月の女
2021.02.04 投稿
光が差していたはずの行く先が、寸毫先も見えぬ闇に塗り込まれていくような。
ひなは焚火を目に映して、溜息をつく。マキは焚火に背を向けて寝転がり、晴瀬は真っ黒な海を熱心に見つめ続けている。
あの後、三人は街道を外れて南へ走っていた。そこに恒暗が現れ、彼に導かれて辿り着いたのがこの入江だった。そのほとんどを切り立った崖に囲まれており、ここに下りてくるには森をくぐらなければならない。近くに人家はなく、人気のない場所だった。
恒暗はというと、崖の上で笛を吹いていた。こんな場所に逃れたのに、なぜわざわざ気づかれることをするのかと三人は訝ったが、いわく追っ手を近寄らせないための笛らしい。だから火を焚いても見つからない、と彼は言うのだ。
半信半疑の内に火を焚いて、晴瀬が海に潜り獲ってきた魚を焼いた。それをぼそぼそと食べたのはまだ日が沈む前だったのに、ひなにはもう遥か遠い日の出来事のように思える。
三人の間には、重苦しい空気が漂っていた。マキは目線を地面に這わせて一言もしゃべらず、晴瀬は恒暗を何度もジッと見ては考え込み、しゃべらない。ひなはこれからどうなるのかという不安を言葉にしてぶつけたかったが諦めた。
ひなは膝を抱えた。けたたましく巡る血潮の音に似た潮騒、ねばつくにおい。真っ黒な海は死の入り口のようで、波に触れれば引きずりこまれそうだ。未知に苛まれる五感の不安を、恒暗の笛の音がいや増しにしていく。
それは物悲しい、というよりは、ひたすらに悲しい音色だった。地の底深くに眠る者の嘆息のような。それが、死者が己の心情を吐露したような旋律を奏でる。聞いていると、ぐずぐずと崩れ落ちそうな気持ちになる。
「ちょっと、悲しすぎるのよ……」
ひなは溜息を吐く。
「いってくる」
晴瀬は立ち上がって、崖の上へと続く森に歩き出す。
「ごめん、ちがう。いいよこのままで」
取りなすが、晴瀬はひなに目もくれない。
「え、待ってよ!どうすんの誰か来たら!」
ひなは抑えた声で叫ぶが、彼の耳には聞こえていない。
晴瀬は、恒暗目指して森を行く。彼から、どうしても目を逸らせない。彼のことを知らなければ、話しをしなければ、先に進んでいけない。同じ感覚は、以前にも抱いたことがあった。
みちと出会ったときだ。
しかし今回、一つ違うのは、彼とは対決せねばならないという心持ちであることだった。
彼は目を伏せ笛を吹く彼の前に立つ。恒暗は吹き口からそっと、唇を離した。
「どうした」
「ちょっと話がしたいんだ。いいか」
「……少しの間であれば」
晴瀬は彼の隣に、海を向いて腰を下ろす。
「マキに恒暗のことを聞いた。ワタドの近くの洞窟に住んでいたんだろ。マキが、俺とみちがいた場所に来たのは、お前に言われてあの洞窟の奥に進んだからだって。お前は、みちのことを知ってるのか」
「みち、とは、前の月の女のことか」
晴瀬は「前の」という言葉に引っ掛かりつつも「そうだ」と答える。
「私は、彼女に、悪いことを、してしまった」
晴瀬の質問には答えずに、暗い声で言い落とす。
「何をしたっていうんだ」
彼は食ってかかる。
「……私は月の女に、呪われ、死ぬことができない。呪いを解けるのは、月の女しかいない。彼女に、私を殺せと言ったが、彼女は混乱し、洞窟の奥へ、走っていった。何もないのに、光があると、言っていた」
恐怖におののく彼女の顔を想像し、晴瀬は彼を睨む。
「そんなこと言ったら、混乱するに決まってるだろ」
「すまない……何度も、悔いたが、私は化物で、人が分からない……今度の月の女は、強い者で、よかった」
「ってことは、みちはもう月の女じゃねえのか」
彼の声は震えていた。
「今は、彼女ではない」
再び彼女と会えたとしても、殺されることはない。彼女も、自分を殺す恐怖に怯えずに済むのだ。
「今、今みちは、冥界の下の、死の世界にいる。いるんだ。そこに絶対。どうやったら行けるか知ってるか」
「……私の住んでいた、洞窟が。死の世界に繋がる。下っていけば辿り着けようが、戻ることはできない」
「行ったんだ。そこには」
恒暗は僅かに見開いた目を、晴瀬に向ける。
「妙なもんがたくさん現れて、みち……みたいな光にも会えたんだ。でもそこに、蛇の塊が出てきて、倒したんだけど、顔がこんなになった」
彼は左の顔に巻いた手拭いを外す。恒暗は月面のような色の顔を、じっと見つめた。
「俺は、ダメだったってことか?」
恒暗は黒衣の中から細い手を伸ばし、失くなった目の周りに触れる。灰白くなった皮膚は触覚が死んでいて、恒暗の指の感覚は分からない。
「あの者は、とうとう……」
そう呟くと、恒暗は手を下ろして笛を握り、自らの膝の上に視線を落とす。
「何がだ」
恒暗は首を横に振り、溜息を吐く。
「それで、俺はダメだったのか。他に入り口はないのか」
「……私には、分からない。他も、分からない。すまない……すまない。本当に……」
彼は笛を握り締める手を震わせていた。
「そんなに謝らないでくれよ、分からなくたって」
「ちがう!」
彼は突然、大声で吠える。
「お前の、目だ。お前の目が奪われたのは私のせいだ。私がきゅうのきんしょだと教えたばかりに、巻き込まれたのだ」
「……何のことだよ」
「いかに一族の滅亡が恐ろしいとはいえ……諦めると思ったのだ……まさか本当に」
「ハッキリ、説明してくれよ」
彼のかたい声に、恒暗は口を噤む。
「……私は、殺されても、死なない。だから、怨まないでくれ」
声と肩は、寒風にさらされた枯葉のように震えていた。
「大丈夫だ。俺はそんなことしない」
晴瀬は大きな掌を、彼の背中におく。黒衣の下に温度は無いらしく、氷のように冷たかった。
「……………………………………白くなった顔は、コジュツによるものだ」
コジュツ。
かつて聞いたことのある響きだった。
「お前、火傷したんだろう。その治療を、コジュツで行った。その後、別のコジュツを、お前の顔にかけ、左の眼玉を、、、、眼玉、、、を、、抉り出した」
左の目に、感じるはずのない痛みがびりと走り、思わず眼球のない目蓋をおさえた。
「私が、教えてしまった。危険な術である、のに、知っていた。あいつは」
「何なんだ。何のために、俺の眼を。あいつって誰だ」
「大きな、ひどい呪いのために。特殊な力を持つお前の、眼玉を取りだした……あいつの、名は知らない」
「それはどんな呪いなんだ」
「口に出すのも、おぞましい……」
と彼は顔を覆う。
コジュツ、と言っていたのは青颯だったのを、晴瀬は思い出す。
「凌光がまだ……恩人が、まだワタドにいるんだ。大変なことになるんなら、助けに行きたい」
「お前は、追い出されたのか。自分で出たのか」
「……追い出された」
「それなら、戻ることなどできない。敵だと襲われ死ぬだけだ」
彼らには、全く歯が立たなかった。
「知らぬ方が良いことを、余計なことを、言った。すまなかった……」
「でも、分かんねえだろ。もしかしたら何かがあって、またワタドに行けるかもしれねえ」
恒暗は、手の平を笛に戻す。思いつめた顔で、絞り出すように言う。
「詳しくは、分からない。ただ、通常では考えられない、夢のようなことを、現実にしてしまう、術だ。そのためには、たくさんの人間を、犠牲にしなければならない……」
「それじゃ……」
凌光もそれに巻き込まれるかもしれないのだ。もしかしたら消えた青颯は、既にその術に巻き込まれているかも分からない。
「俺はワタドに戻る」
「やめろ。私が、行こう」
「お前はこっちにいてくれないと困るよ」
彼の言葉に、恒暗は息を詰める。
「こんな場所も知ってるし、道だって分かる。だから」
「それなら、案内が終わってから、行こう。術の完成にはまだ、何年かかかる」
「分かった。よろしく頼む。いろいろ教えてくれて、ありがとうな」
晴瀬は立ち上がる。去りかけた彼は、あることを思い出して振り返る。
「今の、月の女は、誰なんだ」
笛の吹き口に唇をつけようとした恒暗は、じとりと彼を見る。
「下にいる、女だ」
「……ひな?」
恒暗はゆっくりと、首を横に振る。静かに息を吸い、笛を吹き始めた。
それは先ほどに比べて哀切な音色で、幾分人間じみていた。聞いたことがなくとも、不思議と懐かしくなってしまう旋律だった。
晴瀬は中空に炎を浮かせていた。以前はできなかったことが、今では簡単にできている。意識を取り戻した後、自らの沖が変わってしまったような気がした。前までがどうであったか定かに覚えていないため、本当にそうなのかは分からないが。
――これは没した太陽の神を憑けた時負った傷だということだけ、教えてやろう
マキがゆすらを殺した日、鈍い金に光る痣を示しながら彼女はそう言ったのだった。
それでは、あの時から?
太陽が没した後黄金に輝くのは、月だ。
森を抜け、浜辺が見える。ひなは焚火の手前で身を横たえている。
その向こう。眠っていたマキが身を起こし、片膝を立て真っ直ぐにこちらを見ていた。
晴瀬は悩みながら、彼女へと歩を進めた。月の女が海の男を殺すことを、言うべきか言わぬべきか。正しく推し量ろうとするが、考えはまとまらない。そもそも考えることは苦手だ。頼ろうとしても意味がない。
「具合はどうだ?」
焚火の海の側に座って、さりげなく笑む。彼女は鋭い目で彼を見るが、すぐに逸らして溜息を吐く。
「気分が悪い」
側に積んだ小枝を、焚火に放る。
「俺が起きているから、寝ていていいぞ」
「これ以上寝たら身体が腐る」
相変わらずの厳しさだった。
「それより、明日倒れることの方が怖いぞ」
「明日、どこへ行くというのだ」
「……それも、そうだな」
変わらず槻白の山姥を倒すことを目的とした場合、必ず街道を通らなければならない。その街道には必ず役人がいるものだ。あれだけの騒ぎを起こして、警備が薄くないはずがない。
「お前は、術士の迫害をなくすために、役場を襲撃していたのか」
彼女は重く頷く。
「……愚かなことをした」
彼女はまた、小枝を火に放る。
「こちらの時が百年以上も進んでいることを知りながら、術士の立場が既に変わっている可能性を想定することができていなかった。前を見て、走りすぎた」
無表情に淡々と語る彼女の目に、焚火の光が映っている。
「術士の立場を変えるため、様々の辛苦に耐えてきた。が、もう何をすることもない」
「……わかんねえよ、それは」
思わぬ否定を口にする彼に、マキは目を向ける。
「聞いていなかったのか、今日の話を。役人に登用されるのだぞ。今まで術士の存在を認めなかった国が、進んで迎え入れているのだ」
「それが、なんか、変じゃねえか」
「何が」
「術士だったら、役人にって、術士は貴重だって、おかしいだろ」
「何がだ」
「術士がそうでない人と違って貴重だって、変だろ」
「何がだ」
「いや……変だろ」
「ハッキリ説明しろ」
晴瀬はしばらく唸った挙句、愁眉を開く。
「術が使えるからって、普通と違うって変じゃねえか。同じ人間だろ」
「私たちには生まれながらに見える沖が、そうでないものには見えない。これは大きな違いだ」
「まあ、そうかもしれないけどさ……でもそれって、頭の良さとか身体の丈夫さが違うのと、似たようなもんじゃないか」
「そうだろうか」
「それに、大昔と同じことしているだろ。昔は術士は歓迎されてた。けどそれを憎んだ人たちが、段々術士を殺してって、で最後には月の神まで否定されることになった。太陽の神だけを祀るようになった。また同じことが、起こるかもしれない。術士に生まれたからって全員役人にするのは、逆に差別だ」
「差別、とはいうが、根本的に違いがあることは確かだろう」
マキは手の平の上に小さな炎を灯す。
「こんなことをするのも、なんのことではない。しかし術士でない者にはたとえ一生を賭し修行をしてもできないことだ。これは人間が鳥のように空を飛ぼうとしても不可能であることと同じだ。お前は鳥と人に違いがないと言えるのか」
手の平を握って炎を消す。
「そして、世の中には術士でない者の方が圧倒的に多い。つまり異端となるのは術士の方だ。だから良くも悪くも差別をされる側になる。その構造に不自然があるとは思えない」
「お前頭もいいのか」
「お前の脳みそがぬるいだけだ」
それはそうだけどよ、と晴瀬は笑う。
「もっと、一緒に考えたりたたかったりしてくれる人が必要だ。色んなこと知ってる人とか、どうしていいか一緒に考えてくれる人とか。じゃないと、また余計なことをしてしまうことになる」
「それはそうだろうが。だから何なのだ」
「術士の立場をどうにかしようって、もう何をすることもないっていうのは、早いんじゃないか」
マキは思わず苦笑した。
「かつて術士の反乱を頓挫させた者が、反抗のとりやめをやめさせるのか」
「俺も本当は、反乱を止めたいわけじゃなかった」
晴瀬の瞳がしんと光る。
「俺は、反乱をすることで人が死ぬのが嫌だと思って、春軌を殺した。でも結局たくさんの人が死ぬことになった。甘かったんだ」
思いがけず、似通う過ち。
「止めるんだったら少なくとも、春軌と同じくらい考えたり動いたり学んだりしなきゃいけなかった……俺は春軌に祟られて、ひどい目にあった。俺は中途半端だから、みちも……」
言いかけ、口を噤む。
「……だから、マキがやろうとしてることは、俺も無関係じゃないんだ。それに、あの島を犠牲にしただろ。簡単にやめさせたりできねえよ」
「犠牲?」
マキが眉を顰める。
「あれはゆすらが言ったことだ。自分を殺して生命の玉を奪えと。塔に火をかけろというところまでな」
晴瀬は、ゆすらの元へ行ったときのことを思い出す。元の場所に戻ってくる直前、マキが寝台の対岸にいるのが見えた。その前後で、ゆすらは何の脈絡もなく青い玉を取り出した。それまではどっちつかずの答えばかりだった彼女が、突然ハッキリとしたことを言ったのが妙だった。
「ゆすら様は、そうでもあるしそうでもない、って答え方ばっかりじゃなかったか?」
「いいや。私の問いには全て明瞭に答えてくれた」
「……そう、なのか」
「昔のことはどうでもいい。お前はこの後、どうするつもりなのだ」
彼女の鋭い眼差しを、正面から受ける。
「どうやったらいいかはわかんねえけど、槻白に行きたい。山姥に会いたい」
「……化物はお前の知己なのか」
マキの呆れ顔に彼は笑う。
「会いたい、って確かに変かもな……山姥は、明牙神社の蛇と同じ理由で出てきちまったらしいんだ。だったら、山姥からも声が聞こえるかもしれないと思ったんだ」
「お前は、蛇を妙にかばっていたな」
「助けて、って、言ってたんだ。みちの声で」
「気のせいではないのか。あの女は死んだのだろう」
「ちがうんだ」
晴瀬は徐に首を横に振る。
「俺も最初は気のせいだと思った。でも違うんだ。苦しいから助けてほしいって、蛇の中からずっと聞こえてた。最後、白くなったとき声は聞こえなかったけど、嬉しそうだった」
「あの女は蛇になったのか」
彼は一瞬悲しそうに顔を歪めたが、すぐに首を横に振った。
「なんて説明したらいいかわかんねえんだけど……なんか、あれは冥界の底と繋がってるんじゃないかって思うんだ。槻白の山姥も、池の底から上がってきたらしいしな。だから、そのうち、みちに繋がる手掛かりがつかめるかもしれない」
「根拠は」
「ない。感覚だ」
言い切る彼を、マキは鼻で笑う。
「感覚で動くことを後悔したばかりではないのか」
「でも、そう思う以上止まれねえんだ。声だって聞こえた。突破の穴になるのは、ぜったいあの化物なんだ。それに今度は人助けにもなるだろ」
「明牙や明鳴の化物は、なぜ出てきたのだ」
「厄番って、覚えてないか。月一回の神社に入っちゃいけない日。そんとき神社では、封じ込めてる化物が出てこないように固める儀式をしてるらしい。それを中断されたりすると、化物が出てきちまうんだと」
「私はその、化物をあえて解放し、退治をして回るつもりだった」
晴瀬は瞠目した。
「お前はいくつのことをやろうとしてたんだ」
「同じ線上にあるものだ。術によって化物を退治することで術士の地位を上げよという……ゆすらからの助言だった」
「また、ゆすら様に会ったのか」
「会ったのではない。恒暗の中に勝手に割り込んできた」
意味が分からなかったが、彼女が先を続けるので問わないでおく。
「しかしもう、そんなことをする意味もなくなった。地位は既に上がっている」
「でも、化物の退治ができたら、きっといいことあるだろ。その、術士のことには繋がんなくなるかも知らねえけどさ。ひなだって困ってる。とりあえず今槻白の人たちが困ってる山姥をどうにかしたら、仲間ができるかもしれない。そうすれば、術士のことだって、見えてくるかもしれないだろ」
マキは小さく溜息を吐く。
「私はもとより役人に追われる立場だ。そんな都合よく助力が得られるとは思えない」
「やってみなきゃわかんねえよ。どうにか人助けをすれば裁きは待ってくれるかもしれない」
「甘いな。国への反逆は即刻死罪だと、お前も知っているだろう」
「ああ、でも、化物退治は、お前ぐらい強い人が必要なんだよ」
「都合のいい奴だ。そんな場所にのこのこと出ていけば捕まる危険が」
「俺が、捕まえさせないように頑張るから」
「抜かせ。軟弱なお前に何ができるというのだ」
と吐き捨てる。
「考えも甘い、術も大してできない、お前なんかに」
「だから、頑張るよ。お前を助けられるくらいにはなる」
「無駄な努力をする時間があるのなら漁師に戻ったらどうだ」
「俺はみちを救い出さないといけないんだ。だから強くなる」
彼を一瞥し、溜息を吐く。
「諦めろ。強くなるのは簡単なことじゃない」
「知ってる。でも、俺が春軌を殺さなかったときのことを……反乱が成功して、術士とふつうの人が同じになってるこの国が見たい。そんな場所だったら、救い上げたみちとも、暮らしていけるって思う」
「夢見がちな奴だな」
「じゃあお前は諦められるのか。術士の扱いがおかしいってのをどうにかするために、頑張ってきたんだろ」
「無駄なことだとさとった」
彼女は間髪入れずに答えた。
「私に憑く二柱の神は、太陽の神を王座から引きずりおろせることができたら満足だという。月神は没した太陽に輝くものだ。海の男であるお前を殺さずとも、太陽の神を打倒する力を得ている。だから私は都に上り」
「王を殺しにいくのか」
マキは目を合わせずに頷く。
「そんなことしたって、太陽の神の支配は変わらねえよ。お前が役場を壊して回ってたのと、やってること、そんなに変わらねえ」
「分かっている」
彼女は薄い唇から、静かにこぼす。
「愚かなことを繰り返すだけだ」
「分かってるなら、やめろよ。お前の本心じゃなくて、憑いてる神に乗っ取られてるだけだ。本当はしたくないことさせられて、死ぬもんじゃねえ」
「……妙にうるさくなったな、お前」
焚火の灯を宿した眼が、ぎろりと晴瀬を睨む。
「そんな面になるほどの苦難を乗り越えた自信か」
晴瀬は目を逸らさない。
「それとも、いずれ私に殺されるのが恐ろしく、強気に出ているのか」
マキは音も無く立ち上がった。
「それなら今ここで殺してやろうか」
彼女は眩い槍の穂先を晴瀬の咽元にあてる。彼の黒い瞳は、槍の光を受けて白く輝いていた。
「恐怖の時間は短い方がいいだろう」
「しっかりしろよ、マキ」
片目で彼女を見上げる。
「全部、お前が言っちゃいないだろ。恒暗にお前が月の女だってことは聞いたけど、お前の口からは聞いてない。お前は俺がそれを知ってるって知らないはずだ」
彼女はそっと光の槍を消す。焚火に照らされ濃い影を落とした彼女の顔は、冬の朝のように静かだった。
彼女に取り憑いた二神は、彼女の意識にそれとなく介入し、彼女の思考や行動を操作していた。
マキ自身は、それに気がつくことができていなかった。身の内に暴虐な力が満ちていく、感覚はある。しかしそれが神のものであるとは気がつけなかった。己の内から湧き出たものだと思っていた。
今は膨れ上がった神の力に耳鳴りがしている。しかし彼に言われるまで、それを耳鳴りだと気づいていなかった。それほど自分と神との区別がつかないのだ。
「お前にそんなことを言われるとはな」
マキは溜息を吐き、腰を下ろした。
自分が他の誰かでない自分で生きていきたいと身につけた力が、自分から自分を奪い取っている。皮肉な結末に笑いが出てくる。
「お前も、そのようなことがあるのか。二神を憑けているが」
「……どういうことだ」
寝耳に水だった。
「自覚がないのか。元々の神とは別に、もう一柱憑いている」
「いや、知らねえよ」
「己の沖の変化に気がつかないのか」
「違うのは分かってたけど、そこまでは分かんなかった」
「間抜けた奴だな」
「間抜けなくらいがうまくいくこともあるんだろ」
彼女の疲れた顔に、彼は笑う。
「今のお前、一人にするの心配だよ。一緒に槻白まで行って、山姥を退治しよう。これからのことは、そっから考えてもいいんじゃないか」
マキは彼の黒い瞳をじっと見て答えない。代わりに「ここから街道を使わず、どうやって槻白まで行けるだろうか」と無表情に切り出した。




