ある満月の日、雨上がりだったのを覚えている。ふと顔を上げた先に、水溜りがあった。そこに、真っ白な月が揺らめいているのを見てしまったことがある。思っていたよりもずっと、優しい光をしていた。

本物の月は、どうなのだろう。そう足を踏み出したとき、光が翳る。窓辺に立ってみると、月は雲にまかれていた。しかし雲の向こうに、白い円が見えている。やわらかに清澄な光に、晴瀬はみちを思い出す。あの時彼女の中に見た光は、月光にそっくりだった。

 部屋に、海の音が密やかに満ちている。白光に染まる海洋の只中にいる錯覚に、晴瀬は瞳を閉じる。みちの柔らかそうな肌が、瞳に影を落とす睫毛が、腕の中で震えた肩が、閉じた瞳に蘇る。温かく、それでいて締めつけられるような胸の内すらも、神や運命の欲するところのものでしかないのか。

 晴瀬は首を横に振り、目を開ける。隙間の目立つ木の窓を閉めた。暗闇にかえって安堵して、莚の上に身を横たえる。布団の代わりにもらった布をかぶると、潮騒がくぐもって耳の奥に響く。肉体の疲労感に引き摺られて、晴瀬は眠りに落ちた。

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