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そしてまた月は満ちる  作者: 春日野霞
十 愛着<下>
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地下に蠢く

2021.03.06 投稿

 群青の闇が落ちた冥土の坂に、悲鳴が響き渡っている。

 恒暗の身体は、死にきれない生に食い荒らされていた。

 母の元へ向かう坂道を下る途中、死にきれない生は全て、彼に殺到した。下れば下るほど増えるそれは、坂を引き返してまで彼に寄ってたかった。恒暗の肌を裂き、彼の内部に入ってその一部になろうとする。死後の世界にまで連れ込んだ痛覚は、正しく悲鳴を上げた。

 恒暗は身を折り曲げる。流れ出る血液が、己の身体を再生させる。その側から、再び硬いものが身を貫く。とっくにただの肉塊と化しているはずの身体は、まだ彼の輪郭を保っていた。死にきれない生の絶え間ない襲来を上回るはやさで、彼の身体は再生していた。

 胃の辺りを貫かれ、口のような穴から血を吐いた。それに触れた死にきれない生は、氷が熱にさらされたかのように気体へと変わる。彼の血液は例外なく死を癒し、死にきれない生をただの生へと変化させているのだった。それらは群青の空へ昇り消えていくが、同時にそれらが半分は有していた死は、恒暗の内部へと蓄積される。終わりなく生き続けようとする肉体に反し、精神は死の穢濁に苛まれていく。

 それでも一歩ずつ前に進んでいた彼は、とうとう膝を突いた。

 痛みが、彼を支配していた。

 全身は冷たき死後の世で熱を上げる。遠い昔、死のうとして一度火の中に身を投じたことがあった。その時の痛みに酷似している。皮膚が、瞳が、内臓が、溶けた瞬間に再生を始めた。結局永遠の刻苦に耐えきれず、湖まで走って身を沈めた。

 此度、逃げ場はない。

 死にきれない生は、みるみる彼に吸い込まれていく。

 あるかなしかの鼓膜には、死にきれない生の怨嗟が聞こえていた。

 ぎちちちちちちち

 おまえはわたしたちとおなじだ

 しかしおまえはあいされている

 ははにあいされている

 にくい

 にくいにくいにくい

 おなじになれ

 おなじになれ

 おなじになれ

「愛されて、いたら、こんなこと、には、ならなかった」

 あるかなしかの口で、恒暗は答える。

ぎちちちちちちち

あいされているからこんなことになったのだ

ぎちちちちちちち

「私は、母の気狂いの犠牲になったのだ。私は母に化物と言われた。人ではないと言われ」

 彼の頬が、死にきれない生に貫かれる。次いで舌から顎に突き刺さり、口の中は血液のにおいに満たされる。

 われらはあいされなかった

 おまえはちじょうにいばしょがあった

 わたしたちはちじょうからついほうされた

 ちかにもいばしょがない

 はははわたしたちをこばまない

 はははこんなわたしたちでもあいしてくれる

 もとめれば あいしてくれる

 しねないわれらを

 せいめいにかえれないわれらを

 あいしてくれる

 おまえはさいしょからあいされている

 うらやましい

 おまえがにくい

「おまえ、らに、なにがわかる、というのだ」

 彼の手は、何度も貫かれながら懐をまさぐる。なんとか笛を口元にあてがうが、肝心の息は出てこない。代わりに口から血が飛ぶ。夜色の笛が温かな血に染まる。

「や、めろ」

 バキリ、と嫌な音がする。

 震える両手の中で、笛が粉々になっていた。

 同時に背骨を両断する痛みに襲われ、彼は両肘をつく。怨嗟は止むことなく、彼の中に響き続けている。それに抵抗する気力も失せて、彼はついに倒れ伏した。

 彼がどうなろうと、死にきれない生の襲来も、己の身体の復活も、止むことがない。外から内から暴力に晒されても尚、意識が落ちきることはない。ぼんやりと目が覚めたまま、痛みを食らい続ける。

 混濁の隙間、恒暗の脳裏に明滅する光。

 不死の悲しみを歌い上げるあの光。

「月」

 夜毎闇を食い、満ちきれば闇に食われ、死んだと思えば再び夜を薄く斬り、闇を食う。

 強烈な渇きの感覚に、恒暗は両目を開く。

 自分の脳の中だけの映像だと思っていたものが、死にきれない生たちの向こうに見えている。禍々しい怨念をいくつも越えた先に、月が待っている。

 恒暗は肘と膝で少しずつ坂を下る。死にきれない生は、それを簡単には許さない。それでも彼は諦めない。

 月が近づき、耳に清らかな音が触る。引き寄せられるように、恒暗は身を引き摺る。光輝く穴から、人の声とも笛の音ともつかない、甘美な旋律。記憶のどこにもないのに、懐かしく胸に馴染む。

破壊と創造を繰り返しながら、恒暗は立ち上がる。死の蓄積に重くなった身体が、やわらかい光へと向かう。銀色に炙り出され、血まみれの顔が笑う。

 もうすぐ、手が届く。

 あの、温かい腕の中に。

「か、あさん……」

 死にきれない生の一団は、母の横たわる地底へと下りていった。

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