「化物退治」
2021.02.01 投稿
マキは風のように走っていき、みるみる距離が離れていく。彼女は真っ直ぐに、ひなが今朝北のお堂へ向かった道を走っていく。ひなは何か身を守れるものがあればいいかと思い、少し引き返して壁に立てかけてあった箒を引っ掴んだ。
鎮守の森が近くなればなるほど、悲鳴が大きくなっていく。おかかの怒声が聞こえた。巫覡たちは怯えて泣いている。ひなは迷わず境内に入った。力いっぱい走って拝殿に至ると、御神木の根元に巫覡たちが団子になり、おかかが両手を広げて盾のように立っている。マキは既に誰かと向かい合っていた。しかし闘う構えではなく、呆然と立ち竦んでいる。
ひなはマキと向かい合った、おそらく悲鳴の元凶であるその人物を見てギョッとした。ぼろぼろになった服をまとい、顔の半分が月面のように白い、男のようなもの。頭の方の皮膚は赤黒く爛れ、白い面には眼玉がないのか目蓋がどろりと垂れ下がっている。
「なあ、俺だよ」
それはマキに訴える。声を聞く限りは、人間だった。
「ハルセだ」
ひなが耳を疑ったそのとき「出ていけ!化物!」と吉覡が手近な石を投げる。見事「化物」に命中し、こめかみから血が噴き出る。
「分かった、出ていくから、教えてくれ。ここは、どこなんだ」
「それを知ってどうするつもりだ!」
とおかかが怒鳴る。
「どうも、しない。ただ知りたいだけなんだ。こんななりだけど、俺は人間だ。晴瀬っていう」
「英雄の名をかたるな!化物」
ごん、と鈍い音が、突如として響く。
ひなは拝殿を振り返る。それにつられて、皆も拝殿を見る。ごん、ごん、という音と共に、扉がびく、びく、と震える。もしかして、とひながハッとしたときに、扉が一人でに開いた。
そこから出てきたのは、やはり嫁御の碑だった。
拝殿の階段をするん、するんと下りてくる。巫覡たちは皆悲鳴を上げて逃げるが、おかかは腰が抜けてその場に尻をつく。同じく立てなくなった二人の巫女が、彼女にしがみついて震えていた。
ひなは箒を握り締め、碑の行方を見ている。ず、ず、と直立のまま玉砂利を進み、おかかたちに迫る。しかし泣き叫ぶ巫女の横を通り過ぎ、それは昼にひなが見たのと同じ場所で止まった。
厄番の開始を告げる鐘が四度、黄昏の落ち始めた境内に響く。
すう、と冷たい風が吹いた。御神木の葉が、大きく音をたててゆれる。
皆が見上げているうちに、嫁御の碑が黒く溶けていく。木の根元から徐々に広がり、震える三人に迫っていた。
あれに触れてはならない。ひなは直感から箒を放り出し、おかかの身体を引きずった。が何せ三人分だった。黒が迫る速度の方が、遥かに速い。
急がなければ、のみこまれてしまう。「なぜ助けてくれなかったのだね」今朝の夢で聞いた、冬巫の声が蘇った。闇の水溜りはみるみる内に迫る。六つの眼が強く、ひなを見る。
「分かってる……!」
歯を食いしばり、四肢に力を込めた。
瞬間、ぐんと後ろに身体が引っ張られる。見れば、三人と一緒に闇の縄に箍められ宙に浮いていた。そのまま拝殿の階段にそっと置かれる。その闇は、晴瀬をかたる「化物」の手から伸びていた。
「……晴瀬って、本当にあの?」
巫女の一人が呟いた。
「あ、見て!」
もう一人の巫女が、神木の根元を指さす。闇は、波が引くように小さくなっていく。それは神木が闇を吸い込んでいるからだった。根元から幹へ。幹から枝へ。木の肌は真っ黒に変色していく。枝の先からは尚も闇が伸び、樹齢が千を超える神木は醜怪な姿に変貌していく。
ひなは西を見た。太陽は既に沈み、三日月が嘲笑うように赤い空を白抜きにしている。
闇の枝は空高く伸び、やがて折れるように地に降ってくる。それは神木の近くに立つマキと晴瀬に向かって、雨のように降りそそいだ。
「マキさん!」
地面を濡らした闇はぎゅん、と回ると一匹の大蛇になっていた。それは晴瀬にまきつき、彼に赤い舌を吐きかけている。
晴瀬は瞠目してそれを見上げるだけで、逃げる素振りもない。マキは光の槍を手にし、蛇の首に投げつける。やすやすと貫通して、蛇はぐたりと倒れた。
「早く蛇から離れろ!」
なおもぼうっとする晴瀬を、彼女は叱責した。
ハッとした彼は、蛇の身体を乗り越え闇の中から逃れる。
「俺を、思い出してくれたのか」
「なぜ逃げない!」
彼の問いに答えず、彼女は額に青筋を立てて怒鳴った。
「……声が、聞こえたんだ」
「馬鹿を抜かすな!」
「本当だ、蛇から声が」
「伏せろ」
彼の胸倉を掴んで引き倒し、復活した大蛇に火を放つ。黄昏の中、炎に包まれた黒蛇がのたうち回る。
「やめてくれよ」
「……突然倒して悪かった」
「俺じゃねえ。蛇をあんな風にしないでくれ」
と言うと、蛇に駆け寄り消火の水を放つ。
「何をする」
その背中に鋭く言い放つが、夢中の彼には聞こえない。マキは彼の前に立ちはだかる。
「やめろ。あれはお前を食おうとしたのだ」
「どいてくれ。苦しんでる」
「お前は本当に、晴瀬なのか」
じっと蛇を見ていた彼は、マキに真っ直ぐな瞳を向けた。
「俺は晴瀬だ」
突如、炎が消える。蛇もいなくなっていた。マキは、地面の下で蠢く沖のあとを追う。それが地上に出てきた瞬間、大きな頭に光の槍をぶっ刺した。
「だから、やめてくれって」
「死にたいのか、お前は」
「そうじゃない」
「ではなぜ止める」
「苦しそうだからだ、すごく」
「馬鹿なのか。当たり前だろう」
「俺はそれを、無視できないんだ」
「ならばどうするつもりだ。例えばあの蛇がお前を食ったとして、それで化物は満足するとでもいうのか。他に被害が出たら……」
彼の足元から、闇が顔を出す。そのままするすると晴瀬に絡みつく。再び術を振るおうとするマキを、その尾が薙ぎ払った。
晴瀬は蛇の顔を、臆することなく見据えている。赤い舌が、彼の白い面から流れる血を舐めた。
「うわあああああああ!」
若い娘の声と共に、蛇の顔が何かにぶたれる。
ひなが、箒を握り締め、肩で息をしていた。
それまで晴瀬の他に目をくれなかった蛇が、鎌首をもたげ身体をくねらせ彼女を睨む。
「ひ、マキさんマキさん!マキさん!」
呼ばれた彼女の救援は間に合わない。飛びかかってくる蛇に、ひなは箒をかざした。
蛇が玉砂利を這いずる音が、ピタリと止まる。
「……あれ?」
ひなは恐る恐る目を開く。見れば、蛇は箒に恐れをなして首を引いていた。先ほど箒で殴った部分が白くなっている。腰が抜けそうになりながら、彼女はもう一度箒で蛇の顔を払った。避けられるが、わずかに当たった場所の鱗が二、三枚剥がれて、薄闇の中空にふわりと消えた。
「もしかして」
今度は腰を入れて、蛇の頭を叩く。鼻先の鱗がばらりと落ちた。ひなが尚も箒を振り回すと、蛇は嫌そうに巨体をくねらせて避ける。こうなればこっちのものだと、ひなは蛇を追いかけまわした。しかし身体が大きいだけに力が強く、箒で鱗を払おうにしても跳ね返されてしまう。先ほどのマキのように尾で跳ね飛ばされるのも怖く、すぐに及び腰になっていく。
「少し待っていろ」
マキがひなを下がらせる。箒に追われなくなったことに気づいた蛇はぐるりと振り返り、再び晴瀬を目指す。彼に飛びかからんとするところで、マキが光の壁を立てた。鼻からもろにぶつかった蛇はふらりと倒れる。マキは壁の四辺を延ばして網にし、蛇をがっちりと縛めて真っ直ぐにする。そして端を地面に埋め込ませた。気がついた蛇は逃れようと身をくねらせるが、ピクリとも動けない。
「さあ」
マキは振り返り、ひなに大蛇を示す。彼女は大きな瞳をいっぱいに開いて、光の網を目に映している。
「……怖いのなら、箒をおいて去れ」
ひなは首を横に振った。箒を抱えて蛇の尾の方に走る。光の網は確かに大蛇を押さえつけているのに、感触は全くない。ただの光と同じだった。
ひなは自然と一礼をして、蛇の尾に箒をたてる。そ、っと撫でると、箒の触れた場所だけでなく、周りの鱗もぼろぼろと剥がれる。ひなは尾から頭まで、一気に駆けて鱗を全て掃き去った。舞い上がった鱗は光の網に照らされ、訪れた宵闇に溶け消える。対して大蛇は真っ白になり、穏やかに微光を放っていた。
マキは光の網をはがして一つに丸め、灯として中空に浮かせる。彼女の眼は依然として蛇を睨んでいたが、ひなはもう警戒の必要はないだろうと安心しきっていた。白蛇は黒い瞳で、晴瀬を見つめている。その表情からは慈愛すら感じた。
彼は両手を開いて、蛇に歩み寄る。蛇もまた、頭を優しく彼に寄せた。晴瀬は大きな掌で蛇の頬に触れる。
「もう、大丈夫だ」
その言葉を合図にしたように、蛇がぶわりと膨らみ、柔らかく破裂した。
刹那、強い風が巻き起こる。天界に吹き渡るような澄みきった風だった。身を切るような温度と音を携え、風は競い合うように天へと昇る。
風音が清く響き残った中、ひなはそっと目を開ける。ざわざわという音に顔を上げると、元に戻った御神木が、空に手を振るように枝を揺らしていた。




