冬の先は
2021.2.22 投稿
人々の不安は想像以上だった。
「あれがなんだったのか、説明しろって言ってるだろ!」
「村の化物は退治されたんじゃなかったの?」
「あれはどこ行ったんだよ!」
「だから!マキの中に吸い込まれていったって言ってるじゃないですか!」
「意味が分からないんだよ!」
「でも、それがほんとなんです。私は見たんです!」
「嘘を言え!」
「嘘じゃないです。じゃあマキのところに行きますか?見てみれば分かりますよ!」
「私たちをそんな危ない奴のところに引っ張ってこうっていうのか!」
手足の凍える夜闇の中、このやりとりをもう何度も続けている。秋巫となった元夏巫は、騒ぎを収めようと神主を呼びに行っておりひな一人だった。冷静に対処しようとするが、村人たちの熱が彼女を煽る。
「見なきゃ納得しないでしょ?こんなのいつまでも続けてるより見に行った方が早いよ!」
「そんなことどうでもいいんだ!」
「あいつが村を襲ったらどうしてくれるんだ!」
「お前の連れてきたあいつらが化物なんじゃないのか」
「ま、前に山姥を倒したのは、マキじゃないですか!」
あまりのことにひなは怒鳴ったが、賛同の嵐に阻まれ誰にも届かない。冷たい空の下、轟々と響く非難の声にひなは悄然とする。提灯の光が闇から炙り出した村人たちの顔は、それぞれに必死だった。怒り、恐怖、不安。また日常を引き裂かれるのではないかという言葉が、彼らの裏に見え隠れする。
思えば自分も、当たり前にここの村の住人だった。
あんな怖いものが突然目の前に現れたら、一刻も早く消え去ってほしいと思うに違いない。ましてあの二人の存在感は、人間のそれとは全く違う。自分が一番よく知っていることだ。
忘れもしない、あの夏の言葉が頭に閃く。
――俺みたいによく分かんないのがいれば、不安になる人もいる。村で原因の分からない事件が起こったら、そういう奴のせいになるもんだ
「あいつらを早く追い出せ!」という鋭く太い声を、ひなは上の空で聞く。その声を先頭に数人が神社へと走っていく。誰もが目線を向けたその奥から、小さな火の玉が近づいてくる。
今度は鬼火か。どよめきぐらつき再び恐怖に落ちようとする人々の耳に「ひなぁぁぁぁぁぁぁぁ」と呼ばう声が近づいてくる。人々が呆気に取られている間にそれは彼女の元へ到り、「ちょっと来てくれ!」と再び彼女を担ぎ上げた。
「え、晴瀬!今それどころじゃない!」とひなが何を言おうと彼は聞く耳を持たない。同じことの繰り返しにひなは苛立ち、「話聞いてよ!」と晴瀬の耳元で大声を放つ。
「いった、耳の近くで大声出すなよ!」
「だって、晴瀬話聞かないんだもん!下ろして!」
彼は彼女をするっと下ろすと、代わりに手を掴んで、走り出す。
「ちょ、ちょ、ちょ、だから待ってってば!」
ひなは彼の手を振りほどく。勢い余った彼は躓きかけた。
「早く来てくれ!マキを助けるんだ」
「どうやって?」
「それを今から聞くんだ」
「でも私も、やらなきゃいけないことがあるの。村人たちは今不安でいっぱいなんだよ。それをどうにかしないと!」
「誰かと思えば、見違えたの」
老人のパリッとした声に、ひなは振り返る。
「神主さま!」
「あとはわしらでやっておくで、お前は上にあがんなさい。村人たちを安心させてくるでな」
「でも、私がやんなきゃ……」
「ここまでよくやってくれたよ。次の仕事にいってくれ」
秋巫にそう背中を押され、ひなは晴瀬の顔を見上げる。「行こう」と彼に手を引かれるまま、ひなは上つ宮へと走り出す。
その場所が近づくにつれ、ひなの頭を青い目の冬巫が占める。寒さでない鳥肌が腕を駆けた。四季の巫女の間に語り継がれている秘密、狂女のために殺された一族の話、問いかけた冬巫のその先。彼女が死んだときの光景は全く残っていないのに、暗い上つ宮での会話は鮮明に覚えていた。
心臓が高鳴るのは、山登りで息が上がったためではない。口には出し得ぬ緊張を抱えて、ひなは上つ宮の扉を開く。
「来たかね」
灯の側、黒い目の冬巫が表情の無い面をこちらに向ける。ひなは頷き、そっと敷居をまたいだ。
布団に寝かされたマキは、全身で苦しさを発散させようとしている。彼女を責める村人たちの言葉を思い出し、キュッと唇を噛んだ。
「マキに取り憑いてるこれは、何なんですか」
「昔、ケネカのためにここの神官の一族が殺されたろう。その怨霊だ」
「なんで、マキに」
「マキには月神が憑いてるだろ。だからケネカと勘違いしてるんだ」
「そんな。マキは何もしてないのに?」
「そうなんだよ。おかしいだろ」
「ちゃんと、助かるの?」
「分からないから、それを聞きに行く必要があるのだよ」
布団の対岸に、円座が二つ並んでいる。二人は合図もないのに同時に座った。
「誰にですか」
「冬巫の次に進んだ人さ」
ひなは、生唾を飲み込んだ。
「あんたは、冬巫を終えたらどうなるか、聞いたかね」
「聞いてません」
「フユミって、なんだ」
「この明鳴神社には四季の巫覡、というものがおります。皆身よりをなくし神社に引き取られた孤児たちで、季節の順にその名を引き継いでいきます。例えば、そこのひなはかつて春巫でした。四季の巫覡から外れる者が出てたら、夏巫になるのです」
「じゃあ、冬巫は前まで秋巫だったってことか」
「左様です」
「で、話は冬巫の先がどうなるかっていうことか。ひなは知らないんだな」
彼女は緊張の面持ちで頷く。
「聞いたんだけど、時間が来ちゃったんだ」
暗闇が、首を縦に振ったように見えた。光の届かぬその場所から、無数の視線を感じて腕をさする。
「冬巫の先をな、至という。至は、死して地下へと赴く」
かつての春巫は息を止めた。
「そして、語れぬ神、古き母にお仕えするのだ」
だから、四季の巫覡は身よりのない孤児たちが務めるのだ。ひなは愕然とする。自分もあのまま四季の巫覡を務めていれば、殺されていたのか。
「……ひどい」
「だから、途中で抜ける四季の巫覡がおる。冬巫になれば至になることは免れられんから、秋巫で辞める者が多いのだ」
「そんなの、やりたくないに決まってるじゃないですか」
「やはりそう言うか。あんたは秋巫で辞めるとは思っていたよ」
「だって嫌ですもん。なんで秋巫……冬巫姉さんはやろうと思えるんですか。私には分かりません」
「羨ましく、思ったからだ」
感情の無い声が、寒い部屋にぼとりと落ちる。
「なんで、何が!」
「彼女たちを夢に見たのだ。死して尚若いまま、姉妹のように暮らす。母と共にな」
「そんなの、何が羨ましいんですか!死んじゃたら、もう終わりじゃないですか」
「いいや、終わりじゃねえよ」
突然口を開いた彼を見上げる。黒い瞳は光を映さず、マキを見つめていた。
「俺も地下にいたことがある。でも生きていた」
「それは、晴瀬に神が憑いてるからなんじゃないの。四季の巫覡はみんな、普通の人なんだよ」
「冬巫になり、ここで長い時間を過ごすにつれ見込まれていくのだよ。そしてあちらからお呼びが来たら、地下へ赴く」
「でも……でも!」
「混乱も理解できる。私もかつては、分からなかった」
「混乱、とかじゃないです!だって、おかしい……」
「それは、人それぞれだろ」
晴瀬の黒い目が、ひなに移る。見たことの無い彼の表情に、彼女はゾッとして目を逸らした。
「……だって、生贄は禁止されてるじゃないですか。そんなことをしても、太陽神様はお喜びにならないって」
「至は生贄とは似て非なるものだ。それに、至たちが仕えるのは太陽神様ではない。語れぬ神、古き母。明鳴のかつての祭神を覚えているか」
「月の神、海の神、神々の母」
「三柱おられるが、その実同じ神の違う姿だ。月は海、海は母、母は月。この神社は母神をお祀りしている。至が仕えるのは、母神様だ」
「……それだって、ダメって言われてることなのに……」
「何事にも、例外というものが存在する。この母神を宥めることができなければ、地上の四季は乱れ、実りが失われてしまう」
「じゃあ皆でお祀りしたらいいのに、なんで誰かが死ななくちゃいけないんですか」
「先ほど自分で言ったろうに。それを禁止されておるからだ」
ひなは、歯がゆかった。
胸の中でのたくる違和感が、どうしても言葉にならない。生きている年数の違いが、そのまま彼女と彼との差だった。
「その至たちに聞けば、マキを救う方法が分かるんだな」
「はい」
「どうやったら行けるんだ」
彼の声は急いていた。
「そこの祭壇の下に、階段が現れれば下りることができます。そのためにはお伺いを立てなければなりません」
「よし。やろう」
晴瀬は立ち上がる。
「今からはできません。地下へ続く扉を開いていいのは日没の時だけ」
「じゃあ、明日になるのか」
「明日もできるか、分かりません。階段が出現するかどうかは分かりませんから」
「それじゃ、その間マキはずっとこのままだって言うのか!」
「ええ」
「その間に殺されたら……」
「お気持ちは分かりますが、致し方の無いことです。私たち人間には、どうしようもない」
「神なんかに、屈してたまるかよ」
晴瀬はどかりと腰を下ろす。
「絶対に、マキを助ける。明日きっと、地下に続く階段が開く」
そう、彼は祭壇を睨んだ。




