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そしてまた月は満ちる  作者: 春日野霞
九 愛着<上>
62/89

2021.02.25 投稿

「口を閉じよお若いの」

「……至の場所?」

「いかにもいかにも。私たちは至じゃ。私は至の牡丹」

「私は菖蒲(アヤメ)

「私は椿」

「あんたの名前は」

「……ひな」

「ひな!」

「皆、ひなじゃぞ!」

「ひな!ひな!ひな!」

 想像していた至たちと、あまりに違う。

 母神に仕えるのだから、もっと荘厳な場所に高貴な人たちがいるものだと思っていたのだ。

それが、柱も梁も朱色に塗られたゴテゴテとうるさい広間の中に、同じかそれ以上うるさい女たちが好き勝手に過ごしているのだ。ある者は踊り、ある者はすごろくに興じ、ある者は楽器を奏でている。皆一様に青白い顔をしており、唇は妙に赤かった。

「食事の準備じゃ」

「ええい」

 掛け声とともに、長い机と椅子が現れる。誰かが手を叩くと、机の下からにょっきと食事が現れる。うまそうな匂いが広い部屋中に満ち、女たちが皆吸い寄せられていく。

「ほらほらひなはこっちじゃ」

 牡丹と名乗った至が椅子を引く。匙をひなに握らせ「さあ好きなだけお食べよ」と囁く。

 西の宿で泊まった王族用の宿よりも、何十倍も美味そうな食事が並んでいる。これが地下だとは思えない。ひなは吸い寄せられるように煮つけをすくい、滑らかに口へ運んでいく。

 その時、りんと鈴が鳴る――あちらでものを食べてはならない。

「なあ!」

 ひなは匙を放り投げた。瞬間、固唾をのんで見守っていた至たちは、崩れるように落胆の声を上げた。

「もうちょっとやったのになあ」

「菖蒲はすぐにひっかかったのに」

「食いしん坊やからなあ」

「こんなによく肥えて」

「お蔭様で」

 ひゃはははと娘たちは笑う。

 ひなは一人で冷や汗をかいていた。あと少しで、死んでしまうところだった。

 早く出なければ、いつかやられてしまう。ひなは勢いよく立ち上がった。椅子の倒れる音に、至たちはしんと黙る。

「私は、ケネカを恨む怨霊に、間違って祟られた人を助けたいんです。方法を教えてください!」

「それが、さっき言ってたマキってやつだろ」

「あんた救えないって言ってたじゃないか」

「しかも、永遠に!」

「永遠!」

「永遠!」

 至たちは何がおかしいのか、たちまち騒がしさを取り戻す。

「そう、じゃない!命は救いたい!」

 ひなは声を振り絞る。

「あの怨霊は厄介だよ」

「たまにここにも来るんだ」

「何十人もゴキブリみたいに這いまわって、気持ち悪いったらありゃしない」

「そういや今の冬巫はゴキブリが嫌いなんだと」

「ひやあ見ものだね」

「聞いてよ!」

「娘さんが怒ってるぞ」

「可哀想だ聞いてやれ」

「可哀想だから歌を聞きたいな」

「誰か楽器を持ってこい」

「ほれひなよ、歌いなさい」

 いつしか弦楽器を手にした女が隣にいる。他の皆は観客のように行儀よく四列に並び、拍手をした。

「いやあ楽しみだ」

「これだから客はいい」

「さあ百合よ弦を奏でな」

 呼ばれた彼女は微笑むと、弓を引く。不必要に悲しげな旋律が響き渡る。それだけで涙する至さえいた。

 滑稽の中心に立ち尽くし、ひなは懐を握る。今こそ使う時か。ある意味、飲み込まれている。

 何度となく握ったせいでしわしわになったお札を取り出し、「カタレヌカミヨフルキハハヨ我を守り給え!」と声を張り上げた。至たちは悲鳴に近い声と共に、ひなに平伏する。

「申し訳ございません」

「母神様の縁故だとはつゆしらず」

「とんだご無礼を」

「お許しを」

「お許しを」

「……よかろう」

 ひなはなぜか腰に手をあて、上体を反らす。

「それでは、祟りを解く方法を教えてくれるかな」

 声まで低めて演じるが、至たちはすぐには答えない。

「早く教えてくれないか」

「いやあ、そんなことをタダで教えるわけにはなあ」

「母神様にご縁のある方でも地上の人間にはなあ」

 至たちはバラバラと身を起こしていく。

「地下の秘密は教えられんよな」

「引き換えに何かをもらわねば」

「我々の矜恃が廃る」

 至たちは、あっという間に騒がしくなる。また何かを言われる前にと、ひなは必死に考え先手を打つ。

「今渡せるものはありません。地上に戻ってからお供物をします。約束します。だから教えてください!」

 ほほう。と至たちは梟のように目を見開く。

「何を供えてくれるのじゃ」

「食べ物でも、何でも」

 ひなは強気に答える。手形を使えば、ある程度のものは手に入るだろう。

「食べ物はいらん」

「いくらでも出てくる」

「それじゃあ、綺麗なものは?錦や宝石!」

 至たちはがっかりと肩を落とす。

「そんなもん、いらん」

「そういえば、我らは満ち足りておった」

「ここには何もかもが揃っておる」

「供物と聞けば嬉しくなるのは性よのう」

「ただしどうしても欲しいものが、たったひとつだけある」

 それは、と一拍おいて、至たちは声を揃えた。

「仲間!」

 地雷を踏んだ。ひなは思わず後ずさる。至たちはというと立ち上がり、笛太鼓に小躍りを始めていた。

「新しい至がほしい!」

「多ければ多いほどよい!」

「今の冬巫をはよ寄越せ」

「約束するなら教えよう。怨霊退治の方法を!」

 ひなは首がもげそうになるほど横に振る。

「そんなの、私には決められない!」

「冬巫はきっと、許してくれよう」

「大丈夫さ」

「あの子はここにあこがれている」

「一刻も早くここに来たいと願っている」

「さあ、早く」

「勝手に決めないでよ!」

突然、隣の百合が「はえ」と間抜けた声を上げた。

「なんか見たことあると思ったら、いつかの春巫かえ」

 波のようにざわざわと、彼女たちは鳴き始める。

「ああ、食いしん坊の!」

「青い目の冬巫が殺されたあの晩の!」

「懐かしや!」

「あんたが来たら楽しくなると思ってたんだ」

「案の定!」

「助けられない!」

「永遠に!」

「永遠に!」

「ひゃはははは」

「そうだ。これはどうじゃ」

 牡丹の声に、水を打ったようにしんとなる。

「ひなが再び四季の巫覡となり、いつかここに来ると約束するのなら、マキを助ける方法を伝授するというのは」

 ワッと至たちは拍手喝采した。

「ちょっと……ちょっと待って。私はもう、明鳴神社の巫女じゃないの!」

 ひなはきっぱりと言った。

「また戻れるさ、志願すれば」

「あんた面白いもの」

「ほれこれ食べな」

 と横から団子が突き出てくる。

「やめて。いらない!」

「あれえ、これが一番ひっかかると思ったのになあ」と至たちは一斉に笑う。

「それに、例え明鳴神社の巫女に戻ったとしても、私は至にはならない!」

「皆最初はそう言うもんじゃ」

「ここはいいぞお。悠々自適、怨敵皆無、母神様は優しくていらっしゃる」

「さらに食い放題ときた!」

「母神様はもうじき肉を交代なさる」

「ここにはもっと力が満ちる」

「もっと広く、もっと美しく」

「今にも増してここは極楽となるのだ」

「さあさあ至になりなされ!」

 ひなは拳を握り、ぶるぶると震えていた。

「そうやって、あなたたちは目を眩まされてるんだわ!」

 顔を真っ赤にして怒鳴る。

「変じゃない!皆の平和のために一人が死ななきゃいけないなんて。しかも誰も自分の子供を殺されたくないから、親のない子に押し付けてるのよ!あなたたちはそれでいいのかもしれないけど、私は絶対に嫌!」

 至たちは、しんと黙る。

 青い顔に並んだ二つの瞳が、そろってこちらをジトリと見ている。表情の無い顔で、何より雄弁に彼女たちの言葉を語った。

 ひなは逃げようとするが、凍った背筋は言うことを聞かない。震えているうちに、至の一人が口を開いた。

「言ってはならんことを言ったな」

「お前に何が分かる」

「こうなっては私たちのことを分からせてやらねばならん」

「あの愚か者に物を食わせろ!」

 料理を手に手に、至たちが襲い掛かってくる。怒気の波に脊髄は解凍され、身体が勝手に全力疾走を始めた。

 幸い、至たちの足はひなよりも遅いようだった。まだ当分は追いつかれそうにない。ひなは部屋の隅々までに視線を走らせ出口を探す。しかし思い返してみれば、入り口からこの広間入ったのではなかった。さらに広間の果ては、走れば走るほど遠ざかる。

 出口は、おそらく無い。

 ひなは懐に指を滑り込ませる。上がり始めた息の隙間で、叫ぶ。

「カタレヌカミヨフルキハ、ぎゃ!」

 転倒し、お札を手放す。痛む足を見れば、投げられた食べ物と皿の破片が散乱していた。再び走り出すが、食い物の油で滑り何度も転ぶ。その度に至たちが喜びの声を上げた。屈辱に歯噛みし、裸足になって走り出す。

 捨ててしまったお札はもう、見当たらない。最後のお札を握り締め、ひなは一息に唱えようと息を吸い込む。その瞬間、背中に痛みが走る。ふらつくが、ひなはもう転ばない。皿の直撃堪えたが、もう彼女たちに笑わせはしない。

「カタレヌカミヨフルキハハヨ我を守り給え!」

 たちまち、闇に続く階段が現れる。ひなは死に物狂いでそれを駆けあがった。

「待てえええええ」

 しかし至たちも負けてはいない。狭まる入り口から身をねじ込ませた数人が、執念深く彼女を追う。思わずひなは振り返ろうとしてしまう。が土壇場で冬巫の言葉を思い出し、なんとか踏みとどまる。それでも、怖いものは怖い。足や背中に食べ物らしきものが当たる。食わされたらどうしよう。追いつかれたらどうしよう。もうお札は、残っていないのだ。

 ひなはもう、咽の奥に血の味が滲んできていた。しかし息のない至たちに体力の限界はないだろう。上まで、振り返らずに逃げ切れるか。あの長い長い距離を思い出し、ひなはゾッとする。敗北感が、じっとり胸に広がる。そもそも、マキを助ける方法を聞いていないのだ。

 地上に戻っても、仕方がないのかもしれない。

 ひなは首を横に振った。容易に浮かんだ絶望を押し殺す。死ぬのを選ぶなんて、それこそマキに顔向けできない。いくら苦しんでも、生きることだけは諦めるな。彼女の声が聞こえた気がして、ひなは顔を上げた。

 絶対に逃げ切る。だから見守っていてほしい。祈る思いでひなは唱えた。

「語れぬ神よ古き母よ、我を守り給え」

 ひなはもう何も思わず、階段を駆けていく。締め付けられるような咽も、猛る心臓も、生の証左。それでも萎えそうになる足をひたすら奮い立たせ、淡い闇に段を蹴る。

 何百何千と重ねていく内、至たちは脱落していく。それでもしつこく、追いかけてくる足音が一つだけある。激しい息の隙間で「どうして」と問いが漏れる。

 それに答えるように、背後の彼女は「春巫」と呟いた。

 ひなは小さく悲鳴を上げて立ち止まり、振り返りかける。ちらりと目の端に人影が写り、慌てて前を向いた。

 身体中を伝う汗が、一瞬で冷たくなる。鼓動は別種の速度で胸を打つ。

 間違いない。

 背後の彼女は、青目の冬巫だ。

「疲れたろう」

 熱と冷の狭間にくたびれる身体を、慰撫するような声。

「おいで」

 ひなはぎゅっと目を瞑る。溢れ出す記憶。目の前で光った血液の黒。彼方から見下ろす月の眼の冷たさ。芥子粒のような自分の無力。

 もうあの時とは違う、と言いたいのに、言えない。

 結局、マキを助ける方法が、分からなかった。

 理解を超えた存在に負けて、逃げてしまった。

「あの時は、本当にごめんなさい」

 闇に向け、懺悔を放る。

「私、何もできなかった」

「あれは誰にも、どうにもできない」

「そんなの、分からない」

「覆しようのない、定めというものだ」

「でも、あそこにいたのがマキだったら、晴瀬だったら、絶対にあなたを救えていたわ!」

 彼らを見上げる度に、胸に滲んだ言葉が口を吐く。

「私だったからダメだったの!強くなろうとしたのに、前よりは強くなったのに、全然だめ。また助けられないで終わっちゃう。また私は負けてしまう!」

 かつての春巫は、頭を抱えて叫んだ。

「私は、どうしたらいいの!」

 残響の消えた静寂。冷えた地下に、ぼつりと死者の声が落ちる。

「自分で見つけや」

 ひなの頬に、涙が伝う。足下から伸びる、果ての無い階段。暗闇に溶けて見えない先に、本当に光が待つのだろうか。

 疾走を続け疲れた身体が、至の呼び声を思い出す。振り返るだけで、全てを終えられる。頭の手をだらりと下ろしたその時、右の手で澄んだ音が鳴った。

「……うん、逃げちゃ、ダメだよね」

 ひなは諦めたように肩を落とし、鈴音と共に階段を上っていった。

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