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そしてまた月は満ちる  作者: 春日野霞
七 化物
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騒乱を越えて

2021.02.06 投稿

 その日の、夕方。

 二人は、神社の宿舎にある客間にいた。

「いいとこだな、ここは」

 灯に火をともし、晴瀬が言った。

「うん。大好き」

 寝転がった彼の横で、ひなは膝を抱える。

 山姥退治の様子を、秋巫は全て見ていた。よって止められることなく入ってきた村人たちも、山姥と闘う様子を見ていた。風が吹きすぎた後、しばらくは黙って彼らを見ていたのだが、ひなが恒暗を呼んで帰ってきた後、村は女たちの歓声に包まれた。

 ひなは、村人たちの労いの言葉に、涙が止まらなかった。晴瀬はというと、最初は遠巻きにされていたが、山姥退治を目撃していた人々から謝意を向けられる内になじんでいき、いつの間にか村人たちと談笑していた。彼があの晴瀬であることを伝えると、村人たちは驚きながらも「山姥を退治してくれたんだからねえ」と納得しているようにひなには見えた。恒暗とマキの姿は、その場にはなかった。

 昼を過ぎた頃、西の宿から男たちが戻ってきた。彼らは皆たくさんのお土産を携えていた。神社の中にある村の集会所で、帰還の宴が行われた。

 夏巫から、西の宿での話を聞いた。道に迷って帰ってこれなくなった神主を皆で探しに行った話や、何度も薬屋の旦那に間違えられた村人が本人に会いにいくと、昔に分家した親戚同士だと分かった話に、ひなは腹の底から笑った。

 夕方になり、皆が片付けをしている中宿舎に入った。ひなは疲れてたまらないのに休む気にならず、晴瀬のいる客間を訪れる。

「晴瀬」

 襖を開けると、真っ暗だった。

「なんだ」

「ごめん、寝てた?」

「いや……雨戸、開けるか」

 建てつけの悪い雨戸を開けると、夕暮れのにおいと共に涼しい風が吹き抜ける。

「涼しくなってきたね」

「そうだなあ」

 彼を見上げると、彼は顔の手拭いを外していた。思わず肩を震わせたひなに、晴瀬は「悪いな」と手拭いを手に取る。

「いや、私の方こそごめん。いいよそのままで」

 彼女は縁側に腰掛ける。晴瀬はその横に並んだ。

「疲れてるだろ?寝なくていいのか」

「うん……。でも、なんか、眠れなさそうで。こういうとき無理に布団に入ると、ダメなんだよね」

 生垣の葉がちろちろと揺れ、その足元に生えた紫の花がぽんぽんと頭を振る。

 五感の一つ一つが、ひなに帰ってきたことを実感させる。宿舎のにおい、秋に近づく村の景色、人々の温かさ。それら全ては、以前と何ひとつ変わらないのに、別の場所にいるような違和感がひなの心に蠢いていた。

「晴瀬はこれから、どうするの」

 ひなは自分の爪先を見ながら問う。

「明日には発とうと思ってるよ。マキを探してからな」

「行っちゃうの?」

 彼の片目を見上げた。

「一応罪人だしな」

「でも村人たちは、あの晴瀬だって信じてたよ」

「……それは分からねえよ」

 彼の顔に、珍しく表情がない。

「俺みたいによく分かんないのがいれば、不安になる人もいる。村で原因の分からない事件が起こったら、そういう奴のせいになるもんだ。それで俺が恨まれて、殺されたら、この地にまた呪いを残しちまう。せっかく今日、綺麗になったんだ。俺は出ていくのがいいよ」

「村の人は、そんなことしないよ」

 村人たちが冷たいと言われたようで、ひなは眉を顰める。

「ここの人たちは温かいよ。でも化物は、別だろ」

 晴瀬はひなに顔を向けた。

 自分がびくついたばかりの顔だった。

「……それは、そうだね」

 ひなは、自分の膝頭に目を落とし、溜息をこぼす。

「ごめんね」

「謝ることじゃないんだ」

「でも、悲しいでしょ。私を助けてくれた人の顔見て、あんな風に怖がっちゃうのは」

 ひなは宙ぶらりんだった足を上げ膝を抱える。

「私ね、晴瀬にはもうちょっとここにいてほしいなって思ったの」

「なんでだ」

 ひなは耳を貸せ、と口の両端に手を添える。晴瀬は身をかがめて、彼女の口元に耳をやる。

「夏巫兄さんね、ほんとは術士なの」

「そうなのか」

 耳を離し、彼は円く開いた片目を向けた。

「だから晴瀬がいたら、ちょっと話をさせてあげられるかもって……」

 ひなは声を落とす。

「時々、すごく苦しそうなの。力がおさえきれないとか、なのかな。あと、勝手にでてきちゃうときとか、あるんだって。私はその瞬間をたまたま見たから、知ってるんだけど。バレちゃう夢とか見るくらい、怖いんだって。出てこないようにできる方法とか、教えてあげられない?」

 晴瀬は首を横に振る。

「そういうことなら、俺よりマキの方がちゃんと分かってるはずだ」

「そうなんだ……マキさん、大丈夫かな」

「きっと大丈夫だ。恒暗がいる」

 空にたなびく長い雲を、沈もうとする太陽が真っ赤に染めている。上弦を越し満月を目指す月が、輝きのときを控えてぼんやりとしていた。

「今は、子供が術士だって分かったら、自分で役所に言いに行くのか?俺の頃は、知ってる人が密告するもんだった。それで、養成所に連れていかれる」

「うん、今はそう。術士の出た家は税が免除されるから、すぐに言いにいくの。それで養成所に行くのは同じ。そこから、必ず役人にならなきゃいけない」

 兄さんは、とひなは唇だけで言う。

「それが絶対に嫌なんだって。だから、私しか、知らないんだ。そうだってこと」

 自分たちの頃に比べれば、真逆といっていいほどの対応だ。反乱を企てていた当時の自分なら「贅沢だ」と言うだろう。

「苦しそうなとき、私は何もしてあげられない。苦しい、って言わないんだけど、ずっと一緒にいるから分かるの。でもなんて言ってあげたらいいか、分かんない」

「……昔も今も、術士に生まれたら苦労するってのは、同じなんだな。昔は、絶対に嫌だから黙ってるけど、今はむしろいいことだから黙ってられない。でもそれだからかえって苦しくなる、人もいる」

「うん。自分が術士に生まれたくて、生まれてくるわけじゃないのに。でもね、そう生まれついたからにはしょうがないから、苦しみ続けるしかないって言うの。私もそう思ってた。だって、ふつう役所に言わなきゃいけないことを、黙ってるんだから。苦しむ代わりに、行きたくないところに行かなくて済んでるんだし」

 遠くから稲を撫ぜてきた風が、ひなの前髪をふわりと揺らす。

「でも色んなことに巻き込まれたり、見たり聞いたりして、ふつうにできないから苦しむのが当たり前なんてことないよなって思った。自分がふつうだと思ってることって、場所とか時代が変わったら、結構簡単にふつうじゃなくなるでしょ。私たちがふつうって思ってても、昔とか未来から見たらふつうじゃないって言えるなら……今からふつうじゃなくしていくことだって、できるのかも」

 ひなは焼けた空を見た。太陽の時間が終わる夕刻が、昔は嫌いだった。空が赤く焼ける日は、血を見ているようでなおさら。

「……明牙で、悲しい話を聞いたの。子供を産めないお嫁さんが、働きすぎて死んじゃった話。でもね、それを聞かせてくれた人は、女は子供を産めなきゃそうなってもしょうがないっていうの。子供を産むのが、ふつうだからって。でもさ、そのふつうができないように産まれてきちゃった人は、そうやって死んで当然だって、言われなくちゃいけないの?」

 落日を映す目に、涙が滲んでくる。

「化物も、私びっくりした。前だったら、化物は化物なんだからダメなものって思えた。でも、私もね、山姥から助けてって声が、聞こえたような気がしたの。それに、化物はすごく気持ちのいい風を残して死ぬ。あんなにおぞましいのに。もう、何なのか分からない。こわいものだし、また村に来たら絶対に退治したいって思うけど」

 ひなは鼻をすする。

「月だって、前はすごく怖いし、死神だって思ってた。でも今は、夜の道にあると安心できる、ありがたい光だと思える。太陽の光だけが私たちを守ってくれるなんて、そんなことはないのかもしれない」

 両頬を、涙が下った。

「なんか、分かんないよ。いろいろ。何を信じたらいいんだろ。化物だけど化物じゃない。とか、ふつうだけどふつうじゃない、とか。何なんだろう」

 晴瀬は黙って、震える彼女の背中をさする。ひなは声を押し殺して泣いた。

太陽が、山を真っ黒に焦げ付かせ、山中に没していく。月の輝く、夜が来た。

「…………でもね、とてつもなく、分かるようになりたいの」

 ひなは橙を孕んだ瞳で、晴瀬を見上げた。

「だから、一緒に、行ってもいい?」

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