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そしてまた月は満ちる  作者: 春日野霞
七 化物
39/89

伝説

2021.01.31 投稿

 明牙神社は大きな神社だった。明鳴神社と違って平地にあり、敷地は倍以上になるだろう。鎮守の森の中に太陽の神を始め神話や伝説中の英雄までもが祀られている。

 宿舎からの北のお堂への道の脇には、ちょうど英雄たちの祀られた小さなお堂がたてられている。祀られている英雄は、どれも夏巫と共に覚えた神話の英雄たちだ。思い出を脳内に流しながら名前を読んでいると、一つだけ扁額が黒ずみ、字の読めない社があった。

 近寄ってみると、蝉の抜け殻がくっついている。地中から、わざわざ扁額まで登ってきたと思うと大変な苦労である。

「がんばったなあ」

 一度だけ、蝉の羽化を見たことがあった。白い体が、茶色い背中を割って出てくる。懸命に殻を脱ぎ、露わになる全身はまるで宝石で作ったかのように煌めいていた。触ろうとした手を、夏巫に引っ込められて喧嘩になったのを思い出す。

ひなは背伸びをして蝉の抜け殻をとり、社の扉の前に置いた。爽やかな風が吹き、森の常緑樹を揺らす。それがまるで、社に祀られる英雄が喜んでいるように思えてひなは得意になった。

 ここに祀られているのは、誰なのだろう。

 よく目を凝らすが、木の劣化が激しい上に影になっているためよく見えない。名前の下につく尊称は分かったのだが、肝心の名前が分からなかった。

 英雄は七人いる。ここには七つの社があるから、消去法で分かる。ひなは残りの六つを確認する。歩きながら、あと一人を思い出した。

「……晴瀬か」

 唯一、術士の英雄だ。自分が幼い頃はもてはやされており、よく夏巫と伝説の一幕を遊びで演じたものだった。悪党の春軌よりも、英雄の晴瀬がやりたいので役の取り合いになる。はじめの頃はじゃんけんで決めていたが、成長するにつれて夏巫が譲ってくれるようになっていった。

 ひなは溜息をつき、首を横に振った。夏巫のことばかりを思い出してしまう。

本宮の横を通り過ぎると、奥に黒ずんだ小さな社が見えてくる。それが北のお堂だった。森が近いこともあり、参道や本宮の前よりもよっぽど涼しい。これなら毎日日迎えをさぼって、こちらの掃除をした方がいいと思いながら、ひなは社に一礼する。

「お掃除させていただきます」

 ひなは無心になって掃除をした。そうなると、時間が経つのは早い。太陽はあっという間に南中する。ざ、ざ、と玉砂利を踏む音を聞き顔を上げると、吉覡が歩いてくる。

 彼は太い眉をひそめて、ひなの掃除する社を眺めまわした。小さな社を一周すると、ひなの前で立ち止まる。

「合格だ。昼飯に戻るぞ」

 とひなの手にある雑巾を取り、手にした桶の中にいれる。さっさと行ってしまうので、ひなは「お騒がせしました」と社に一礼して、箒を抱えて後を追う。

 今日は厄の日なので、参拝者はいない。拝殿前の御神木には、立派なしめ縄がかけられている。ひなは視線を前に移しかけたが、気になるものを捉えた気がしてもう一度神木を見る。

 神木の根元に、背の低い碑のようなものがぼんやりと立っていた。高い日差しを受けて、水溜りのように影を垂らしている。

「あれ、何ですか」

 前を歩く吉覡に聞く。

「あれ、とは」

「あの、あそこにある、石です。はじめて見ました」

 指さすのがはばかられ、手の平で示す。

「ああ……ああ?」

 吉覡は立ち止まる。

「なぜあれが、あんなところに」

 彼は血相を変えて走り出す。取り残されるのが怖く、また誰かに見られているような気がして、ひなは必死に彼のあとを追った。

 吉覡が駆け込んだのは、おかかのところだった。

「おかか様!」

 庭から呼ばう彼に、縁側へと出てきた彼女は怪訝な顔をする。

「どうしたんだね」

「あの……嫁御の碑が、御神木の根元に……!」

 彼女は円い目をぎょろりと開く。緊張した面持ちで何かを言いかけたが、何を思ったのか笑みを浮かべる。

「ああそうだ、あれは私が今朝あそこにやったんだよ。戻すのを忘れていた……すまないね。日頃皆に、きちんと片付けろと言っている私が、情けないことだよ。だから他の皆には内緒にしておいてくれな」

「そうなんですか、よかったあ」

 吉覡はほっと胸をなでおろす。

「さあ、桶はひなが片付けるから、あんたはお昼を食べといで。皆が待ってるだろうから、ひなは待たんで先に食べていなさい」

「はい!」

 先ほどの表情とは打って変わって笑顔になり、彼は走り去っていった。

「……さ、あんたは桶の水を」

「嘘だ」

 ひなは目を皿のように見開きおかかを見る。

「だってびっくりしてたのに」

「はやく片付け」

「嘘でしょう!あなたが、木の根元にあの碑をおいたなんて!」

「なんてことを言うのかね」

「嘘だ!絶対嘘だ!」

「静かにしないか」

「嘘だ嘘だ嘘だ!」

「ああもう、うるさい娘だ。嘘だよ、嘘」

 おかかは声も眉もひそめて言った。

「なんで嘘なんかついたんですか」

 ひなも察して声を小さくする。

「分からないのかい。今日の厄番を失敗するわけにはいかんからだよ。あんなものが勝手に動いたとあれば、みんな混乱してしまう」

「あんなものって、あれは、何なんですか」

「……あれは元々、南の岬にあったものなんだ。でも先月から、どんなにしっかり据えつけても倒れるってんで、これは何かあるかもしれないって一度お祓いをしたんだ。でも何度やってもダメだ。それでここ最近の騒ぎだよ。神社で預かって拝殿に安置しておったのだが、出てきたようだね」

「出てきたようだねって……碑に足でも生えるっていうんですか」

「足がなくたって動ける代物だろうよ」

「……何が、あの碑は何の碑なんですか。ヨメゴの碑とか言ってましたけど」

 おかかは一つ、溜息をついた。

「そこにお座り」

 ひなは箒を置いて、縁側に腰をかけた。

「ある伝説が、ここにはあってね」

 彼女は、低い声で語り始めた。


 昔、子供の産めない女がいた。姑は、子を残せぬ女につらくあたった。日にこなしきれないほどの仕事を与え、できねば大声で罵声を浴びせ、できても小言を忘れない。それでも嫁はくじけずに、寝る間も惜しんで一生懸命働いた。

 田植えの季節のある晩、嫁の夫が病に倒れた。姑は孫の顔の見れぬ内に子も亡くすのか、と嫁への怒りでいっぱいになり、嫁にこう命じた。

「明日の日が昇ってから沈むまでに、残りの苗をすべて田に植えてこい。一人でだ!それができなければ今すぐ家を出ていけ!」

 いつもは「はい、はい」と返事をしていた嫁も、言葉を失った。苗は、二人で一日かけてやっと植え終わるくらいの量が残っていた。

 明くる日、嫁はまだ暗いうちから、大急ぎで苗を植え始めた。嫁のおかしな様子に、近所の人は「大丈夫かい、手伝おうか」と声をかけるが、無我夢中の嫁には聞こえていない。嫁は水も飲まず飯も食わず苗を植えた。

 しかしやがて、疲れから嫁は田に倒れた。太陽がまさに、西の山脈へと没していこうとするころだった。あと少しなのに。嫁はたまらず太陽に叫んだ。

「お天道様。あとちょっとだけ、待ってください。私の命をあげます。だから、どうか、もう少しだけ!」

 嫁は必死の思いでそう言った。すると太陽は答えるように、すいっと山から顔を出した。そしてそのまま沈むことなく、じっと嫁を見つめるのだった。

「ありがとうございます。お天道様。ありがとうございます」

 嫁は震える足をなんとか立たせて、残りの苗を植えていく。最後の一株を植えたとき、嫁は太陽に「ありがとうございました」と微笑み、水の張った田んぼの中に倒れこんで死んでしまった。太陽は一度ピカリと光ると、何事もなかったかのように西の山へと沈んでいった。

 嫁の植えた田はその年、立派で大きな米が実り、豊作になった。村人たちは、嫁は人の母になれなかったかわりに稲の母になったのだと口々にうわさした。

 そして嫁の恩恵が続くよう、小さな碑をたて供養したということだ。


「……でも、なんで南の岬なんかに碑をおいたんですか。田んぼじゃなくて」

「南の岬は、死者の魂が向かう禰々島が見える場所だからさ。死んだ嫁に見えるように、あそこに置いたんだと聞いているよ」

「そうですか……」

 ひなは言いながら、溜息を吐く。

 そんな家、自分から出ていけばよかったのにとひなは思う。確かに、家を追い出された女に生きていくすべはない。しかしその果てに死んでしまうのなら同じ話だ。苗を植え続けるよりも、なんとかして生きる方法を探せばよかったのに。

「かわいそうな話ですね……」

「そうかい」

 彼女は首を傾げる。

「女は子供を産めなきゃ。そんな女にも情をかけた御日様はやはり偉大だよ」

 呆然とするひなに構わず「早く、お昼を済ませてしまいな」と彼女は立ち上がり、部屋から廊下へ消えていった。

「……や、そうかもしれないけどさ」

 相手のいない虚空に放つ。

「いや、そうではないよ。ううんそうかもしれないけどさ、いやでもだって死ぬまでっていうのは……」

 名状しがたい違和感を言葉にしようと唸るが、出てきたのは腹の虫が鳴る音だけだった。

 昼食を終えるとほどなくして、鐘が三つ鳴る。ひなは、書物を机の上に放り出し、両手を広げて寝転がった。

「もう無理」

暗くなるまでに読み終えろと言われたのは、明牙神社の歴史について書かれたものだった。平易な書き方がされているのだが、ひなはそもそも文章を読むのが嫌いだった。字面を追っているだけで、内容が頭に入ってこない。

 彼女の前髪が風で揺れる。蜩が、遠くで鳴いている。溜息をつき、目を瞑った。身体の重さがじくじくと溶けて、脳内にはほしいままに映像が明滅する。

午睡の夢は慌ただしい。夜よりもめまぐるしい物語に翻弄された挙句、がちりと金縛りにあう。身体の動かぬ苦しさにもがき、どうしようもなく嫁御の碑を思い出す。あれを最初に見つけたのは自分だ。だから襲いにきたのかもしれない。ど、ど、と床を歩く振動。足を冷たい手に撫でられる。一瞬だけ目蓋が自由になり目を開くと、そこに人が立っている。

心臓が早鐘を打つ。恐ろしくてたまらず、助けを求めるが、咽すら自由にならない。「あ……あ……」となんとか絞り出す。足のみならず肩にまで伸びてきた手。それにゆさゆさと揺すぶられると、縛めが解かれたように身体が自由になった。

「は」

 目を見開いて見上げたそこには、まだ人がいる。見覚えのある、淵色の瞳。

「……マキさん?」

 まだ夢を見ているのかしらと頬をつねるが、確かに痛い。 

「今日神社で化物を抑え込む儀式があるというが、本当か」

彼女の表情から伝わってくる、緊張感。ひなは再会の驚きに聞きたいことが募るが、張りつめた様子に引っ込んでしまう。

「ほんとですよ」

「いつからやるんだ」

「多分夕方からですよ。鐘が四つ鳴るのが合図です」

「それでは、そろそろ始まるのか」

 日は西に落ちてきている。

「そうですね……でも儀式を見ることはできませんよ。境内に入っちゃいけないみたいですから」

 ひなは身体を起こす。金縛りの恐怖に滲んだ汗を拭った。

「なぜ入ってはならんのだ」

「さあ。しきたりってやつらしいですよ。ところで、何しにきたんですか」

「化物を退治しに来た」

「それなら!」

 ひなは思いがけない言葉にとびあがる。

「私の神社に、明鳴神社に来てくださいよ!今山姥が暴れまわってて困ってるんです」

「……本当か」 

「そりゃあ本当ですとも。どうやったって死なないらしくて手に負えないって聞いてます。でもマキさんならきっと!退治できます!」

 ひなは元気よく立ち上がった。

「早速明鳴神社に帰りましょう!」

 マキは突然眉をひそめ、静かにするようにと人差し指を唇にあてる。何か来たのか。彼女が睨む方向を見てみるが、何もない。代わりに、複数人の悲鳴が離れたところから聞こえてくる。

 それは神社のある方角だった。

「何が……」

 マキは何も言わずに部屋を飛び出す。

「あ!待って!」

 ひなは迷わず、その後を追った。

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