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そしてまた月は満ちる  作者: 春日野霞
五 故郷
24/89

琥珀の瞳

2021.01.18 投稿

 翌朝。

 日の出に目を覚ました青颯は、むくりと身を起こす。立ち上って、手探りで窓を開けた。禰々島の窓よりもずっと建付けがよく、滑らかに開く。

 小雨がしとしとと降っている。窓を開いた方は南側で、空と一つになった灰色の海が見える。下に目を移せば、雨に滴るような緑と、先端を尖らせた丸太のようなものを並べてつくった塀がある。人々は既に起き出しているようで、仕事を始める前のしゃべり声が聞こえた。

 青颯は、天と海の境に黒い影を探した。せめてもの島影を見たいと思ったが、天気が悪いのに見られるわけがない。水瓶から水を飲んだときとき、腹が鳴った。昨日はあの芋の餅しか食べていないのだ。床の上に置きっぱなしになっている鉄の板を手に取る。これで呼べばいいのだろうが、癪だった。

 しかし誰かがいなければどうにもならない。反対側の窓をあけ、彼は鉄の板を打ち鳴らそうとする。が、もっと激しい音が下から耳をつんざいた。

「南にシアラ!総員戦闘待期!」

 人々は話すのをやめ、素早くどこかへと散っていく。これはタダ事でないと部屋を振り返ったとき、何かが視界を掠める。カッという鋭い音に振り仰ぐと、天井付近の壁に鈍く光る棒が刺さっている。何かと思って目を凝らすと、棒は解けるように炎と化す。あっという間に燃え広がって天井が火を吹いた。

「なに!」

 凌光が飛び起きる。晴瀬は口を開けて眼を白黒させていた。

「出よう!」

彼は言うなり水の塊を放つ。焔は真白な靄と化し視界を奪う。青颯は術で風を出口へ通し道を作る。三人は、転げるように階段を下りた。

 雨空を、いくつもの黒い矢のようなものが飛ぶ。それは弧を描くことなく、虫のように予測のできない動きをして何かに突き刺さり、瞬間炎と化す。この塀の中が火の海になるのも時間の問題だろう。

「ちょうどいい。逃げようか」

 青颯が低い声でぼそりと言ったとき「ああ、無事かい」とナダが駆け寄ってくる。その後ろにファリがついていた。

「君に頼みたいことがある」

 と青颯を見下ろす。彼は不必要にナダを睨み上げ「嫌だ」と答える。

「あんたまだ聞いてもないのに」

「絶対嫌だ」

「この術、おかしいだろう。雨が降り続いて木は湿っているのに、簡単に燃え広がる。術を使っている人はきっと普通のシアラではないんだ。だから」

「俺に相手して来いっていうんでしょう?嫌……」

「こいつで良ければ使ってください。むしろお願いします」

「なんで凌光が決めるの!」

「だってあんた見てみなさいよ!」

 雨空に炎が高々と上がっている。

「このままじゃ禰々島と一緒だ。これまで積み上げたものがパアになる苦しみを知ったばかりでしょうが」

 ホラと凌光が背中を押す。

「こっちだ」

 とナダは彼の腕を掴み走る。いくらも走らないところ門があり、番をする青年が二人、厳しい目つきで外を睨んでいる。

「ここは僕とファリが見るから、二人は東と合流して」

 一礼すると、二人は駆け去っていく。

「もしかして、俺一人に行かせるつもり」

 ナダに掴まれた腕をさする。存外力が強い。

「君の実力から考えて、他は足手纏いになるだけだよ」

「そうじゃない。俺がこのまま逃げる可能性もあるのに、一人に任せるの?」

「村にはあの二人もいるんだよ。それなのに君は一人だけ逃げるのかい」

「……何かハメようとしてる?」

 爆発音が響く。爆風が三人をも襲った。

「無駄話をしている暇はない。はやく」

 矢のようなものは、未だ宙を飛んでいる。青颯はやむなく山へ下りる。

 術を使う人間を探すのに苦労はなかった。その強烈な沖は読もうとしなくても神経に触る。夜に、明るすぎる光を目指すようなものだった。光源の沖の動きを読みながら、足音を潜め、木の影を渡るように近づく。

 妙なことに、その者自身の沖は、脱力した人間のようにほとんど動きが無い。術を使うために騒いでいるのは周りの沖だった。山の斜面から問題の人間が見えてくる。青颯は木陰に身を隠して様子を伺った。

 その男は、ゾッとするほど美しい顔をしていた。ぶつぶつと口で何かを唱え佇み、琥珀色の瞳はぼんやり虚空を見上げ、正気を失った人間のようにも見える。しかし、その頭上からはあの鈍く光る棒が生まれ出て、空中を魚のように滑っていた。自らの沖を動かすことなく術を使っているのだ。

そのようなことが果たしてあり得るものなのか。もっとよく沖を伺おうと、青颯は思わず一歩踏み出す。音を立てた枯葉に猫のような目がこちらを向き、慌てて木に隠れる。

「隠れたとて無駄だ。出てこぬか」

 およそ戦場にはふさわしくない、風雅な声だった。

「出てこぬと、こうだ」

 彼は何かを口の中で呟くと、隣の木が音を立てて真っ二つになる。

 倒れていく木を見届けて、意を決し木陰を出る。

「子供が、何をしに来たのだ。ワタドの者ではなさそうだが」

 煌びやかな服を着て、焦茶色の長い髪を束ねてすらいない。顔立ちも然り、人間ではない別の何かなのではないかと思う。

「あんたを止めに来たんだよ」

「おぬし、名前は」

 思いがけずにそう問われ、青颯は眉を顰める。

「名無しなのか」

 この、人とは思えぬものに名を教えるのは気が引けた。名前は呪いと縁が深い。

「教える義理はない」

「それでは、おぬしが名前を教えたらば、このまま退いてやろう。それとも、闘うか」

 ゆったりとしているようで、まるで隙が無い。彼の沖は、どういうわけか身体から溢れている。それも常人の持つものではなかった。限りなく細い繊維が強く団結し、彼を守っているように見えた。術で彼に攻撃をかけようとも、纏った沖に巻き込まれ無効化してしまうのだろう。

「本当に、名前を教えたらこのまま帰るの?」

それでもなんとか隙を見つけようと、時間を稼ぐことにする。

「もちろんだ。ちょうど、止め時に迷っていたことだ」

「襲撃に来たのはそっちなのに?」

「色々事情があるのだよ。さあ、隙を伺うのはもう終わったか」

 ばれている。

「こう見えて忙しいのだ。闘うのか、名乗るのか、早く決めてほしい」

「俺の名前は……」

 言いかけたとき、纏う沖が緩んで粗さが出る。その隙間を突いて闇の礫を放つ。がそれは、彼の白い首に届く前に霧散してしまう。

「野蛮人なのか。言葉で答えよ。それとも闘いたいのか」

 なんということもなく消し去られ、青颯は愕然とする。

「答えるまで、いくらでも待とう。但しその間で、ワタドが火の海になるかも知らん」

 忙しいと言ったはずの彼はまた、口の中で何かを唱える。青颯は彼の頭上に沖が凝縮するのを感じ、観念して口を開く。

「名前は、青颯」

「青颯。か」

 繰り返した彼は、綺麗な顔を嘲笑に歪める。

「案外、素直に名乗ったな。勢いばかりで、その実臆病者のようだ」

 言葉が終わらぬ内に、彼の身体が透けていく。そして宙に溶けるように消えていった。

 やはり彼は人間ではないのだろうが、馬鹿にされた腹立たしさは消えない。

「もっと強くなってやるから今度会ったら覚悟してろ。捻り潰してやる」

 既にいない彼にそう宣告して、青颯は元来た道を戻る。全く歯が立たなかった悔しさや、名前を暴露したことが導く未来への不安が、身体を熱くする。服を濡らす雨がむしろ、心地よいくらいだった。

 門が近付いていくにつれ、煙のにおいがきつくなる。袖で口をおさえ、門から村に入る。

「無事で何より。どうだった」

 同じく口元をおさえたナダが、すぐさま問う。

「消えた」

「ありがとう。話は後で聞くから、火消しに加わってほしい」

 まだこき使うのか。と思ったが、あの男がもたらした炎がまだのさばっていることの方が腹立たしい。

「消してやるから、俺を守っててよ」

「……どういうことだい」

「いいから言った通りにして。ほんとにやばかったら声かけて」

 青颯は目を瞑り、己の頭の中心に意識を集中させる。その小さな一点から、頭上、そしてその先へ、己の沖を広げていく。上空で沖を平に伸ばし、落ちる雨垂れの沖を捕らえる。

「雨が止まった」

 見上げるナダは呟く。

 青颯は幾千幾億と降る雨に己の沖を結び付け、雨粒を太らせていく。絶えず降り注ぐ雨が何倍にも膨れ上がり、遂には大きな水塊となった。彼は十分な大きさになったのを感じて、萌黄の瞳を開く。頭上から繋げた沖を手で掴み、一気に振り下ろした。

 するとその水塊が破け、滝のような雨が火災に覆いかぶさった。人々は余りに突然のことに、火事から助かったにも関わらず新たな敵の襲来かと辺りを警戒する。

「いやあ、すごいね」

 ナダは大きな目を更に開いて手を叩いた。ファリは事情を説明しに、人々の元に走っていく。

「あんな芸当、この村の誰もできないよ」

「でしょうね……」

 と脱力して肩を落とす。

「その俺でも敵わないんだから、ここはあの男一人にやられておしまいだよ」

「何の話?」

「この村に火をかけてきたのは化物だったって話」

「後で、詳しく聞かせてほしい。僕は救護に行かなくちゃならないから」

 彼は立ち去るが、何かを思いついたようで振り返る。

「僕には構わないけど、口の聞き方には気をつけた方がいいよ。この村がおしまいなんて他の人に言ったらさすがに、僕もとりなしてやることはできないからね」

「……よく覚えとくよ」

 駆け去る彼の背を睨む。青颯は手の平の底でこめかみを三度叩いた。

雨は先ほどよりも強くなっていた。山の雨は冷たく鋭い。顔を上げてみると、昨日幹部が揃った建物は無事に残っていた。雨を避けることのできる床下に入り、柱によりかかる。

一難去ってまた一難とはこのことか、と青颯は溜息をつく。のしかかる疲労に、柱にもたれかかった。後始末や救護のため、せわしなく動き回る人々の声が頭に響いて痛みに変わる。加えて肉や物の焼けた臭いが全身を包む。逃げ場の無さに頭を抱えた。

こんな村、さっさと出た方がいい。青颯は先程までいた門に視線を送る。無人であったはずなのに閉門されており、どこから湧いてでたのか、その上の櫓に人がいた。他にも村を出る方法が無いか考えようとするが、思考は千切れてまとまらない。それよりも、この場に対する嫌悪感が入道雲のように膨らんでいく。

 村を支配する、人為的に歪められた沖。村を狙う、恐ろしい力を持った化物。この村にいてロクな事はないだろう。加えてあのナダというのが、どうも鼻につく。なんとなく相手にしたくない。

 目を瞑り溜息を吐いたところに、強い声が耳に突き込んでくる。

「青颯!無事でよかった!」

 凌光が駆け寄ってくる。いつかの記憶が蘇って、腕を広げる彼女をかわす。

「なんで逃げるの」

「あのね、死ぬほど苦しいんだよ……晴瀬は?」

「無事だよ。向こうで手伝ってる。火はまだ完全に消えたわけじゃないから。村の北側にある建物はほとんど全滅だって」

「ねえこの村はやく出ようよ」

「またそれかい……沖がおかしいとかいうんだろう」

「そうだ。何度だって言うよ」

 彼は三白眼で彼女を見上げる。

「きっと、命を食いつぶす呪いを使ってる。部外者である俺たちが、その餌食にされたっておかしくはない」

「なんで、そうだと決めつけられるの」

 青颯は、彼女から目を逸らす。

「俺の生まれた村がそうだったからだよ」

「……同じようになるとは限らないでしょ」

「さあ、どうだか」

 二人はそれきり黙って、雨に濡れそぼつ村を眺めていた。

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