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そしてまた月は満ちる  作者: 春日野霞
十一 宿願
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答え合わせ

2021.03.13 投稿

「翁、気持ちは分かるが、致し方無いことでの。ぬしの育ての子は、知っての通り普通の人間とは違う。肉体は滅びたが、またいずこかで会えよう」

 老人は、返事の代わりにせずにうなだれる。櫂を手放し、がくりと膝をついた。

「それとも、晴瀬が潮の翁を交代してくれるとでも思ったのかえ」

 答えぬ翁を嘲笑い、貴人はマキに目を向ける。

「さあ、本題に入るぞ。覚悟してかかりや」

 瞬きをした直後、目が痛くなるような赤の中に立っていた。

「ここは……」

「懐かしかろ。禰々島の頂点だ」

 間違いなく、そこはゆすらの部屋だった。

「壊したはずだが……」

「これは普通の建物ではないのだ」

「どういうことだ」

「知りたければ、そこの椅子に座りや」

 いつの間にか、背後に紅色の椅子が用意されている。マキは注意深く腰を下ろした。

「まあ、そう、気を張るな。今日は長いぞ」

寝台を挟んで反対側に座る貴人の膝に、ちょんと童女が座っていた。ふわりと広がった空色の髪が肩口で揺れ、同じ色の瞳が伺うようにマキを見ている。

「……なんだそれは」

「これか。天花、という。かわいかろ」

「そんなことは聞いていない。それは人でもなく神でもない」

 とらえどころのない沖をしている。しかし、未知のものではなかった。

「何かに似ていると、思わんかえ」

 しばし間を置き「ゆすら」と答える。

「左様。言い換えれば、二十九番目の化物だ」

「……ということは、ゆすらも化物だったということか」

「そうだ。すなわち、化物退治は完了している。ご苦労だったな」

 彼女は眉を顰める。

「化物退治をして回れと最初に言ったのは、ゆすら自身だぞ」

「自らを殺せと言ったのも、ゆすらであったろ?何もおかしな話ではない」

「それでは、その時から、私に化物退治をさせるつもりだったのか」

「左様だ」

「何のために」

「そういうものだから、としか答えられぬが、おぬしはそれで納得する類の人間ではないだろうな」

 ぴょん、と天花が膝の上を下り、箪笥を物色し始めた。

「交代の時が、来ておるのだ」

 せせこましく動く天花を見ながら、貴人は肘掛けにもたれかかる。

「何のだ」

「地下にいる、母の肉だ」

 不快な単語に、胸がざらつく。聞きたくはないが、逃げの時でもない。苦虫を嚙み潰したような顔で続きを待つ。

「地下の母を、おぬしは知っておるか」

「知らん」

「全ての生の淵源だ。命あるもの全ての母と言ってもよい」

 天花が箪笥を開け閉めする音が、耳に障る。

「母に力を供給するため、毎年二回、乙女が地下に遣わされる。その内の一人が、肉を交代するための手順を踏んだのだ。娘一人では何もできぬからな、助けが必要だ。その役割を果たすのが、禰々島に発生する「化物」。すなわち、ゆすらということだ」

「それでは、ゆすらが自らを殺させたのは、娘のもとに赴くためか」

「いかにも。おぬしは都合よく、月神まで欲したろ。あれは邪魔だからな、ゆすらもさぞ喜んでおったはずだ。あの娘の血縁というだけある」

 マキは肘掛けに拳を叩きつける。天花がビクリと振り返った。

「手順を踏んだ娘というのは、みちなのだな」

 彼女の反応に、貴人は笑みを含む。

「やはり、腹立たしいか。男まで奪われたのだものな」

「貴様殺されたいのか」

 彼は大口を開けて哄笑した。

「そう言われたのは、初めてだ。私の沖が読めておらんではないだろうに」

「神であろうが、人であろうが、関係ない」

「神殺しを果たした者の言うことは違う」

 琥珀の瞳が、灯もないのにゆらりと光る。

「申し遅れたが、私は金星の神だ。昔この国の王を務めていた。おぬしと同じように神縣に憑かれ、王として崇められる内に神となった」

「名はなんという」

 間髪入れずに、マキが尋ねた。

 不遜な輩だ、とは言いながらも愉快そうに口元を歪める。

「凰燈だ」

 彼女は口の中で、その名を繰り返す。王族らしい大仰な名前だ。

「あの娘……みち、という名だったな。みちは、竜宮の主との子を身籠った。これが、地下の母と肉を交代する契機だ。ゆすらは殺されることで自由の身となり、みちを地下へと導くことが可能になる。母に交代を促すのも、ゆすらの役目だ」

「お前の役目はなんだ」

 繰り返しその名を聞く不快を、やり過ごせず口調が強くなる。凰燈は歯牙にもかけずに答えた。

「母は、これを期に月へ昇ることを所望されておる。交代の、次の段階の話だ。私はそのために地上の条件を整えよと動かされておる。母から行動の指針を受け取り、最善の策を自らはじき出すのが役目。たとえば、地上の事情で頓挫しそうになった化物退治を、王に命じて遂行可能にしたことだな」

 突然手の平を返し罪を帳消しにした、あの不自然。正体はこの神にあったのだ。

「化物を退治することと地下の母が月へ昇ることに、何の関係がある」

 突然吹き込んだ雨風に、相変わらず箪笥を荒らす天花が首をすくめる。

「化物というのはな、地底の母へと通じる穴から出てくる。人間が化物を恐れこの穴を封じたが、それが問題なのだ」

 凰燈はまあ私の祖先がなしたことだが、と加える。

「ゆすらの仕事は母の肉を交代させるところまで。それ以降は新たな導きの神が必要だ。二十八の穴というのは、導きの神が地下へ向かうための入り口。神の風と共に入り込み、この禰々島へとのぼってくる必要がある。それが塞がれたままでは、都合が悪かろう。化物がいなくなれば、穴を封じる厄番の儀式はなくなる」

 全ての箪笥を開け尽くした天花が、肩を落としている。望みのものが無かったのか。

「もう一つ、大事なことがある」

 天花を見ていたマキは、凰燈に目を移す。

「二十八の化物は全て「死にきれない生」の集合体なのだ。これが今まで地下に留められ、母は息ができない程ほど苦しんでおった。あのままでは、肉の交代すらままならなかったろう。恵を産む力……」

 説明を続けようとする神を制し「死にきれない生とは、何だ」と問うと、女のような顔で「知らんのか」と驚く。

「聞いたことも無い」

 冬の西日を閉じ込めたような瞳が、言葉を探して宙を彷徨う。 

「無念、のようなものだな。欠損した生とも言おうか。死にたいが、死にきれないもの。死よりももっと悪い。死のように、生に帰ることができんからな」

 マキは思わず、腹をさする。何かがぞろりと動いたような気がした。

「口から出せなかった言葉や行き場の無い感情も、死にきれない生。人々は皆、少なからず「死にきれない生」を抱えるものだ。それが死した時、解き放たれて地下へ落ちる」

 黒く重い液体が、大地に染み込む様子を思い描く。

「地底の母は、死にきれない生を吸い込み、息吹で生と死を分かつ。それでようやく、天へ昇ることができるのだ。死が月へ帰るのと同じようにの。母の息吹が出ていく場所が、二十八の穴、すなわち物の怪の生ずる場所だということだ」

化物が倒れる時の、清風の爆発。溜まりに溜まった煮え切らなさが、死を与えられた喜びであったのだろうか。

「月に上がることの理由はここにもある。恵を産む力も失せてしまい、数年後には類を見ないほどの旱魃が襲い、やがては人の住めん場所となるだろう。慈悲深い母様は、それに大変心を痛めていらっしゃる。地下と違い、月に人の手は届かんだろ。人が化物を怖れる心は不変だ。今後も穴は塞がれようからの」

マキの耳に、すりすりと柔らかな石が削れる音が触れる。天花が、絨毯をめくって絵を描いていた。彼女がいくつも描くものに、マキは目を見開く。それは何の変哲もない人型だった。しかし、すべて片腕がなかったのだ。

 自らを取り囲むように、脇目も振らずに描いている。「地底の母は」という凰燈の声にやっと、異様から目を逸らした。

「この真下にいる。ここに塔が建つのは、そこへ通じる穴を守るためだ。ゆすらのような境界の存在……此度の塔は天花と同時に生じた」

 規模の大きな話を聞かされ続けているためか、いつしか気が緩んでいた。初めて聞く話にも関わらず、昔から知っているような錯覚さえ胸にある。頬を軽く叩き「それではここから迎えに行けば良い話ではないのか」と問う。

「この穴は、特別だ。母の意志がなくば使えぬ」

「前から感じていたが、この島は死の世界に近いようで、明らかに違う。そのためなのだな」

 凰燈は首肯する。

「この禰々島は、神を産む島。であるから、生死が介在しておる。時は進むが、ここに生きるものの時は進まないというようにな」

 凰燈はちらりと天花に目をやり、愛好を崩す。

「天花、そんなにあれが気に入っていたのか」

 彼女は立ち上がり、首を縦に振った。

「どっか、いっちゃった」

「あれはな、元の持ち主に返したのだ。今日はどうしても必要だからの」

「ほしい、あれ」

「何の話だ」

 幼子の言を断ち切り、マキは問う。純粋な恨めしさのこもった目線が頬に当たった。

「生命の玉は、おぬしが飲んでしまったろ。あれは本来引き継がれるものなのだ。此度のような例外は生じることもあるがの。であるから、代わりのものを与えておったのだ」

「それが、片腕の無い人型か」

「正確に言えば、片腕の無い子供の影だ。ある者の……そうだ、おぬしも面識があろうの。青颯の影を奪い、与えておった」

 塔を打つ雨音が、一層強くなる。

「おぬしも持つものだ。何せ、術士であるかどうかを決めるものだからな」

 ついでだから話しておこう、と天花を手招く。再び凰燈の膝の上におさまり、石に白くなった手を凝視していた。

「片腕の無い子の影は、母の力となる乙女たちが産むのだ。みちも、竜宮の子を孕まなければこれを産んでいた。彼女らは母に掛けられた呪いを代わりに引き受け、母となり、地下の母様の一部になる資格を得るのだ」

「沖術とは、呪いがもたらしたものなのか」

「そうだ。その呪いというのはな、おぬしらが鬼と呼ぶ者たちが遠い国からもたらした、ひどい呪いだ。此度はそれをも断ち切る」

凰燈は天花の髪をひと房つまみ、おぬしには関係のないことだがなと呟く。

「沖術が、消えるのか」

 彼女の震える声に、彼は顔を上げた。

「うまくいけばな。これは仕事を人間に託しておっての。神の私も約束はできん」

「術士と、そうでないものがなくなるのか」

 マキが立ち上がったのに反応したのか、天花が勢いよく膝を下りる。寝台を越えて、怒った顔マキの足をぽかぽか叩く。

「かえして」

「今それどころではないのだ」

「生命の玉はな、境界の存在にとって大切なものだ。おぬしは影も青い玉も持っておる。それに気づいたのだろうよ」

「教えろ。術士が……」

「かえして!」

 天花がマキの指に噛みついた。マキは一瞬顔を歪め、天花を突き飛ばす。尻もちをついた彼女は、涙目になってそれでも彼女を睨み上げていた。

「力の方向性は異なるが、影も生命の玉も、命が生じる秘密を含みこんでいる」

 聞きたくてたまらないことが、海鳴りに覆われ水没していく。

 海の深さも、浅瀬の光も、荒れ狂う力も、凪の優しさも、ともすれば相殺し合う力を破綻なく一つにおさめた、あの青い輝き。

 あれを飲み込んだことなど、すっかり忘れていた。腹に手を当て、触った玉にどきりとする。それが生命の玉ではないとすぐに気づいたが、玉の正体に却って心臓が猛る。

「神縣と、生命の玉を保有する人間。そして人々の祈り。これが揃えば、神ができる。神縣に憑かれた人間が、生死を彷徨う間にこの島へ呼び寄せられるのはそのためだ」

 動揺する彼女に構わず、凰燈は立ち上がった。それに気づいた天花が凰燈に駆け寄る。袖を引っ張り彼を見上げるが、すぐにその手を離した。

 童女の顔に、走った怯え。それほど分かりやすく変じた沖を、マキが見過ごすはずがない。荒立った心を無視して身構えた。

 神特有の、ねじ伏せるような力。八乎を思い出し、淵色の瞳は自ずと神を睨む。

「その説明を、私にしてどうしようというのだ」

「答えなど、とうに分かっておろうに」

 彼は精巧に作られた顔を歪めて、絶品の嘲笑を向ける。

「月へ上げる役目を果たすのが、おぬしだからだ」

 突如、光と爆音が空を裂く。

「随分待ちかねておったのだな、雷神は」

「知ったことか。私はやらない」

「晴瀬を殺した時点で、おぬしの道筋は決している」

「勝手に、決めるな!」

 術を発した、つもりだった。

 指から迸り出たのは、雷電だった。

 マキは指を見下ろし「いつ」と呟く。

 雷を難なく窓の外に逃がした凰燈は、満足そうに笑う。

「神縣は祈りを欲する。神に戻るためにな。知っての通り、冬至は一日中ここへ祈りを捧げるだろう。神縣は既に神への羽化を初めておる……感じぬことはなかろ」

 気の緩みは、話題のためではなかったのだ。

 神が生まれ、忘れられ、人に憑き、再び生まれる。

 母が肉を交代する。

 季節が巡るほど機械的な事象の一員になれと、命じられる。

 永久に変わらぬ円環の中に、閉じ込められるような。

 左の痣が、衣服を透け光を放つ。やわらかな陽光に、身体の芯が解かれていく。抗えない恍惚に、椅子へ引き戻された。細胞の一つ一つが花開き、無尽蔵の力が腹の底から全身に満ちる。

 強く閉じた目蓋の闇に、明滅する過去。忌々しいはずのそれすら、白ぼけた光を纏っている。マキは、血が滲むほど唇を噛んだ。神の持つ俯瞰は、人間の苦しみすら生の煌めきとして見る。

 それが、一等我慢ならない。

 これまで足枷をはめられていたと思えるほど、身体が軽くなる。沖の動きで、目で見るより正確に周囲を認知できるようになるのに、脳が情報過多を起こさない。人間を忘れそうになる、万能感。

 振り払うように、青を湛えた緑の両目が闇を脱する。 

「母なる月と海を有し、沈んだ太陽に秘められたる力を有し、雷霆を武器とする新たな神よ」

「神ではない」

 見開かれた目に、凰燈を映す。

「私は、神ではない」

「いかにも、おぬしらしいな……しかし、穀霊もおったのだが。あやつは来ないな」

「聞け。私は……」

「ぬしに憑いたのは二柱。合わせて四柱ではあるが、十分……」

「何の仕打ちなのだ、これは!」

 海のように、彼女が吠える。

「なぜ私が、こんな目に遭わなければならない!」

 凰燈はきょとんとしていた。

「神になったのだぞ。嬉しくないのか」

 マキは立ち上がる。どうしもうもなく、神になってしまっている。それは理解していた。しかし分かりきってしまえば、これまで生きてきた何もかもが無かったことになりそうだった。

「嬉しいはずが、ない。所詮はあの女を導くためだけの、大昔から続く繰り返しのためだけの、存在だろう。私の意志はどこにもない。また仮面を与えられているだけではないか!」

 凰燈は、しんとして彼女に視線を注ぐ。先ほどまでの、威圧するような沖は見る影もない。作り物めいた口元が「そう思うのは、おぬしの卑屈ゆえであろ」と零す。

「おぬしの物語を汲んでこそ、誰より適しておると任じたのだ」

「お前に何が分かると言うのだ。私は……」

「片腕の無い子の影というのはな、実は全ての人間に植え付けられておる」

 荒ぶる声を、静かに押さえつける。

「なにせ、月光と共に降るのだからな。禁忌により月を見ることはないが、日々口に入れる食物は、等しく月光を浴び育つ。月の魔力に感染せぬなどということは不可能だ」

「……何の話だ」

「いいから、聞いておれ。鬼の血を濃く引く者は、必ず術士となる。呪いの向かう力が強いからだ。しかし、元々この地におる者は、煽りを食らっているだけだからその通りではない。事実、術士でない者の方が多かろ」

 これ以上聞くな。直感が告げるが、身体は素直にならなかった。

「弱い片腕の無い子というのはな、生母の愛で成仏するのだ」

 遠い昔、何度も胸を貫かれたあの衝撃。

「すなわち、母の愛の向けられなかった子供が、術士となるということだ」

 しかし顔には出さず、奥歯で舌を噛む。

「ぬしは母親に、何と呼ばれておった」

「……マキ」

「嘘を言うな」

 神は不敵に笑う。

「隠し立てできると、思わぬことだ」

 琥珀の瞳を、刺すように見る。彼は、知っているのだ。

「みち、であろ」

 彼女はこらえきれなくなる。海の唸りと天の涕泣が満ちる天井を、残らず粉砕する。神の力を以ってすれば、何のことは無かった。雨と石とが土砂降る中「それが、どうした」と呟く。

「これこそが、おぬしが最適だとする理由だ」

 降るものは神を避ける。鮮やかな赤の絨毯が、たちまち黒に沈んでいく。

「おぬしはこのまま死んだら、母の強大な敵になるだろうからの。勘違いさせておったろうが、適任だというのはこちらの事情だ。神は、母と深く繋がるがゆえに歯向かうことはできなくなる」

「貴様」

 全身の毛が、逆立つ怒り。

「殺されたいのか」

「此度のそれは洒落にならぬ。天花。それある神をお連れし、地底の母の元へと導きや」

 マキは凰燈に雷を放とうとする。しかしいつの間にか襟首を掴んだ童女に連れられ、宙に浮いていた。

「私は地下に干渉できない。ここで待っておるから、ぬかりなく果たせ」

 王であった者らしく、無責任に命じた。

 ふわりと、無くなった天井から空に上る。雲が唸り、たちまち墨を零したように黒が広がる。それが灰色の雲を北に向かって染め変えるのに伴い、マキの身体は半島へと空を滑る。

 彼女から、意志というものが消えていく。雲、海、やがてのぼる月の動き。単純かつ複雑な物理法則が、体内で反響している。それが奏でる音楽を耳にする内、彼女が雲を先導するようになる。

 あっという間に海を越え、さらなる暗がりの落ちた陸地の上。天花が彼女の肩を小さく叩くと、雲と共に留まる。

「かみなり。落としたら、入れる」

「分かっている」

 天の唸り声が、咆哮に変わる。空が眩しく光り、雨に煙る地上の姿を炙り出す。何度か落とした後、マキは目を瞑る。

 身体という、外界と内界を隔てる枠が消える。暗闇に眼が慣れていくように、二十八の穴の場所が感ぜられるようになる。すべて、自分が空けた穴だ。小さく頭に閃いた声は、空を破裂させるような雷鳴にかき消される。

 雷光の速度は、まるで瞬間移動だった。鼓膜を破るような音から転落した静寂は、かえって耳に刺さる。

 彼女は、無意味だと知りながら目を開く。地下においては、人も神も同じなのだろう。全てを掌握できる感覚は、一寸先も明らかにならぬ闇に奪われていた。

「こっち」

 天花が手を引く。

「はやく、行こう。もうすぐ、かわっちゃう」

「馬鹿馬鹿しい」

マキはその手を振り払う。

「大人しく、付き合うと思うな」

「行くの!」

 腕を抱きこむように、天花は彼女を引っ張る。

「何度やっても同じだ」

 再び振り払おうとするが、びくともしなかった。

 満身の力を込めるが、まるで岩の間に腕が挟まれたかのようにびくともしない。

「なんだこれは」

「呼んでるから。お母さん」

 暗闇に、幼い声が響く。

「苦しいの。交代したばかりは、もっと苦しいの。その前に、行かなくちゃ」

 天花は、小さな火を灯した。

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