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そしてまた月は満ちる  作者: 春日野霞
十一 宿願
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帰郷

2021.03.07 投稿

 ろくでもないことは大抵、雨の日に起こる。

 遥か昔、村人に囲まれ死にかけた日も、滝のような雨が降っていた。禰々島が業火に包まれたあの日も、「化物」に名を明かしたあの日も、だ。

 だから今日も、ろくでもない日になるのだろう。

 青颯は、透けた身体で生まれ故郷に佇んでいた。

群青に濡れた夜明けの村を一望する。村の景色は、自分がいた頃と少しも変わっていない。全方位から押し迫るように山が囲み、家や畑がせせこましく集まっている。その中央を、美しい川が流れていた。

 時間はあまり残されていないはずだ。忌々しい集落に、足を踏み出す。皆同じような考えを持ち、真実より共感性が正義とされる閉鎖空間。沸き上がる、憎悪や憤怒。青颯は急な坂道を登りながら、頭を振った。感情に捕らわれている場合ではないのだ。

彼が目指しているのは、自らの生家だった。無論、九の禁術について問うためだ。その顔が固く緊張を帯びているのは、嫌悪のためではなかった。

 狭い村を同調の一語で染め上げる人々の気配が、全くもって無いのだ。

沖そのものになったからなのか、読沖が復活していた。どの家を探ってみても、人の沖はうかがえない。朝を告げる鶏の声も無く、飼われている犬の姿も無い。

 唯一、人間らしい沖が感じられるのは、最北にある洞窟だった。都合の良さに眉を顰める。故郷へ戻るこれすらも、誰かに仕組まれたことなのだろうか。冬至のこの日に洞窟へ立ち入るのは、実家の人間しかいない。

 雨降りにふさわしい嫌な予感が、じっとり胸に貼りついている。村にたった一人残ったのが、蠱術を扱う人間だということは。自然と足が早まる。実体のない身体は軽く、疲れを知らない。青颯は走り出した。

 近づくほどに蘇る、古い記憶。鬱陶しいと思えど、止めることはできない。父の不要なまでの厳しさ。兄の無様。母の疲れた顔。聡明そうな瞳を細め、見上げてくる妹。神童ともてはやされた自分の、天井の低い有頂天。

 溜息で強く吐き出して、青颯は立ち止まる。

 この村で一番大きな家。

 大仰に門など構え、村々を見下ろす家。

「ただいま」

 見据えた門扉は、開け放たれている。中には庭が見えた。春になると、花々がはらはらと散る。母が、どこからか花の種を持ってきて、植えていた。

やわらかな記憶が身を起こす前に、ぬかるんだ地面に残された足跡へと目を落とす。それは門から洞窟へと伸びていた。

 間違いなく、血族があの場所にいるのだ。

 青颯は前だけ見て、歩き出す。濃い雨音に包まれ、山道の階段を登っていく。敗北を喫したあの日と同じ景色を、余さず吸い込もうと目を見開く。あの時の自分とは、いくらも違う。それでも間違わないとは限らない。だから冷静になるべきだった。過去の膿は追い出し、ワタドの地下を思い出す。

 あんなふざけたことを、許すわけにはいかないのだ。

 階段が、終わる。真っ直ぐ進んだ先、黒い口を開けた洞窟。その岩壁に、だらしなく凭れかかった青年。

 萌黄色の瞳。兄に似た鼻筋に、疑心を含んだ三白眼。一族特有の青白い肌。

 彼が、だらりと首を回してこちらを見る。透けた彼にも驚くことなく、「お前、家の先祖か」と低く、淡々と問うた。

「……そうだ」

「死んだ者は月光と共に帰ってくるのではないのか」

「俺は今も生きている。蠱術でここまで飛んできた」

 青年は緩慢な動作で目がしらを揉む。

「相当、きているらしい」

「あんたの誤認じゃないよ。俺は確かにここにいる。知りたいことがあってここに来た」

「なぜ先祖が、今も生きている。悪霊なら容赦はしない」

 蠱術に霊を苦しめる力は無かったはずだが。自分がいない間に新しい術が開拓されたのだろうか。

 しかし、見ただけで悪霊かそうでないか判断ができないのなら、所詮はそれまでだ。

「俺は、ここで半死半生の目に遭った。目覚めたら禰々島にいた。禰々島は時間の止まった場所だ。そこで五十年ぐらい生きて、訳あって今ワタドにいる」

「ああ……青颯、か」

 表情の無かった顔に、たちまち嘲りがのる。

「寄神の儀式を止めようとした、とかいう。それも、妹が捧げられたからなんだろ。うちの人間に情は禁物だというのに」

 反対に、青颯は表情無く聞いていた。

「お前は期待をされていたらしいな。能力があるくせにそんな初歩的なことで身を滅ぼすなど、愚かの極みだ」

「……他に、言いたいことは?」

 静かに放つ彼を、青年は面白くなさそうに睨める。

 この、卑小な精神。客観するのが滑稽で、青颯は短く笑った。

 付き合う暇はないのだ。彼は本題を切り出す。

「あんたは九の禁術を知っているか」

「知ってるも何も」

 と彼は自嘲を浮かべて目を逸らす。

「禁術のせいで、このザマだ」

 嫌な予感が的中する。

「いつ使った」

「三月ほど前だ。伝染病が蔓延して、どうしようもなかった。病は医術の継承者から始まり、罹った者は二日ともたずに死んだ。御妣と御子に救いを求めても、規模が大きすぎて願いが叶わない。生贄が無駄になるだけだった」

「それで、禁術を使ったのか」

 彼は頷く。

「女みたいな顔をした男が、村に来た。そいつが九の禁書の存在を示唆し、消えた」

 青颯は頭をよぎった人物の特徴を、すぐさま口にする。

「もしかして、琥珀の目をして、こげ茶の髪の。高そうな服を着た」

「なぜ、分かる」

 彼は、嘉杖土にも噛んでいるのだ。大きな糸車の回る音が、耳の底に響く。逃れようのない、大きな運命の中に立たされているのではないか。絶望が胸を掠める。

 まだ、間に合うはずだ。まだ。青颯は口の中で小さく呟く。

「それから、何があった。術を、どのように実行したんだ」

 振り返ると、彼は立ち上がっていた。目を落とし、低い声で語る。

「寄神を送る意味を、もう誰も覚えていなかった。でも禁書の解を読む内に、あれはいつでも禁術が使えるようにと準備を繰り返しているのではないかと、誰からともなく気づいた」

 寄神は霊力ある目を突き刺し、娘を殺して回るという。それが短剣に目の力を宿すためだという可能性は、容易に想像がつくことだった。

「御妣と御子を犠牲にしてでも、禁術を発動させなければならない。とりあえず持ち直さなければ、我々は滅びる。御妣と御子に頼らない生き方を、それから模索すればいい。一族の宿願というのは、嘉杖土の存続を願う心のことなのだろう。誰もが死んでしまえば、お終いだから」

 彼の両眼が、心なしか光っている。

「娘一人を犠牲に寄神を呼び出し、短剣を借りた。流行り病に罹患した者を全員生贄として殺し、月光の下で、御妣と御子を刺した」

 しかし、と彼は洞窟の奥を指さす。

 青颯は、洞窟に足を踏み入れる。見たくないものがあるとは、なんとなく予感していた。恐る恐る視線を向けた先、御妣と御子が力なく倒れていた。

 普通はあぐらをかいた女の足の中に、玉が載っている。女が死んでいるのか、生きているのか。それすら超越した存在であったから、考えもしなかった。

しかし今目の前にした御妣と御子は、明らかに死んでいる。

「もしかして、御妣と御子が死んだだけで、術は果たされなかった……?」

 青年は小さく頷く。

「禁書の読解に、不足があった」

 術の流れは、自分が読み解いたものと何ら異同はない。

「どこに」

 心なしか、声が震えている。それは、青年も同じだった。躊躇いがちに放った「夢だ」という答えに、落雷を食らったような衝撃を受けた。

「夢に見ていない願いは、最初から叶えられない」

 雨音にかき消されそうな、声。

「あれは、見た夢が誠になったという話だった。我々の蠱術に、願いを叶えるための条件的制約はない。差し出すものを出せばいいだけだ……それが実現可能かどうかという問題はさておきな。だから、最も基本的な観点が抜け落ちてしまった」

 青年は雷電の残響に立ち尽くす青颯を片頬で笑う。

「何があったのかは知らんが、お前も失敗したのだな」

「……でも、まだ、止められる」

 青颯は、つかつかと彼の横を過ぎて洞窟を出る。呼び止めるように、青年は背中に放った。

「嘉杖土は今日、滅びる」

 残されているのは、やはり彼だけなのだろう。

「自分で死ぬの?」

「寄神が、勝手に出てくるようになった。しかし生贄を求めることは、変わらないんだ」

「あれは禁術のために存在してるんじゃないの」

「そこも、解釈を誤っていたのかもしれない」

 青颯は振り返り、絶望に慣れ切った彼をもう一度見る。

「お前にはまだ、守るものがあるのだな」

 洞窟の奥で、かちりと何かが光る。ぞ、ぞ、と重い足音が響いた。一瞬だけ恐怖に揺らいだ青年の瞳が、決意と諦念に据わっていく。

「それならば、きっと……」

 突如、襟首をグンと掴まれたような衝撃。そのまま超速で後ろに引っ張られていく。嘉杖土の景色はあっという間に黒く塗りつぶされる。意識を失いかけたその時、鋭い光が彼を貫き、全身に鉛を流し込まれたように身体が重たくなる。

 目蓋が開いた瞬間、咽が鳴るほど強く息を吸った。仰ぎ見るのは、見慣れた天井。上がった息を整える間もなく立ち上がる。ハマの姿はなく、結界の要が荒らされている。強制的に術が断ち切られたのだ。

 力の満ちた四肢を動かし、梯子を上って地上に出る。正面の戸を開けたとき、そこにいた人物に戦慄した。

「久し振り」

 忌々しい、ハマの兄が戻ってきていた。

「お前」

 一瞬でもナダを怖がった自分を殺す。

「よく寝たみたいね。気分はどう?」

というナダの身体は、先ほどまでの青颯のように透けていた。

 もしや、同じ術を使ってここにいるのか。しかし、彼に嘉杖土の蠱術は使えないはずだ。

 彼の訝し気な顔から察したのか、ナダは答えを明かす。

「死んだんだよ、僕」

「……は?」

「琥珀の目の化物、君も知ってるだろう。あの人に頼んで、殺してもらったんだ」

「なんのために」

 問われた彼が、化生じみて笑う。

「君の身体をのっとるためだよ」

 ナダが手を伸ばし、透明の腕で青颯の咽を掴む。冷たさを当てられ、全身がぞわりと粟立った。

 青颯は同じ色の瞳を睨む。端整な顔は、あくまで笑みを崩さない。しかし行動も起こさないのだった。

 他人をのっとるのは、容易いことではないはずだ。青颯はハッタリをかます。

「やるなら、はやくやれば」

 ナダは突然真顔に戻り、あっさりと彼の首から腕を下ろした。

「もうちょっと驚くと思ったんだけどなあ」

 青颯は彼に手の平を向ける。その指の先から、炎が迸り宙を駆けた。

琥珀の瞳の貴人が言った通り、沖術が戻っている。しかし歓喜している暇などない。炎は彼の身体をすり抜け部屋の一隅を燃やす。

「今何が起こっているか、説明しようか」

「いらない」

「ハマがどうなったか、知りたくないの」

「聞かなくても、分かるんだよ」

雨音を貫く喧噪と、突き刺さるような沖の感覚。

「始まってるんだろ。殺し合いが。ハマは、高いところにいる。神にふさわしい場所に」

「さすがだねえ」

 拍手をするが音は出ない。

「それより、禁術の読解に誤りが見つかった。術は叶わない。今すぐ止めて!」

「……なんだって?」

 彼は一瞬、片眉を顰める。

「禁術は、夢を見なければ意味がないんだ。あんたは夢を見たのか」

 ナダは少し目線を外し「ふふ」と笑いをもらす。

「何を言ってるんだい。夢のことは言われないだろう。言ったら嘘になるというからね」

「ふざけるな!」

「まあ、どうこう言ったって、ここまで来たらなら完遂させるしかないじゃないか」

「果たされもしない術を?冗談じゃない!」

「僕は夢を見ていないなんて言ってないよ」

「お願いだから教えて、本当のことを」

「青颯!」

 急いた声に、彼はサッと顔を青くする。

 炎に揺らぐ空気の向こう、見慣れた人影が立っていた。

 ナダの顔をちらりと見る。彼が、彼女を餌に使わぬわけがないのだ。

「大丈夫か!」

「凌光、来ないで!」

 彼は炎に水を放ち、裏口の戸に手をかける。

「いいの」

 背中にかかる、冷たい声。

「この村で術を使えないの、彼女だけだよ」

 直後、空を裂く悲鳴。

 青颯は心臓が止まる思いで部屋の出口へ戻る。凌光が腕から血を滴らせていた。向かい来る見慣れぬ服の男が、頬を吊り上げている。

 彼は何も考えずに、その男に人差し指を向ける。瞬間、眉間に闇の牙を突き立てられた男は、ゆっくりと後ろ向きに倒れた。

 青颯は手近な布を裂き、彼女に駆け寄る。痛みに顔を歪める凌光に、言葉が咽で詰まる。黙って傷口を布で塞ぎ、灰色に沈む村を見据える。

「ナダが……」

 振り返ると、彼は部屋の奥で佇んでいる。顔には、相変わらず笑みが貼りついていた。

「なんで、一人で来たの」

「アマトが……アマトが」

 死んだのだろう。

話を逸らすように「側を離れないで」と白い息を吐く。

「あんたの言った通りになった」

「見れば分かる」

 青颯は彼女を見ずに答える。

「アマトをやっと説得できて、見張りは置けたんだ。でも、でも、全然ダメだ」

「ダメとか言わないで。言葉に食われる」

 凌光が突然笑い出し、青颯は思わず彼女を見る。

「昔も、言われたね」

「いつ」

「禰々島でさ。マキのせいで、死にそうになったじゃない」

「……覚えてない」

 流れてきた火の玉が、屋根に当たって燃え上がる。

 二人はすぐさま、ナダの家を離れる。土砂降りに打たれながら、青颯は全方位に意識を向ける。たちまちシアラに見つかり、いくつも術が飛んでくる。難なく全てを跳ね返すが、それが容易いのは最初だけだろう。彼らの実力はワタドの精鋭に及ぶものではない。しかし、余りにも数が多かった。

 破られた塀から、とめどなくシアラが乱入してくる。出ようとするワタドの者もいたが、鉢合わせになったシアラにやられる。何人か倒せたとしても、連続での攻撃に耐えられなくなるのだ。

 ワタドの人々を守る手立てがあるとするならば、それはシアラを一掃することだろう。そんなことを考えていれば、いつかは自分がやられる。複数人で戦略的に戦えればいいが、方法が思いつかない。

 せめて、禁術だけは防ぐしかない。青颯は凌光を見上げた。

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