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そしてまた月は満ちる  作者: 春日野霞
九 愛着<上>
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共に見た海

2021.02.17 投稿

 目に染みるほど青い冬の空に、百舌鳥の囀りがカンと響く。冬至を半月後に控えた太陽が、二人のいく道を燦々と照らす。彼らの着た白い旅の衣は、陽の光に神々しく輝いていた。

彼らを目にした二人連れが、顔を見合わせる。「晴瀬様方じゃ」と立ち止まり、二人に手を合わせた。

 背の高い男は気まずそうに微笑み、男装の女は鋭い目つきで彼らを見る。しかし拝む彼らは目を瞑っており、二人の表情を目に入れることはない。

 彼らから離れた後、晴瀬が口を開いた。

「息が詰まるなあ、この格好も、ありがたがられるのも」

「いい加減慣れたらどうだ」

「どうも、苦手なんだよなあ」

 明鳴神社を出てから、三年が経った。

 指名手配犯として追われていたはずの三人は、国の英雄に様変わりしていた。

三年前、明鳴神社から次の神社に向かう間、三人は警備の術士たちに捕らえられてしまった。あわや打ち首かというところで、王の命令が下った。なんと、三人に化物退治を行えというのだ。全ての化物を倒せばそれまでの罪も帳消しにするが、少しでも反逆の意を見せれば極刑に処すという文言付きだった。

 晴瀬とひなは二つ返事で呑んだ。マキは最後まで渋面を作っていたが、二人の必死の説得に折れ、王の使者としての化物退治の旅が始まった。

 その際渡された衣服が、白い旅装束だった。さすが王から賜ったものとあり、触れたことなどない布が使われていた。日の光が当たれば勝手に照り輝き、嫌でも神々しく見えた。恐ろしい化物を倒して回る王の使い、という見聞と相俟って、さきほどの二人連れのように立ち止まって拝む者は少なくない。

「この辺、前に逃げ込んだ浜の近くじゃないか?」

 晴瀬は笠の下の目を彼女に向けた。

「……前に逃げ込んだ浜?」

「ほら、三年くらい前にさ。南の宿で追っかけられたろ。で、恒暗が人いないからって連れていってくれたとこだよ」

「……ああ」

 懐かしい話に、彼女は彼を見上げる。

「そんなこともあったな」

「多分、近くだ」

「覚えているのか」

「沖の流れを、なんとなくな」

「そこへ行って何をするのだ」

「海見てえ」

「暇人か」

「たまにはいいだろ」

「ひなを待たせることになる」

 彼女は今、西の宿で宿を探していた。

 マキと晴瀬は、どうしても目立つ。沖の分からぬ人々も特異な雰囲気を感じるらしく、一般の旅装束を着てもバレてしまう。宿場にそのまま入れば、大変な騒ぎになった。一方で、ひながバレることはほとんどない。だから、ひなが先に宿場に入って宿を決め、自分たちが泊まることは内密にと念を押してから二人を呼ぶのが定番になっていた。

 此度も、二人はひなが宿を決めるのを待っていた。それに飽いた晴瀬が、マキを連れだして散歩に出たのだ。

「まだかかりそうじゃないか?冬至の前だから人が多い。祭のために買い出ししたり、故郷に帰ったりするからさ」

「……そうかもしれん」

「じゃあ、決まりだな」

 晴瀬はそう笑うと、杖でひとつ、地面を強く突いた。

 しばらく道を歩き「確かこの辺じゃなかったか」と晴瀬は道を外れて獣道に入る。寒風に震える草を踏んでいくと、やがて海に臨む崖に出る。

 強い風が吹き、マキは笠に手を添える。日光を砕いた海の眩しさに目を細めた。太陽のちょうど真下、水平線に島影が霞んでいる。

「禰々島……」

 彼女の胸に、罪過の意識がよぎる。自然と口をついた溜息は、海風がさらって青空に飛んでいく。新たに息を吸い込んだ胸を、潮の匂いが満たした。

「下まで降りれなさそうだな」

 晴瀬は下をのぞき込んでから、崖の上に腰掛ける。

「今日は大潮だから、浜があんなに小さい」

 見おろせば、満ち来る海と崖に挟まれ小さな浜が怯えていた。

「新月か」

 マキは笠を解いて腰を下ろす。束ねられた長い髪が風になびき、太陽に艶めいた。強い眼光は昔のままだったが、以前のような危ういまでの鋭さは消えている。右目の下には、深く切られた傷の跡があった。

「そうだな」

「となれば、冬至の日がちょうど満月になる」

「ああ……そうか。そういや、今年の冬至の祭はいつもより盛大にやるって言ってたな」

 この国では、冬至の日に一年の終わりを迎える。太陽の力が一年で最も弱くなるこの日、人々は各村の神社に日の出から集い、禰々島に向かって太陽の復活を祈る。冬至の夜は死の世界に最も近い夜だとされている。だからこそ、死の象徴である月が最も力を強くする日と冬至が重なるとなれば、死に連れていかぬようにといつもよりも念をこめて祈ることになる。

「楽しみだなあ、明鳴神社に帰るの」

「そうだろうか」

「いい人たちばっかりだったろ」

 冬至の日、夜はあの世の闇と化す。一人でいれば、また屋外にいれば、簡単にあの世に引っ張られてしまう。だから皆、村の神社に集い夜通し東へ祈るのだ。

 しかしこの冬、三人には居場所がなかった。

「私はあまり居心地が良いとは思わん。最後の神社にそのままおればよかった」

 三人は一月前、遂に二十八の神社に巣食う化物を全て退治した。

 これまでは、冬至の前に化物退治をした神社で世話になっていた。しかし此度は、二十九番目の化物を探すために、最後の神社を離れていた。ゆすらの言によれば化物の数は二十九だったのだ。

三人は方々に尋ね回っているのだが、誰もが化物の数は二十八であって二十九もいないという。そうこうしている内に冬至までの刻限が迫り、どこの神社を頼るか、という話になった。

 そこで明鳴神社を提案したのが、晴瀬だった。理由は特になく、彼自身が気に入った場所であるため単純に行きたいのだという。

 意外にも、ひなは難色を示した。黙って出てきた負い目があるらしい。そこで手紙を出してみると「ぜひ帰ってこい」ということだった。

というわけで、三人は現在槻白に向かっていた。

「三年か。長いようであっという間だったな」

「全て終えたかのような物言いだな」

「終わったようなもんじゃねえか」

 晴瀬は荷物を下ろし笠を脱いで、一つ伸びをした。

 長くなった彼の髪を、風が吹き散らす。白い眼球が嵌め込まれた左目が、何をも映すことなく前を見ていた。明るく人好きのする顔はそのままだったが、越えてきた二百余年もの年月を思わせる風格が漂うようになっていた。

「そう油断して、最後の一つを仕損じるのが世の常だ」

「まあ、なんとかなるだろ」

「その甘さで何度危ない目にあったことか。覚えていないのかお前は」

「でもなんとかなったじゃねえか」

「なんとかしたのは誰だと思っている」

「……やっぱり、お前が好きだなあ」

 唐突に話を逸らされ、マキは彼を睨みつける。

「いつも言うが、それはお前が海の男で、私が月の女であるからだ。お前が好きなのは私ではなく、月の女だろう」

「それも否定しないけど、好きなもんは好きだ」

 晴瀬は、小動物を殺戮するような視線を送るマキに微笑みを返す。

「そろそろ殺されたいのか」

「お前に俺は殺せねえよ」

 晴瀬はマキの肩をそっと抱き寄せる。いつもは触るなと突っぱねる彼女が、今日はそのままでいる。驚いた彼の瞳を睨み上げ「寒いからな」と表情を変えず言った。

 海の男や太陽の神を殺そうとするマキの神縣は、化物を倒すにつれ声を潜めていった。恐らくは化物退治の中で、人々から求められるようになったからではないかとマキは考えていた。神縣は、何であれ人々に希求の念を向けられれば良いのかもしれない。

 だから、晴瀬の海神も、月の女を求める力が弱まっているはずだろうとマキは踏んでいる。月の女と海の男が求め合うのは情緒ゆえのことではない。生存のため、虫が花を欲し、花が虫を欲する関係にたとえられるだろう。月の女と海の男の場合、互いを欲するのは信仰を回復する力を得るためだ。しかしその必要がなくなった今、惹かれ合う力も働かなくなる。

 はずだが、彼はそれに気がついていない。それを良いことに、彼が向けてくる好意を神縣のせいにして突っぱねている。純粋に人として好きという気持ちを向けられることが、そしてそれが晴瀬だということが、苛立たしくて仕方がなかった。

 かつて彼はみちを好いていたのだ。

 明鳴神社の化物までは、その奥にみちの気配があった。しかしそれ以降からは全く消えてしまったのだという。晴瀬は口にこそ出さないが、化物を退治した後に小さく落胆の息を吐いている。

 未だみちを求める心があるのだろう。

 自分は彼にとって、追えども掴めぬ彼女の代替でしかないのではないか。

 過去の怒りが滾る。自分にみちを投影していたとしても、彼はそれにきっと気づかない。それすら含んだ好意の眼差しを、おかまないなしに向けてくる。その目が自分を捉えきれていないことも知らずに。

 この業から、いつになったら逃れられるのだろう。

「お前は俺のこと好きって言わねえよな」

 出し抜けに晴瀬が言う。

「そもそも私はお前が好きではない」

「何言ってんだよ。お前は俺が好きだろ」

 マキは自分の肩を抱く彼の手の、合谷に親指をねじ込んだ。

「いってえ」

 晴瀬は飛び上がって手を離す。マキは笠を手に立ち上がった。

「ひなを待たせている。行くぞ」

 彼女は笠を被ると、杖をついてさっさと歩き出す。「待ってくれよ」と晴瀬は彼女を追いかけた。

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