三人組
2021.02.18 投稿
「毎回毎回、すぐどっか行くんだから!」
西の宿へ入る裏口の側で、ひなが腰に手を当てる。太陽は随分と傾いて、西の空は焼けつくような橙に染まっていた。
「すまん。暇だったんだ」
「暇だったあ?今回はいつもより時間かかったけど、私が仕事しなきゃ宿なしでしょ!ちょっとは我慢しなさいよ!」
「悪かったって。今日は団子を買おう。西の宿の団子は旨いだろ」
「そうやっていつも食べ物で誤魔化す!私だってもう子供じゃないのよ」
カンカンになった彼女の顔は、三年前よりずっと大人びていた。肌は小麦色に焼け、大きな瞳には明るさに加え意志の強さが宿っている。身体は引き締まり、男物の装束がよく似合っていた。
「じゃあ、どうしたら許してくれるんだ」
「二度と私を待たせないと約束すること!」
「それは……」
「断れる立場なのか」
マキは晴瀬を一瞥し、ひなに軽く頭を下げる。
「私がもっと注意をしていればよかった。すまない」
「ほんとよ。今度からはもっとちゃんと引き留めてよね!」
とぷりぷりしながら身を翻し、苦笑いをした門番に会釈をする。すると二人は黙って扉を開けた。
宿場には、正面の入り口の他に裏口が存在していた。王から賜る手形の所有者のみ、入ることができる。ちなみにこの手形、国が管理をする施設なら、どこでも無料で使うことができた。また必要であれば旅費の請求も可能な万能手形であった。
「宿、見つかったのか」
喉元過ぎれば、の暢気な問いにひなは溜息を吐く。
「見つかったから待ってたんでしょうが」
「騒がれずにおれそうか」
「多分ね。きっと、良いほうだと思うわ」
行き交う人々の声を耳にしながら、三人は暗い裏道を行く。灯りもなく、日暮れの寒さが一層骨身に染みる。しかし三人は顔色一つ変えず、細い道を歩いた。
「ここよ」
裏道にも扉がある宿の前で、ひなは止まる。三人は笠を脱いだ。
「こっちから入れるのか、珍しいな。いつも窓とかから入るのに」
表通りに出れば衆目にさらされ、意味がない。しかし裏通りに出入り口のある宿は多くなく、その場合は窓から垂らされた綱を上って入ったり、地下に作られた食糧庫の入り口から入ったりしていた。
「そうなのよ。いいところが空いててよかった」
ひなは扉を開けた。そこで待っていた品の良い女将に、頭を下げる。
「お待たせしました」
「滅相もございません」
と跪いて「本日は」と挨拶を始める女将の前に、ひなは膝をつく。
「あなた方のおもてなしの心は伝わっております。ご挨拶いただかなくても、十分。ご用意いただいたお部屋を、二人も早く見たいと申しております。案内をお願いできますか?」
「かしこまりました」
一瞬驚いた顔をのぞかせたものの、熟練者らしくすぐに平然として叩頭する。音もなく立ち上がると、「こちらでございます」と入り口のすぐ向かいにある階段を上っていく。
三人を出迎える際、旅館はいつも長い挨拶が述べる。仮にも王の使いなのだから当たり前のことなのだろう。しかし、ほとんど内容の無い言葉を聞かされるために長時間待たされるのは、疲れた身には確かにこたえた。そこで、ひなが断りの言葉を考えたのだった。
通されたのは、三階の部屋だった。旅館は基本的に二階建てで、三階建ては珍しい。調度やその配置、階段や扉の彫り物、灯の間隔など、内装からも丁寧に気が配られている様子がうかがえた。見たことも無い形をした暖房が、惜しげもなく温かさを振りまいている。ひなは寒さに強張っていた身体が、じわりと解凍していくのを感じた。
「お食事はこちらのお部屋でお召し上がりいただきます」
示された右手の部屋には、なんと机と椅子があった。驚く三人をよそに彼女は左手の部屋の一つを開ける。
「おやすみはこちらでお願いします。御一方に一部屋ございますゆえ」
既に灯がともされた部屋に、大きな寝台が一つ置いてある。
「あの、もしかしてここは、王族の泊まるところではございませんか」
椅子や寝台は、王族や側近の家臣のみが使う生活様式だった。欄間に施された模様や、派手ではないながらも手のかけられた家具も、単に身分の高い者が泊まる場所以上の物だった。
「左様でございます」
「すみません。ちょっと間違えたみたいで……」
「王様から、こちらにお泊めしてもよろしいと予めお達しをいただいております」
「えそうなんですか」
「そうでなければ、そもそもお通ししたり致しませぬ」
「ああ……」
ひなは頬をかく。最初の挨拶をきちんと聞いていれば分かったことなのだろう。時には必要な情報が混ざっているのだと三年目にして知る。
「お勤めを果たされたこと、王様も大変喜んでいらっしゃるそうですよ。お三方がいらっしゃいましたら、最高級の料理をお出ししろと申しつけられております。ただいま料理人が腕を振るっておりますので、お食事の時間までお風呂で旅の疲れを癒してください。他にお泊りのお客様はいらっしゃいませんので、ごゆっくりどうぞ。場所は一階にございますが、ご案内いたしましょうか」
「構わない。場所だけ教えてほしい」
「一階におり、左へ曲がったところにあります。赤い暖簾が女湯、青い暖簾が男湯にございます。お着換えは脱衣所に用意してありますので、そちらをお使いください。他に何かお聞きしたいことがございましたら、こちらの鐘を三度鳴らしてくださいませ」
階段を上ったところに下げられた、小さな釣り鐘を示す。女将は深々と頭を下げると、階段を下って行った。
ひなは二人を振り返る。晴瀬は早くも「すげえな!」と目を輝かせ部屋のあちこちを見て回っているが、マキは案の定ぶすくれていた。
「マキは、まだ王様が気に入らないの?」
彼女は頷く。
「どうして」
「理由はない。私の神縣が、そういう気持ちにさせているだけだ。しかし化物退治はまだ終わっていないのに、果たしたものと認識されているのには腹が立つ」
マキは荷物を部屋に置き、笠を脱ぐ。「見ろよ。こんなところに桜の模様が彫ってあるぜ」と欄間を見上げる晴瀬を無視して脚絆と手甲を解く。荷物から何枚かの手拭いを取り出し、黙って部屋を出て行った。
「……怒ってるんだなあ」
ひなは独り言のように言った。
「さっきも怒ってたぜ。あと一つ見つからないのがもどかしいんだな」
「なんか余計なこと言ったの?」
「もう終わったも同然って言った」
「またそういうことを。マキが一生懸命聞いて回ってたの見てたでしょ」
「でも今は休みの期間じゃねえか。それに、終わったも同然と思うことに嘘はないし」
ひなは溜息を吐く。この、人目を憚らぬ素直さとマキの強情の間を、何度取り持ったことか。それなのに二人は一向に学習しようとしない。生身のまま互いにぶつかっていく。ひなは苛立ちが抑えきれず爆発しそうな時があった。しかし、そもそも彼らは目が回るような時代を超えて、なおかつ神が憑いている人外なのだと思うと、自ずと諦念が湧いてくる。
「でもね、あれだけ必死なマキにそんなことを言ったら、怒るでしょ」
「まあ、そういうところが好きなんだけどな」
と笑う。
「好きなんだけどな、じゃないわよ。イライラさせられて楽しい?」
「あんまり怒んないから分かんねえな」
「じゃあ教えてあげるけどね、楽しくないよ。むしろ不愉快」
「そっか。そりゃ悪いな」
と顔を曇らせる。しかし彼は、明日には……いや、この会話が終わったらすぐに忘れてしまう。ひなは、それでも言い続ける自分もどうかしているのではないかと思うが、そうでもしないと決定的な亀裂が生じるのではないかという怖さが同居していた。
「これから気を付けてよね」
とひなは一応念を押した。
「じゃあ、俺は風呂に行こうかな……ひなは?」
「記録書いちゃうから、まだ行かない。道具を出してくれる?」
晴瀬は返事をして行李を開ける。ひなの荷物は、二人が分配して持つことになっていた。
「今の巻物は、これだったか?」
「違うって。緑のやつ」
「これか」
「それは深緑」
「これか」
「そうそう」
次いで、晴瀬は携帯型の筆と硯が入った箱を取り出した。
「ありがとう」
「三巻も、よく書いたなあ」
「うん。自分でもびっくり」
「何か面白いこと思い出したら、教えてくれよ」
と彼も手拭いをいくつか取り出し、階段を下っていった。
静かになった部屋の中、暖房がパチリと音をたてる。すっかり夜が降り、部屋のあちこちに闇が溜まっている。
ひなは、一番大きな窓を開ける。慣れてきた温かさに、冷たさが割り込んできて身震いした。人々の行き交う宿場が見えるかと思ったのだが、屋台や店の並ぶ通りには面しておらず、喧噪は遠くから聞こえてくる。いくつかの建物の向こうが、ぼんやりと光っている。人々の声は、そこから聞こえてきていた。
南にある正門から、北にあるこちらに向かって真っ直ぐ伸びる、光の川。それを、月の無い星空が見降ろしている。寒さの中に、光がギンと鋭く光る。それでも、屋台や店の光は温かく、そこに集う人々の様子までもが目に浮かぶようだった。
ひなは窓を閉める。冷たくなってしまった肩をさすりながら、文机を探す。食事のための部屋にはなく、寝室に椅子と机があった。机の上には灯りが置いてあるが、火はついていなかった。ひなは灯に火をうつし、机の上に巻物を置く。今日書く分を開いて、墨の準備をする。
硯をすりながら、書くことを頭でまとめていく。
ひなは旅の間、見聞きしたことの記録をつけていた。
旅の間は初めて知ることばかりで、中には受け入れられないようなこともあった。最初は様々な話を聞くのが苦痛だったが、どの話も旅をしなければ聞けなかった話であることに気づいた。
ひなは字を読むのも書くのも苦手だった。それでも、遠くの村の話を語れば村人たちは喜んでくれる。その顔を見る嬉しさに、意外にもここまで続けることができた。
今では、いかに怠けるかということを中心に生活していた頃の自分が懐かしい。
ただ、長年染み付いたさぼり癖が三年やそこらで治ることはなかった。一月前に二十八番目の化物を退治してから、面倒になってしまって一度も記録をしていない。明鳴神社に着く前には、何としてでも書いておきたかった。
ひなは筆を手に取り、墨液をつける。穂先を硯の角で整えると、紙の上に筆を滑らせていく。此度は二十九番目の化物を聞いて回ったときに耳にした話だ。
ひなは時折記憶を辿って宙を見つめ、時折一心不乱に書き連ね、頭に蓄えらえた記憶を紙に落としていく。恐ろしく顔の綺麗な貴人とすれ違ったが、振り返ると消えていたという昨日聞いた話を最後に記し、筆をおいた。
達成感に息を落とし、書いたことを見返しながらふと思う。
「お風呂、遅いなあ……」
二人とも、長湯はしない。マキはいつもさっさと風呂を済ませるのに、上がってこないのは妙だった。
ひなは階段に臨む。壁から突き出た燭台に、ろうそくの灯が揺れている。各段がくっきりとした影を落とし、階段が二重あるように見えた。
様子を見に行きたい。心配は心配だった。しかし二人そろって戻ってこないところを見ると、どうも怪しい。
二十八番目の化物を倒した後、二人の関係性に変化が生じたように見えた。前々から、二人の間には妙な縁があることには気づいていた。ただ互いを好いているのならいくらでもからかうのに、そう単純なものではなさそうなのだ。
ひなはマキから、自分は月の神に憑かれていて、海の神に憑かれている男を好いた挙句殺害する宿命にあると聞いていた。しかし自分は同じ道を歩まないと、彼女は確たる口調で述べていた。
しかし、そう決意したところでどうにかなるものなのだろうか、と傍観するひなは首を傾げている。マキは性格があんな風だから、晴瀬への好意など寸分ものぞかせない。しかし、表情こそは固いが、熱に浮かされたような瞳で――まさに、何かに操られているように――晴瀬を見つめていることがあるのだ。それも、一度や二度ではなかった。
晴瀬は晴瀬で、全開でマキを好いている。さすがに人前でそれを明らかにすることはないが、ひなの前では憚らなかった。ただ、マキがいつもぶった切ってしまう。(ひなはその様子が嫌いではなかった)
たまたま、二人が帰ってこないだけなのではないか。そう楽観するが、無視をすれば事態はいつの間にか悪化をし、見ておけば最悪の状態には陥らなくなる、ような気もする。何もなければそれでいい。ひなは足音を潜め、階段を下り始めた。
一階が近くなるにつれ、話声が聞こえてくる。ひなはわずかに緊張して手摺を握る。
しかし聞こえてきたのは「髪を効率的に乾かすには根元から風を当てるのが良い」というマキの言葉だった。
「それより、温度を上げた方が早くないか」
「温度を上げ過ぎると汗をかくだろう」
「元々かいてるからなあ」
二人の足音が、階段に及ぶ。ひなはなぜかバレてはいけないという気になって、爪先でいそいそと階段を上る。思い過ごしに安堵しながら、旅の記録を片付け始めた。
「あれ、ひなは?」
「ここだよ」
部屋から顔を出す。
「そっちに机があんのか」
「そう。二人とも遅かったね」
「火焚きのやつとつい長話になっちまってなあ」
「火焚き?」
「私たちが入り終わるまで、下でずっと待機をしている。ひなも早く行った方がいい」
上客扱いはいつになっても慣れない。たちまち申し訳なさに身が縮まり「それじゃあ行ってくる」と急いで仕度をし、ひなは階段を下る。その時、マキが長湯になった理由を聞いていないことに気づいた。
ひなが風呂から上がり三階に戻ると、二人は長椅子に座っていた。何やら話し込んでいる様子で、ひなは気配を消すべきかと爪先立つ。しかしマキが彼女に気づいて振り返った。
「髪を乾かそう」
「うん。ありがとう」
マキは髪を結ってはおらず、集めて片側に流していた。綿が入っているため膨れて見える丹前も、彼女が着るとなぜか不格好にならない。それは晴瀬も同様で、ひなは自分だけが冬の朝に膨れた鳩になったような気になる。
「着替えが丹前でよかったね。王族の恰好だったら着られないなって思ったんだけど」
「一応揃えてあるのだろう」
ひなは長椅子に座る。
「そういえば、マキはなんで長湯になったの」
風呂に入っている間中、ずっと気になっていたことを背後に問う。マキが火焚きと話をするはずがないし、調度の美しい風呂に見とれることもないだろう。
「髪を早く乾かすにはどうすれば良いか、思案していた」
「じゃあ、今日はいつもより早く乾く?」
「おそらくな」
まだ旅が始まったばかりの頃、役場の術士が温風で髪を乾かす方法があると教えてくれた。以来、ひなは風呂上りにマキを頼る。夏は気づけば乾いているが、冬はせっかく温まったのに冷めてしまう。旅の身であるためどうしても砂埃にまみれ、冬でも風呂を入らないわけにはいかない。であるから、非常にありがたい術であった。
いつもは温風で髪がふわりと浮き上がり、その感覚がひなは好きだったのだが、地肌をぞぞ、と何かが這う感触に思わず立ち上がる。
「何やったの」
鳥肌の立つ腕をさすった。
「水をまず抜いてから風を入れる」
「えええ、気持ち悪い」
「いいから座れ」
「ええ、いつもので」
「いつものようにやるから座れ」
訝りながらも腰掛けたら、案の定気味の悪い感覚が襲った。
「だから、もう!」
立ち上がって振り返る。マキは僅かに笑っていた。
「悪かった悪かった。もうしない」
「ほんとに?」
「約束する」
ひなはすとんと腰を下ろす。今度こそは頭に温風が当たりひなはふうと息を吐いた。
髪が乾いてすぐ、夕食の時間がきた。
腹を空かせた三人は、料理が全て並べられていくのを、目を皿のようにして見ていた。品よく盛られた小鉢が、いくつか盆の上に置かれていく。見たことの無い料理たちは、それそのものが発光しているようにすら見える。
しかし、空腹に染みるはずの匂いはどうも妙で、三人は内心首を傾げる。
「時間が限られておりましたので数は少ないですが、質は一級品です。お口に合えば幸いでございます」
「急にお願いしたのに、ありがとうございます」
ひなが笑顔で会釈をすると「とんでもございません」と女将は深々頭を下げ、部屋を退いた。
「いただきます」
三人は無言で食事を始めた。最初こそ素早く動いていた箸が、徐々に速度を緩めていく。
「……なんか」
ひなは茶碗を置く。
「まずい?」
と声を出さずに口の形だけで言う。
「よく分からんが、高級なものだということは分かる」
遠慮のない声量で言った。
「舌に馴染まねえなあ」
いかにも、王族の食べ物という味をしていた。上品であるのは分かるのだが、いずれの料理にも、刺激のある、妙な味がまざっているのだ。近い食べ物として浮かぶのは、山椒だろうか。しかしもっとクセがある。丹前はあるのに口に合う食事はなかったのかとひなは思う。
「生活様式すら、これほど違うのだ。味覚も同様だろう」
「食べれなくはないな」
「私は苦手だなあ。でもお腹すいたしなあ」
とひなは青菜の炒めを箸で持ち上げる。
「これ、油だよね。揚げ餅は好きだけど、なんか違う」
「じゃあ、それ俺にくれよ」
「お腹空いたから食べる」
「そうか」
と晴瀬は笑う。ひなは産まれてすぐ明鳴神社に捨てられていたため親というものを知らないが、晴瀬の笑みには時折親のような眼差しを感じた。
「でも、米は美味いな」
煌めく白米を頬張る。
「だってお米はお米だもん。おいしいよ」
炊き立ての匂いを、いっぱいに吸い込む。裏切らない香りに、ひなは頬を緩ませる。
「やっぱりお米はいいなあ」
と口いっぱいに幸福の白い粒を頬張った。
なんだかんだ言いながらも、三人はすっかり平らげてしまう。ぽかぽか温かいのと、満腹感とで、眠気は簡単にやってくる。誰からともなく寝室に退いた。




