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そしてまた月は満ちる  作者: 春日野霞
八 黄泉
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儀式

2021.02.13 投稿

 目が冴えていたはずなのに、いつの間にか、眠っていた。

 青颯は物音に目を開く。暗闇に光が差していた。

それは、背後の部屋の戸が少しだけ開かれ、漏れてくる灯だった。物音は、その戸の向こうから聞こえている。あの、異様な雰囲気のたちこめる部屋だった。

 始まったのだ。

「なんだか今日は緊張しているけど、どうしたの」

 ナダの声は、いつもよりも低い。

「……なんでも、ないです」

 彼女の声は掠れている。

「身体が強張っていたら痛いって、前に教えたでしょう。今日はちゃんとほぐしておこうか」

 ハマは答えない。

 しばらくの沈黙の後、どちらかが椅子からひたりと立ち上がった音がした。

「ほら、寝転がって」

「閉めたい」

 戸のことだろう。

「ダメだよ」

「……どうして」

「時間もないから早くやってしまおう」

 戸から漏れる光、黒い影が覆う。それがさっとしゃがむと共に、床にどん、と鈍い振動が走る。

「戸を……閉めて」

「どのみち君は声を我慢できないんだから、彼は目を覚ますよ」

「でも……」

「ふふ」

 衣擦れの音がする。いくらか間をおいて、ハマの荒い吐息が聞こえた。

 肌を、焦らすように触る音。密のある息に、彼女の喉が鳴る。口をおさえたのか、喉の声を必死に抑えている。「どうせバレるんだから、我慢しないでいいのに」粘液が押しつぶされたような音に、彼女は口から手を離して声を上げた。低い声で抑揚なく話す彼女のものとは思えない、甘い声だった。

 青颯は目を見開く。頭をよぎる「妹との子をつくる」の文字。止めなければ、と心臓が猛る。しかし起き上がって部屋に入ったところで、自分には何もできないのだ。苦しみのような喜びのような声に隠れ、深呼吸をする。落ち着いて考えなければ、負けてしまう。

 鎮火された脳は、すぐ焦燥の誤りに気づいた。もしナダがあの手記のことを知っていれば、とっくに実行に移しているだろう。だからあの手記のことを知らない可能性が高い。

 それに、いつもと違うことをやっている風ではない。ハマは月に一度と言っていた。数々の人間から一度壺に溜め込まれた死にきれない生を、彼女の中に落とすための行為。ハマの声は一層乱れていく。

「どうして泣いているの」

彼女は答えない。

「余計なこと、考えてる?」

 ナダがそう言うと、ハマの鋭い声が薄闇を突いた。

「……そうだねえ、考えてないよねえ」

 黒い影が、むくりと起き上がる。ナダが立ち上がったのだ。

 青颯は、静かに寝返りを打った。戸の隙間から見えるのは、力を失ったハマの足先と、それを見下ろすナダの横顔。床に置かれた灯の向こうに、黒々とした壺があった。

 彼は妹から目を離さず、壺の口の周りを、ひとまわり撫でた。

 音も無く、壺の口から真っ黒い蛇が顔を出す。するすると壺を下りていくと、ナダの傍らで鎌首をもたげた。

「今月は青颯の熱病の分が一番重たいかもね。さ、いけ」

 彼の言葉を合図に、蛇はハマの両足の間に突き込んでいった。直後響き渡った悲鳴。生き返ったように力を有する彼女の足と、その間でくねる蛇体。

「もう、いや、やぁ、めて、やめて!」

 視力の落ちてしまった青颯の目では、ナダの表情まで伺えない。ただ、苦しむ彼女から顔を背けることなく、じっと見下ろしていることだけが分かった。

 ひどい悲鳴は一番高い声をもって終わりを告げる。蛇はズルズルと後退して頭を抜き取る。鱗をぬらぬらと光らせて、壺の中へと戻っていった。

 苦しく息を継ぐ妹に「やめてって言ったね」とナダは冷たい声で吐き掛ける。

 突如、ハマの足が戸の隙間から勢いよく引っ込む。床を殴る音と、痛みに呻く声。今度は何なのか。食いしばった歯から伸びていく声は、徐々に大きくなっていく。その声に涙が混ざる。

 穢れによる身体の硬化が始まっているのではないか。

「ねえ、やめてって言ったね」

 ナダは彼女をのぞき込む。

「この術の最中にやめてって言ったらいけないって、何度言った?」

「……ごめん、なさい」

「今日はいつもより痛いんでしょう。それはやめてと言ったからだ」

 ハマはひとつ絶叫する。戸の隙間に突如、裸の背中が躍り込む。脚を抱え込むような姿勢で、腕を身体にきつく押さえつけていた。その肩の穢れが生き物のように拡張し、彼女の白い皮膚を蝕んでいる。華奢な身体が、激痛に苛まれ震えていた。

「どうして僕を睨むの」

「……に、らんで、ない」

 痛みの中で彼女は言う。

「睨んだよね」

「ごめん、なさい」

 彼女の身体から徐々に、強張りが抜けていく。穢れの侵食が終わったのだろうか。それでも痛みの余韻に、彼女の呼吸は荒いままだった。

 ナダはゆっくりと彼女を抱え起こす。戸の隙間からハマの背が消え、代わりに彼女の前にしゃがんだナダが見えた。

「今日は肩のが腕まで広がったね。自分でも、よく見て御覧、綺麗でしょう」

 ハマは、すぐには答えない。

「……きれいじゃ、ない」

 消え入るような小さい声を、青颯は聞き逃さなかった。

「聞こえなかった。もう一度言って」

「……きれい、」

 ナダはしばらく彼女に視線を注ぐ。その目を突如青颯に移し、ゆっくりと立ち上がった。

「見てた?」

 と彼は微笑んで、部屋から出てくる。逆光に黒くなった彼の顔は、綺麗なだけに凄味があった。

「君、ハマに変なこと言った?」

「変なこと、なんて言ってない」

 青颯は身を起こす。

「じゃあ、何を言ったの」

「別に何も言ってない」

「それならハマが何か言ってた?」

「聞いてない」

「嘘吐いてるでしょ」

「どう思う?嘘だと思う?」

「そうだね」

「じゃあ、嘘」

「ほんとはどうなの」

「俺はハマに何かを言ったし、ハマは俺に何かを言った」

「何を」

「何だと思う?」

「……かわすねえ」

 ナダは唇だけで笑った。

「九の禁書、進捗はどうだい」

「あれに出てくる蛇は、地底の母の化身ってことが分かった」

「それは知ってたよ」

「先に言え」

「悪かったね。常識だと思っていたからさ。必要なもののうち、眼玉と短刀と壺はこっちで用意してる。他はさっぱり分かんないから、よろしくね」

「あの蛇は、地底の母の化身として使えないの」

「できない。あれはさっきみたいに、ハマの中に死にきれない生を移すためのものだ。蠱術でつくった蛇だから、禁書にある神のような役割は果たせないよ」

「あんたが作ったのか」

「そうだよ」

「ハマを苦しめるために?」

 彼は鼻を鳴らす。

「心外だなあ。むしろ助けているよ。蛇が入ってるあの壺は地底と繋がるんだ。ある程度はあれから地下に落とす。でも力はさほど強くないから、どうしてもあぶれてしまう。壺から村に溢れたら殊だから、あの蛇が吸い込んでハマの中に入れるんだ」

「他に方法はなかったの」

「色々検討したよ。でもあれが確実だった。壺とハマは、喩えるなら同じ平地にある池だ。二つ並んだ池の水が、勝手に隣に動くことはないだろう。移すためには水路が必要だ。その役割を果たすのが蛇。蛇がなきゃ、落とす先がハマか壺かの二択になってしまう。壺から溢れれば村は大変なことになるし、ハマに落とし続ければすぐ穢れで染まりきってしまう。痛みももっと激しくなるし、死にながら生きるのなんて苦しいだろう。……そんなことよりさ、他に分かったことは無いの」

 青颯は少し考えてから、口を開いた。

「ハマに、地底の母の化身になってもらう可能性がある」

「へえ、どんな風に」

 いずれ殺される役回りだというのに、彼の口振りには純粋な興味の他なにも含まれていない。青颯は嫌悪感を押し殺して「はっきりしたことはまだ調べられていない」と無表情に答えた。

「分かったら、教えてね」

 ナダは青颯の側に落ちた、ハマの作った服を拾い上げる。彼女が蹲る部屋に戻り、その服を着たハマを伴って出てくる。

「それじゃあ、おやすみ」

 彼女は虚ろな目で、ナダの後に従っていた。彼は前に進ませた光を天井の側に投げ上げる。梯子に手をかけた瞬間勝手に開いた蓋から、二人は出ていった。

 再び訪れた闇と、静寂。青颯は瞬きをする。目に焼き付いた光の残像が、あれが悪夢でなかったことを告げていた。

 闇は音を飲み込んでいる。ハマの叫びが、生きたまま部屋の中でのたうち回っていた。耳を塞いでも、彼の身体の中にもまた闇がある。

 自分の熱病もまた、彼女の身体を苛んだのだ。自分で自分の病に耐えるだけでもあれだけ苦しかったのに、何十といった人間の、あらゆる病や怪我を背負う苦痛はいかほどか。考えるだけでも身震いする。

地上の人間の内、彼女の苦しみを知るものはいるのだろうか。蠱術の隠されているこの村で、彼女の存在が明らかにされているとも思えなかった。彼女の身体と引き換えに健康を取り戻しているというのに、感謝する者は誰一人としてない。

 いわば生贄だ。

 青颯は、親指で生命線をなぞる。

 嘉杖土も同じだ。御妣と御子がなければ、自分が生まれる前に滅びていたかもしれない。しかし神と崇め奉られこそすれど、人でなくなってしまった彼女の苦しみを知る者は誰一人としてない。

 人間は、誰か一人に多大な犠牲を背負わせなくては、生き延びていけないのだろうか。

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