旅の始まり
2021.02.02 投稿
翌朝。
「お世話になりました!」
「いいや、こちらこそ。あんたがいてくれて助かったよ。また何かあったら、遠慮なくうちを頼ってくれな」
「はい!ありがとうございます!それでは!」
「晴瀬さん、あなたのおかげで、私たち、助かりました」
「ありがとうございました」
「いいや、なんでもねえよ。それより、怖がらせて悪かったな」
「ごめんなさい、早まって、石なんか投げて」
「気にすんな。むしろ勇気があっていいと思ったぜ」
「そんなことないですよ……」
「明鳴の巫女殿。道中はくれぐれも気をつけるんじゃよ。そちらの神主殿によろしくな」
「はい!伝えておきます。では!」
「晴瀬さん、あの、これ、傷に巻く布が汚れたら使ってください」
「私の、これも」
「私のも、使ってください」
「おお、ありがとな」
「晴瀬さん、最後に高い高いしてよ」
「よしきた。ほーら!」
「きゃはは」
「僕も」
「私も」
いつ終わるのだ。
ひなは歓声を上げる子供たちに冷たい目を向けるが、どこ吹く風で晴瀬と戯れている。
あの後、ふらふらとおかかたちが寄ってきて褒めちぎられた後、晴瀬と共に喝采で迎えられた。マキはいつの間にか、どこかに消えてしまっていなかった。
ひなは、それからご飯を食べて風呂に入ったことは覚えている。色とりどりの賛辞を浴びた気もするが、どれ一つとして覚えていなかった。嬉しかったが、戸惑いが勝ったためだろうか。
そして今朝、急ぎで明鳴神社に、化物を退治する方法が分かったから、助っ人と共に向こうと手紙を書いた。助っ人とは無論、晴瀬のことである。事情を話したら、二つ返事で承諾してくれた。
彼はある山中で目覚めたら、顔の半分が今のようになっていたらしい。自分がどこからきたのか、記憶がないそうだ。ふらふらとさまよった後、場所を尋ねようと近くにあった明牙神社に入ったのが運悪く厄番の最中であり、あのような騒ぎになったのだった。
火傷はもう治って痛くはないそうだが、何より見た目が恐ろしい。目や髪の毛の消えた白い面は、死者の顔のように見える。また着ている服もぼろぼろだったので、化物じみて見えたのだ。
今、彼は顔の左半分を手拭いで隠している。そうすると、驚くほど人の好さそうな顔が現れる。火傷の面を晒しているときも確かにその顔はあるのに、突然浮き出てきたように見えるのを、ひなは不思議に思った。
彼の衣服は南の宿で揃えることになった。南の宿は、ここから半日とかからない場所にある。明牙神社からは二人でいくには十分すぎる路銀と、通行手形と、明牙神社との縁を示す鈴をもらった。神社にゆかりのある宿や食堂であれば、これを見せれば無料で使えるらしい。
ひなは一刻も早く、明鳴神社に到着したかった。今すぐにでも出発したいのに、晴瀬はまだ子供の相手をしている。
「お前たち!もういいだろう。お見送りするよ」
しびれを切らしたひなを察したのか、おかかが言う。巫覡たちは例によって二列に並び、二人にお辞儀をする。
「ありがとうございました。旅のご無事をお祈りしています」
吉覡が言うと、皆そっくり同じように復唱する。ひなは辟易したが、晴瀬は「ありがとう、またな」と笑顔で手を振った。二人が歩き始めてからも、彼らはしばらく門の前に立っていた。振り返って晴瀬が手を振ると、子供たちが元気に手を振り返す。
二人は南の宿へと繋がる街道をいく。夏の間は南の神社に太陽神の御力が集まるため、自ずと人も集まってくる。神社を巡る旅装の人々と何度となくすれ違い、時折挨拶を交わす。
ひなは人の流れが途切れるのを見計らって、晴瀬をちらと見上げた。
「あの、なんで晴瀬って名前なんでしょう。伝説の英雄と同じ名前をつけちゃいけないはずですけど……」
彼は顔を曇らせる。
「すみません、その、悪い意味とかで聞いてるわけじゃないんです。単純に、なんでかなと思っただけで。あでも。記憶がないんでしたっけ、それなら覚えてないですよね」
「信じてもらえないかもしれないけどよ、俺がその晴瀬なんだ」
彼女を、黒い片目が真っ直ぐに見下ろす。
「……もしかして火傷の衝撃で、記憶が変になってるとかですか」
「そうじゃねえ。本当は、記憶を失くしてなんかないんだ」
彼はとても、嘘がうまい人間には見えなかった。しかし昨日語っていた記憶がないという言葉に、偽りがあるとはとても思えなかったのだ。たったの一夜で明牙の巫覡たちに心を許させた彼は、もしかしたら、とんでもなく厄介な人物かもしれない。
「どうして、嘘をついたんですか」
「本当のことを言ったら、かえって混乱すると思ったからだ。お前……ひなには本当のことを言うよ。よく分からねえ男と歩いているのも怖いだろうからな」
「嘘つかなきゃいけない場所から、来たってことですか」
「そういうことだ」
ひなは周りを確認した。左右には田んぼがずっと広がっているだけで、逃げられそうな場所はない。幸いすれ違う人はいるものの、術を使う人間に対抗はできないだろう。何かあれば彼らも餌食だ。
「取って食ったりしねえよ。いちいち怖がらせて悪いな」
とキョロキョロするひなを、彼は朗らかに笑う。
「じゃあほんとのこと教えてくださいよ。十分怖いですよあなた」
「それも、そうだな」
晴瀬は、伝説の通りに春軌を殺した後死んで異界に行ったこと、そこで春軌の怨霊に苦しめられたこと、異界から禰々島に出て、そこから鬼の住む山に渡り、大火傷を負って追い出されたことをかいつまんで話した。
「お、にと一緒に、暮らしてた、んですね。よく、殺されなかったですね……」
鬼に殺されそうになった恐怖を思い出し、ひなは身震いする。
「鬼違いなんだ。月の夜に殺しに鬼と、鬼の山に住んでる鬼は別物だ」
ひなは小鳥のように首を傾げる。
「俺たちが言う「鬼」は、本当は術士の集団なんだ。それであの山に住むのは、ほとんど俺たちと関わらない、遠い所から来た人たちの子孫で、だから、あの恐ろしい「鬼」とは違うんだ」
「そんな、こと、ほんとなんですか。昔の人が嘘ついたってこと?」
ひなはすぐには飲み込めずに首をひねる。なぜそんな面倒なことをするのだろうか。
今度は逆に、晴瀬が問うた。
「そういえば、俺術士なの知ってるよな。なんで平気なんだ」
今まで禰々島やワタドにいて麻痺していたが、こちらで術士は差別を受けるのであった。
「なんでって、そりゃ平気ですよ。だって……」
「やっと来たか」
不意に割り込んだ声に、二人は前を見た。
「マキさん!どこに行ってたんですか」
「なぜ、お前までここにいるんだ」
彼女はひなの問いに答えず、晴瀬を睨み上げる。
「ひなの村の化物退治に行くんだ」
「軟弱者のお前に化物が退治できるのか」
「退治ってなにも、打ちのめすってだけじゃないだろ。ひなの村の山姥も、殺したって蘇るらしいぞ。明牙神社の蛇と同じ方法で倒せるもんなのかもしれない」
「しかし……」
「あの、ちょっと」
とひなが目で周りを示す。通行人は彼らの言葉に奇異な目線を向けていた。そしてマキの顔を見ると、慌てて目を逸らすのだ。それを彼女は、笠の影から鋭い目で睨む。それがまた彼女の尋常でなさを目立たせてしまうのだった。
「そういう話はもうちょっと人のいないとこで……」
声を潜めるひなの言葉が終わるのを待たずに、マキは二人の腕を掴む。街道と交差する道を左に曲がり、田んぼの間の道に入っていく。緑の中、ちらほらと作業をする人が手を止め、三人組を遠望する。
それらの視線に苦い顔をしたマキは「無人の場所はないのか」とひなを振り返る。
「山の中にでもいかないとなさそうですよ。別にこの辺りでも、人は遠いし聞かれはしないと思いますけど」
「見られている」
「きっと怪しそうだからですよ。もうすぐ南の宿につきそうですから、そこで話すのはどうですか?多分個室を借りられると思いますし」
「私はあそこには入れない」
「私たち、手形をもらったんです。神社の出してくれた手形は一人ひとつ持っていなくてもいいらしいですから、一緒だったら入れますよ」
「門番に人相を見られるのではないか」
「……見られたらダメなんですか」
「見られるのかどうかと聞いている」
「見られたらダメなのかどうか、答えてくれたら教えますよ」
とひなは両手に腰を当てた。マキは自分の聞きたいことばかりで、すぐに質問をかわす。それではこちらのもやもやがたまるばかりだ。
「先に尋ねたのは私だろう」
「それもそうですね。あいやでも、さっきから人の目を気にしたり、よく考えたら宿舎にも急に入ってきたわけだし、あの蛇を倒した後にも消えちゃうし。そういえば鬼に追いかけられてたし、変なとこばかりですもん。どういうことなんですか」
マキは眉間にくっきり皺を刻み、彼女を見下ろす。ひなは、そのただならぬ形相に怒った顔を向けている。睨み合う二人の間を、風が吹きすぎる。互いに一歩も譲らない。遠くの山で蝉が鳴く。青い実をつけ始めた稲がこすれて、涼やかな音をたてた。つい、と蜻蛉が川魚のように空を泳いでいく。
そろそろ歩きださないか、と晴瀬は思うだけで口に出せずに二人の顔を交互に見る。ひなは日に焼けた顔を赤く染めていたが、対するマキの顔は妙に白かった。青白くすら見える。
ひょっとして何も食べていないのではないか。と気づいたそのとき、彼女はふらりと力を失う。晴瀬は慌てて彼女の身体を受け止める。
「わ!大丈夫ですか」
「とにかく、南の宿に急ごう」
晴瀬はマキを背負う。二人は街道へと戻り、早足で南の宿に向かった。




