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そしてまた月は満ちる  作者: 春日野霞
十 愛着<下>
65/89

再会

2021.02.28 投稿

 緑がかった青い海が、眼前に広がっている。穏やかな浜に潮が満ち、立ち尽くす彼の両足を濡らした。

青颯は冷たさを感じたような気がして、足を引っ込めた。しかし温かいはずの砂の温度は分からない。

夢を見ているのだ。

 彼は辺りを見回し、溜息を吐く。何から何まで、冬の禰々島そのものだった。燃やされたはずの塔も健在だ。高く青い空に、黒々と屹立している。

 彼はゆっくりと、砂浜に腰を下ろした。海の輝きは、夏よりも鋭くまた冷たい。肌色の砂浜はささやかな光を放つが、満ち来る潮に色を殺されていく。

 冬の浜に下りたことは、五十年の内で数えるほどしかなかったかもしれない。理由は単純で、海風が強く寒いためだった。今、強い風が吹いているのは周りの音で分かったが、温度の感覚は無くほとんど感じない。

 初めて冬の浜に下りたのは、島に来て一年も経たない頃だった。親族への激しい憤りが収まらず、沖術の鍛錬に明け暮れていた。もう二度と会うことはないと頭の隅で分かっていながら、一人一人の顔を思い出し、次に会おうものなら必ず捻り潰してやるという憎悪に燃えていたのを覚えている。

 時間も忘れて修練に打ち込み、気づけば真夜中の浜辺にいた。

 禰々島の冬は嘉杖土に比べてずっと温暖だったが、それでも夜は例外なく冷える。手足が冷たさに凍える一方、怒りはますます燃え盛った。それを発散させるように、辺り構わず術をまき散らす。

 そこに松明を灯して、凌光が降りてきたのだった。

 彼女が何かを言った瞬間、水の術を彼女にぶちまけていた。身体が勝手に動いたようでもあるし、とにかく邪魔をされたくないという理由があったようにも思う。極寒の中、冷たい水を何度も何度も浴びせた。彼女は激しく咳き込みながら、風邪を引くからもう戻れ、と言った。苛立たしく、黙らせるためにもう一度水を浴びせた。それでも彼女は、同じように戻れと繰り返す。

 その瞬間に湧いた殺意を、今も自罰のように覚えている。

 凌光も殺気を感じたのだろう。一瞬怯んだ顔をしたが、すぐに立ち上がって自分を見下ろした。彼女のちょうど背後に、寒月が光を放っていた。それを睨み上げたとき、比喩ではなく圧を覚えた。思わずよろめき尻もちをつく。「塔に戻りな」という彼女の低い声に、今度はもう逆らうことができなかった。

 青颯はあるかなしかの咽で溜息をつく。次に思い出した記憶も、ろくでもない。何がろくでもないのかと言ったら、自分がろくでもないのだ。

 まだ効率的な狩りの方法を模索している頃、ヘビウオを捕まえようと、凌光を浜辺に誘った。しかし本心はヘビウオに彼女を襲わせたいというところにあった。凌光を前に出させて、自分は後ろから術でヘビウオを挑発した。するとヘビウオは鈍重な動きで凌光に走っていった。彼女は難なくヘビウオを避け、その背中を踏みつけあっという間に伸してしまったのだった。

 今思えば、ヘビウオは半分海の生物なのだから、陸上での動きはあまり得意ではないはずだ。それなのに、どことなく攻撃的そうな見た目から、大口を開けて彼女を襲うのではないかと思ったのだ。

 しかし、昔の自分は凌光に何の恨みがあったのだろう。他にもいくらか思い出すが、浜辺においては必ず彼女を陥れようとしている。それでも彼女の真っ直ぐな強さが、いつもその愚かな企みを跳ね返したのだった。

 青颯は溜息を吐く。凌光のことを思い出したのは、久し振りだった。ひとたび思い出すと、直視したくない感情が胸を去来する。だからだろう。今日まで知らず知らず、彼女の追想を止めていた。

 あれほど帰りたいと思っていた禰々島なのに、塔にまで上ろうと思えない。もうここは、過去の場所になってしまった。きっとどこを見ても記憶が蘇り、その度に胸を潰されそうになるのだろう。

 夢が覚めることを願い、頭を抱える。一人でいるこの場所には、まるで意味がない。

「青颯か」

 突然背中にかけられた声に、ハッとして後ろを向く。

 しかしそこに、期待した人物はいなかった。

「あんたは……」

 青颯は目を見開いた。

 宛然と微笑むのは、かつてワタドを火の海にしたあの「化物」だった。相変わらず焦げ茶の髪を結わないまま風になびかせ、高貴な色に服に身を包んでいる。

 タヒトの言ったことが正しければ、自分の沖術を奪ったのはこの化物だということになる。青颯は立ち上がって、彼を見据えた。

「妙な沖が浜に下りたと思えば、おぬしか」

「これは俺の夢じゃないの」

「いいや」と化物はゆったり首を横に振る。

「沖がおぬしの身体を抜け出て、ここまで来たのだ」

「そんなこと本当にできるの?」

「できるから、ここにおるのだろう」

「じゃあ今見ているのは、本当の禰々島?」

「いかにも」

「それならなぜ塔が建っているの。燃え崩れたはずだ」

「ふつうの石の塔が燃えるかえ」

 言われてみれば。青颯は口を噤む。

「おぬしは、あの塔が建つ理由を知らぬのだな」

「知らないよ」

「ここは尋常ならざる島であろ。あの塔は、人の世界とは異なる論理でここに建っておるのだ」

「なにそれ。どういうこと」

 化物は答えず、琥珀色の目を細める。

「それより、おぬしは自分の沖術のことが気にならぬのか。私がおぬしの沖術を奪ったということを、知っておるのだろう」

「……なんでそれを、あんたが知ってるんだ」

 彼は化物を睨む。

「目が覚めたら、考えや。もうそろそろ、刻限だ」

 視界がぼやけていく。

「沖術を返せよ」

「案ずるな。冬至が来れば、返してやる」

 青颯は眉を顰めた。

「冬至に、何があるの」

 そう問うた声は、自分の耳に帰ってきた。

 目を覚ましたのだった。

 いつもの天井が、いつもの光にぼそぼそと照らされている。部屋に、ハマの姿はなかった。自室にいるようで、珍しくカラカラと音が聞こえてくる。

 糸車の回る音だった。

 彼は戦慄して飛び起きる。天井の蓋を凝視した。

 タヒトが死んだ日の記憶が蘇る。むしろ、その日に戻ってきたのではないかという錯覚にすら陥る。せめて糸車を、今すぐやめてほしい。車輪の回転に、抗えない運命を明示されるようだった。

 たまらず立ち上がったとき、ぎい、と蓋が開く。

 兢々とした眼差しを向けた先、眩しさにぎゅっと目を瞑る。

「青颯」

 懐かしい声が、己の名を呼ぶ。

「出ておいで」

 恐る恐る目を開き、顔を上げた先に凌光がいた。

「駄目だ……ここに来たらいけない!」

 青颯は梯子を上れない。

「今すぐ、そこから立ち去って!」

「どうした。はやく出てこないかい」

 彼女の顔が、心配そうに曇る。

「いいから!そこにいたら殺される!だから早く外に出て!」

「大丈夫だよ。ナダはいなくなった」

「そんなの分からないじゃないか。あいつがそう見せかけてるかもしれないだろ。それとも何死にたいの?そうだとしたら勝手にしてよ俺の前で死なないでよ。お願いだからそこから逃げて!」

「どうしたんだ」

 ぬ、と別の顔が凌光の横に現れる。目元がタヒトにそっくりの男だった。

「悪かったってば!」

 青颯の眼には、彼がタヒトその人として映る。タヒトの死霊が自分への復讐として凌光をここまで運んだのだと錯覚する。

「だから凌光を犠牲にするのは、やめてくれ!」

「なに言ってんだあ、あいつは」

 と野太い声で彼は言う。

「相当、参っているんだ……」

 凌光が溜息と共に吐き零すと、隣の男が「よいこらしょ」と梯子を下りる。青颯は伸び放題になった髪の隙間から、目をあらん限りに見開いて彼を凝視する。ぬ、と青颯の前に立った彼は、見上げるばかりの大男だった。それがタヒトと違うと青颯が気づいたとき、大男は「よいこらしょ」と青颯を肩に担ぎ上げた。

「な、にすんのさ」

 と暴れる青颯をよそに、彼は器用に梯子を上る。大男の顔と、青颯が先に地上に出る。

「ほら」

 差し伸べられた手を辿ると、そこに凌光がいる。青颯はすぐには手を取らずに、辺りに目を走らせる。部屋の戸が開けられ、そこから光が入ってきている。その先の玄関まで開け放たれ、誰かが潜んでいる様子はうかがえない。しかしナダか、腹心のファリがどこかに潜んでいるかもしれない。血走った目で尚も探そうとする彼の名を、凌光が呼ぶ。

「青颯」

 はっと彼女を見上げると、強い力で引っ張り上げられる。青颯は戸から流れる光の上に立った。

 凌光の顔を見上げる。まだ夢を見ているのだろうかと頬をつねるが、確かに痛い。

「無事で、良かった」

 彼女は彼を抱きすくめる。背骨が折れるような激痛に、「いたいいたい」と必死に彼女から逃れた。

「殺す気?」

 距離をとって睨んだ彼を見て、凌光は快活に笑う。

「ああ、本当に、青颯だ……!」

 彼女は笑いながら、目尻に光る涙を拭う。

「ずいぶん、大きくなったね。それでも私より小さいけど」

「うるさいな。脳みそに養分とられて伸びなかったんだよ」

と言いたいのに口が開かない。

 目の前の人間が、凌光だということは分かっていた。

 しかし改めて見ると、彼女だと思えないのだ。

 ワタドの人に近くなるようになのか、髪をうなじの上で結び、流れた髪を左肩にかけている。表情が前よりも柔和になったようで、中性的な雰囲気が消え女と即断できるようになっていた。

 青颯が困惑から黙ったままでいると、大男が「こいつが青颯か」と口を挟む。

「そう。昔とだいぶ見た目が変わったけど」

「そいつ誰」

 青颯が鋭い声で聞く。

「俺はアマトって言うんだ。凌光は村の人間じゃないから正式な夫婦にはなれねえけど、今二人で住んでる。お前の話はよく聞いてたよ。会えて嬉しい」

 凌光が凌光に見えない理由が、にわかにはっきりとしてくる。

 彼女は、自分と共有し得ない記憶を数多く蓄積してしまっているのだ。

「そういうことね」

「あれ、絶対やきもち焼くと思ったのになあ」

「いいや。よかったね。お幸せにどうぞ」

 と彼は棒読みに言う。

「アマトはね、タヒトの兄さんなんだよ。いくらか離れた山で鍛冶をやってて、冬だから村に帰って来てるんだ」

 その名を聞き、ズシリと青颯の心臓が痛む。弟を失い、彼は深い悲しみに暮れたことだろう。顔を向けることができず、首を垂れる。

「……ごめん。本当に」

 両手を固く握る。

「タヒトはナダに殺された。でも死んだのは俺のせいだ」

「俺も、正直そう思ったことがあった」

青颯は顔を上げる。二人は顔を見合わせて苦笑いをしていた。改めてアマトの顔を見ると、涙黒子の位置までそっくりだった。しかしおおらかそうなその人相は、生真面目な弟とは全く異なっていた。

「タヒトが死んだって聞いて、山からすっ飛んで帰った。そんで話を聞いたら、例の「化物」に殺されて、死体も残ってないって話だ。俺は父ちゃんも母ちゃんもあの「化物」に殺されててよ、本当にやりきれなかった……ってとこに、凌光が来たんだ」

「タヒトがね、ナダが危ないってことを私に色々教えてくれてたんだよ。青颯を助けるってことも言ってくれた。私は無理はするなって止めたんだけどね……。だから、タヒトはナダに殺されたんだってすぐに分かった。それをアマトに話したんだよ。本当のことを知らないまま、なんて可哀想だろう」

 ナダの悪行を聞いていて、その行為が自分の身を危険にさらすことになるとなぜ分からないのだろうか。結果的に何も無かったから良かったものの、もしバレていたらどうなっていたのかと想像し、青颯は内心身震いする。

「それを聞いたときだよ、タヒトはお前のせいで死んだって思ったのは……当時の俺は、凌光もお前も外から来た邪魔者、くらいに思ってた。恥ずかしい話だよ。タヒトは自分の頭で考えてお前を助けようとしたのに、お前のせいで死んだって思ってた。自然にな」

 アマトは床を走る光に目を落とし、頬をかく。

「そんで、凌光に当たり散らしたけどよ、それはおかしいって凌光に逆に怒鳴り返されてさ。余計頭にきたけど何日かして頭が冷えた。本当に悪いのはナダで、二人を責める俺はたしかにおかしいって思って、凌光に謝ったんだよ。な」

「怒鳴っちゃいないよ」

「いや、あれは怒鳴られたくらいの圧だったぜ」

「それが、お二人の馴れ初めだとおっしゃるので」

 妙な敬語が出る。

「あんた敬語使えるんだね」

「だから使えるとかつて申したでしょうに。実家は厳しいんだから」

 と敬語を続ける彼に、二人は笑う。

「タヒトは、どうしてナダがおかしいって思ったの?」

 笑い声を断ち切るべく、青颯は低い声で問う。

「あんたが神に乗っ取られて倒れた後、ここに運んだのはタヒトとファリだった。で、タヒトはすぐそれを私に報告しようとしたんだけど、ファリに口止めされたんだって。それで、数日経ってもあんたは出てこない。どうなっているのかナダに聞いてもはぐらかされる。納得いかずに色々聞くと、それ以上踏み込んだら命は無いって言われたらしいんだ」

 ただの脅しではない。本当に殺されてしまったのだから。青颯は唇を噛む。

「あの時期、晴瀬も急にいなくなってね。朝早くにタヒトがファリに呼ばれて下にある洞窟に行くと、顔にひどい火傷をした晴瀬がいて、それをナダのところまで運ばされたんだって。晴瀬の姿が見えなくなったのはその後さ。それで、タヒトはナダが危ない奴だって確信したらしい」

「晴瀬……」

 懐かしい名前の行方を案ずる。

「タヒトは、意を決して私のところに忠告に来てくれた。次に手ひどい目に遭うのは私だって思ったんだろうね。だからこの部屋に呼ばれたときはひやひやしたよ」

「それ、神縣をとられたとき?」

 思い出したくもない彼女の悲鳴が蘇り、青颯は額をおさえる。

「そうさ。私にも憑いていたらしいね。剥がされるときは嫌に辛かったけど、その後はなんともなかった」

「……そう」

「それから、タヒトは機会があったら必ずあんたを地下から出すって言いだしたんだ。私は、無茶はするなって言ったんだけどね……。タヒトは、あんたが理不尽に閉じ込められてることがどうしても許せなかったって何度も言ってた」

 ――この村の大義のため、あなたが犠牲にされるいわれはないはずです

 そう言い切ったときの彼の顔を思い出す。危うさを感じるほど、真っ直ぐな瞳だった。止まらない回想に、青颯は眩暈を覚える。

「タヒトが「化物」に殺されたっていうのを聞いたとき、きっと嘘だと思った。手首を斬られてナダの家に運ばれていったってのは聞いてたから、「化物」と闘ったっていうのは嘘じゃないんだろうけど、殺したのは」

「もうやめて」

 こめかみを強く抑えて、目を閉じる。転がったタヒトの首が、脳裏から消えない。虚しく天井を仰ぐ目に、目に染みるほどの血の臭い。自分を助けようとして死んだ人間に、いかなる懺悔を捧げれば赦しを得られるのだろう。

「俺が悪かった」

 息を殺した声で吐く。

「そんな話はしてないじゃないか」

「タヒトは自分の信念を貫いて死んだんだ」

 思わず目を開け、アマトを見上げる。

「お前のせいで死んだなんて、言わないでやってくれないか」

 諭すように言うアマトの顔は、穏やかそのものだった。

「でも……俺を助けようとして死んだんだよ」

「助けるって決断をしたのは、タヒトだろ。お前じゃない」

「そう、だけど……」

 釈然としないながらも、肩から重いものが徐々に抜けていくのを感じる。

「てことさ。あんまり自分を責めるもんじゃないよ」

 と凌光が背中を叩いた。余りの強さに心臓が飛び出そうになる。しかし同時に、自責に拘泥していてはならないのだと吹っ切れた。自分がやらなければならないことは、禁術の阻止だ。そこで初めて、開け放たれた戸から流れ込む空気の新鮮さに気がつき、青颯は肺一杯に息を吸う。

 それを吐くと同時に、胸の底に溜まった罪業意識がするすると抜け、ただ彼を喪った悲しみだけが残る。見ないようにしていた、黒ずんだ血痕の残った跡。それを静かに見下ろし、「タヒトに恥じないように生きるよ」と手を合わせた。

 顔を上げた青颯は、己の本分を思い出す。これから冬至まで、とにもかくにも禁術を阻止するために動かなければならない。まずは、消えたナダの思惑を少しでも掴んでおく必要があった。

「村では、ナダはなんで消えたことになってんの?」

「ナダは消えちゃいないよ。シアラのところに行ったんだ」

「え……?」

 思っても見ない答えに、青颯は瞠目する。

「ちょっと前に、シアラの本拠地を叩こうって部隊ができたんだよ。ここで待ち構えてるだけじゃなくて、根元を無くしてしまうべきだってね。ナダの発案で夏頃に始まって、最近本拠地が見つかったんだ。今は本拠地を潰しに行っているんだよ」

 夏頃、といったら、九の禁術の読解が完了した時期と重なる。

「なんでそれにナダが混ざってるの」

「作戦を指示するためらしいぞ」

「いや……おかしいでしょ。あいつ実戦経験はほとんどなくない?沖術も格別できるようじゃなかったし。それに、ワタドにとっては一応死なれたら困る人間でしょ」

「そういう意見も出たらしいんだけどね。シアラを全員殺したところで、また新しい人を呼べばいいわけだから意味ないだろ。だからこの攻防を終わらせようって話をする必要があるんだってさ」

「その役目を担うのがナダってことになってんのね」

 しかし何百年も続いた敵対関係を、たったそれだけで解消できるはずがないのだ。ナダがそんなことを見誤るだろうか。

「それは変だ……そうだ。ファリは?知ってると思うけど、あいつはナダの腹心だ」

「そりゃ、ナダの護衛についてるよ」

「部隊の人数は?」

「精鋭が、七人。ナダを入れて八人だ」

「たったそれだけ?」

「俺もおかしいと思ったんだ。でもナダがそれで十分だって言ったんだとよ。多いと、却ってよくないって」

「あいつは何するつもりなんだ?」

 禁術の計画に、シアラが関係するのだろうか。それとも、シアラの元に行くというのは村を出る口実で、本当は別の場所に向かっているのかもしれない。

青颯が首を傾げ黙っていると、凌光がおずおずと問う。

「それで、あんたはなんでこの下に閉じ込められてたんだい」

 彼女の顔は不安気に曇っていた。

「なんでそんな顔してんの」

「聞くのが、怖いからさ」

「なんで」

「とんでもないことさせられてたんじゃないかって、毎日気が気でなかったんだよ」

「ああ……まあ、とんでもないっちゃ、とんでもないね」

「何なんだ」

 二人は息を止め彼を見ている。四つの眼に見つめられ、青颯は足元に目を逸らした。

「古い書物の読解をさせられてた」

 ふう、と凌光が息を吐く声がした。

「……なんだ、そんなことなのかい。禰々島でやってたことと変わらないじゃないか」

「ごめん伝え方を間違えた。沖術を消すための術が書いてある本の、読解をさせられていた。地下に閉じ込められたまんまね」

「沖術を消すための術、ってなんだ」

「言った通りのことだよ」

「沖術を消すための、どんな術なんだい。沖術?」

「蠱術」

「コジュツ?」

 二人が声を揃えたのが、青颯にはなんとも不快だった。

「……ああ、そういえば。あんたが禰々島に来たばっかりのとき、コジュツがどうのって毎日ぶつくさ言ってたけど。そのコジュツ?」

「それは俺覚えてない」

 凌光は「そうかい」と笑う。

「懐かしいねえ」

「どのくらい?一ヶ月くらい?」

「さあ、そこまで覚えてないけど、随分長いこと言ってたよ」

「その蠱術てのは、どんな術なんだ?」

 昔話をぶった切るようにアマトが問う。青颯は少しムッとして「生命を食い物にする術のことだよ」と答える。

「もっと分かりやすく言ってよ」

 蠱術の分からぬ人間に、何をどこまで説明しろというのか。青颯はしばらく頭を悩ませ、口を開く。

「ワタドの祖先がずっと昔から持ってた術でね、ワタドと、嘉杖土に残ってる」

「蠱術なんて聞いたことねえぞ」

「そりゃそうだと思うよ。族長も知らないって言い張ってたけど、本当は知ってた。あえて隠してるんだよ」

「族長様が嘘を吐くわけがないだろ」

 彼は不快感を露わにする。あまりにワタドの人間的な反応に、青颯は思わず口だけで笑う。

「ついたから言ってるんじゃん。それに、ここで蠱術が行われているのを俺は何度も見た。あんただって世話になってるんだ。ナダは医者だけど、病気の治療に使ってるのは蠱術なんだよ」

「じゃあ、どんな術だっていうんだ」

「患部の周りに要のようなものを置く。その後病気が治ってると思うんだけど、違う?」

「知らん。寝て起きたら治ってる」

 施術すら覚られぬようにしているのか、それとも単にアマトが鈍いのか。

「とにかく、病気はそれで消滅するんじゃなくて、地下にある壺に移されてるんだ。そこから今度は……」

 ハマのことを明かすのは、危険なのではないか?

 青颯は息を止める。下にもう一人いることが分かれば、そしてそれがうら若い娘だと分かれば、二人が心配しないことはないだろう。彼女の姿を見ればそれが妊婦であることは明白で、こんな場所に閉じ込められていたにも関わらずなぜ、と問われるに違いない。

 兄との子だと、答えられるだろうか。

 ましてや、三年も身籠っているなどということを言えば、彼女は化物を見るかのような視線に晒されるかもしれないのだ。

 青颯は息を吸い込む。

「……壺に移されて、そこから地底に送られるんだ」

「そんな夢みたいな話あるか」

 とアマトは腕を組む。

「知らないくせによくそんな態度が取れるよね」

「それなら、その壺ってのを見せてみろよ」

 地下に下りられるのはまずい。彼女がいつ出てくるともしれない。むしろ、今この状況も十分危険なのではないか。ハマは怖がって部屋から出てこないだろうが、突然発狂するようなことがあればどうにもならない。

「いや壺を見せることはできない」

「てことは、ないんだな?」

「いやある。よく考えて。病気を溜め込んだ壺なんだよ?毎日地底に送るわけでもないんだ。壺に近づくだけで危険なんだよ」

 彼の目を真っ直ぐ見上げ、もっともらしい嘘を吐く。

 アマトは一つ息を吐き「じゃあその、お前が調べさせられてた術ってのはどんなのなんだ」

「言ってもね、信じないと思うよ」

「聞いてないのに、そんなこと分かるか」

「いや分かるね。だってあんたは蠱術を認める気がないんだもん」

「族長様が嘘を吐いたなんて言う奴のことなんか信じられるか」

 この手の人間が最も面倒だ、と青颯は盛大に眉を顰める。

「俺は本当のことを言ってるんだよ!さっきから!」

 多少の嘘は吐いたが、と心で呟く。

「族長が嘘を吐いたってのも、べつにでっち上げや憶測で言ってるんじゃない。俺は族長に、ここは蠱術を使ってるだろって聞いたことがある。その時は知らないふりを通した。でも俺が蠱術に興味を示していたと族長から聞いた、ってナダが言ったんだよ。てことは、蠱術を使うナダと族長は繋がってて、蠱術を」

「ナダが言ったってんなら、なおさら怪しいだろ。嘘ばっかりついて、お前をここに閉じ込めたりタヒトが死んだのは「化物」のせいってことにしてる奴じゃないか」

「まだ全部説明終わらない内に話始めないでよ!」

「ちょいと落ち着かんかね、二人とも」

 青颯とアマトは同時に彼女を見て、

「だってこいつ話聞かない」

「族長が嘘吐いてるなんて」

 と同時に言う。凌光は笑うが、二人は睨み合う。

「アマト、青颯はこの手のことで嘘吐くようなやつじゃないよ」

「そうじゃねえんだよ。族長様が嘘を吐いたなんて言うのが」

「さっき青颯は、それが憶測じゃないって説明しただろ」

「それでも、族長様が嘘を吐くわけがないだろ!」

「お前頭終わってるんじゃないの?」

「あんたがまたそういうことを言うからこじれるんでしょうが」

「頭悪いことから分からせないとこいつ話聞かないよ」

「うるさい奴だな!」

 とアマトは怒鳴ると、「俺はもう知らねえ」肩を怒らせて部屋を出ていく。

「ちょっと、待ちなよ」

 凌光はそれなりに声をかけるが、端から諦めているようだった。

「ああなると、しばらく止められないんだよねえ」

「なんであんな奴と一緒に住んでるの」

「聞きたいかい」

 と彼女は笑う。

「ほんとに聞きたいんじゃなくて、非難してるんだよ」

「まあ、あんたと合わないだろうとは思ってたよ」

「あっそうですか。いいんですか旦那さんのとこいかなくて」

「やいてんのかい」

「やいてません。はいさようなら!」

 と青颯は出口を指さす。凌光は笑って出ていきながら、彼を振り返る。

「後で、夕食を持ってくるよ。その時話を聞く」

「なんの話?」

「沖術を消すとかいう話さ……とんでもないことなんだろ?」

「ああ……ああ」

「というか、あんたも外に来ればいいじゃないか」

「それは良くないよ。俺は死んだことになってるんでしょどうせ」

「混乱するかもしれないけど、説明すれば」

「いいや。アマトの反応を見て分かったでしょ。説明しようが無いんだ。ナダが全面的に信頼されてる以上、何を言ったって嘘吐きは俺になる」

 と彼は疲れた顔で溜息を吐く。

「あんた、老けたね」

「うるっさいなあ。そりゃ相当大変だったんだから老けもするよ」

 凌光は賑やかな笑いを残し「じゃあ、後でな」と去っていった。

 その後ろ姿を見送り、青颯は溜息を吐く。外からの情報が一気に流れ込んできたせいか、気づかぬ内に疲れていた。彼は梯子を下る。上は寒くていられなかった。

 戻った静寂の中、本の棚に凭れて座りこむ。ぼんやりと天井の穴を見上げた。

あのタヒトの兄は、悪い人間ではなさそうには見えた。しかし彼が族長を盲信し真実を聞き入れない態度に、青颯の心は彼の全否定へと向かう。あんな考えを持った人間に凌光を変えられたのかと思うと苛立ちが募った。くだらない直情で彼女をねじ伏せるような真似をしていたとしたら、どうしてくれよう。

いつの間にか貧乏ゆすりを始めている自分に気づき、ハッとする。今やらなければならないのは、禁術を阻止する手立てを考えることだ。

 禁書を読み解いた後、禁術の効果を返す別の術がないかとしらみつぶしに探した。しかし、かすりもしなかった。一方で、九の禁術を阻止する方法を調べていると覚られぬよう、誤魔化しのために調査していたのが沖術の起源だった。そちらの方は成果が出てしまったので、一層もどかしい。

 単純に、術に必要なものを欠損させるという方法があった。しかしナダが対策をしていないわけがないのだ。もう一度書物をひっくり返す暇もない。何かいい案はないかとモヤモヤしている内に、またアマトへの怒りに支配されている。

 頭を冷やさねばなるまい。青颯が溜息を吐き立ち上がったとき、ぎいと戸が開く。

振り返ると、ハマが自室から半身を覗かせていた。細い足が、小さく震えている。

「……兄さん、いなくなったの……?」

 彼女はか細い声で言った。

「ああ。いなくなったね」

「……どうして……」

「知らないよ。どうせ禁術の下準備でしょうけど」

「どうして、私に、何も言わないで」

「君が寝てたからじゃない?」

「でも……起こしてくれたって……」

彼女は戸に縋ってすすり泣く。

「私怖いの……死ぬのが怖いのに……兄さんがいてくれないなんて……」

「冬至の日には帰ってくると思うけどね」

「でも、でも、でも。帰ってこなかったら?」

「知らないよ」

 これ以上言っても無駄だと、青颯は文机の前に座り手近な本を開く。今度の泣く声は、不快なものだった。しかし少しも集中できず、結局彼女の泣き声の方を聞いてしまう。

「ねえ、静かにしてよ」

 彼は顔を上げて訴える。

「じゃあ、私は、どうしたらいいのよ!」

「寝たら?おやすみ」

「今度はあなたが消えたら嫌だから、寝ない」

「消えないよ」

「本当に?」

「本当だよ」

「ここにいてくれる?」

「ああいてやるよ」

「おやすみ」

「はいおやすみ」

 彼女が戸を閉めた後、青颯はあることに気づいて顔を上げる。

「俺が消えるの、嫌なの?」

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