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そしてまた月は満ちる  作者: 春日野霞
十一 宿願
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運命の帰結

2021.03.10 投稿

 重く垂れこめた雲が一散に雨粒を吐き出し、灰色の海が大きく身を翻してうなる。天と海が袂を分かとうとするような、鴉坂の浜。

 昨日までの凪は、見る影もない。二人は強い雨に打たれ、海に臨んでいた。

「大しけだ。海に出るような日じゃない」

 晴瀬が海鳴りに負けぬよう声を張る。

「波の届かん場所におれば、いいだろう」

 二人は、二日ほど前に鴉坂に行き着いた。手形や宿は一切使わず、独り身の家を転々とし夜をしのいだ。驚き恐縮しきった家人に「内密に」と念を押し、起き出す前に家を出る。その際必ず、王から賜った高価な品を枕元に置いた。

 鴉坂には、当然化物を倒しに訪れたことがある。あの時は、海を見に行く余裕もなかった。晴瀬の故郷だということをマキも知ってはいたが、彼はあまり多くを語りたがらなかったのだ。

「……なんでここに来たいと思ったんだ」

「お前の故郷が、見たかったからだ」

「楽しいもんじゃねえだろ、何も」

「楽しむために、見たいと思ったのではない」

 身を躍らせた波が、砂浜に己が身を叩きつける。石のように砕け、白い飛沫は余波に身をうずめた。

「知りたかっただけだ。どのような所なのか」

 晴瀬は彼女に覚られぬよう、溜息を零す。雨の中に、白い息が溶けて流れた。

「故郷、だけど。あんまり、ここにはいたくはない」

「私も古里に立てば、同じことを言うだろう」

「……じゃあ、帰ろうぜ」

「どこにだ」

 背を向け立ち去ろうとする彼に問う。

「私たちに帰る場所など、ない」

「でもここも、いるべき場所じゃねえ」

「いいや。冬至にここへ来いと呼ばれただろう」

「マキ一人が、いれば十分だろ」

「そんなこと、あの者は言わなかった。勝手に判断するな」

 雨に打たれる彼は、背を向けたまま俯く。墨を垂らしたような雲に、白い衣が非現実さえ纏って映える。

 巨大な生き物のような波濤が、手招くように沈黙の間を埋める。マキが口を開いて詰め寄ろうとしたとき、彼が振り返った。

「俺さ、分かんなくなっちまったんだ」

 彼女を見据えたはずの片目が、すぐに足元に下る。

「お前が好きなのに、どうしたって、気になっちまう……」

 この五日の、彼の変化。

 彼特有の真っ直ぐな表情に生まれた、誤魔化しようのない曇り。

 遠くを見て、溜息を吐くことも増えた。

 その先にいるのは、言うまでも無くあの娘だった。

「ごめんな……うまく言えない」

 マキはそっと、首の横に闇の槍をあてがう。

 晴瀬は、驚きもせずに息を詰めた。

 彼女は無言で、彼の向きを海の方へと反転させる。穂先を喉元に突きつけ、後ろ向きに海へと押しやる。

「言ってみろ。どういうことなのか」

 しかし彼は黙ったままだった。漁師も恐れる大荒れの海に、一歩ずつ近づいていく。片目は、表情のないマキを見ている。空の色に暗く陰った、淵の色。その目もまた、揺らぐことなく黒い目を捉えている。風にあおられ、海が千切れて襲来する。それでも、一瞬たりとも視線を乱すことはなかった。

 とうとう、彼の足が瀬に触れる。

「まだ、言えんのか」

 マキは槍を砂浜に突き立てた。彼と隔てた一歩を詰める。

 雨か海かに濡れた髪をかき分け、隠れた白濁の眼玉を、親指の腹でそっと撫でた。

「お前はほんとうに、いつまでも鈍いな」

 脳裏に去来する、ここまで彼と重ねてきた足跡。禰々島でもらった真珠、紫の花畑で慰められた孤独、旅の中での何気ない会話、戦闘の間に交わした言葉のいらぬ言葉。

化物を倒す度ごとにのぞかせた、あの寂寥。

「気づいたのだろう。月の女への恋情と、そうでないものへの恋慕との違いに」

 晴瀬は返事をしなかった。

「この軟弱者が」

 彼女は槍の石突で、彼を汀に突き倒す。笠を脱ぎ捨て、驚いた顔で見上げる彼に唇を重ねる。晴瀬は押され気味になるが、片手で彼女の頭を手の平で包む。潮と体液にむせかえりそうになりながら、互いの口腔を探り合った。

 マキは赤くなった唇をそっと離す。ぼうっとした眼で彼を見下ろし、凄絶に笑んで槍を構える。

「私は、お前が憎い」

 闇の穂先が、彼の額を貫いた。

 頭蓋の砕けた音が、絶え間ない波の中に落ちる。晴瀬はゆっくりと力を失い、背中から波の中へと倒れた。

 彼の死体は、波に洗われるうちにするすると解けていく。淵色の瞳は、その様子を刻み込む。髪が、皮膚が、肉が、骨が、海になる。赤い血が白く泡立つ海に溶け、晴瀬の形は見る間になくなってしまう。最後には、暴力的な海鳴だけが残った。

 マキは雨に押し流されていく返り血を舐め、沖を見据える。視線の先、雨の帳から黒い影。それは見る間に近づいて、舟とそれを漕ぐ老人の姿が明瞭になる。荒波は舟の周囲には届かず、まるで鏡の上を滑るように、舟は浜に滑り込んだ。

 背の低い老人は舟をおり、一礼する。

「私は、潮の翁と申します。あなたを禰々島へお連れするよう言いつけられております」

「誰にだ」

「あなたをここに呼びましたお方です」

「名を、問うている」

「私めなどには、到底知ることなどできないことです。さあ、お乗りください」

 マキが舟へ乗り込む時、老人は、小さな目で血に染まった衣を一瞥した。

 老人が櫂を手にすると、舟は一人でに進み始める。瀬を越えたところで老人がひと漕ぎすると、荒波を斬り裂くように加速した。雨や飛沫が二人にかかることはなく、穏やかに舟が滑っているようでさえあった。

「潮の翁は、神なのか」

 老人は振り返らず、首を横に振る。

「私は普段、海の底で潮の流れを整えています。一人で寂しく、辛い仕事です」

「お前が今日は仕事をしていないから、こんなに荒れているのか。

「いいえ。天候故です。私は冬至の日だけ、自由が許されています。私は毎年この辺りの海を彷徨い、この役目を交代する人間を探しているのです」

 もうひとつ、翁は舟を漕ぐ。

「海に入った人間がいることを感じ、やってきたら、あなたが殺してしまっていました」

「しかしあいつは海に溶けた。探せば会えるかもしれんぞ」

 彼女は灰色の海を目に映す。

「晴瀬は、ただの人ではないのです」

「……知っているのか」

 のそり、と翁が振り返る。

「育ての、親です」

 マキは両目を見開いた。

「それが、どうして」

「禁を破り、冬至の日に海へ出てしまったのです。私は漁が下手でした。だから誰も海に出ないこの日に、あの子に良い貝を食べさせてやりたかったんです。でも、それがいけなかった。私は潮の翁に取って代わってしまったのです」

 船底が一度、海を跳ねる。

「あの子は私がいなくなった後、大変な思いをしたのでしょう。だから、こんなにも長い間を生き、そして……」

 笠の下、血走った小さな目が爛々と彼女を射る。

「よくも、殺してくれおったな」

 地底の底から這いあがったような声にも、マキはひるまない。

「お前の窺い知らぬ、大きな運命がある。その波に乗ったまでだ」

 へりに凭れかかり、果てで空と溶ける灰色を見やる。

「それでも文句があるというならここで殺せ」

「それは、困った提案よの」

 痺れが走るほどの、存在感。マキは弾かれたように顔を上げる。

 鴉坂へ来い。そう命じた貴人が、舟の中心に立っていた。

辛い話が続きますが(今更)、あと2万字ほどすればなんとかなり始めます

もう少しお付き合いくださいませ

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