生活体系
2021.01.21 投稿
雨天の続く山中の夜は、ひそやかに明けていく。はかない夢から覚めた人々は、変わり果てた村の姿を目に映して俯く。が、すぐに顔を上げ食堂へと向かい、その日の能源を蓄えにいく。ワタドでは、氏族ごとで一つの台所を使うことになっていた。一族が集まって、朝と夕に食事を食べる。昼はそれぞれの仕事場で軽食を取る程度だった。
三人が分けてもらった朝食を食べ終えた頃、一人の青年が訪ねてきた。
「またとない助太刀、恐れ入ります」
体格の良い彼は深々と頭を下げる。涙黒子が印象的な顔だった。
「私はマワリの中組副若隊長、タヒトと申します。青颯殿には早速我々に加わっていただきたいところですが、お二人も含めまずは知っていただきたいことがありますので、説明に上がりました」
「だってよ。起きなさいって」
仏頂面のまま舟を漕ぐ青颯を肘でつつく。「分かったよ」と顔を上げるのだが、またすぐに目を瞑ってしまう。
「お疲れでしょう。小さな身体で、我々を救ってくださったのですから」
切れ長の目を愛好よく細める。彼の瞳もまた、若竹色をしていた。
「……俺あんたより年上だからね」
と寝起きの低い声で睨み上げる。唐突な冗談かと思い戸惑う彼に、凌光が詫びる。
「すみませんねこんなんで。でも年上っていうのは本当なんです。禰々島……親島は時間が止まってて、であそこに五十年くらいいたもんですから、そういうことになるんです」
「それはまた……」と驚きを以って三人を見る。
「お二人もですか」
「私はそうですけど、晴瀬は違います。でも……まあ色々あってもっと年上なんです」
と晴瀬を見る。
「いやでもさ……晴瀬は実際二百年くらいの時間は生きてないんじゃないの」
小さいと言われたことが頭にきたのか、青颯が不機嫌ながらも目を開けている。
「青颯の言う通りだ。実感では一年も経ってない」
「二百年、とおっしゃいましたか」
「うん」
「何があったか気になるところですが……先を急がせていただきます。また昨日のようなことを繰り返すわけにはなりませんので」
タヒトは背筋を伸ばし、三人それぞれに視線を送りながら話し始めた。
「我々は約四百年前からこの地に暮らしております。何度も存亡の危機に見舞われましたが、なんとか子孫を繋いで今日に至ります。氏族は四つ、遠・望・洋・祷とあり、それに姓がついて己の氏族を現します」
「あんたは何ていうの」
「私は遠一の者になります」
「一、っていうのが姓?」
「左様です。現在の我々は祭、家事、農事、生活に必要なものを作る職務、そして術を用いて村を守るマワリの仕事を、それぞれが担っております。子供の内にそれらについてひと通り学び、適正を見て仕事を決めます」
「家のものを継ぐんじゃないんですか」
凌光が首を傾げる。
「数十年前まではそのようにしておりましたが、適材を適所に送る方が生産性向上に繋がるという「発見」があって以降、この形が定着しました」
凌光は、いつの間にか半目になっている青颯の頭をはたく。彼は「聞いてるよ」と目を何度か瞬いて背筋を伸ばす。
「二百五十年近くシアラの襲撃を受けております。本来的にシアラの力は大したものではありませんでした。幼少の頃から鍛える我々と、実力の差は余りに大きい。見張りを置いて警備をすれば、必ず退けることのできる存在でした。しかし一月ほど前からシアラは急に力を強くし、村を守る結界も先日破られ」
「ねえ、結界って沖の術でつくってるの?」
青颯が話を遮って聞く。
「それは分かりかねます。なにしろ、祷家の伝統的な術を受け継いでいるナダ様のみに作ることが可能なものですから」
その名を聞いた彼の眉がピクリと動く。
「医者なんじゃないの?術も使えるの?」
「中心となる職は、お医者様です。しかしナダ様は色々に秀でており、あの若さで幹部の席に身をおかれています。有事の際も最適の打開策を見出してくださるため、我々マワリもお頼り申し上げているのです。また術は、下界と違ってワタドでは全員使うことができます」
「でも破られたんでしょ?修復はしてるの?」
「勿論進めてくださっています。が現在は火傷の患者の世話で手一杯のご様子です」
「その伝統的な術って何て呼ばれてるの」
「秘術、と呼ばれております」
身を乗り出していた青颯が溜息を吐き身体を引いたのを見て、タヒトは話を戻す。
「ここで生きるには様々な困難がございますが、現在最も障害となっているのはシアラの襲撃です。昨日の件もありましたので、説明するまでもないでしょうが。このような時に、術に秀でた方にご助力いただけ、ありがたい限りです」
と彼は青颯に頭を下げる。
「私たちの仕事は?」
凌光が尋ねる。
「ひとまずは、火事の後始末に力をお貸しいただきたいと聞いております。それ以後はナダ様に尋ねよとのことです」
「なんで医者に?」
青颯が大仰に眉を顰める。
「族長からのご命令です……他にお聞きしたいことはございませんか」
三人は首を横に振る。
「それでは青颯殿は、私について来てください。お二人はまた別の者が参りますので、それまでお待ちいただければと」
「ご丁寧にどうも」
頭を下げた凌光の後に、晴瀬も続いて頭を下げた。
タヒトは青颯を伴い、村の西にある職務区に案内する。そこのマワリたちの駐屯所があった。戸を開けると、奥にあぐらをかくノルが鋭い眼光を向けてくる。思い思いの格好で身体を休めていたマワリたちは即座に身構える。
「戻りました」
「……妙なものが来たかと思ったが、おぬしらか」
青颯は刺すような視線を、残らず睨み返す。若者から初老の者まで年齢は幅広かったが、全員男だった。それぞれがよく鍛えられていることが、沖を読むまでもなく分かる。
タヒトは中に入ると、その場に立ったままの青颯を招く。
「ここで何やんの?」
「マワリの仕組みやついていただきたい場所について説明します」
「また説明?聞き飽きた」
「お前、タヒトさんに失礼だぞ」
と見た目には青颯と同じ歳の少年が甲高く言う。青颯はその顔に見覚えがあった。
「ああ、ここに来て最初の夜に鉄の板持って来たやつか。あのときはあんなにビビってたのに、威勢がいいね。周りに味方がいるから?」
「それは……」
言わないでくれとばかりに顔を赤くする。
「ユザこそ失礼を言うな。お前と同じ歳のように見えるが、その実六十年以上の時を生きているお人だ。その上術の力は比べものにならんのだぞ」
タヒトは少年に厳しく言う。それを聞いた他のマワリたちの目は、奇異なものを見るものに変わる。青颯は睨む気もかえって失せて、溜息を吐いた。
「もう分かったから、とっとと説明して」
「そちらにお座りください。ユザ、地図を」
少年は棚からそそくさと地図を取り、タヒトに渡す。受け取った彼は青颯の向い側に座り、机の上にそれを広げた。
歪な円形が描かれており、その中に家や畑の図が細かに描き込まれている。ワタドの地図であることが一目で分かった。
「マワリは東西南北中と五つの組に分けられております。地図に描かれているのが我々の村になりますが、東西南北にそれぞれ門があります。その上の櫓に見張りを配するのですが、自分の属する組の門を守ることになります。中組は精鋭の集まりで、様々な仕事をこなしますが、主な仕事は中央の高い物見での見張りと、塀の外の見回りです」
地図には、塀の外の絵まで描かれていた。東西南北の四方とその間をとった四方に、池や大木、洞窟などが嫌に大きく描かれている。
「この目印みたいなのは何」
「それぞれ結界の要になります。結界が破られてからは、見回りはその内側をまわっております」
「要の沖を頼りに、それが内側か外側かっていうのを判断するの?」
「左様です。それぞれ独特の沖を有しておりますので、中組に入れる程度の者であれば、要から離れていてもそこが内か外か分かるようになっています。青颯殿には中組に加わっていただく予定ですので、まずは内と外が判断できるかを見させていただきます……が大丈夫だとは思いますので、この沖を記憶しに参りましょう」
「今から?」
タヒトは頷いた。
初日から体力を削られそうだと、青颯は口をへの字に曲げた。
青颯が部屋に戻ってきたのは、日が沈んでしばらく経ってからだった。
「わ、すみません」
出迎えた凌光は慌てて詫びる。彼はタヒトの背中で気絶したように眠っていた。
「外を回っているときは問題なかったのですが、戻った途端に眠ってしまわれて……」
と彼を莚の上に横たえる。
「自分がどこまでできるか、加減が分かってないんです。ご迷惑おかけしました」
「いいえ。お疲れの状態で出動いただいた我々も悪かったです。明日は昼の終わりの鉦が鳴りましたら、マワリの屯所に来ていただきますようお伝えください」
「分かりました」
「あと、聞いているとは思いますが、今晩は葬式がありますので、日が昇るまでは決して戸外に出られぬようお願いします」
「はい。ありがとうございました」
凌光が軒先で頭を下げる奥で、晴瀬が溜息を吐いていた。
もの皆が静まり返る、深夜。
山の端から、下弦の月がのぼる。
政所の前の広場に、いくつかの柩が積み上げられている。薄い月光に白っぽけていた。
それに下からそっと、火をかける。
柩を取り囲んだ人々は、花開く炎を目に映し、女が立ち上がったのを合図に瞑目した。
立ち上がった艶やかな女は、金色の髪を波打たせ、青い瞳で半月を見上げる。赤い唇が、落日を思わせる声を響かせる。
死した者の沖よ私の声を聞きなさい
汝が沖は月へ向かい
光なる我らが祖先とひとつになろう
やがて月の雨が我らの大地に降り注ぎ
新たな命が芽を出だす
汝は二度と戻らねども
新たに生まれ来る命の中に
汝が沖を見るそのときは
喜び携え唱えよう
再び天地を共にせん
再び天地を共にせん
最後の一句を人々が、腹の底から低く唱えた。
眠れない床で、晴瀬は目を見開いている。
たまらない懐かしさが、胸か、腹か、記憶か、どこかは判然としない場所の最奥から駆け上がる。彼らは確かに、自分がかつて鬼と恐れていた人々であるはずだった。しかし術が使える自分とは、遠くで確かに繋がっているのだ。
何度も繰り返すその歌に、規則正しい足音。火の周りを、人々が回っているのだろう。死した者の沖が、迷わず月へ向かうように。
自分もここで死んだら、月に行けるのだろうか。そうすればみちに会えるかもしれない。扉や窓の隙間から、部屋の暗闇に走る火の白光。一晩中響き続けた歌と共に、そのゆらめきを見つめていた。




