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そしてまた月は満ちる  作者: 春日野霞
五 故郷
23/89

敗者

2021.01.17 投稿

 夜も近くなった頃、糸のような雨がしとしとと降り始める。「風邪ひく」と青颯がぼやいた時、牢の鍵が開いた。

「出ろ」

 三人は顔を見合わせた。

「早くしろ」

 言われた通りに牢を出て、走って来た男に続く。そしてすぐ隣にある床の高い建物の、階段を指さした。上を見ると、青年が二人こちらを見下ろしていた。

「上がってこい」

 戸のない入り口から、火ではないものの灯りが漏れている。おそらく光を使ったものなのだろう。三者三様の表情で、わずかな光の中階段を上る。木で造られたそれは、禰々島にあった塔の二階ほどの高さがあった。ちなみに、二階は木々の梢と同じ目線になる位の高さである。

 意外と広さのある建物の中は、柔らかな光に満ち明るい。一番奥、少し高くなったところに初老の男と背を丸めた老婆が並んでいる。

 その手前側に、向かい合わせで三人ずつ並んでいる。向かって左にナダがいて、彼の左側の円座が一つ空いていた。この村の誰もがそうだったが、前髪を左側へ斜めに流し、残った右の前髪は三つ編みや布で束ね耳にかけている。後ろの髪は、顔の左側で一つに束ねていた。

 この村で最も権威のある人々が揃っているのだろうということが、三人にも察せられた。

「ここに座れ」

 と入り口の側、奥の二人と向かい合うような位置に座らせられる。外の青年は入り口から三人の背中を睨んだ。

 向けられた隙の無い視線に、凌光の背を冷や汗が伝う。余計なことを言うのではないかと左の青颯をちらりと見たが、神妙な顔をして口と閉じていた。右の晴瀬も見てみると、その黒い目を更に黒くさせて床を見ている。

「……んふぬ」

 老婆が、豆のように小さな目を閉じる。

「シアラでは、無い。しかし、妙な、沖を、持っている」

 しわがれた声が切れ切れに紡ぐ言葉には、重みがあった。

「妙な沖とは、何なのですか」

 隣に座る初老の男が、その耳元でゆっくりと大きな声で尋ねる。が、老婆は目を瞑ったまま答えない。男は諦めて身を起こし、その男は三人を見た。

「私はワタドの族長、タラクだ。まずはシアラだと疑いいきなり捕らえたこと、謝罪申し上げる」

彼が頭を下げると、他全員も従って頭を下げた。

「我々の祖先は、遠く海の向こうからこの地に至り、在地の人間に沖による術を広めた。しかし我々ワタドは、在地の人間……下界の人間と溶け込まず、独立を守った先祖たちの末裔である。ご存知だとは思うが、術士は下界では迫害を受けておろう。また我々は鬼だとされ、シアラによる攻撃を受けておる。故に、外からの攻撃には敢然とした態度で対処せねばならんのだ。お分かりいただきたい」

 凌光は、かつて自分の暮らした地が下界と呼ばれていることに、若干の違和を感じる。もし自分が青颯だったら文句の一つも口にしていたかもしれない。

「あなた方は親島から来たと聞くが、誠か」

 二人が答えないので、凌光が「本当です」と答える。族長は、大きくひとつ、頷いた。

「遠き異国からこの地に渡る間に、親島に暮らしたことがあると伝わっている。つまり、あなた方は我々の先祖と同じ場所からやってきた同族だということになる」

 そうだろうか。凌光は目を白黒させた。

「しかし」

 右側の真ん中に座る、目の細い男が三人を睨んだ。

「あの距離をどうやって渡ってきたというのだ」

「それは……」

 凌光は説明できない。実際何があったのか、こっちが教えてほしいくらいだった。

「先ほどそちらの方が、妙な沖を持っているとおっしゃいました」

 青颯の敬語を初めて耳にし、凌光は目の端が裂けんばかりに驚く。

「それがどうした」

「おそらくカミアガタのものではないかと考えます。私たちは、その力でこちらに渡ってくることができました」

 聞きなれぬ単語に、その場にいる人間は首を傾げる。

 しかしナダだけは違った。

「知っているのか」

 族長が察して彼に問う。

「ええ。少しばかり」

「どのようなものだ」

「私が説明してもよろしいですが、折角ですからそこの少年に聞いてみたく思います。(かみ)(あがた)の知識は下界で得られるものではありません。その説明に偽りがなければ、彼らが親島から来たということの証明になりましょう」

 場違いなほどに若い彼が、臆することもなく言い放つ。むしろそれは、当たり前の光景なのかもしれない。他の五人は、彼の発言にさして驚くこともなく、青颯に視線を注ぐ。

「ただ、君は嘉杖土の人間とも言ったね。あちらにも神縣の知識は残っているかもしれない。どこで知ったんだい」

「禰々島です」

 青颯に集まった視線に、凌光は冷や汗が止まらない。どさくさに紛れて余計なことを言いはしないか。それでも、彼の真剣な顔を見るにつけ、口を滑らせたらまずいということくらいは分かっているようにも見えた。

「神縣というのは、信仰を失った神に憑りつかれた人間や憑りついた神、またはその現象自体を指す言葉です。神は憑りついた人間に己の力を使わせることで、人々の信仰を回復しようとし、この現象が起こります。神縣になるのは術士であることが多いですが、神の強い力に抗えず時に狂人と化し、村に災厄をもたらすそうです。稀に神の力を手なずけ恩恵をもたらす者もいましたが、統御しきれず災いに転じることもありました。そのため我々の先祖は、神を忘れぬよう口碑伝承のみならず、神についての大量の文書を作成したといいます。しかし」

 まだ続くのか。凌光は、彼が口から出まかせを言ってはいないか気が気でない。

「そもそも我々の先祖は広く神を祀っていたため、神が祟るほど信仰を忘れることはありませんでした。忘れられたと憑りついたのは、我々の先祖が居場所とした国の神……別の民族の神でした」

 幹部たちの眼付が、急に真剣なものに変わる。

「私たちの先祖は、様々な土地を転々としてきた民族でした。ある国に溶け込み、術の力で支配者に近付き地位を得ては、何かの事件をきっかけに国を追われるという形での流転だったといいます。神縣は、その事件の引き金になることも多々あったそうです」

「……どうなのだ」

 しばらくの間続いた沈黙を、先ほどの目の細い男が破る。皆の目が、ナダに集まった。

「偽りはありません。一応、この村の書物に書かれていた内容を申し上げましょう。神縣とは信仰を失った神に憑りつかれた人間で、時折福をもたらすが、本源的には大きな災いをもたらす存在である。しかし神が憑いているため、容易に殺害することはできなかった。というものですから、むしろより詳しいくらいです。彼の説明を聞く限り、在来の民族と交わることなく独立を保った我々にとっては、さほど重要な知識ではなかったのかもしれませんね」

 ひとまず、嘘は言っていなかったようだ。凌光は内心ほっと息を吐く。

「それでは、シアラでなくとも、場合によってはシアラよりも、厄介な存在というわけだ」

 右側の奥に座った男が腕を組む。

「無礼を申すな。彼らは親島から来た同族である。本来であればお迎えすべき立場ですらあるのだぞ」

「しかし……」

「たしかに神縣は厄介な存在です」

 青颯が再び口を開き、凌光の束の間の安堵が破られる。

「書物によれば、神縣を抑えるための方法は無いそうです。この村に危害を加えるつもりは毛頭もございませんが、もし統御を失い災いをもたらしてしまったらことです」

「あれだけ暴れておいて、よく言う」

 とノルが鼻を鳴らす。

「規模が違います。人ではなく村が消えるのです」

「しかしこちらに残る書物には、災いをもたらすが同時に、福をもたらす存在でもあるということが、強調されていました。ですからシアラのように、厄介なだけの存在とは違います。その災いを防ぐため秘術があるとも、書いてありました」

「いいや、そのようなものはないと」

「親島に残っていた資料が古い可能性があるね」

「じゃあこっちの書物は……」

 彼は食い下がろうとするが、凌光の視線に口を噤んだ。そして彼女を睨み返すが、鬼のような形相にすぐ目を逸らす。

「親島からのご来訪として、あなた方を歓迎いたします。明日、細やかではありますが歓迎の宴を催しましょう。それまでは、粗末ではありますが、私たちの元に留まりくださいませ」

 三人は、幹部たちの集まる場所の南側にある、家一つ分低い建物を与えられた。青颯が光を使って部屋を明るくする。そこに家具は一つもなくがらんとしているが、掃除が行き届き、莚と枕と布団が三組置かれていた。

 案内をした術士の青年が頭を下げ、階段を下っていったのを見届けると、青颯は固く結んでいた口を開き、怒る声を抑えて凌光に迫った。

「なんであんなこと言ったのさ。ここにいたらいずれ絶対に殺され」

「あんたこそここに留めてくれるというのに、どうして余計なことを言ったの」

凌光の表情は、珍しく険しい。

「だから、殺されるからだよ」

 彼は喉の底で唸るような声で続ける。

「災いをもたらす存在だとわざわざ言ったほうが殺されるでしょうが」

「それはないね。同族だとみなした者を殺すような連中じゃなさそうだし」

「じゃあ仮にここを出たとして、行くあてがあるっていうのかい」

「ないよ。ないけどここよりマシだ」

「あんたは普通の村を知らないからそんなことが言えるんだよ。私たちが山から下りたら、鬼が下りてきたなんて言われて大変なことになる」

「別に村に下りる必要はないじゃん。人のいないところに逃れたらいい」

「それでも、駄目だ。鬼に殺される」

 青颯は「どういうことなの?」と眉を顰める。

「山から下りたら鬼って言われるのに、鬼に殺されるっておかしくない」

「おかしくないさ」

 凌光は声を潜める。

「ここに住む人たちを、私たちは鬼と呼んでいた。ここの人たちは全員、術が使えるからね。だから、村で生まれた術士のことも「鬼」って呼ぶんだ。私たちが村に下りたら、ここの人たちだと思われて、きっとタダじゃ済まない」

「じゃあ、鬼に襲われるってのは?」

「ここの人たちを鬼、というのはね、王土……王が支配する村を侵略しようとする敵だからなんだよ。鬼は、月の晩にだけ攻めてくる。月夜に家の外に出たら必ず鬼に殺されるんだ。この山から出たら、ここの人たちに殺されてしまうんだよ」

 彼女の顔は、少しばかり青ざめていた。

「鬼の殺し方には決まりがあってね、頭は焼いて、手足を切り離すんだ。そして遺体を必ず、一番広い道に転がす……より多くの人の目につく所にね。私の村でも何人か、鬼に殺された」

「そんな凶悪な奴らが住んでる場所ってことでしょ、ここには。どうかんがえたって危険じゃん」

「私だってびくびくしてたよ。でも、ここの人たちは私たちを受け入れてくれたでしょう。王土の村でそうはいかない」

「そうであったって、やっぱりこの村は嫌だ。いつか、ひどい方法で殺される」

「どこに目を付けたらそんなことが言えんのかね」

「目なんて使ってないから。この村は沖がおかしい。歪んでる」

「沖のことなんて私は全然分かんないけど、歪んでるからって殺されることになるのはおかしいんじゃないの」

「そんな短絡的に繋げて考えてるわけないじゃん。この歪みはコジュツの」

「すみません」

 割り込んできた声を、三人は同時に振り返る。

「あ、あの。突然、すみません」

 入って来たのは、見た目が青颯と同じ歳くらいの少年だった。三人を一瞥するだけで目を合わせず、観音扉を閉めて跪く。その後ろに続く少女が二人、盆と甕をそれぞれ手にしていたが、やはり俯いていた。

「……粗末でお恥ずかしい限りですが、お食事と、お水になります」

 少女はそれぞれ手にしたものを床に置き、そそくさと出ていく。

「あ、ちょっと」

 と少年は振り返って呼び止めようとするが、手にしたものに何かを思いだしたのか、慌てて向き直る。

「もし何か困ったことがありましたら、これを使って呼んでください」

 腰に下げた袋を解き、自分の前に置く。立ち上って一礼すると、逃げるように出て行った。

「なんだか、落ち着きのない」

「余所者が怖いんでしょ」

 言いながら、少年が置いて行った袋に入っているものを取り出す。それは、鉄でできた板だった。紐がついており、バチと思われるものも袋から出て来る。

「これを打って呼べってことね」

 凌光は盆にかけられた覆いをとる。そこには味噌がかかった茶色い餅のようなものが三つと、土器の椀が三つのせられていた。

 三人の視線はその食べ物に吸い寄せられる。ほぼ一日の間、何も食べていなかった。無言で水を注ぎ喉を潤して、競うように餅のようなものを手に取る。

 無言で食べてしまってから「これ何なんだろう」と凌光が呟く。

「初めて食べたけどおいしい」

「芋とか使って作るんだよ」

 と、苦々しい顔をしている。

「まずかったの」

「いいやそうじゃない……ていうか晴瀬何もしゃべんないけど、喉が潰れでもしたの」

 二人に目を向けられた彼は、首を横に振る。

「疲れた、だけだ」

 彼の声は掠れていた。

「何もしてないくせに?」

「こっちまで来られたの晴瀬のお蔭でしょ。そんとき力使ったんじゃないの」

「いや……ちがうんだ……それじゃなくて、疲れた」

 彼は目を翳らせて、深い溜息を吐く。それを見た二人は顔を見合わせる。あまり触れない方がよさそうだった。

「……もう寝ようか」

 凌光は置かれた寝具を広げる。

「うん」

 と青颯は寝具を部屋の壁際まで引っ張る。

「あんた「俺は起きてる」とか言いそうなのに」

「とりあえず今日殺されることは無いだろうからね。そうしたいのならあの場で殺すとかさっきの食べ物に毒を混ぜるとか、できたはずだし」

「うたがいすぎよ……」

 と目を閉じ、すぐに寝息を立てる。青颯は光を消して、横たわった。晴瀬は、寝具を青颯とは反対の壁際に広げる。彼も横になってすぐ、寝息をたて始めた。

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