表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そしてまた月は満ちる  作者: 春日野霞
五 故郷
28/89

煮え滾る

2021.01.23 投稿

 夜。

 暗闇、赤々とした光に映える淵色の瞳。勝ち誇った表情。青い光を抱き宙を舞った女が炎を振りまき彼方へ去る。暴力的な力に、為す術なく全てを奪われる。人為の内に天災を引き起こすのは簡単だ。小さな灯を燃えやすいものにかけてやればいいだけなのだから。それはあっという間に膨れ上がり、何千何億と言葉を費やし時間を費やし築き上げたものを、一瞬で握り潰す。人の手から手へ受け継がれたものの内に、どれだけの労力と感情が詰め込まれていたとて、あの下品な光に対抗する力を発揮することはない。むしろ燃料とされる屈辱を炎は吸って、真っ黒い煙を吐き出す。それを逃げ遅れた者が飲む。喉が爛れ肺が爛れ、意識が落ちて前後不覚に陥り炎に食われる破目になる。それまでの人生にどのような物語を紡いでいようともお構いなしに、問答無用の地獄を味わい死ぬ。火は憎むべき対象として暗闇に燃え盛る。しかしそれを鎮める水すらも暴力を有する。大雨の土砂崩れに飲み込まれた人、書物。「私を忘れた彼らは死したものを神と祭り上げた当然の報い」と雷神が嘯く。大雨はあらゆるものを地に捻じ伏せるように降る。親族に囲まれ、殴られ、蹴られ、罵倒され、視界が血に染まる。痛みすらも鈍く遠ざかった中、激しい雨が降っていた。むせかえるような木々の匂いも、薄く身体を通過する。雨で冷えたせいか、ひどい傷のせいか、身体が震えている。その時感じた無力憎悪憤怒。死にたくない、死にたくないと身の内で繰り返しながらも、それまでの生の内に積み重ねてきたものが、ぼろぼろ地底への落下していく。それでも諦めなかった。地面を抉るように引っ掻き、切れ切れに、死にたくないと口にした

瞬間、視界一杯に閃光が炸裂する。

 目を覚ました青颯は、身を起こした。

 山の冷たい夜気に、生温かい溜息を落とす。首に貼りつく汗を手の平で拭う。ワタドに来てから、毎日のように悪夢を見ていた。癖になっているようでうんざりする。悪夢は悪夢でも、全て空想によるものであれば多少はマシだ。あれはほとんど、自分の過去そのものだった。

 忌まわしい記憶に体力まで奪われたくないと枕に頭を戻すが、渦巻く感情を無視できず眠れない。思ったよりもひどく、マキを憎んでいたのだ。死の淵へ落下していくようなあの感覚。故郷で死にかけた時と二重写しになる。砂浜に倒れ伏したときの感情がそのまま蘇り、拳を床に打ちつける。

 静寂に、鈍い音が沁み込む。誰もが死に絶えてしまったかのような真夜中。このまま眠れば、自分も死人になる。そんなことはあり得ないと分かっているが、感情は時に整然たる論理を超えるものだった。青颯は床を抜け、外に出る。

 夜風が汗を冷やし、身体が震える。当然、灯りのともっている家は一つも無い。皆がシンと寝静まっている。青颯は禰々島でそうしていたように、小さく火を灯して南の田畑へ向かった。

 夜の田は、人々同様死んでいるように見えた。風にそよいではいるが、眠っている。夜に死を蓄え、太陽の光にそれを解き放ち、生の力を得て背を伸ばす。この眠りが稲を生かし、秋には黄金に染まるのだ。

 そうして稲を思えば落ち着くはずだったが、全く逆効果だった。禰々島の田が健在であればと思えば、また腸が煮えくり返る。

 怒りを募らせ拳を握った彼は不意に、強烈な存在を感じて振り返る。

少し離れた所からこちらを見る、ワタドの少女。灯も持たず、星明りにぼんやり佇んでいる。

彼女の有する沖は、明らかに人のものではなかった。かといって神が憑いているということでもない。神に似ているようで、それすら超越した、何か。

 瞠目した青颯の瞳に、異様な彼女の異様な肢体が焼き付く。彼女の肌には、燃え尽きた木炭のように黒く、硬くなっている箇所がいくつもあった。また、黒い雷のようなものが、皮膚の下に痛々しく走っている箇所もある。にもかかわらず、袖もなく裾の短い服を着ていた。

 青颯は、体内に彼女に聞きたいことが膨れ上がるのを感じた。しかし、一つとして言の葉に乗らない。彼女に眼球を釘付けされたまま、身じろぎもできなかった。

 彼女は一重の目で彼を流し見て、若竹色の瞳を逸らす。踵を返して去っていく白いふくらはぎも、黒々とした稲妻に蝕まれている。

 青颯はそれを、見えなくなるまで目で追いかけた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ