激流
※血みどろにつきご注意ください
2021.03.08 投稿
「今から、塀を壊して外に出る。ついてきて」
「どうしてそんな」
青颯の突然の提案に、凌光はうろたえる。
「禁術の、結界を壊すんだ。塀の外にあるはず」
「そんなことより、ねえ」
いつのまにか隣に佇むナダが、東に立った櫓を指さす。
逃げ場を求めているのか、人々が櫓を上っている。しかし下からシアラに突かれて、脱落していく。なんとか頂上に手をかけた者は、一斉攻撃を食らってあえなく落下した。
「ハマ、あそこにいるよ。いつか見つかって、殺されちゃうかもしれないね」
「……禁術が果たされなくなる。それでいいんじゃない」
「なんてことを言うんだね!」
凌光は傷口から血を滴らせながら、彼の肩を掴む。
「あの子のお腹に、いるんだろう、あんたとの子供が」
こんなときに、と青颯は彼女を睨み上げる。
「あれは嘘だって言ったじゃん!」
「またそんなことを。いいから行くよ!」
戦えない彼女が、乱闘の中心へと突き進んでいく。
「ねえ、危ないってば!」
「ハマがどうなってもいいんかね」
「よくはないけど!」
青颯は術を全て打ち消しながら、彼女に引っ張られて走る。一斉に櫓を上る、数十人の影。姿形からしてシアラだろう。当然何人も術に当てられ殺されていくが、しぶとく残る者もいる。
「あれ、上までのぼって下を一気に消すつもりだよ」
宙を滑って並走するナダが、耳元で囁く。
「きっとハマのことも、殺すだろうね」
「黙れ!」
言いながら、闇を刀のように振るい飛びかかってきたシアラを風で突き返す。途端に何かに引っかかり、青颯は転んだ。
「大丈夫か……」
振り返った凌光の髪を、闇の刃が斬り裂く。青颯は術を放った者をすぐさま見つけ、その顔に水塊を被せた。うろたえた彼女の肺はたちまち水に満たされ、地上で溺れて絶命する。
そんなことに見向きもしない彼は、「怪我は?」と彼女を見上げる。
「ない。それより足元に気を付けな」
彼を躓かせたのは、子供の死体だった。ギョッとして一歩離れる。視線を先へ進めると、それが決して珍しいものではないのだと知る。雨にぬかるんだ地は文字通り血海と化し、死して倒れた者たちを赤黒く侵す。
ハマが同じ色に染められる光景が、一瞬頭をよぎる。悪いものを振り払うように、彼は首を振って走り出す。
もう二度と、凌光を傷つけられたくはなかった。走りながら、ワタドの域内全ての沖を掌握せんと意識を凝らす。少しの術が近づくことも許さなければ、何度も仕掛けてくるシアラは容赦なく殺した。罪過の意識はなかった。ただ透明に、邪魔だった。
やがて櫓の下まで至る。事態を察したワタドの者たちが、最上に達しようとするシアラを狙って落としてはいた。しかし地上での争いに巻き込まれたのだろう。シアラたちは野放しになっていた。
青颯の沖に気づいたのか、何人かが振り返り術を放つ。彼は無言でそれらをそっくり跳ね返し、彼ら彼女らを櫓から落とす。力を失った肉体が、地面にぶち当たって嫌な音を立てる。無惨な姿と化した肉体から、凌光は目を背ける。
一人ずつ落下させるのは、青颯も気が進まなかった。第一、時間がかかり過ぎる。
青颯は凌光に合図をする。二人は櫓の下に入った。
ぞろぞろと上へ上るシアラたちの視線が、雨のように降りかかる。彼らは仲間が死んだのを見てか、手を出してこようとはしない。代わりに大急ぎで上を目指し始めた。
「逃がさない……」
青颯は俯いた。隙アリと思ったのか、一人が術を放つ。彼は塵を払いのけるように、変わらぬ動作でシアラを殺す。薄目を開けると、地面に打ち付けられ首の曲がった死体が、こちらに目を向けていた。
忌々しく鼻を鳴らし、ついでに辺りに目を走らせる。ナダは物陰から、こちらをジッと見ていた。
「やばいと思ったら、逃げて」
今度こそ目を瞑り、周りの沖に意識を凝らす。ハマの放つ強烈な沖の中に、何百もの人間から千切れた沖が混ざり、容易に読むことができない。術が飛んでくるかもしれない。シアラが頂上にのぼりきってしまうかもしれない。不安のたてる雑音を全て潰して、青颯は複雑な沖をなんとか読み切り、自分のそれと繋げる。
あとは、造作なかった。
己を中心として、沖で渦を作る。それはたちまち強い風を生み、シアラたちは慌てて櫓にしがみつく。気づいた地上のシアラからの攻撃を、かわし切れずに肩に食らう。青颯は痛みに顔を歪め、怒りに術を加速させる。
櫓のシアラたちが、一斉に悲鳴を上げる。全身を以て必死に掴まり、決して放そうとはしない。しかし風は大雨を巻き込み、さながら嵐の様相を呈す。力の萎えたシアラが、腕一本を残し竜巻の中に身を晒す。するとたちまちその身体は渦に食われて外に放り出される。
一人、また一人と同じように櫓から引き剥がされる。観念したシアラが櫓を下りようとするが、平衡を欠いた途端に餌食になった。
青颯は素早く目を走らせ、人影が無くなったのを確認する。詰めていた息を緩めた途端、風が穏やかになっていく。その間も、辺りの沖を隈なく把握していく。風の壁が晴れたとき、最も狙われやすくなるのだ。
幸い、攻撃を向けてくる沖はなかった。降ってくる死体に恐れをなしているのか、誰もこちらを狙おうとはしていない。ただ、様子を窺っているようだった。
微風まで落ち着いた風も、やがては無になる。激しい雨音が戻ったその時、最も聞きたくない音が響く。
肩に重く倒れてくる、体温。
首を伝い胸を伝う、血液。
「うそだ」
血の滴る口から浅い息を繰り返し、必死にしがみついてくる彼女を、青颯は現のものとは思えなかった。
「うそ」
「……う…………そ、う」
彼は乾いた声で笑う。
「こんなときに、嘘とか」
弱く、彼女は首を横に振る。
「……青、颯」
名を呼ぶ声に、膜が取り払われる。
凌光が、脇腹を裂かれていた。
「誰が」
辺りの気配を探れど、犯人は見当たらない。青颯は彼女を寝かせようとするが、凌光がそれを拒む。
「なんで」
代わりに彼女を強く抱きかかえる。顔を上げた彼女の瞳は、涙で光に満ちている。血にまみれ、震える指が青颯の頬に触れた。
ほとんど息のような声で、凌光が何かを繰り返している。青颯は唇の動きに、彼女の言葉を覚る。
とどめを刺せと、請うていた。
「いやだ!」
凌光が、僅かに首を横に振る。頬に当てられた冷たい手。瞬きするたび失われていく力。理性はとうに、彼女が助からないことを知っている。
それでも彼は、必死に考えた。
「助けるから、諦めないで」
彼女は、穏やかに微笑む。
「おわりは、あんたが」
脇腹からは尚も血が流れていく。唇の赤は青く変わり、いつでも血色の良い顔が紙のように白くなる。沖から活力が失せ、今にも死に埋め尽くされようとしていた。肩に回された腕は滑り落ち、指は頬を離れようとしている。彼女は最後の力で、なんとか息を続けているのだ。
自分を捉え続ける、その瞳。春光のような、彼女の眼差し。何度、その黒い太陽に安堵を求めたことだろう。
青颯は、逃れようもない結末を、やっとの思いで嚥下する。
「他の誰かに、殺されるくらいなら、って、ことでしょ」
凌光は、頷いて目を閉じていく。
彼はもう迷わなかった。闇の短剣を手にし、振り上げる。
が、振り下ろす前に、それは砂のように空に分解した。
青颯は驚愕の瞳で、彼女の死に顔を見下ろす。新たに口からこぼれる鮮血。その背中に突き立てられた、光の棒。穏やかな顔が苦渋に塗り替えられ、彼の腕を滑り落ちる。倒れた彼女の口から血が流れ、背中を見る間に赤が染めた。
彼は、ゆっくりと顔を上げた。
視線の先、気配も無いのに人がいる。
表情もなく立つのは、ファリだった。
「お前が……?」
問われた彼は、答えるように腕を下ろす。
何の術によるのか、分からない。次の瞬間ファリは全身から血を噴き出して死に絶えた。
殺したのは無論青颯だった。
ほとんど原形を留めぬ身体へと、何度も何度も術を放つ。櫓を出て肉塊に接近し、跳ね返る血を浴びる。
『その調子だよ』
ナダの声が聞こえた瞬間、青颯は頭を金属で打たれたような激痛に倒れる。
『身体を、寄越しな』
口に流れ込んだ血と泥にむせかえる。満身の怒りで忘れた自我へと侵入する異物。この瞬間のために、ナダは凌光を生かしていたのだ。そして何に邪魔されることもなく、自分から彼女を奪い去った。
まるで腕から物でも取り上げるかのように。
青颯は唸る。彼を殺さずにはいられない怒りが、身に馴染みのない沖を引き裂こうとする。いかなナダであれ耐えられない。圧し潰せ、破砕しろ、嬲り殺せ。憤怒の群体が彼を取り囲み、原型を失わせようと殺到する。
しかし沖は連続性を保とうと、統合を断ち切ったそばから再び結合してしまう。その速度を上回り、体外に出せば勝ちだ。拳で何度も地面を殴り、額を泥にめりこませる。
沖を操る力では、ナダは青颯に及ばない。充血した目で、あと一歩まで追い詰めた。
殺す。と最後を踏み込んだとき、場違いな声が空を裂いた。
「兄さん!」
青颯は、顔を上げてしまった。
一瞬の隙で、形成は逆転する。青颯の意識が、水の中に叩き落された。そのまま水没した感覚に包まれ、彼は身体の自由を失ったことを知る。
ゆっくりと立ち上がり、顔を上げた彼の口には笑みがあった。
「どうなることかと、思ったよ」
声の主導権が逆転する。
『かえせ』
「苦労して手に入れたんだ。返すわけがないでしょう」
彼は、軽く腕を振る。殺し合う人々へと巨大な風の刃が放たれ、あっという間に死体の川ができる。
「やあ、思った以上だね。どうしたら、こんなに沖術を使えるようになるの」
目を瞑りたくとも、自由にならない。恐怖し逃げていく人々を、なお容赦なく殺していく。シアラもワタドも、関係がなかった。
『なんのためなんだよ……なんでこんなことをするの』
「生贄を捧げるためさ」
『そんなこと、聞いてるんじゃない!』
青颯はナダを追い出そうと抗う。が、沖を扱う感覚すら奪われどうにもならない。その間も、自分から生み出された術で人が死んでいく。
「なんで君を乗っ取ったのかってことでも聞きたいの?それはね、ハマを殺すところまで生き残れるのが、君しかいないと思ったからだよ。生贄の数を稼ぐにも都合が良いしね」
『俺が殺すの』
「正確には君を乗っ取った僕だけど。やりたいんだったら譲るよ。それなりに愛着はあるだろう。さあ、もう黙っててくれないかい。集中しないといけないんだ」
相変わらず作業をこなすような物言いに、青颯は怒りを隠せない。
『お前がいなくなって、ハマがどれだけの思いをしたか知ってんのか』
「まあ、なんとなく想像はつくよ」
『どうして、あっさり殺すなんて言えるんだ。あんただけを頼りにしてた、妹を!』
彼は答えない。一斉に打ちかかってきたシアラたちを、忌々しそうに全て殺した。浴びた返り血を、強い雨が血へ押し流す。遠くで爆音が弾け、悲鳴の波が寄せる。死んだシアラの胸を何度も何度も包丁で突き刺すワタドの娘が、背後から首を刎ねられる。
『ワタドの人たちだって同じだろ。お前を頼っていた。こんな惨劇を自分から起こせるなんて、意味がわからない!』
彼は他人の瞳で遠くを見る。誰もが青颯に恐れをなし、敵味方も関係なく逃げようとする。闇の壁で穴を全て塞ぎ、ナダは村の中心で静かに告げる。
「陰惨の果てに、大きな幸福が訪れる。この先の人間のために、今ここで多少の犠牲を払うんだ」
思いがけない答えに、青颯はナダの後ろで蠢く存在に勘付く。瞬時に想起する、琥珀の目の化物と彼の繋がり。
ナダすら、化物の駒なのだとしたら。
「僕らの当たり前だって、同じだ。全ては犠牲の上に成り立っているんだよ」
気狂いに走ったシアラが、青颯に突っ込んでいく。それを嚆矢として、誰かれ構わず彼に襲い掛かる。
青颯の顔をしたナダは、「だから、少しでも楽しくやんないとね」と笑った。




