禁書
2021.02.10 投稿
翌朝。
「起きて」
青颯はハッと身を起こす。
「もしかしてずっと寝てた?」
ハマは頷いた。
「疲れていたのよ」
それだけ言うと、彼女はいつもの通り一日を始めていく。青颯も流され文机の前に終着するが、いざ書物を開くと行間から睡魔が現れ、目蓋を閉じようとする。
首を振って、本から目を離す。灯の横で、ハマがいつものように縫物をしていた。
彼女の着ている服には袖が無く、肩が大きく露出していた。裾は擦り切れて膝の上まで短くなっている。だから、新しい服を作っているのだろう。
一針一針、丁寧に縫い合わせる手つきをぼおっと見つめる。針を刺し、糸を引く、針を刺し、糸を抜く。その間隔が乱れることはない。精緻な拍動が波を描き、糸がみるみる短くなっていく。
禰々島に行ったばかりのときも、縫物をする凌光をじっと見ていた。
「すごいだろ。機織りも糸も針も、全部ここにあったんだ。古そうだけど、全然使える」
彼女は睨む自分に構わず、よく笑った。絶対に無視をするのに毎日何度も話しかけ、一緒にご飯を食べたくないというのに食堂まで引き摺っていった。その内抵抗する方が面倒になり、まともに受け答えをして食事も一緒にとるようにした。彼女は一層笑うようになった。
凌光は、縫物は苦手だった。最初に作ってくれた服は、必ず片方の肩が出てしまっていた。しかし何十年も服を作ってもらう内に、そんなこともなくなった。
ハマは元より縫物が得意なのだろうか。それとも、繰り返す内に今のような精密さを手に入れたのだろうか。彼女は見られていることに気づき、「なに」と首を傾げる。
「ぼおっとしてただけ」
「まだ、眠いの」
「……眠い」
彼女は針山に針を刺した。
「それなら、九の禁書に書いてある民話を、私にも教えて」
「……なんで」
「兄さんに言われたからじゃ、無いわ」
ハマが先手を取る。
「私は、知らないことが多い。もっと、色んなことを知りたい」
「字、読めないの?自分で読んだら」
「読めるけど……禁書には触るなって」
「兄さんに言われてんの?」
ハマは目を逸らして、頷く。
「結局兄さんかよ。自分で勝手に読んだら」
「……いま、あなたの服を作っているの。だから、読んで」
「関係ある?」
「……ごめんなさい」
と淀んだ黄緑色の瞳を灯火にかざして、彼女は針山から針を手に取った。白い皮膚の下に走る黒い稲妻のような線が、灯に照らされ闇から浮き出る。青颯はそれをしばらく睨んで「分かったよ読んでやるからよく聞いててよ」と九の禁書を手に取る。
「……ほんとに?」
彼女は一重の目を皿のように開く。
「そんなつまんない嘘言わない」
青颯は禁書の表紙を開き、低めた声で民話を読んだ。
ある西の国に緑目の小僧が住んでいた。小僧は、家に伝わる古い壺で鬼を退治し、大国の主になる夢を見た。
「こうしちゃおられん」
と飛び起きると、夢に見た古い壺だけを持って、東の砂漠へ旅に出た。何日も何日も歩いていくと、小僧はたくさんの柱が立っている不気味な場所に行きついた。
ある月夜の晩、小僧は青目の男と出会った。その男は緑目の小僧とそっくりの顔をしていた。
「わしは北から夢のお告げに従いやってきた」
「その夢は、どんな夢だったの」
緑目の小僧は聞いた。聞かれた男は首を横に振り言った。
「夢のことは言われん。言ったら嘘になるというでな」
「しかし聞いた者も夢を話せば嘘にはならんと西の賢者が言っていた」
緑目の小僧は嘘を言った。騙された男は夢を語った。
「わしの夢は、我が家に伝わる眼玉の首飾りで鬼を退け巨大な国を作る夢だった」
「そりゃあすごい。眼玉の首飾りを見せてくれんかね」
「いいとも」
青目の男は眼玉の首飾りを自慢げに小僧に見せた。緑目の小僧は宝物を手に取り、持ってきた壺を三度叩いた。すると、青目の男は壺の中に吸い込まれていった。
また別の月夜の晩、栗目の男と出会った。その男は緑目の小僧とそっくりの顔をしていた。
「わしは南から夢のお告げに従いやってきた」
「その夢は、どんな夢だったの」
緑目の小僧は聞いた。聞かれた男は首を横に振り言った。
「夢のことは言われん。言ったら嘘になるというでな」
「しかし聞いた者も夢を話せば嘘にはならんと西の賢者が言っていた」
緑目の小僧は嘘を言った。騙された男は夢を語った。
「わしの夢は、我が家に伝わる伝説の短刀で鬼を退け巨大な国を作る夢だった」
「そりゃあすごい。伝説の短刀を見せてくれんかね」
「いいとも」
栗目の男は伝説の短刀を自慢げに小僧に見せた。緑目の小僧は宝物を手に取り、持ってきた壺を三度叩いた。すると、栗目の男は壺の中に吸い込まれていった。
そのまた別の晩は月がなかった。小僧は金目の女と出会った。その女は緑目の小僧とそっくりの顔をしていた。
「わたしは東から夢のお告げに従いやってきた」
「その夢は、どんな夢だったの」
緑目の小僧は聞いた。聞かれた女は首を横に振り言った。
「夢のことは言われん。言ったら嘘になるというでな」
「しかし聞いた者も夢を話せば嘘にはならんと西の賢者が言っていた」
緑目の小僧は嘘を言った。騙された女は夢を語った。
「わたしの夢は、我が家に伝わる伝説の金環で鬼を退け巨大な国を作る夢だった」
「そりゃあすごい。伝説の金環を見せてくれんかね」
「いいとも」
金目の女は伝説の金環を自慢げに小僧に見せた。緑目の小僧は宝物を手に取り、持ってきた壺を三度叩いた。すると、金目の女は壺の中に吸い込まれていった。
その次の満月の晩、突然地面がぐらぐらと揺れ始め、砂の下から空にも届きそうなほど大きな蛇が現れた。
「うまそうなにおいがする」
と大蛇は小僧に顔を近づけた。
「お前を食ってやろうか」
「どうか、どうか、これで勘弁してください」
と壺をささげた。蛇は壺の中に入った三人をむしゃむしゃと食べてしまうと、満足して小僧に言った。
「千年もの間、わしはずっと空腹だった。お前のおかげで、久し振りに腹が満たされた。小僧よ、お前のどんな願いも叶えてやろう」
「それでは、夢で見たことを現実にしてください」
「その夢とはどのようなものなのだ」
「夢のことは言われん。言ったら嘘になるというでな」
「小僧の分際で、神をおちょくる気か!」
蛇は鎌首をもたげて、緑目の小僧に襲い掛かろうとした。
小僧は眼玉の首飾りをかざした。それに睨まれた大蛇はどうっと倒れて死んでしまった。
小僧は死んだ蛇を伝説の短刀でいくつかに切り分けて、血と肉を砂漠の地にばらまいた。すると、枯れた砂はみるみる豊かな土になった。小僧がそこに金環を埋めると、土から次々と芽が生え、砂漠だった場所はあっという間に草原になった。何年かが経って豊かな土地に人が集まり、その場所は緑や水の溢れる国になった。
緑目の小僧は、夢の通りに大国の王となった。そして宝物を壺の中に入れ、いつまでも大切にしたということだ。
青颯は禁書を閉じた。ハマは、ふうと息を吐く。
「この話が、蠱術を表しているの?」
「意味分かんないけど、そういうことなんだろうね。話の中で蠱術との繋がりがはっきりしてるのは、壺と、緑目の小僧とだけ。小僧はきっと、禰々島を経由してここに渡ってきた一族の先祖」
「……緑の目、だものね」
「あと繋がってる可能性があるのは、最後に出てくる蛇だ。蛇が地底に通じる存在ってことになるんだろうけど、それを殺しているのが分からない。昨日君が言った通り、これが願いを叶える蠱術の類であることは確かだけど、殺してしまったら、願いを叶えてもらえなくなってしまう」
ハマは、淀んだ瞳を床に落とす。
「禁術に繋がるのは、蛇が出てきた後のところ、だけかな。その前のは、道具を集めるだけの話?」
青颯は口端を吊り上げ一瞬笑う。
「多分ね。でも顔が似てるってのも、同じ夢を見てるってのも、何か意味があるのかもしれない」
「そっくりの顔の人が、同じ夢を見るって、元々繋がりのある人たちなのかしら」
「それは禁書の中の情報だけじゃわからない。似てる話に手掛かりになるものがないか、片っ端からあたるしかない」
自分で言ってげんなりする。
「私も、難しいものは読めないけど、民話なら読めるかもしれないから、あなたの服が作り終わったら、読むわ」
「期待してるよ」
と思ってもないことを言った。
ハマは針仕事に戻り、青颯は書棚から民話の本を引っ張ってくる。それを脇に積んで、昨日読みかけた神縣の本を読み始める。九の禁書を読み解くのは骨の折れる作業だが、ここを出てしまえば関係のない話だ。そのためには、沖術が戻らねばどうにもならない。沖術ができないのは神縣が封じられたことに連動しているというのなら、その術を解くしかない。
そう思って粘って読みにくい文章と格闘するが、辞書にもない意味不明の固有名詞が続出する。有益そうなことが書いてあるが、読み解くには膨大な時間を要しそうだった。
ひとまずは山を崩そう。次の書物の頁を開いた。
「ごはん」
いつの間にか、昼食の座が出来上がっている。
青颯はのろのろと立ち上がり、食卓に座った。
泥沼を見下ろすような目で食べ物を見る。しかし灰色に見える食事の中に、今日はひときわ輝く小さな塊を発見する。
「これ……もしかして」
団子のように、小さく丸められた白い食べ物。
「お米よ。今日は、秋分なの。ここでは、秋分の時にお米を食べる」
地下は湿気が多くひんやりとしたまま、気温がほとんど変わらない。月日の経過も勿論だが、季節の移り変わりも分からないのだった。
禰々島が無事であれば、米が重たく首を垂れ始める頃。
箸を持つ手は、震えている。そっと米の塊をつまんで、口の中に入れた。
久し振りの味覚だった。
舌にじわりと滲む、米の甘さ。噛むほどに、舌から全身に米の味が染みていくようだった。禰々島で米を初めて食べたときの感慨が、蘇る。
島には、最初から米があったわけではなかった。
「ここに、なんだか色々入っててさ」
どのような会話の流れだったかは、思い出せない。凌光に示された書庫には、当時そこには雑然と物が入れられていた。本棚には本が積み重ねて入れられており、床には木でできた机や椅子、農具などが転がっていた。
その中に、種籾があったのだ。
禰々島は時間が止まっているせいか、塔にあるものはほとんど腐敗しない。凌光いわく海の側は塩害がひどいのだそうだが、それも無い。したがって種籾もまだ生きていた。青颯は本棚に詰め込まれた書物を漫然と流し読む内、米を育てることが可能なのではないかと思うようになっていた。
米を作ろうと画策し始めてから、月日はあっという間に流れた。島には食料が豊富にあった。主食となる植物も生えていた。米がなくとも、生きてはいけるのだ。出口が分からずやめてしまおうと思ったこともあったが、そう口にする度凌光は「ちょっと休んで、またやりたくなったら始めればいいさ」と、寂しそうに言った。青颯は続けるしかなかった。
試行錯誤を重ね、ようやっと実った米が炊き上がったとき。その匂いと歓声を、今でも忘れることができない。
青颯は、米を飲み下す。
「おいしい……」
ハマは手を止め、彼を見る。
「初めて、聞いたわ」
「何を?」
「おいしい、って」
「そんなこと、言ったっけ?」
彼の顔は、いつも食卓を前にする時と同じように疲れ切っていた。




