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そしてまた月は満ちる  作者: 春日野霞
八 黄泉
51/89

呪縛

2021.02.12 投稿

「あの……服、できたの」

「いらない」

 夕食の席を立ち、青颯は文机の前で本を開く。

 二人が言葉を交わしたのは、数日振りだった。

 凌光の一件から、青颯は全く口をきかなくなった。休む間もなく書物を読み漁り、ハマの合図で生活に合流する。

 そんなことだったから、ハマはとっくに完成させていた服を渡せないでいた。

「そろそろ、朝晩なんかは、ここも寒くなるし、新しいの着たら、気分も変わるし」

「いらないっつってんじゃん」

 彼は一瞬彼女を睨む。

「でも……、でも」

 ハマは服を握り締める。

「でも、何?」

 彼は顔を上げ彼女を見た。灰色の髪は既に結われておらず、身体は一層痩せて一回り小さくなったようにすら見える。

「はっきり言えよ」

「……着てほしい」

「なんで」

「せっかく、作ったから」

「じゃああんたが着たら」

「……どうして、そうなるの」

 青颯は彼女の真っ黒い肩を見上げる。何を注視されているのか分かり、ハマは隠そうとする。

「隠すなよ」

 青颯は低い声で睨む。

「そんなことするぐらいなら袖のある服着れば。手に持ってるだろ」

「それは……できないから」

「なんで?」

 ハマは唇を噛んで、首を横に振る。

「強い言葉で言われなきゃ分かんないの?いい加減見たくないから隠せって言ってんの」

 彼女は切れ長の眼で彼を睨む。

「あなたが見なければいい話じゃない」

「想像力を働かせろよ。同じ部屋にいる以上視界に入る」

「これは、醜いものじゃない」

 彼女の眼にうっすら涙が光っている。

「だから、隠す必要なんてない」

 青颯は口元に嘲笑を浮かべた。 

「あんたそれ、兄さんに言われてるんだろ」

 ハマは沈黙の末に、小さく頷いた。彼は「はは」と乾いた声で笑う。

「きもちわるいなあ……」

 と口元を歪めたまま本に目を戻す。ハマは彼から背を向けた。

 小さな灯がいくらかともった地下室は、当然ながら薄暗い。物陰や四隅に溜まった闇が、沈黙の音で鳴く。それを破るように、ハマのすすり泣く声が響いた。

「……久し振りに口をきいたと思ったら、きもちわるいなんて……どうして……」

 青颯は本からちょっと目を上げて、彼女の背中を一瞥する。

「どうしてもこうしてもないよ。きもちわるいものはきもちわるいでしょ」

「私はずっと……あなたが黙ったまんまで……怖い思いしてたのに」

「そりゃ気の毒だったね」

 ハマは振り返って、涙の流れる眼で彼を睨む。

「被害者ぶってんの?」

「大体、あなたが兄さんに逆らうようなことをするから悪いんじゃない」

 彼女は押し殺した声で叫んだ。作った服を握り締めた、白い指が震えている。

「なんの話?」

「そんな態度とるの、私に怒ってるからなんでしょ。リョウコウのひどい声を聞いて。でもあなたが兄さんに逆らって……ここから出ようなんてこと考えるから、それが悪いんじゃない」

「出ようとするのなんて当たり前でしょ」

「いいえおかしいわ。兄さんに逆らおうなんて。あんなに、全部を持ってる人に。力も、頭も、なにもかも」

「……その質問答えなきゃいけないかなあ。もう俺めんどくさいんだけど」

 と溜息を吐く。

「従順に九の禁書読み解いてんじゃん。その上で敵のあんたと口もきかなきゃいけないの?それは俺の自由でしょ」

「私、あなたの敵じゃない」

「じゃあ味方だっていうの」

「……違う、けど」

「意味分かんないこと言うなよ。もう静かにしてくれる」

 ハマは膝をつき、嗚咽を押し殺して泣き始めた。青颯は眉根に皺を寄せる。

「何?なんであんたが泣いてんの?泣きたいのはこっちの方だっての」

 と本を机の上に放る。

「言いたいことがあんなら言えば?」

 彼女は両手を顔に押さえつけ、肩を震わせ泣き続ける。やがて両手の下からぼそぼそと、言葉を紡いだ。

「意味、分かんないの。あなたが、兄さんに、逆らうのが」

「でしょうね。あんたはあいつに従う以外の方法で生きてきたことないだろうから」

「それじゃ、答えになってない」

 ハマは両手を顔から離す。

「あなた……私と同じように、ここに閉じ込められているのに、どうして、私と同じにならないの」

 彼女の表情は、あくまで切実だった。

 青颯は苦虫を嚙み潰したような顔で、「あんたと俺は違うからって言ったって、満足しないんでしょうね」と呟く。ハマの暗い瞳から、何粒も雫が零れていく。

「きっといつか同じになるって思ったのに……沖が全然、違ったまま。あなたの沖は、まだ、ここを出ようとしている。兄さんにバレたら、どうするの」

「バレんの?」

「私が言わなければ、バレない」

「バラすの?」

 ハマは唇を噛んだ。

「聞かれたら……答えてしまう……兄さんに嘘が言えない。でも、あなたは私と一緒じゃない。だから、きっとまた何かがあったら、兄さんや私を恨むでしょ……それが怖いから、本当のこと言うのが、辛いから」

「だから同じになれっていうのか」

「ちがう」

 ハマ首を何度も横に振る。

「あなたが私のようにならないのは。まだ兄さんに逆らおうとするのが、あなたがおかしいからじゃないんなら。おかしいのは私でしょ。それなら、私はもうずうっと、おかしいまま生きてきたってことなの」

 風など無いのに、部屋の灯火がひどく揺れる。

「……兄さんは、私が少しでも長く生きられるように、穢れが少しでも軽く済む方法を、一生懸命見つけてくれたの」

 彼女は白い皮膚の下に、雷のような黒い線が走った左の頬を撫でる。

「霊の者になって五年も経てば、この穢れが全身に広がって、置物のようになってしまう。でも、死んではいないの。そうやって、動けないまんま生きていかないといけない。私は十一のときに霊の者になって、今年でもう十六になる。でもこんな風に、ふつうに動けるのは、兄さんのおかげ……」

「で、あと何年、人でいられるんだろうね」

 ハマは顔を上げた。

「本で読んだんだけどさ。穢れは、顔の左のやつみたいに、まず皮膚の下に走るんでしょ。そこから身体の内側と外側に根を伸ばして、外側のやつは顔の右のやつみたいに皮膚をどんどん黒く硬くしていく。内側にも、その黒くて硬いのが伸びてく。内蔵も穢れに染まり始めたら、動けなくなっていくんでしょ」

「……だから、なるべく、穢れが脚や腕にいくように、してくれてるの。あと、動けなくならないところに……」

「でも、いつかは腕も脚も真っ黒になるね。顔だってそうだ。人間の肌なんてなくなって」

「やめて!」

「ええなんで。それは醜いものじゃないってさっき言ってたじゃん」

 ハマは口を開いたきり、次の言葉が継げない。木の表面のような黒い頬を、涙がてらてら光らせる。

「……どうして、そんな、嫌なこと言うの」

「事実を言っただけ。それを嫌なことだなんていうんなら、あんた自身は、本当は、穢れを醜いものだって思ってるってことなんじゃないの」

 彼は冷淡だった。

 文机の灯が、パチンと弾けて消える。

「自分が思ってること偽って醜くないなんて言うなよ」

「……ごめんなさい」

「別に責めてない。ていうか、それなんだよダメなのは」

 突然、彼は大きな声を出す。目を見開き、彼女を指さす。

「自分が悪いって思うから、どんどんナダの言うことに嵌まってくんだよ。相手が正しい自分は間違っている。良いのは相手で悪いのは自分。そういうことにして思考を放棄して脳髄から何まで奴隷に成り下がる。挙句他人の俺を責める」

 彼女の左頬に、涙が一筋駆け下る。

「君は異常だけど馬鹿ではない。その隷属から抜け出すために、頭を使うことだね」

 青颯は厳しい表情で言い放った。

ハマは目を落とし、膝の上で拳を握る。

「口で言うのは、簡単よ……」

 腫れた目蓋を、ひとつ瞬く。

「あなたは、病気や怪我の人から私に、死にきれない生を落とすと言った。でも違うの。兄さんは一度、その部屋にある壺に、落とす。穢れを少なくするために……」

 彼女がちらりと目線を送った先は、青颯の背後にある異様な部屋だった。

「そこから私に、いれる。それが、今晩……もうあと、少し」

 ハマはか細い足で立ち上がる。

「ここで毎月、死ぬまで死ぬほど痛い思いをすることなんて、当たり前だと、思ってたのに。でもあなたを見ていて、もしかしたら当たり前じゃないのかもって、思ってしまった。それから、もう、痛いのがこわい」

 彼女の顔に、既に涙は無かった。瞳は、ぼんやりと文机の下の闇を映している。

「こわい……」

 血の気の失せた顔で零すと、踵を返して自室に入る。戸が閉まるのと同時に、部屋の灯が全て消えた。

 こわいと言いながらも、本心ではどうする気もないのだろう。ナダという強大な力を跪いた彼女に、立ち上がって剣を取るという思考はない。それは神の前に膝を折るのと同じくらい、人間にとって普遍的な有様だった。

 それが彼女に異常をきたすのは、恐怖や痛みに独りで耐えねばならぬからだろう。誰とも会わずに暮らす彼女が、唯一寄りかかることのできる兄こそが、自分の命を支配する神なのだ。

 青颯は深い溜息を吐き、立ち上がる。闇の中を感覚で進み、筵の上に身を横たえる。投げ出された手が、柔らかい布に触れた。

 彼女が作った服だった。

 縫い目を指でなぞる。几帳面に、一目一目がきっちり揃っている。彼女はなぜ、自分のために服を作ろうと思ったのだろうか。これもナダに言われてのことだろうか。

 青颯は腕を腹の上で重ね、仰向けになった。濃淡のない、べたっとした地下の闇が覆いかぶさってくる。いつもは疲れてすぐに寝てしまうが、改めて直視すると、恐ろしい闇だった。太陽の光に引き裂かれることなく、四六時中部屋中に貼りついて、じっと自分を見ている闇。

そんな場所に五年もいれば、様々な感覚が死んでしまってもおかしくないだろう。

 そう思いながらも青颯は、彼女がもっと多くの自己を殺さねばならなくなるだろう未来図を、胸の内に抱えていた。

 それは、九の禁術に関わることだった。

 この数日、彼は九の禁書の読解にまともに取り組んでいた。

 まず、不可解な蛇の存在について調べた。以前ハマと話した通り、登場する蛇は地底に通じるものなのだろうが、嘉杖土にいた頃、蛇の特異性について何か耳にした記憶があったのだ。

 すぐに、望ましい情報にいきついた。蛇というのは、蠱術を伝える一族の内では「地底の母」の化身だと考えられていたらしい。「地底の母」というのは、地の極まりに横たわる、生と死の母なのだそうだ。現在母の存在は忘れ去られてしまい、ただの場所として捉えるようになっている。自分たちが蠱術の源泉だという場所には、本来的に母がいるのだ。

 そうとなれば、禁書の物語における蛇に当たる位置にハマ据えても、九の禁術を果たすことはできない。彼女は地底の母と繋がることのできる存在なのであって、地底の母が姿を変えこの世に現れたものではないからだ。

 地底の母の化身と聞いて、青颯には思い当たるものがあった。嘉杖土の、御妣と御子である。

 御妣と御子は、嘉杖土一般では神として崇められていた。女の「御妣」は死を、女が抱える玉の「御子」は生を司るとされていたことからも、地底の母に存在感が似てくる。

 御妣と御子とは、そもそも何なのであろう。

 青颯は確かに、それを目にしたことがあった。全身が月面のように真っ白で、触れたことなどないがざらついた表面をしていそうだった。頭痛をきたす、強烈な沖も覚えている。何千何億もの死んだ人間が、怨嗟を上げているような沖。それをたった一体のものが抱えていたのだ。

 それを前にした時の感覚は、畏怖だった。蠱術に携わる者は、御妣と御子を地底と繋がる因子と機械的に捉えるのだが、それであっても、その存在の前に膝を折らずにはいられなかった。

やはり、地底の母の化身であったのだったのだろうか。

 嘉杖土には、自分たちの祖先がどのような土地を経て嘉杖土に至ったのか、という歌がある。遠い異国の名前から始まり、様々な土地を移動して禰々島に至り、海を越えたこちらの平地に至り、御妣と御子の導きによって、迫害から逃れ静かに暮らせるこの土地を手に入れた、というものだった。この時御妣と御子は、天から現れたとされている。他の神話を思い出しても、地底との繋がりは見出せなかった。

 忘れているだけで実はあるのかもしれない。ワタドでは調べようがないが、何か手掛かりを掴めるものがあるかもしれない。そう思って読み始めたある手記が、青颯の愁眉を開いた。

 それは、先祖がこの地に至って間もない頃に書かれたものだった。

 知の者が、日々の出来事や研究を、隔てることなく書いていた。激しい気性の持ち主だったのか、この地の豊かさを賛美しながらも、住民たちは愚鈍な偽善者だと激しい言葉でなじっている。それはやがてワタドによるこの地の征服という欲望に至り、滾った彼の手は「九の禁書」へと伸びていった。

 青颯は期待に目を見開く。しかし「妹との子をつくる」の文言に愕然として、手記を取り落とした。

 恐る恐る開いてみると、その続きには本の引用が記されていた。

――肉親同士が血を分けた子供が、然るべき時に至れど生まれず、何年もの間母親の腹で育ち、冬の満月に膨らみを止めたらば、それは地底の母の子を身籠った証拠である。子は生まれることなく、母の身体に宿り続ける。母と子の内に尊き大母の欠片が宿り、母子は地底の母が化身となる。――

 様々な憶測が、青颯の頭を駆けた。が、考察を急がずその先を読む。すると、肉親同士であれば誰でもよいわけではなく、地底の母と繋がる人物……つまり、霊の者とその血縁でなければならないということだった。

 当時の霊の者が、彼の妹だったのだ。

 妹は、見事彼の子を身籠った。おまけに何年も生まれてこなかった。伝説の通りだと喜んでいた男は、九の禁書の研究に本腰を入れていると記していた。どうも研究は別の本に記しているようで、手記にはその進捗具合や感想のみが書かれていた。

 ある日、それが一転して、手記が妹への激しい罵倒に埋め尽くされる。

 妹が、研究をまとめた書を手に、ワタドから姿を消してしまったのだ。

 青颯はそこで、本を置いた。

 ここまで情報が揃えば、誰にだって分かるだろう。ワタドで誕生した地底の母の化身が、嘉杖土まで逃れた。それが御妣と御子だということに。

あれは胡坐をかいた脚の上にのせた玉ではなく、膨らんだ腹なのだった。

 寝転んで闇を見上げる青颯は、衝撃を思い出し 肺の奥から深く溜息を吐く。

 そして現在。九の禁術を使おうということは、その歴史を繰り返すということになる。なぜよりによって、兄と妹というところまで揃うのだろうか。 

 この地で兄との子を孕み、嘉杖土まで逃れた彼女。どれだけ必死の思いだったのだろう。兄の、妹をなじる激しい言葉から、兄の感情よりも妹の感情が立体的に描きだされる。妹は九の禁術を望んでいなかったのではないか。その上得体の知れぬものを孕んだ恐怖に、狂わんばかりの毎日を送ったのではないか。

それがそのままハマに投影され、やりきれなくなる。彼女に特段情があるわけではないが、想像を絶する苦しみに人を突き落すほど、彼は無情ではなかった。

 蠱術の方法は一つではない。同じ結果に至るためでも、何本もの道がある。今の青颯にできることは、そう自分に言い聞かせることくらいだった。

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