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そしてまた月は満ちる  作者: 春日野霞
六 朙滅
33/89

闇の外へ

2021.01.25 投稿

「……っ」

 腕をおさえて脂汗をかく。

「治してやるから腕を……」

 恒暗が言い終わる前に、マキは腕を出す。灯りの横で、痛々しい傷が露になる。皮膚が広範に亘って焼け爛れ、雷が当たったと思われる箇所は深く抉れている。恒暗は見ておられず自らの手首を深く裂いた。

 沁みるのか、マキは腕に注がれる血液に呻く。呼吸を走らせ歯を食いしばった彼女が平静を取り戻すまで、恒暗は何度も手首を切った。

「お前の血は、無尽蔵なのか」

「……おそらく」

 マキは痛みが夢のように消え去った腕を、水で濯ぐ。元の肌が現れ出て、目を見張る。何度見ても信じがたい。

「助かった。ありがとう」

 彼女は額や首に残る汗を拭い、立ち上がった。

「どこに、行く」

 彼は黒目がちの目を上げた。

「ここは居心地が悪い」

 右腕の痣が、脈打つように痛みを上げている。洞窟の特殊な沖に反応しているのか、二柱の神が人間の解さぬ言葉でぶちぶちと絶え間なく嘯いている。

「……」

 恒暗が何かを言うが、その雑音のせいで聞こえない。

「もう一度言ってくれ」

「あなたが話をしたい、鬼……というのは、シアラのことか」

「なんだそれは」

 顰めた眉に、影が溜まる。恒暗は目を逸らすように俯いた。

「あなたを追いかける、術士のことだ。王土で、月夜に外に出たら、鬼に殺されるというが、本当は、シアラだ」

「じゃあ、この山に住む鬼というのは何なのだ」

「術士の、祖である、ワタドの一族だ」

「シアラは、ワタドとは別のものなのか」

「全く、別だ。むしろ、シアラは、ワタドを滅ぼそうとしている」

「なぜ」

「……術士をこの世から、消すため、だろう」

「本当か」

 噛みつくように聞くマキに、恒暗は顔を上げた。

「……分からない……」

 細かに首を横に振る彼に、期待外れと言わんばかりに腕を組む。

「言うまでもないだろうが、私は術士だ。術士は人の扱いを受けない。それを変えてやろうと反乱を起こすつもりでいる」

 恒暗の目が、前髪の下で僅かに見開かれる。

「そのために、まずは役場を壊して回ったが、私一人でそのようなことをしても意味がないことに気づいた。私を追いかける鬼……シアラも同様に術士だろう。だからシアラと結託すれば成せるのではないかと、話をしに来たのだ」

「……しかし、あなたは、人を殺しすぎているのではないか」

「そうしなければ私が死ぬ」

「……仲間を殺された者たちが、あなたの話を、聞きはしないだろう」

 眉間を射きられたような衝撃だった。

「役場を襲撃したのなら、王土の民の怒りも、あなたには向けられる」

 マキの右手が、左腕を滑る。

「今、必要なのは、敵でなく、味方なのではないか」

 犯してきた過ちに背筋が寒くなる。同時に神の雑音が頭を締め付けるように甲高く鳴り響いた。が、囚われるわけにはいかない。次の一手を探る。

「それなら、敵を作らず、反乱を行う方法はないか」

 恒暗は首を横に振る。

「全く作らない、というのは、難しい」

「そんなことは分かっている。私の信仰を取り戻したいのだ」

 八乎の雑音が突如として像を結び、口を吐いた。

 恒暗は伏し目がちなのを満月のように見開いて、彼女を見た。結ばれた口がふわり、と開き「相変わラずねえ」と彼自身の声で別人の言葉を話す。

「……ゆすら?」

「お久しぶり」

 半ば開かれた口から、言葉だけが転がり出てくる。恒暗自身は彫像のように動かない。

「どうして、殺したはずだろう」

「王土には、二十九ノ神社があるわ。それが一ツずツ、化物を抑え込んでイる。それヲ地上に解き放ツノ。そノ後退治すると申し出たらイイノ。術士とイうことは隠してね倒すときに皆ノ前で術ヲ使うノ。ソれから、自分は裏ノ太陽ノ神ノ使者だッて言ったらイイノ。今後怪異が起こッタら太陽ノ神じゃなくて私ヲ頼みにしろッてね。ソれから味方が欲しイッて、術士を連れてイケばイイノ。ねえ、イイ案でしょう。楽しみにしてイるわ」

「待て、神社の抑え込んでいる化物とは何なのだ」

 一方的に話すと、ゆすらが消えたのか、恒暗は目を閉じた。

 マキは示唆を忘れぬように、何度も胸中で繰り返す。思ってもみない拾得物に、口元には笑みが浮かんでいた。神の雑音は消え、かわりに痣が微光を発する。

 恒暗が、ゆっくりと目を開ける。

「お前……恒暗は、二十九の神社がどこにあるか、知っているか」

「全てではないが、分かる」

 何の話か聞き返さないところを見ると、話が聞こえていたようだった。

「私は知らないことが多い」

 彼女は彼の手を握る。

「共に来てほしい」

 恒暗は少し身を引いた。

「しかし……」

「死にたいのだろう。このような場所で待つばかりでは、決して果たされない。化物と対峙する内に、恒暗が死ぬ方法も見つかるかもしれん」

 彼は目を泳がせる。「しかし……」と口の中で何度も繰り返しながらも、暗かった瞳に幽かな光が差していた。

「行こう」

 彼女は彼の手を引き、立ち上がる。

「もう、発つのか」

 マキは小さな炎を中空に灯す。

「ここは居心地が悪いからな」

 希望を掴みに走り出した彼女の声が、洞穴の闇に谺した。 

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