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そしてまた月は満ちる  作者: 春日野霞
八 黄泉
53/89

絶望

※残酷な描写があります。苦手な方はご注意ください

2021.02.14 投稿

 青颯が目覚めたとき、部屋に灯はついているのに、ハマはいなかった。

 凌光の叫びを聞いた日のことを思い出し、飛び起きる。しかし身体は縛められておらず、上から妙な音が聞こえることもなかった。

 代わりに、隣の部屋からカラカラと何かが回る音がする。よく耳を澄ませると、糸車の音だった。

 また、何か作るのだろうか。

 長く眠ったような気もするが、身体はずんと思い。再び寝転がると、糸車の音に誘われて目が閉じた。

起点も終点もない輪の回転が、糸を生む。糸が織られて布になる。布が縫われて服になる。蠱術が生まれるよりも昔から重ねられてきた営為。書物に記されることのない普遍の底へ、ゆっくり沈み込んでいく錯覚。

「青颯……青颯!」

 兄妹どちらのものでもない声に引っ張り上げられて、彼は目を開く。

 蓋の隙間からこちらを覗く、涙黒子と両の瞳。

 タヒトだった。

 驚きのあまり、声がでない。

「無事ですか」

 青颯は起き上がって、頷いた。タヒトは一瞬隙間から消え、蓋を大きく開いて身を乗り出す。

「はやく」

 来い、と言わんばかりに差し出した腕の先に、手が無かった。巻かれた布に血が滲んでいる。

「それ、どうしたの……」

「今はとにかく、こちらへ!」

 歩み寄りながら、ナダの罠ではないのかと訝しむ。

「はやく。バレたら殊です!」

 声を抑え必死に訴える顔を見る限り、演技でないと思える。生真面目な彼はそんな器用なことができる人ではない。それでも青颯は警戒しながら梯子に足をかける。

「逃がしてくれるの?」

「はい。ですからはやく」

「なんで」

 タヒトは答えず、ハッとした顔で振り返る。彼は手の無い腕を振るい、何かの術を放ったようだった。何かの壊れる、大きな音。

 再びこちらを向いた彼の顔に、諦めと決意があった。

「すみません。気づかれました」

「じゃあ、逃げなよ」

 タヒトは首を振りながら言う。

「凌光は無事です。あなたの術と神縣は蠱術により奪われているのではありません。琥珀の目の化物が奪っているのです」

 タヒトはまた、術を放つ。何かの大破する音。青颯は梯子を上っていく。

「この村の大義のため、あなたが犠牲にされるいわれはないはずです。壁を壊しました。私が足止めをしていますからあなたは逃げて」

 どこからともなく、小さく「ふふ」と笑う声が聞こえる。青颯は目を見開いた。

「言いたいこと、言えた?」

「なぜ」と驚きに歪められた彼の顔を最後に蓋が閉まる。

 直後に響き渡った断末魔を前に、青颯は動けないでいた。

 鈍い音と共に、ゆっくりと蓋が開く。

「ごゆっくり」

 綺麗な顔を紅に飾ったナダは、何かを地下へ放り投げた。温かな飛沫が、青颯の頬を濡らす。ナダは陰惨な笑顔を残して蓋を閉めた。

 手や足が、戦慄いている。俯けた顔を、重さを持った液体がぬめり落ちた。青颯は一つずつ、梯子を下った。

 ナダの投げ込んだものが何なのか。わざわざ見なくても分かる。迫る血のにおい。床に落ちたときの音。視界の端に映った、黄土色の髪の毛。

下りきった彼は梯子を掴んだまま、それから背を向けていた。頬から、赤い雫が垂れ落ちる。

「ごめん」

 己の罪過でないことは知っている。彼も馬鹿ではないのだ。人質同然の凌光が無事であることを伝えてくれたということや、自分がここにいるのを知っていることから考えれば、ナダの行動やその性格についても理解していただろう。その上で、自分を逃がそうという危険を冒したのだ。

 しかし頭でそう理解していたところで、胸中に激しく渦巻く罪悪感を晴らすことなどできない。

彼は自分のために、死んだのだ。

「ごめん」

 手の震えにガタガタと鳴る梯子を、そっと離す。大きく目を見開いたまま、恐る恐る振り返った。

 案の定、タヒトの首が転がっていた。虚しく天井を仰ぐ黄緑色の瞳を、青颯は凝視する。

彼はこのワタドで唯一話の分かる人物だと、青颯は思っていた。自分たちを攻撃するシアラのみが外の人間であるこの村で、彼のように部外者と丁寧に接することができる人間は珍しい。加えて、自分の術士としての能力を認め、敬いすら向けていた。

 ハマがそっと戸を開け、自室から顔を出す。転がった首を見て息を飲み、ぴしゃりと戸を閉めた。

 タヒトはいつから、自分が生きてここにいることを知っていたのだろうか。青颯は部屋の隅に凝る闇に目を逸らす。

 知っていたとしたら、凌光に伝えているだろうか。そうだとしたら、彼女はここに来るだろうか。あの蓋は沖術が鍵になっているため、開けることはできないだろう。しかしそんなことは関係ない。きっと、この上の部屋に到達したらそれだけで、終いだ。

 そうでなくても、自分が何か決定的な反抗を見せれば、ナダは躊躇いなく凌光を殺すだろう。いいや、決定的な反抗でなくとも、そのような素振りを見せるだけで、彼女の肉体を欠損させここに放り込むのかもしれない。分かりきっていたはずのことなのに、今さら恐ろしくてたまらない。

 そうなる前に、自分が死んだ方が早いだろうか。ナダは九の禁書の真理に到達できなくなる。全ての灯を倒し書物を焼き、己が身をも焼いてしまおうか。蠱術がなければこの村を存続させられないのなら、都合が良い。

 青颯の手は床に落ちた書物に伸びる。それを近くの灯に投げつけた。

 しかし、訪れたのは暗闇だった。

「……邪魔、しないでよ」

 部屋から顔を出したハマが、灯を全て消したのだった。

「これだけはさせるなって、兄さんに言われてる」

「また」

兄さんか。と言いかけ、やめる。

「君はどうなの?本当にこの地下室を、燃やされたくないの?」

 闇の中で、背後の彼女に問う。

「ここは私の居場所よ。そんなこと、されたくないに決まっているでしょう」

「昨日みたいに苦しいこと、続けていかなきゃならないのに?」

「それが私の使命だもの」

「そんなこと誰が決めたの」

「生まれたときから、決まっていたの」

「それ、本当に君の言葉なの」

「いいえ。でも、私の言葉なんて、私には不要だわ。そんなもの、私が持っていたって意味がないもの」

 ハマは手の平に、火ではなく光を灯す。

「ここで長いこと生きてる君が言うんなら、それが一番賢い生き方なんだろうね」

 青颯は、向かいの戸に映った自分の影を見る。

「……俺が生まれた村を追い出されたのは、蠱術に生贄なんて要らないって言ったからだった」

 影は微動だにせず、彼を見下ろしている。 

「村では、災厄を退けるためなら、誰かの命を犠牲にするなんて当たり前のことだった。俺もそう思ってた。夏至と冬至の祭の日に、八歳以下の子供を御妣と御子に捧げて、代わりに寄神様というものを得るという儀式があってね。妹が生贄に選ばれた」

 光が小さくなり、影との境がぼやける。

「寄神は儀式の翌日、御妣と御子のいる洞窟から出て、短刀を手に川を下っていってしまう。蓑と笠を着てね。何のためなのかっていったら、先祖の宿願を果たし、村の平和を守るためだっていう。寄神は短刀と蓑笠を血まみれにして帰ってくるんだ。それを丁重に迎えて、また洞窟の奥に返す」

 青颯は足元に目を落とす。骨ばった自分の足から、真っ黒な影が伸びている。

「それによって村の平和が守られてるなら、蠱術なんてとっくに不要になってるはずだ。先祖の宿願が何なのかっていうのも、人によって言うことが違う。知らないっていう人もいる。大して意味の無い儀式のために妹が殺されるのかと思うと、怒りが止められなかった。願いを叶えるに相応しい生贄の選定とか散々勉強してきたのに、そもそも誰かを殺して自分たちは生き残ろうなんていうのはおかしいんじゃないかって思うようにすらなって、儀式の途中に妹を助けようとしたら、袋叩きにされて捨てられた」

「それは、そうなるわよ。おかしいのはあなたの方だもの」

 光の方から、冷たい声が響く。

「大勢死ななきゃならないところを、誰か一人で済むのなら、そちらの方がいいでしょう」

 青颯は「そうかもね」と口の中で言った。

「私、地底の母の化身になっても構わない」

 彼は顔を上げた。

「……死んでもいいってこと」

「ただ死ぬのとは違うじゃない。ワタドの未来のためになるのなら、それでいい」

「また、苦しい思いをすることになる」

「そんなこと、あなたに心配してもらわなくたっていい」

「……兄さんとの子供を身籠ってもらうことになるって言っても?」

 彼女は、すぐには答えなかった。

「その子供、何年も君の腹の中に居座ることになる。それでもいいの」

「いいわ」

「……本気で言ってるの?」

 振り返ると、彼女は戸を閉める無機質な音で返事をした。

 地下室を闇が覆う。

 真っ黒に塗り込められた視覚が役目を失い、嗅覚がざわざわと目を覚ます。鼻の奥に突き刺さる人血の臭いが、妹の死に顔を思い出させる。目の前で喉を裂かれ、御妣と御子に捧げられた妹。

 しかしそんなことは、糸を紡いで服を作るのと同じくらい、自分の血族にとってふつうのことなのだ。全身に張り巡らされた血管の脈動が、己が身を締め付ける。

 そしてまた自分は、同族の悲劇を繰り返そうとしている。

 ハマはあの調子のまま、ナダに子供のことを話してしまうはずだ。委細を問われれば、真実を答えるしかない。彼女の前で虚言は通用しない。青颯は頭を抱えた。ハマは、正気でいられなくなるだろう。狂った人間は何をしでかすか分からないのだ。御妣と御子のもたらした幸福と不幸が、再びどこかで産まれてしまうかもしれない。それによって苦しめられた自分を発端として。

 恨めしいまでの、血の因果。

 何千年と生き延び、那由他の人命を犠牲にした蠱術の先端に自分はいる。鈍い鼓動が送る血液。自分を萌黄の瞳に産んだ血液。一滴の内に何千の犠牲を含みこんだ血液。激しい鼓動は怨嗟に変わる。息を続ける限り、身体の隅々まで満ちた血液の因縁から逃れることはできない。過去と未来が一挙に襲い掛かってくるような感覚に、青颯は絶叫した。

「…………………………………………………………………………まれ、しずまれ、鎮まれ」

 肩を掴む冷たい手に、息が止まる。暗闇に顔を上げるが、誰かがいる気配もない。そっと手が離れた直後、床にぴちゃりと液体の落ちる音がする。

「危ない、ところだった」

ぼわり、と小さな火が点る。それに照らし出された、片目の男。肩から足元までを黒い衣で覆った彼は、両手にタヒトの首を抱えていた。

「血の呪いに、かかるところだった」

「だれ」

無理な叫びを続けた声は嗄れている。咽の奥には血の味が滲んでいた。

「私も、蠱術を継いだ者だ……恒暗、という」

「血の呪いって何」

「……己の先祖の罪深きことを知り、己の血脈を激しく憎むとき、母の呪いが降り注ぐ。それが、血の呪い」

 前髪の下に見え隠れする、ぽっかりあいた穴。青颯はそれから目を逸らせない。

「私は血の呪いによって、歳を取らず、死ねない身体になってしまった……よかった、止めることが、できて」

「どっから、入ってきたの」

「闇を通り、ここへ来た」

 恒暗は目を閉じる。

「あなたに、言わなければならないことがある」

 彼の身体が、闇に透けていく。

「九の禁術を、決して使わないと、罪を繰り返すようなことはしないと、約束してはくれまいか」

 青颯は、目に映るはずの光を食い殺す、真っ黒な瞳を見上げる。「わかった」と口の動きだけで答えた。

 恒暗は頷き、タヒトの首を持ったまま地下の闇に消えていった。

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