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そしてまた月は満ちる  作者: 春日野霞
三 水底
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神殺し*二

※相変わらず、身に痛みを受ける描写が続きます

2020.12.31 投稿

 燃えるような緑の瞳は、光も孕まず朝日を見据えた。

 赤金色の槍を構える。光がじわじわと集まって人の形を作ろうとするそれに、鋭い切っ先を繰り出す。

 ガキン!と火花が散る。

 無言で何合か打ち合う。マキの瞳は、余裕の笑みを浮かべる涼葉を睨んでいた。切っ先の動きをとらえきり、腕がもげそうになる衝撃をいなし、隙に入り込み一歩踏み出し、光の切っ先を彼女の眼球へ、

「甘い!」

 白銀は赤金を薙ぎ払い、丸腰になった彼女の腹を鈍い音と共に貫いた。

 発火したように熱くなり、全身を沸騰した血液が駆け巡る。抜き取られて膝を突くと、痛みは視界を奪うほど激しくなる。マキはうめいて、地面を殴りつけ、やり過ごした。

「強くなったけど、あんたには一番大事なものが欠けてる!」

「……いい加減教えろ。わたしに欠けているものが、何か」

 もう、何十回と経てきたやりとりだった。

 次の言葉は決まってこうだ。

「もっと、ぐわっていうやつだよ!」

 まともな答えを提示しない。怒りと共に女に突きかかる。すると決まって、涼葉は満足気に笑うのだった。

 闘った数と敗戦の数は、相変わらず同量だ。しかし確実に、一回の勝負が長くなっている。前よりも、朝日を貫く瞬間を、鮮明に思い浮かべられるようになっていた。

 しかしその日も打ち負かされ通しで、夜を迎えた。

 苛立たしさをぶつけるように、現れた葉来を睨む。

「八つ当たりをするくらいなら、いい加減自らの沖で術を使ってみろ」

 マキは未だ、沖を読みそれを操る鍛錬を続けていた。複雑さもいくぶん鮮明に捉えられるようになり、前の大蛇も半分は難なく消せるようになった。しかしそこから先は焦りと共に、なんとか対処することになる。そして最後まで消すことができずに、蛇は再び全身を取り戻し、襲い来る。三日に一度は、かわし切れずに全身を焼いた。百度の槍と一度に食らった方がいくぶんマシだろう、という痛みだった。

 それでも彼女は頑なだ。

「使わん」

「……それができんわけではないから、無理強いはしない。しかしそれができんと神は殺せない」

「それならどうやったら神を殺せるのだ」

「術を使う」

「どのように」

「俺に言えるのはそれだけだ」

 マキも、理解してはいた。足りないのは、涼葉の言う「一番大事なもの」だけなのだ。それに少しでも近づくには、涼葉の相手を続けているばかりではならないとマキは思っていた。情報を得なければ、考えもロクな方へは走らない。葉来に直接聞いたところで答えないのなら、別な方向から攻めてみるしかない。

「ここは、どこなんだ」

「最初に説明しただろう。余計なことを気にする暇が……」

「神の居場所は神聖であるはずだ。このように荒涼としているわけがない」

 鋭い声を挟む。

「わたしは神に、それ相応の沖があることを知っている。ここにはそれがない。欠けている」

 マキは、夕陽のような瞳を睨んだ。夕陽は淵を、睨むともなく睨む。淵は闇の中にもあり続けるものだったが、夕陽はいずれ没する性質を持つものだった。

 彼は瞳を閉じ、重々しく口を開く。

「……ここは、棄てられた神のいきつく場所だ」

「それならお前らは、神の眷属をかたる化物なのか」

「沈んだ後の太陽を崇めていた昔が、あった。お前は知っているか」

 葉来の声が、厳かな響きを含む。

「知らない」

「神とは、天地の霊力ある沖に人々が願いを投影することで、形成される存在だ。人々は神を崇高なものだと崇め、信仰する。それこそが、神の存在を強固にする。要するに、天地と人間の沖が交感することによって初めて、成立するものなのだ。だから人々に願いの対象とされなくなれば、力を失い地上の居場所を失くす。しかし神は消滅できない。始源と歴史は、葬り去ることができないからな」

「棄てられた神、というのは、信仰を失った神ということか」

「そうだ。折を見て地上に顔を出す神もいるが、それは己の性質と結びつく対象を有する神にこそ、可能なことだ。没した太陽の神は依代がないからそれが叶わない。ここが居場所と言い換えてもいいだろう。だから最初、お前には神の居場所だと説明した。偽りはあるまい」

「嘘ではないが虚勢ではあるな」

 マキは口端に嘲笑を浮かべる。葉来はゆっくりと目を開いた。

「反論はしない……言いたいことはそれだけか」

 彼女が頷くと、その日も同じように、炎の大蛇を消すための夜が始まる。マキには、自身に足りない大事なものが何なのか、掴めそうな気がしていた。それでも、思考を並走させて敵う相手ではない。焼き殺されるのは御免だった。端緒は一度凍結させ、胸の奥に沈める。

 葉来は、その日も太陽が昇る少し前に姿を消した。そこから涼葉の現れるまでの間を、いつもは休息の時間に充てていたが、その日のマキの瞳は爛々と輝いていた。槍を抱えて座り込む。

神を殺す、その瞬間の感触が、手の中にある。

「これは予感だ」

 端緒を胸の底から引っ張り上げ、ありはしない心臓の熱で解凍する――葉来の言動への疑念。神の性質。怒りを見せたその時の、涼葉の満足気な笑み――これらを組み合わせることで、神殺しの方法を掴めやしないか。

「自らの沖を使う術を、葉来が鍛えないのはおかしい」使えればそれでよい、などという程度で神が殺せるだろうか。それこそ、操り返されて終わりだろう。しかし「それができんと神は殺せない」。それなら、やはり使えればそれでよいのかもしれない。人間が自ら発する術には、神は抵抗を示さない?という考えが浮かんだが、そんな浅はかなことではないだろう。それに、最初は使うことを強く要請してきていた。

 それをしなくなったのはいつか?

 記憶を辿ると、定かではなかったが、自分が過去を話した後からのような気がしていた。となれば「わたしが自ら術を使おうとしないことそのものに、理由がある?」

そもそも、神を殺すまでの力量を身につけることが無理な話だ。葉来や涼葉の沖でさえ、読めはするものの攻略できるものでは到底ない。だから鍛錬は、神を殺すための「何か」を発動させるための、最低限の技術を身につけさせるためのもの。

 となれば?

 東の空が、銀を滲ませている。

 神は力で殺すものではない。そもそも神とあろうものがこのような荒野に落とされたのは、いわば人々に「殺された」からだ。それは信仰の喪失。神が成り立つための動機の一部を失ったこと。

 銀は赤に染まる。「その時」が迫っている。

 しかし自分は神を「信仰」してはいない……という思考に陥りそうになり、「違う」と引き留める。

 神の性質を捉えて、それを利用するのだ。

 人々の願いを当てられる存在でなくなったとき、神として地上に立てなくなる。神は人の願いがないと、成り立たない……「それも違う」

 夜が、明ける。

 花開く光に押し出されるようにして現れる、娘の影。とびきりの笑みに、白銀の槍を振るっている。

「あと少しなのに」

 疎まし気に彼女を見据えると、にた、と笑った。

 ――怒りを見せたその時の、涼葉の満足気な笑み。

 ぎゃ、と銀の切っ先が光る。

 神は人間の感情や性質に、影響されやすいと言い換えられはしないか?

 だから、感情を見せた時に彼女は笑うのではないか。一方で、武術で勝ろうとしたときには、甘いと一蹴する。

 赤金の槍を、構える。

 それなら、きっと、足りないのは殺意だ。明確に相手を消してやろうという意気がないから、涼葉を貫くことができないのではないか。

 マキは、一切の濁りを抱えていない、その存在を見据える。何度も殺された痛みが全て、彼女への憎悪に書き換えられ、殺意を纏う。

 朝日を宿して輝く緑の瞳に、涼葉は満足気な笑みを浮かべる。マキは確信した。ありったけの殺気をぶつけるように、彼女の顔真っ直ぐに槍を放つ。

 しかしぶっ刺されたのは、自分の腹の方だった。

 なんど食らっても、慣れはしない。膝を突き、全身を痙攣させながらも、憎らしい相手を睨む。

「それじゃ全然、足りないよ!無いのと同じ!」

 膝をついた自分を恥じた。

「なめやがって」

 憎しみは、一度湧くと留まることを知らない。だからこそ、今しかないと直感している。奥底からの殺意を、声帯を介して迸らせる。涼葉は喜色を満面に貼りつけ打ちかかってくる。襲いかかる衝撃も、金属のぶつかる激しい音も、マキは知覚しない。強い感情が身体感覚を殺していた。

 それが身体の範囲を越えて彼女の眼を貫く……「まだだよ!」

 ガツン!と強い音が、マキの耳に割り込む。

 集中をぶった切られて茫然となる彼女の首を、槍が貫く。目が、様変わりしていく空を映している。水没する恐怖のような、無呼吸の域。もがけどもがけど、空気は肺に流れ込まない。空が遠ざかる。そのまま意識を手放してはならない。生き返れ、

生き返れ!

 意識を掴んで引き摺り上げ、息を吐き出す。彼女は明滅する視界に涼葉を睨む。ここで折られては、いけない。まだだ。渾身の一撃を裏切られたからって、それがなんだ。今までだって何度も立ち上がってきた。

 静かな水平の広がった胸に、新鮮な憎しみが目を覚ます。

 その、眼球を、貫いてやる。

 そう思った最初の感情が、天に向かって真っ直ぐに伸びる。

 マキの動きに迷いはなかった。透明な、一撃だった。

「あ」

 手ごたえ。

 爪先から、金の粒が駆け抜けるような快感。

 赤金の槍は確かに、涼葉の片目を貫いていた。

「おおあたり」

 と破顔する彼女が気味悪く、槍を抜く。穴の開いた眼球から、彼女は溶けるように二つに割れ、地面に触れる前に宙にかき消える。不意に大気が震え、眼前に沖が集まっていく。見上げても見上げきれないような、膨大な要素を有した、沖。

「神だ」

 それが収縮し、人の形を成す。

「ここまで至った奴は初めてだ」

 残照の光を集めたような、銀の瞳を細めて笑う。

 それはいやに首の長い、女のように見えた。水の底に響き渡るような声は、男のような低さを纏っている。体躯を見る限り性別は判然としない。

「女。名前はなんという」

「マキ。あなたの名は」

「は?」

 神が、長い首を傾げる。

「名を知ることで認知を区切る。あなたが言ったことだろう」

「はて、お初お目にかかる者だが」

「あの二人はお前の眷属なんかじゃない。あなた自身の分身だ。違うか」

「なぜそう言える」

「沖を読めば分かる。二人のものがちょうど二つ、混ざり合っている」

 神は低い声で忍び笑う。

「見込み以上だ」

 神の背後から、ふわりと風が駆ける。

「私を殺す方法も見当がついていると見る」

 銀の瞳が、夏の夕刻のような光を湛える。

「私の名前は、八乎だ」

 彼女の頭上に、炎の球が現れる。

「何をしようとしているかは、分かっているな」

 言葉が終わらぬ前に、巨大な球はマキを襲った。

 沖を読める、と思った自分の浅薄を知る。

 彼女は絶叫と共に炎に包まれた。

 意識が遠ざからない。身体も無くならない。肉が爛れ、神経が焼け焦げ、眼球の水分が蒸発していく強烈な痛みが、不断に襲い来る。いつも炎に呑まれたときは、自らの意識が終わることを切に願う。マキは歯を食いしばった。今回ばかりは許されない。それは同時に死を意味する。

 終われないなら、ひっぺがせ。

 操り返せ。

 しかしありもしない身体は、言うことをきかなくなる。乾いた地面に倒れ伏す。それでも心を、絶対に折ってはならない。

 ひっぺがせ。

 それはできない。

 意識が遠のく。

 死にたくない。

 マキは業火の中で拳を握る。

 このまま終わりたくない。

 代替品のように生きてきた過去。こだわれ。それをくだらないと笑われたために自ら棄却すること、それこそが、今までの自分と同じ生き方だ。自らの道を歩きたい。そのために力を、死の世界でやっと手にした気がした。

 生への渇望が線香花火のように、中央でぎちぎちぶるぶると膨れてくる。

「死にたくない!」

 咆哮と共に、身体が爆発する。彼女の沖は炎の塊を爆散させ、中空に躍り上がる。一転して氷漬けになったような錯覚に、むしろ頭が冴え渡る。神の殺害に至る、一本の道が、眉間から真っ直ぐ未来へ伸びる。

 神を見下ろし、己の奥底に溜まる苦しみを反芻する。それを核に、青さすら纏った炎が、彼女の手の平に灯る。

「くだらないと、いつまでも笑うがいい!」

 マキはそれを、神へと振り下ろした。

「太陽の神に熱など使ってどうする」

「言わせるな。炎は主眼じゃない。わたしの苦しみを味わえ。神のお前にも苦痛であるはずだ」

 炎の中に、人影が現れる。八乎に絡みつき首や腰を絞める。神が苦悶の声を上げている。マキはゆっくり、地上に降りる。神が人間の感情や性質を取り込む性質を持つのなら、それが苦しみになっても同じように影響されてしまうはずだった。だから自らの苦しみを、沖に乗せて投げつけたのだ。

 苦しみの声を上げていた神は、動かなくなる。そして人の形は外側からぼろぼろと零れていき、跡形もなく消え去った。

「私は神を、殺した」

マキは、詰めていた息をは、と吐く。全身から力が抜け、がっくりと手を突いた。

 終わった。

『神殺しというのは言葉の綾だ』

 青い炎は人……八乎の形をとったかと思うと、マキに飛びかった。光に視界を奪われた彼女に為す術は無い。上から潰されるような、下から突き上げられるような、前後に激しく揺さぶられるような。捉えどころのない衝撃に、身体が砕けそうになる。

 衝撃が過ぎ去った後、目を開けてみると、右腕に真っ赤な痣が飛び散っていた。

 嫌な予感が胸をざらつかせる。

『お前に憑りついてやったよ』

 脳内に声が響き渡る。

「私を乗っ取るつもりか」

『発想は小娘だな。お前は神を憑けたのだ。常人にできないことが叶う身体となった』

 右腕が、発火するように熱くなる。

『まず手始めに、この荒野から地上に返り咲かせてやろう。お前も本望とするところではないのか』

 マキは全身に、ありもしない熱い血が巡るのを感じた。

『その意気だ。右腕の痛みに耐えながら、西へ走れ。沈む太陽に滑り込めば、お前は地上に出られる』

 気がつけば、影の色が薄くなっている。太陽の光が、雲もないのに弱まっていた。

 マキは言われた通りに、走った。太陽の沈む方向がどちらなのか、正確に分かった。それも神を憑けたからこそなせる業なのだろう。

 しかし

「あなたは私を利用しようとしているのだろう」

『何のために』

「自らへの信仰を取り戻すため」

『そうだ』

 手癖の被害者意識が胸を襲うが、マキは息を吐く。自分が考えなければならないのは、神の言いなりにならない方法ではない。いかに利用してやるかだ。

 まだ見ぬ斜陽に思いを馳せ、彼女は冥界での最後の試練を潰しに走る。

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