交わる道
東西南北の名を冠した宿場は街道が交差する地点だ。それぞれの宿場へ向かう街道と、王都のある中央に向かうために街道、また各村に続く道も、この宿場から伸びている。そのように、道はすべて宿場に通じるようになっており、たとえ隣村に行くのだとしても、一度この宿場に向かわなければならない。
そのため、宿場には大変な数の人が集まるのだった。
特に今は南部の神社を巡る人たちで、ただでさえ多いところが倍以上に膨れ上がっていた。東西南北の宿場に入る前には門に立つ役人に手形を見せ、許可がおりなければ入ることができない。また近頃は役場を襲撃する術士を捕まえようと、手形のあらために時間をかけているようだった。
南の宿が見えてきたところで、門前に並ぶ人たちの列に塞がれ、前に進むことができない。ひなと晴瀬は最後尾についた。
「これ……いつ入れるんでしょうね」
「当分かかりそうだけど、日が沈むまでには入りたいな」
途中で昼食の休憩を挟みながら早足で歩いたが、太陽は既に真上を過ぎていた。
「マキさん、大丈夫ですかね」
「分からねえ。早く休ませてやりたいけどな」
「そういや、元々知り合いなんですか?」
「まあ、そうだな。最初に行った桜の所で会って、次に島で会った」
「じゃあ、マキさんもほんとはすごく前の人で、色んな場所に行ってきた人なんですね」
ひなは二人を見る。ひと月前の自分が想像もしなかった人間と、想像もしない場所に立っている。また夢を見ているような心地になって頬をつねるが、確かに痛い。
「しかも、二人も昨日、あんな形で再会して……」
「昨日、っていや言い忘れてたけど。お前すごかったよな。あんなでかい蛇に箒で突っ込んできて」
「あのときは、目の前で人が死ぬのが嫌だったから、必死で」
「さっきもマキ相手に睨み合ってたじゃないか。度胸あるよな」
「そんなあ、あんなに勇ましい晴……名前……」
前にならぶ男女との距離は一歩にも満たない。本名で呼べば、必ず聞こえてしまうだろう。
「晴……み、晴海だ」
晴瀬はとっさに偽名を口にした。
「ああ、そうだった、すみません」
とぎこちなく返事をしながら、ひなは自分が名を呼ばれたようでどきりとする。
「あんなに堂々と敵を倒してった晴海さんに比べたら、なんてことないですよ」
彼は一瞬、何のことか分からないという顔をしたが、すぐに目を陰らせる。
「俺のは度胸なんかじゃねし……ひなの知ってるそれは、ほとんど嘘だ」
「ひな?やっぱり、ひなちゃんなのね」
前に並んでいた女と、その隣の男が振り返る。その顔を見て、ひなは「あ!」と飛び上がった。
「カルさんと、安樹さん?」
「ひなちゃん……なのよね、この前春巫になったばかりの……」
「はい!そうです!ひなです!」
「急にいなくなっちゃったって、心配して」
「村の山姥が早く退治されて、ひなちゃんが帰ってくるようにって、南部の神社でお参りをしにきていたんだが……」
彼女らは、ひなが毎日挨拶を交わす村人だった。あの厄番の後、菓子を差し入れてくれたのも二人だ。
「ありがとうございます……」
三人は目に涙を浮かべ、互いの存在を確かめるように抱き合った。二人の着物からは、懐かしいにおいがする。早く、村に帰りたい。明鳴神社の人々に会いたい。冬巫の供養だって、自分はちゃんとしていない。故郷の景色や人々の温度が鮮やかによみがえり、ひなの目から涙がこみ上げる。身体を震わせる彼女を、二人は優しくさすった。
「帰りたいよ……」
「そうだね。一緒に帰ろう」
「そちらは、お連れさんかい」
安樹が晴瀬を見た。
「ああ。一緒に行って、山姥を倒す」
「それは、本当かい」
夫婦は目を梟のように見開く。
「うん……」
ひなは涙を拭い顔を上げる。
「あのね、明牙神社でも、化物が出たの。それを一緒に退治したんだ。この晴海さんと、マキさんと。だからね、槻白の山姥も退治できるだろうって」
いつしか話を聞いていた前後の人々も、顔を見合わせる。
「昨日の明牙の騒ぎかい」
「それなら、あんた方がいなきゃここらも大変なことに」
「そういうことなら急がにゃ」
「ちょいと、こういうわけだからこの二人……三人を先に進ませてくれんかね」
「そりゃすごい。どうぞどうぞ先に行ってくれ」
「いいってさ」
「ひなちゃん、無理はしないでね」
「村を、よろしく頼む」
二人が驚いている間に、伝言は前へ前へと進んでいき、いつしか両脇に人の立つ道ができる。
「明牙を救ってくれてありがとう」
「無事を祈っているぞ」
「頑張れ!」
「太陽神の加護がありますように」
人々は口々にひなと晴瀬を鼓舞する。二人は突然のことに、嬉しさを通り越して呆然としていた。確かに自分たちにかけられている声のはずなのに、遠くの誰かが言われているように聞こえてくる。
なんとなく頭を下げながら道を歩いていると、騒ぎを聞きつけたのか、前から役人が三人、走ってくる。人々は二人に声をかけるのをやめ、しんと黙って役人たちを見る。何も言わずに道を広めにあけた。
役人たちが近づいてくる。ひなが突然「ひっ」と息を飲んで一歩後ずさる。
「どうした」
「あの、あれ、あの人……」
大きな目に涙をいっぱい溜めて、晴瀬にしがみつく。役人たちが近づくごとに、身体を隠そうとする。三人が彼女らの前に到着したときは、晴瀬の腕を掴み、背負われたマキの後ろに隠れていた。
「無礼だぞ。出てこぬか」
真ん中に立つ役人の女が、低い声でひなに言う。しかし彼女は見えもしないのに必死に首を横に振っている。
「出てこられぬ理由があるのか」
答えぬ彼女に、両脇の役人が飛び出そうとする。
「待ってくれ」
晴瀬の静かな一言に、二人は足を止める。それを見とめて、晴瀬は振り返った。
「おい、どうしたんだ」
ひなは過呼吸になって泣いていた。
「あの、あの、真ん中の、女……」
何かを続けようとするのだが、言えないのか口をおさえる。
晴瀬はしゃがんで目線を低める。
「どうしたんだ。言ってみろ」
マキが、薄く目を開く。
「……おに……」
ひなは唇だけ動かして言う。
「おに?」
「……鬼」
ひなが明瞭に声にした瞬間、役人の女がマキの襟を掴んで引き倒す。見開かれた鮮やかな緑の瞳に映ったのは、下弦の夜のひなを殺そうとしていた鬼の顔だった。
巻き込まれてマキの上に倒れこんだ晴瀬を蹴り飛ばし、彼女は立ち上がる。
「皆!役場を襲撃した罪深き術士は正にこやつだ!捕らえた者には報酬を」
鬼の女は大声で旅人たちに言うが、終える前に彼らは悲鳴を上げて逃げていく。慌てて転ぶ者、それに巻き込まれ倒れる者、よけきれず倒れた人を踏みつけてしまう者、腰が抜けて立てない者。騒然とする人々に、鬼の女は舌打ちをする。
「罪人、大人しく捕まれば五体満足のまま監獄に送ってやろう」
マキは眼前の状況を素早く把握する。相対するのは二人。沖を読む限り、鬼の女の横の男も術士だ。南の宿への道を全力で走っていく者の姿が、ちらりと視界に映る。服装からして、彼女らと同じ役人。おそらく救援を呼びにいくのだろう。
「お前らでは私に勝てない。命が惜しければお前らも助けを呼びに行け」
マキは駆けていく役人を顎で示す。
「なめやがって」
鬼の女は正に鬼の形相でマキを睨む。しかし、彼女相手に二人でというのは無謀なことだと知っている女は、術を繰り出したい衝動を必死でこらえている。
「お役人様!そんな奴殺してしまえ!」
遠くで少年が叫ぶ。彼の頬を母親が張る。マキはハッとして辺りを見ると、街道の外に広がる田んぼの畦道から、無数の目がこちらを見ていた。何も言わずして、この世に存在することを否定せんとする瞳。
マキの中、遠くの記憶がざわざわと呼び覚まされる。焦げ臭いにおい。「術士だ」「術士だ」ひそひそと囁き合う声。これまで積み上げてきたものが崩れる音。母親なのかどうかもわからぬ焼死体。虚脱してついた膝の痛み。
――ここでお前がやるべきはくだらん過去に囚われることじゃない。
彼方から蘇る声にハッとする。
のが遅かった。
顔の水がぶちまけられる。それだけならどうとでもなる。目と口が、火を上げるように強烈に痛んだのだ。
「死ね!」
刃物が空を切る音。それをガン!と阻む音。
「誰だお前は」
晴瀬が闇の刃で、その剣を薙ぎ払ったのだった。
「俺は晴瀬だ」
「晴瀬?英雄の名をかたるなど、お前も罪の深い奴だ。その女と共に……」
「俺が、春軌を殺した晴瀬だ」
たちまち、辺りが水を打ったように静かになる。
「そんなこと、どうとでも言えるだろう。ふざけているのか」
「信じるも信じないもお前の勝手だ。でも俺は晴瀬だ」
「それではなぜその晴瀬ともあろうお方が、この罪人の味方をするのだ!」
「死なれたくないからだ」
マキは、水の術で何度も何度も顔を洗っていた、その手を止める。
「俺たちは今から、山姥の退治をしに行く。いてくれないと、困るんだ」
「そうだと聞いたから私たちは迎えにきたのだ。しかし罪人たちが行おうとしているとあれば、話は別だ」
「それならば」
とマキが顔を上げる。白目と唇を真っ赤に腫らし、目にかかった濡れた髪を払う。
「山姥を殺した後、私は大人しく縛につこう。もう役場の襲撃は行わないと約束する。抵抗もしない」
鬼の女はかえって凄味の増した彼女の顔を睨む。
「その言葉に、偽りはないな」
マキはしっかりと一つ頷いた。
「おい、あの娘を捕らえろ」
指をさされたひなは慌てふためいて逃げようとする。しかしすぐに役人に捕まり、涙ながらに叫んで抵抗するも鬼の女の横に引きずられていく。
「もしお前が……お前らが何かおかしな動きをしたら、この娘は殺す。いいな」
「分かった」
「隊長、救援に参りました」
駆けてきた十数人の先頭が、彼女に声をかける。
「ごくろう。来てもらったところ悪いが、この三人を槻白まで移送する。檻を持ってこい」
「……さっきから、どういうことなんだ」
マキが、信じられないと目を円くして、救援に来た者たちを見ていた。
「何の話だ」
「なぜ術士が、公然と働いているのだ。お前も、術を平然と使っていた」
役人たちは全員、術士の沖を有していたのだ。
「訳の分からないことを言うな」
「術士とは迫害を受けるものだろう!国のために働くことなど……」
彼女の言葉は、耳にした全員の笑い声にかき消される。誰もが、口を大きく開けて笑っていた。思わぬ爆笑に戸惑うのは、マキと晴瀬の二人だけだった。
「お前は、いつの時代の人間なのだ」
隊長と呼ばれた女は、口元を拳で隠して笑う。
「そんなことは、私の父母が生まれるより前の話だ。今術士たちはむしろ貴重だと喜ばれている。術士に生まれれば必ず国に仕えることができるからな。私たちのように」
西日が、途方に暮れる彼女を照らす。
「まさか、こんなに笑わせられるなんてな。おい、早く檻を持ってこい。お前らは奴らに縄をかけろ」
「はっ」
返事をした二人が駆け出す。それを阻む、影。
「なんだ、お前は!」
空気の中から突如現れた恒暗は、二人をじっと見つめる。
「やめて、あげてくれ」
役人の二人は何かを言いかけたが、とろりと目を閉じて同時に倒れる。
「何者だ、お前は……!」
術士たちは、彼の不可解な沖に戸惑い、また恐れをなす。人の形をしているのに、生きた人間の沖をしていない。また倒された二人の沖も、彼の沖に染まったように正しい流れを失っていた。
「逃がして、あげてくれ」
倒れた二人を避けて、恒暗は一歩、また一歩と役人たちに近づいていく。田んぼの畦道をさらに逃げていく旅人たちの叫びに紛れ、役人たちがぼろぼろと脱落していく。
「ま、待て、止まれ」
隊長はやっとそれだけ言う。
「そいつは罪人だ。逃がすことなどできない」
彼女はひそかに、ひなを捕らえた役人に手で合図をする。彼が暴れるひなの両脇を隣の役人と抱え引き上げようとする。その片腕ずつを、闇の鞭が叩いた。彼らの痺れた腕からするりと抜け出たひなの身体を、鞭がそのまま絡めとって役人たちから引き離す。
「逃げるぞ」
またも晴瀬に助けれられたひなは「英雄!」と彼の手を一度ぎゅっと握る。三人はほとんど同時に走り出し、街道を引き返していく。
「おのれ、お前のせいだ化物!こいつをやれ!残りは奴らを追うんだ!」
しかし、誰一人として動く者はいない。倒れた二人の肌からは血の気が失せ、まるで死人のようになっていたからだ。
「どうした!南の者どもはこうも意気地のない者ばかりなのか!」
「追わないでくれ」
恒暗はまた一歩、近づく。
「近寄るな!」
隊長は腰の剣を抜き、恒暗を袈裟懸けに斬ろうとした。狙いは確実だったはずが、盛大に空振って前のめりに倒れる。それを、恒暗は黒衣の下から支える。ぐにゃり、と妙な感触に、彼女の全身に鳥肌が立つ。
「追わないでくれ……」
彼の目から、音もなく血の涙が流れる。それを見上げた隊長は、白目を剥いて仰向けに倒れる。役人たちは抜けそうな腰をなんとか立たせ、彼女を担いで逃げていった。
恒暗はそれを見送り、溜息と共に目を瞑る。そうして、現れたときと同じように、ふっと宙に消えていった。




