闇の外へ
2021.01.25 投稿
「……っ」
腕をおさえて脂汗をかく。
「治してやるから腕を……」
恒暗が言い終わる前に、マキは腕を出す。灯りの横で、痛々しい傷が露になる。皮膚が広範に亘って焼け爛れ、雷が当たったと思われる箇所は深く抉れている。恒暗は見ておられず自らの手首を深く裂いた。
沁みるのか、マキは腕に注がれる血液に呻く。呼吸を走らせ歯を食いしばった彼女が平静を取り戻すまで、恒暗は何度も手首を切った。
「お前の血は、無尽蔵なのか」
「……おそらく」
マキは痛みが夢のように消え去った腕を、水で濯ぐ。元の肌が現れ出て、目を見張る。何度見ても信じがたい。
「助かった。ありがとう」
彼女は額や首に残る汗を拭い、立ち上がった。
「どこに、行く」
彼は黒目がちの目を上げた。
「ここは居心地が悪い」
右腕の痣が、脈打つように痛みを上げている。洞窟の特殊な沖に反応しているのか、二柱の神が人間の解さぬ言葉でぶちぶちと絶え間なく嘯いている。
「……」
恒暗が何かを言うが、その雑音のせいで聞こえない。
「もう一度言ってくれ」
「あなたが話をしたい、鬼……というのは、シアラのことか」
「なんだそれは」
顰めた眉に、影が溜まる。恒暗は目を逸らすように俯いた。
「あなたを追いかける、術士のことだ。王土で、月夜に外に出たら、鬼に殺されるというが、本当は、シアラだ」
「じゃあ、この山に住む鬼というのは何なのだ」
「術士の、祖である、ワタドの一族だ」
「シアラは、ワタドとは別のものなのか」
「全く、別だ。むしろ、シアラは、ワタドを滅ぼそうとしている」
「なぜ」
「……術士をこの世から、消すため、だろう」
「本当か」
噛みつくように聞くマキに、恒暗は顔を上げた。
「……分からない……」
細かに首を横に振る彼に、期待外れと言わんばかりに腕を組む。
「言うまでもないだろうが、私は術士だ。術士は人の扱いを受けない。それを変えてやろうと反乱を起こすつもりでいる」
恒暗の目が、前髪の下で僅かに見開かれる。
「そのために、まずは役場を壊して回ったが、私一人でそのようなことをしても意味がないことに気づいた。私を追いかける鬼……シアラも同様に術士だろう。だからシアラと結託すれば成せるのではないかと、話をしに来たのだ」
「……しかし、あなたは、人を殺しすぎているのではないか」
「そうしなければ私が死ぬ」
「……仲間を殺された者たちが、あなたの話を、聞きはしないだろう」
眉間を射きられたような衝撃だった。
「役場を襲撃したのなら、王土の民の怒りも、あなたには向けられる」
マキの右手が、左腕を滑る。
「今、必要なのは、敵でなく、味方なのではないか」
犯してきた過ちに背筋が寒くなる。同時に神の雑音が頭を締め付けるように甲高く鳴り響いた。が、囚われるわけにはいかない。次の一手を探る。
「それなら、敵を作らず、反乱を行う方法はないか」
恒暗は首を横に振る。
「全く作らない、というのは、難しい」
「そんなことは分かっている。私の信仰を取り戻したいのだ」
八乎の雑音が突如として像を結び、口を吐いた。
恒暗は伏し目がちなのを満月のように見開いて、彼女を見た。結ばれた口がふわり、と開き「相変わラずねえ」と彼自身の声で別人の言葉を話す。
「……ゆすら?」
「お久しぶり」
半ば開かれた口から、言葉だけが転がり出てくる。恒暗自身は彫像のように動かない。
「どうして、殺したはずだろう」
「王土には、二十九ノ神社があるわ。それが一ツずツ、化物を抑え込んでイる。それヲ地上に解き放ツノ。そノ後退治すると申し出たらイイノ。術士とイうことは隠してね倒すときに皆ノ前で術ヲ使うノ。ソれから、自分は裏ノ太陽ノ神ノ使者だッて言ったらイイノ。今後怪異が起こッタら太陽ノ神じゃなくて私ヲ頼みにしろッてね。ソれから味方が欲しイッて、術士を連れてイケばイイノ。ねえ、イイ案でしょう。楽しみにしてイるわ」
「待て、神社の抑え込んでいる化物とは何なのだ」
一方的に話すと、ゆすらが消えたのか、恒暗は目を閉じた。
マキは示唆を忘れぬように、何度も胸中で繰り返す。思ってもみない拾得物に、口元には笑みが浮かんでいた。神の雑音は消え、かわりに痣が微光を発する。
恒暗が、ゆっくりと目を開ける。
「お前……恒暗は、二十九の神社がどこにあるか、知っているか」
「全てではないが、分かる」
何の話か聞き返さないところを見ると、話が聞こえていたようだった。
「私は知らないことが多い」
彼女は彼の手を握る。
「共に来てほしい」
恒暗は少し身を引いた。
「しかし……」
「死にたいのだろう。このような場所で待つばかりでは、決して果たされない。化物と対峙する内に、恒暗が死ぬ方法も見つかるかもしれん」
彼は目を泳がせる。「しかし……」と口の中で何度も繰り返しながらも、暗かった瞳に幽かな光が差していた。
「行こう」
彼女は彼の手を引き、立ち上がる。
「もう、発つのか」
マキは小さな炎を中空に灯す。
「ここは居心地が悪いからな」
希望を掴みに走り出した彼女の声が、洞穴の闇に谺した。




