明鳴神社
2021.01.24 投稿
昼下がりの青い空を攪拌するような蝉の声が響き渡っている。夏の日差しを映して鈍く光った床の上で、巫女が足を投げ出していた。
「春巫!お前はまただらしのない」
「だって、暑いじゃないですか」
乙女は黒く大きな瞳を、皺の多い顔をしかめた神主に向ける。
「それはわしとて同じじゃ」
「またお叱りですか」
「いいから正座をしなさい」
王土最小の村にして最西の村、槻白。険しい山脈の裾に広がるのっぺりとした平地に、ぼこんと飛び出た小高い山。その中腹に位置する社の境内。神主の控えの場所にて、春巫はしぶしぶ正座をする。彼女は切り揃えた前髪の下から上目遣いに、身の潔白を口にする。
「叱られることなんかしてませんよ。最近は朝も早く起きてますし。夜だって隠れてお菓子食べたりしてませんし」
「そのことは大いに結構。此度は別の話だ」
巫女はホッと息をつく。この神主は説教が長い。足がしびれ、腹は減り、それは神主も同じのはずなのに、同じようなことを何度もくどくどと話すのだ。
「おぬしにも何の話か、見当がついておろう」
「いいえ。何ですか?」
神主の細い目が僅かに開かれ、明るい茶色の瞳が年若い娘を映す。
「この昼行灯が。今宵は厄番の日であろう」
「今日⁉」
娘は黒目がちの目を梟のように円く見開いた。
「昨日まで散々儀式の流れを教えたろうに、なにゆえ忘れるのだ」
「明日じゃないんですか」
「満月の前の夜だと再三言っておっただろう!おぬしは暦も知らんのか。毎朝きちんと確認しろと」
「結局お説教ですかあ」
と両耳を手でおさえる。
神主は言葉を継ごうとして、やめた。
「よいからその手をどけなさい」
と手ぶりで表すと、彼女は手を離す。
「厄番の巫女は、日が沈んでから儀式が始まるまでの間、どこにおらねばならぬか覚えているな」
「覚えてますよぅ……」
と尻すぼみに言って、きょろと目を逸らす。
「嘘をつけ。覚えておらんのだろう」
「覚えてますよ。ちょっとど忘れしちゃっただけです」
と言いながらも目は未だにきょろきょろしている。神主は溜息を吐いた。
「覚えておらんなら正直に申せ」
「はいすみません忘れました」
「冬巫のところじゃ。それがどこかは覚えておるか」
「そりゃ覚えてますよ。山の天辺にある上つ宮です。薄暗くて、寒くて、怖くて、辛気臭いから厄なんかがやってくるんだよ、って場所です」
と、恨めし気な瞳で神主を見る。
「後半はほとんど文句であろうが」
「だって、冬巫様とだってちょっとしかお話したことないし。なんで自分の部屋にいちゃ駄目なんですか」
「習わしであるからだ。儀式は常なる心で行うものではない」
「でも冬巫様はいつもあそこにいるじゃないですか。冬巫様は常なる心で儀式していいのに私はなんでダメなんですか」
「おぬしが冬巫と同じだと考えるな。一体何年この仕事を勤めていると思っているのだ」
「知りません」
「答えよという意味で言ったのではない。とにかく、本日の厄番を滞りなく行うように。全てここでおさらいだ」
「ええー」
不平を満面に募らせる。
「全部分かってますから。日暮れにちゃんと上つ宮に行きますから」
「ダメだ。まず、厄番とは何か、理解しておるだろうな」
立ち上がりかけた春巫は、神主の低い声に正座に戻る。
「ちゃんと分かってますよ。上つ宮の近くにある不濁の池に、真上に昇った満月が映ったとき、下から黒いものがうわあああってのぼってくるんですよね。それを防ぐために」
「待て。下からのぼってくる黒いものの名前は。そして満月ではない。十四夜の月だ」
「え、ちょっと待ってくださいねなんだっけ」
「名前をおろそかにするでないと何度言ったらわかる!」
とうとう神主は怒鳴る。
「お説教じゃないって言ったじゃないですか!」
馬耳東風甚だしく大声で対抗する。
「おぬしが自覚の足りんことばかり申すからであろう!」
「でもちゃんと内容は覚えてるじゃないですか!」
「この明鳴神社の巫女として、おぬしは儀式を執り行う立場にあるのだ。その巫女が言葉をおろそかにするなど言語道断!」
「ちょっと忘れただけじゃないですか!ちゃんと思い出しましたよ『まじこり』ですよね」
これ以上何を言っても仕方がない、と神主は肩を落として話を戻す。
「……それで、まじこりを防ぐために何をするのだ」
「冬巫様が祝詞を唱え、私が舞で池を巡った後、ご神鏡を池に投げ入れるんですよね」
「そうだ。ではなぜ、ご神鏡を池に投げ入れるのだ」
「ご神鏡はお天道様の力を秘めています。だから、邪なものを祓ってくださるんですよね」
「そうだ」
「で、朝が来るまで上つ宮で寝ないで私も祝詞を唱えるんですよね。それで新たなご神鏡に朝陽を照らしておしまい!ということで徹夜に備え私は寝ますね」
素早く立ち上がり彼女はその場を逃げ去る。
「夏巫!春巫が逃げたぞ!」
と神主が大声で言う。まずい、と春巫は辺りを伺う。
「お前はまた!」
と浅葱色の裳裾をひらめかし、どこからか夏巫が駆けてくる。
「やだ!見逃して!」
春巫は逃げるが、為すすべなく首根っこを掴まれる。
「お前もやっと厄番を務めるようになるのに、いつになったら落ち着くんだ」
襟を掴んで神主の元へ引っ張っていく。
「夏巫兄さんどこにいたの。都合よく出てきちゃって。もう」
「お前が逃げるだろうからと、神主様にあらかじめ仰せつかっていたんだよ。隣の部屋にいた」
「そんなのずるい!だから、ねえ、見逃してよ」
と甘えるような声を出すが、夏巫は栗色の目を閉じて「ダメだ」と首を横に振る。
「けち」
「けち、ってなあ。お前のためなんだぞ。いざ儀式のときになって頭が真っ白になったって、誰も助けてくれないんだからな」
「だから、全部ちゃんと覚えたもん。二か月も練習してるんだよ?普通は一か月ぐらいなのに」
「お前がそんなんだからだろ……神主様、お連れしました」
と春巫を元の場所に座らせる。
「いつもすまないな」
「いいえ。むしろ私にお任せください。後継がこんなことでは不安ですからね」
と夏巫は腕を組む。
明鳴神社には四季の巫覡というものがいた。神社に捨てられた子供や孤児が引き取られて、この四季の巫覡になる。基本的に、春巫を終えると夏巫、夏巫を終えると秋巫、秋巫を終えると冬巫になる。がしかし、途中で四季の巫覡を外れ普通の巫女となる者もいた。それぞれの季節にある大祭の神主補佐を務めるのが、一番大きな仕事だ。その他の仕事は、季節が暮れていくに従い多くなり、補佐的な仕事から主幹的な仕事になっていく。この厄番は、春巫にとっては冬巫を補佐する仕事であった。
現在の春巫は、かつての秋巫が普通の巫女となったために欠番ができ、三月ほど前に役についたばかりだった。今の夏巫が春巫だった頃、春祭での役目を終えてから交代をした。
「夏巫にも何度か教えてもらっただろう。感謝の意も含め練習の成果を見せてみんか」
「でも夏巫兄さん絶対ダメ出ししかしないし。褒めてくれないし」
と団栗眼を夏巫に向ける。
「それじゃあ今日は、特別に褒めてやろう。さあ、やってみろ」
神主の向い側に腰を下ろした。それは戸のある方向だった。もう逃げられないかと観念し、春巫はたすきをかける。
「あ、鈴がないとできません」
「ここにある」
いつの間に用意したのか、神主の脇に木箱がある。春巫はきちんと慇懃な手つきで箱を開け、玉のような鈴がなった枝のような祭具を手に取る。鈴を右手に、柄から伸びた白い布を左手に、部屋の隅に背筋を伸ばして立ち、そっと右足から歩み始める。
舞といっても、ほとんどが歩みの所作だった。池の四方にある柏の木までを、鈴を鳴らしながら一定のはやさで進む。柏の木まで着いたら、歩みのはやさは変えずに木を四度周り、一度しゃがむ。そしてゆっくりと立ち上って、鈴を目の高さで鳴らす。それを、四方の柏を三度周るまで繰り返すのだ。
部屋の四方を柏に見たて、春巫は舞を終える。
「及第点だ。夏巫は、どうだった」
「そうですね。十日前よりもよほど良いです」
「でしょう。だから予行なんていらないって言ったんですよ」
舞うときばかりは真剣な顔つきをしていたが、終わってしまえばすぐに緊張を解く。
「慢心するなよ。これを、月光の下でやるんだからな。そもそも月を見るのだって初めてだろう。絶対に怖くなるから、寝ぼけててもできるぐらいにしておかないといけないんだ」
夏巫にそう言われると実感が込み上げ、急に怖くなる。
「今さらなんですけど、まじこりをおさめるのはご神鏡なのに、舞なんかやって何の意味があるんですか。やらなくていいんじゃないですか」
「ご神鏡だけがまじこりをおさえるのではない。始まりの祝詞、池を清める舞がそろって始めて、まじこりを池から出さずにおれるのだ。特に舞は池の悪しきものを外に出さぬための結界を張る、大事な役割を持つ。と最初に説明したろう」
「でも、月を見たらあの世に連れてかれるっていうじゃないですか。なのになんで無事でいられるんですか。怖いですよ」
「これを、肌身離さず持っておるからだ」
神主は、懐から一枚の札を取り出した。
「月からおぬしを守ってくれる」
彼女はお札を受け取る。二つの半円がお札の上下に、真ん中には真円が描かれていた。その周りには文字のようなものが書かれており、中央には社の朱印が押してある。
「その札には、天の光が織り込まれておる。札の上に、上半分の半円があろう。それが「初の光」。真ん円のものが「頂の光」。下半分の半円が「末の光」。それを持っておれば心配ないが、もし万一邪なものが現れたときは、札を握り締め唱えるのだ」
神主は一つ咳払いをし、大きく息を吸い込む。春巫と夏巫はハッとして耳を塞いだ。
「 」
口が閉じたのを見て、手をどける。外で烏が、ぎゃあと騒ぎながら飛び立つ。
「これ、聞かぬか」
「聞きますよ。でも、普通に言ってください」
「念を込めて唱えねば意味がない。呪文とはそういうものだ」
「はい。だけど、私まではらわれかねないので」
「ちょうどよい。おまえのその食い意地を追いはらってくれよう」
「いいえ大丈夫です自分ではらいます。ので、覚えるためにも、普通に言ってください」
神主の唱える呪文は、とにかく「すご」かった。小高い山の中腹から、麓はおろか村の人々までその声を耳にすることがあるという。ありがたいことだと彼らは手を合わせるが、間近で聞く者にとってはたまったものではない。祭では長い祝詞を唱える上に大勢の観衆を前に張り切るので、側に座す彼女たち巫女は以後数日間、頭痛に苛まれることになる。
神主は仕方ないといった調子で一つ咳払いをし、会話するのと同じ声で唱える。
「かたれぬかみよふるきははよ我を守り給え」
「はい?」
聞き覚えのない上に、不思議な節が付いていた。
「かたれぬかみよ」
「カタレヌカミヨ」
「ふるきははよ」
「フルキハハヨ」
「我を守り給え」
「我を守り給え」
「かたれぬかみよふるきははよ我を守り給え」
「カタレヌカミヨフルキハハヨ我を守り給え」
「覚えたか」
「カタレヌカミヨフルキハハヨ我を守り給え」
「そうだ。念を込めて、日暮れまで練習をしろ。諳んじるだけでは札に込められた力は十分に発揮できん」
「はい……」
見慣れぬ札。聞きなれぬ呪文。夜闇が空を蝕んでいく暮れ方のような、それでいて恐怖でも不安でもない何かが、春巫の眉間に皺を落とす。
「なんか、ほんとに、大丈夫なんでしょうか……」
「最初はたしかに恐ろしいもんだ。慣れれば大丈夫になる。今夜の恐怖を辛抱すれば、あとは楽になるさ」
という夏巫の茶色い瞳を見上げる。
「でも今日がまずこわいのがもう、こわい」
「上つ宮までは一緒に行ってやるから、辛抱しろ」
「じゃあそれからも一緒にいてよ。儀式はちゃんとやるから、見てて」
夏巫は首を横に振った。
「ここを超えねば、おぬしは一人前にはなれん」
神主が腕を組んで言う。
「さあ、まだ儀式の後の祝詞が残っておるぞ」
春巫はうかない顔のまま、言われた通りに祝詞を唱え始めた。




