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そしてまた月は満ちる  作者: 春日野霞
九 愛着<上>
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解き放たれる口伝

2021.02.20 投稿

 三日後の昼過ぎ、裏口から明鳴神社へと出発した。買い出しと休みのために二日おき疲労から解放された三人は、軽い足取りで槻白へと向かっていた。

 夕方になり、西の空が血のような色に染まる。青と黄のあわいに、細い月がつるりと白い。まるで血に沈んだ空から逃れるような位置でしんとしていた。

「三日月だね」

 ひなは大きな瞳で、月を真っ直ぐに見上げた。

「そういえば、明牙神社で晴瀬のお堂を見たよ」

 あの暑い夏の日を思い出す。

「ああ?……ああ、そういうことか」

「まさかその日に、本物に会うことになるなんて思わなかったなあ。私、晴瀬ごっことかしてたのを思い出してたんだよ」

「なんだそれ」

「春軌と晴瀬の対決をちゃんばらするんだ」

「やめてくれよ……」

「私晴瀬役をよくやってたんだ」

「そんな軟弱者の役などよくできたな」

「だって晴瀬のこと知らなかったし。でも、マキだって神社で見る晴瀬の神楽は好きだったって言ってたじゃない」

「記憶にない」

「その話もっと聞かせてくれよ」

「だまれ」

 ぶっきらぼうに顔を背けた彼女がなぜかおかしく、二人は声を上げて笑った。

 それからも、旅の思い出話に花が咲く。やがて至る温かな寝床を思いながら、三人は背後に迫る夜から逃げるように道を行く。

 日が山へ下りていこうとする頃、村の入り口を示す冠木門が見えてくる。懐かしいにおいがひなの鼻孔をかすめた。

 彼女は僅かに緊張していた。手紙では「帰ってこい」と言ってもらえたが、本当に受け入れてもらえるのだろうか。もう前までの日々は、当たり前に戻ってこない。受け入れられたとしても、客人としてよそよそしく扱われるのだろうか。それに耐えられるだろうか。

 彼女の肩の強張りを察し、マキが背中にそっと手を添える。ひなは、その鮮やかな緑の瞳を見上げた。

「……大丈夫かな」

「邪険にされることはないだろう」

「ほんとに……?」

「あ!」

 寒空に、元気な子供の声が響き渡る。

「おかあちゃーん!来たよ!帰ってきた!」

 その声に、村人たちが小走りに集まってくる。三人が門をくぐるとき、行く道は村人たちの歓声に埋め尽くされていた。ひなはどんな顔をしてよいのか分からず、二人を見上げる。晴瀬は笑顔で手を振り返したり話の相手をしたりと大忙しだったが、マキは脇目も振らず表情も変えない。

 二人とも、いつもと変わらないのか。ひながそう溜息を吐いたとき、マキが突然瞠目した。ひながどうしたのかと問いかける前に、「どけ!道を開けろ!」と叫ぶ。村人たちは突然の声にシンとなる。彼女が駆け出すと、蜘蛛の子を散らすように道の脇へと避けていく。目配せをしたひなと晴瀬が追うと、マキの向かう先には何人もの人型が並んでいた。

「なにあれ」

 ひなが驚きを口にするのと同時に、村人たちは波のように道の脇から逃げていく。恐怖の声がたちまちに村を満たした。

「化物じゃなさそうだぞ」

 人型は横一列に並ぶのみで、ピクリとも動かない。

「じゃあ、何?」

 ぞわぞわと腹の底に蠢く恐怖が、ひなを震え上がらせた。近づいてはいけないと警告が、身体の中で鳴っている。化物退治の時、何度だってそれを無視してきた。しかし今回は訳が違う。奈落の底に突き出されたような、もっと本源的な恐怖に彼女は立ち止まった。

「どうしたんだ」

 晴瀬は振り返った。

「こわい」

 腕をさすって、彼女は一歩退く。

「早く。俺じゃマキを止められない」

 マキは木のように並んでいるだけの人型たちに術を繰り出していた。しかし、術はあっけなく人型の身体をすり抜けて、後ろの家や畑を破壊してしまう。それでも彼女は、一向にやめないのだ。

「でも、いやだ!」

「仕方ねえな」

 晴瀬はひなを担ぎ上げた。彼女は全力をもって暴れるが、あっけなくマキのもとに連れていかれる。

「やめろ!村が荒れちまう」

 晴瀬はマキの肩を掴んだ。

「しかし、消えんのだ!」

 彼女は珍しく焦りを浮かべている。動揺に目が泳ぎ、恐怖なのか腰が引けていた。

「こわいのは分かる!でもマキ、落ち着いて!」

 下ろされたひなは、晴瀬にしがみついて必死に叫ぶ。

「あれは普通の化物じゃない。もっとこわい!でも村を巻き添えにしちゃいけない」

「沖が淀んでる。化物よりもっと、人間っぽいな」

 晴瀬はあくまで冷静だった。

「何百年も扉の開かない地下から這い出てきたような沖だ。死者の無念のような。それに、明確な敵意を持っている……私に対し」

「マキに?」

 彼女が取り乱しているのは、それが理由だろう。

「夜は奴らの時間だ。月も出ている。勝ち目がないんだ」

「どうしてそこまで分かるの」

「勘だ」

 空を紅潮させる太陽が、黒く焦げた山にずぶずぶと沈んでいく。晴瀬はそれをちらりと見て、マキの前に歩み出た。ひなは慌てて彼を離れる。

「話を聞かせてくれないか」

 晴瀬は黒いのっぺらぼうたちに、よく通る声を放つ。

「お前たちは、なぜマキが敵だと思ってるんだ」

 人型たちはシンと黙っている。晴瀬は更に一歩近づいた。

「マキがお前たちに何かしたのか?」

『そいつのせいで、いちぞくがほろんだ』

 唇も舌も萎えた骸が、口をきいたような声が返ってくる。気味の悪さに、ひなはたまらず耳を塞ぐ。今すぐに逃げだしたかった。自分がいても何の役にも立たないことは明白だ。それどころか、二人でも敵わないかもしれない。

「逃げよう!これは駄目だよ!」

 マキでさえ、一歩後ずさる。太陽はみるみる内に山に食われていく。

「早く!」

 ひなはついに、マキの手を取って駆けだそうとした。しかし彼女は足をもつれさせて倒れる。彼女が、小さく震えていた。いつもと違う様子に、ひなは泣きそうになる。あの人型にやられて、為す術なく殺されてしまう光景が脳裏をよぎった。

「晴瀬!逃げよう!」

それを無視して、彼は尚も問いかける。

「何をすれば、鎮まってくれるんだ。教えてくれ」

『そいつのせいで、いちぞくがほろんだ』

 人型の輪郭が溶けて繋がり、一本の棒のようになる。

『ふくしゅうのときを、まっていた』

 片方の端を頭として、音も無く近づいてくる。ゆっくりとした動きにひなはなんとか活路を見出し「早く!」とマキを立ち上がらせようとするが、彼女は石になったかのように動かない。

 マキには、人型だった闇の声が聞こえていた。

 それは、一方的で品の無い罵倒だった。いつもなら嘲笑一つで片付くようなものだが、問題は言葉にはなく、それを放つ意志にある。存在の支柱を、根元から千切り取ろうとする意志。

 復讐の時を待っていた。

 何百という年の間、自分を消し潰すことだけを考えていたのだろう。張りつめた力が弛緩していく。そんなものに、敵うわけがない。

「……悪かった」

 小さく口を吐いたとき、声をかけ続けていた晴瀬が振り返る。

「そんなこと言うな!お前が何をしたっていうんだ!」

「少なからず、人を殺している」

「でも、あれとこれは違う。認めたらだめだ。食われる!」

 棒は眼前まで迫る。晴瀬が動かないマキを抱え上げ走り出そうとしたその時、突然棒が回転したかと思うと巨大な花のような形になり、二人を飲み込んだ。

 離れて見ていたひなは口をおさえる。二人は死ぬのか。月下に倒れた冬巫を思い出し景色が滲む。逃げてしまいたくて引ける腰を叩いて、ひなは二人の名前を必死に呼んだ。

 二人を包んだ闇は、みるみる小さくなっていく。それが消えたとき、二人の姿まで見えなくなっていたらどうしよう。ひなのおそれに反して、立ったままの晴瀬と抱えられたマキが姿を現す。闇は自ら縮小しているのではなく、マキに吸い込まれているのだった。彼女の四肢に力はなく、ぶらりと垂れ下がっている。

「マキ!」

 彼女は二人に駆け寄った。すぐさまマキの胸に耳を当てる。鼓動は確かに聞こえていた。首を触っても、十分に温かい。

「良かった……」

「いいや」

 晴瀬は固い顔で首を横に振る。

「見てみろ」

 彼の視線の先、彼女の唇を見てギョッとする。それは真っ黒に染まっていた。

「爪もだ。ここじゃ分かりにくいけど、肌も黒ずんでる」

「あの、黒いのがマキの中に入ったから」

「おそらくはそういうことだろうね」

 背後からの声に、ひなは飛び上がって驚く。そこには懐かしい人物が立っていた。

「秋巫姉さん……!」

「久し振りだね。ちなみに今は冬巫だよ」

 相変わらず表情を変えずに言うと、彼女は晴瀬に一つ頭を下げる。

「ようこそおいでくださいましたと言いたいところですが、大変なことになりました。ひとまず神社にいらしてください」

 晴瀬は、松明を掲げた彼女の後についていく。ひなもその後に従うが、「お前はそっちじゃないぞ」と後ろから襟首を掴まれる。

「ぐえ」

「村の人たちの不安を宥めなきゃいけないだろ、手伝え」

 見上げた先の青年は、夏巫だった。

 ひなの口で、言いたいことがあわあわと行き交う。散々逡巡した挙句に「元気だった?」と尋ねた。

「ああ。手のかかる後輩が居なくなった分、力が余ってしょうがないくらいだ」

「それ私のこと?」

「じゃなきゃ誰のことなんだ」

 と彼は笑う。

「私、前よりずっとちゃんとしてるんだから。もう前みたいに怠けたりしないし」

「お手並み拝見だな。きちんとしてくれよ」

 こちらを窺う村人たちの瞳を見て、それが容易でないことを覚った。

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