ワタド
2021.01.16 投稿
「ありがとうございます。また来ます」
「もう来ないでくれ。お前なら、私を頼らなくてもやっていける」
「いいえ。まだまだです……では」
青年はひとつ微笑み、頭を下げる。かたい足音を立て、薄暗い洞窟を出た。
山の木々が、ジメジメと水蒸気を閉じ込めている。長雨の季節らしい、曇天が垂れ込めていた。日の出の頃は雨が降っていたが、昼に近付くにつれ止んでいった。雨を吸い込んだ山肌を、青年は危なげなく手を後ろに組んで山道を登る。配置の整った顔は穏やかな人柄を思わせ、大きな目におさまる瞳は、吸い込まれるような若竹色をしていた。
やがて、木でできた高い塀に至る。その外縁を歩いていると、向こうから門番が走ってくる。
「ナダ様!」
「どうかしたの」
精悍な顔を緊張させている。
「昨日捕らえたシアラの子供が檻を破り逃走しました。ノル様が相手をしているのですが、押され気味で」
「それは大変だ」
二人は駆け足で門から村に入る。
「ナダ様。急いでください!」
彼を探しに来た少年が、現場に走り出す。
「うん、ありがとうね」
と、見送りに頭を下げる門番へ礼を言う。
住居のある区画と仕事場のある区画の間を抜けていく。どちらも昼間は騒がしいものだが、皆家に閉じこもったり現場に向かったりしているのか、ひっそりしている。村は東へ向けて傾斜になっており、西門から走る二人は坂を駆ける。中央の広場に、人垣ができているのが見えてくる。服装を見るに、年若い術士たちのものだった。その周りに、騒ぎを聞きつけた野次馬が集まっているのだった。
術のぶつかり合う、激しい音が近付いてくる。
「ナダ様がいらしたぞ!道を空けてくれ!」
と少年が人払いをする。人垣を作った術士の一人が輪を離れ、ナダの側につく。
「ファリ、ノルさんが押されてるって?」
「はい。見かけによらず手強いです。檻の警護をしていたケクとシウが倒され、非番の我々が対処に当たったのですが手強く、ノル様にお頼みした次第です」
「二人はちゃんと生きてる?」
「はい。治療に当たっていただきたいのですが、こちらを収めるのが先かと思いお呼びしました」
喧騒の中心を見ると、壮年のノルが相手をしているのは、見かけには病弱そうな少年だった。噛みつかんばかりの形相で熊のような体格の彼を圧倒しているのは、関係の無い者の目には面白く映りそうだった。取り囲む術士たちは、加勢の隙を伺っているがなかなか動けない。少年が輪の近くまで退いたときに術を仕掛けるが、それを操り返されて餌食になる。
「後ろにも目があるらしい……あと二人、檻に入っていたでしょう。どうなってる?」
「檻からは消えてます。足跡と沖を手掛かりに追跡中です」
「それ、どれくらい前?」
「長老が食事を終えるよりも短い時です」
「そう……ちょっと、ついて来て」
檻のある東側に走り、高い建物の影から彼は叫ぶ。
「ここから、残りの二人を見つけたって叫んでほしい。それで、マワリの東組を呼んで」
「しかし囲いが少なくなっては……」
と言いかけたがその意図を察し、ファリは首に下げた笛をくわえて突くような音を吹く。
「二人を見つけたぞ!東組は現場に急行しろ!」
人垣がサッと半分に割れ、数人が走ってくる。当然といったようにそれを追って炎が駆けるが、残りの術士が対処する。
ナダは粗くなったその輪に近寄りながら、状況を見ていた。少年は焦ったのか、術に乱れが生まれる。それをノルは逃さず、彼の肩を水で突く。少年が体勢を崩し呆気なく倒れたのを、ノルが組み伏せ動きを止める。
「随分と手こずらせたな」
と言うノルの身体には幾箇所か、血が滲んでいた。少年は逃れようと身を捩るが、肩の痛みに顔を歪める。
「暴れれば折るぞ」
とその細い身体に力を込めると、少年は苦痛に声を上げた。
「お疲れ様です」
ナダは声をかけ、少年が鋭い光を宿した萌黄の瞳を見下ろす。
「ここまでやるとは思わなかった。早く拷問にかけた方が良い」
「……でも彼、本当にシアラなのですか」
「ここまで術が使えて、ただの下界の術士だということはあるまい」
「ここまで術が使えるから、おかしいのですよ。シアラの実力が皆こうであれば、我々はとっくに滅ぼされている」
「俺は禰々島から来た」
少年は早口で言う。
「ネネトウ?でたらめを言うな。そんな島聞いたことがない」
「僕らの言う親島のことですよ。下界には禰々島と呼ぶ人がいる」
「親島?あそこから来たなぞ、馬鹿な話があるか」
ノルの言葉に応えず、ナダはしゃがんで少年に笑いかける。
「名前は、なんというの」
「青颯」
少年はぼそりと言って、ナダの背後に控えた術士たちに目を走らせる。
「禰々島から来た、というのは、本当?」
「そんなつまんない嘘吐かない」
「生まれたのも、禰々島?」
「……生まれたのは、嘉杖土」
青颯は目を伏せて答える。
「彼、元を辿れば同族ですよ」
ナダは若竹色の瞳を上げて、ノルの目を見る。その瞳もまた、明るい黄緑色をしていた。
「しかし、あいつらは下界の人間と馴れ合い、あげく遠くに逃げ去った裏切り者だ。それに、こいつが本当に嘉杖土の者であるかは分からんだろう。新手の潜入方法かもしれん」
「その可能性も否定はできません。が、」
「ねえ。ここは、禰々島からこっちに渡ってきて、こっちの人々と融和しないで、海辺の山に住み続けてる一派の村?」
青颯が鋭い声で二人の会話を遮る。
「そうだよ。よく、知っているね。そっちにも伝承が残ってるのだね」
「あのさ重いし痛いからどいてくれない」
「ほざくな。あれだけの人間に傷をつけておいて」
「俺らが何なのかも聞かない内に気絶させてこんなところ連れてきといてよく言うよ」
「闘ってみた感触は、どうなのです。シアラの特性に似ていたのですか」
今度はナダが二人の間に割って入る。
「全く、違った」
「そうでしょう。それに、下界の人間は嘉杖土の存在を知っているとは考えにくい。あれは下界の王の支配が及ばぬ所まで逃げたと伝わっていますから、交流などもないでしょう。第一、国のために働いていることに誇りを感じているシアラの人間が、己が嘉杖土の人間であるとか、禰々島から来たとか、嘘であったって言えないはずです。この二点から考えれば、彼がシアラである可能性は低い」
「それでも、こやつが例外的な人間であったらどうするのだ」
「そればかりは分かりませんから、長老に判断を仰ぎましょう」
「ねえ、いいから、どいてって」
「君、暴れないって約束できる?」
「あんたらが何もしないんならね」
「分かった。約束しよう。代わりに君がまた暴れたりしたら、あの二人の内どっちかを殺すからね」
ナダが「離してやってください」と立ち上がり、後ろに控えた術士を振り返る。
「早く、残りの二人を見つけてきなさい。あんまり傷つけないようにね。こっちで彼を取り押さえたことを言えば、大人しく来るかもしれない」
「しかし、見つかったのではないですか」
「あれはあの場を崩すための作戦だ。早く、東組に合流して」
彼らは一斉に頭を下げ、東組が走って行った方に向かっていった。
「じゃあ二人はまだ見つかってないの?」
自由になった青颯が、痛む肩をおさえてナダを睨む。
「まだ、ね。すぐに捕まると思うよ。この村には塀を巡らせてあるし、出入り口は全て塞いである……。それでは僕は救護に向かいますから、あとはよろしくお願いします」
彼は青颯を一瞥して、走り去っていった。
ナダの言った通り、二人もほどなくして捕えられ、青颯のぶすくれている牢に戻される。
「大丈夫そうで何よりだよ」
無傷の二人を見上げて言うが彼らの顔は暗く、一言も発さない。
「何か嫌なことでもされたの?」
「あんた、なんで平気なの」
凌光が声を震わせて言う。
「殺されるかも、しれないのに」
「さあ、どうだか……すぐには殺されなさそうだけどね」
「お前は……お前は強いからそうかもしんねえけど」
晴瀬が、喉の奥から引き絞るように声を出す。
「あんなの、勝てやしねえ……」
「そういう意味で言ってるんじゃないよ。会話を聞く限り、シアラっていうのじゃなければ殺されない、かもしれない」
「シアラ?」
首を傾げる凌光に対し、晴瀬は顔を妙に強張らせる。
「静かにしろ」
警護の術士が、低い声で言う。それに突っかかろうとする青颯の口を凌光が塞いだ。二人は睨み合うが、やがて青颯が観念して口を噤む。
晴瀬はそんな二人を眺めて、地面に目を戻す。彼は隅の方で、大きな身体で膝を抱えていた。
故郷のある地に戻ってきても、徹頭徹尾情けの無い自分に、彼は嫌気が差していた。
禰々島で海の神に願った後大波に飲まれ、気が付いたら三人の故郷である半島の砂浜にいたのだ。喉の渇きに、三人は背後に聳える山に登る他なかった。術の水は飲料に適さないため、渇きを潤すことはできない。
青颯が沖を読み、水の在り処を探す。しかし山は水を多く含みこんでいるため、飲むことのできる水を探すのは簡単なことではなかった。半日以上も歩き回り、ようやく見つけて喉を潤しているところで、彼ら……ワタドの人々の襲撃を受けた。青颯は読沖や山登りの疲労が出て、術をいつものようにふるうことができなかった。だからこそ自分の出番だったのに、全く歯が立たなかった。術は全て操り返され、抵抗のしようがなかったのだった。そのため最後は術すら使わず、石を投げて応戦した。どうにもならないのは当然の話だった。
牢に入れられ、気絶させられていた青颯は目覚めるなり、状況を把握すると術で牢を破壊した。三人で逃げていたのだが、追手の術にそうはいかなくなってくる。青颯がそれらを引き受け、晴瀬と凌光は二人で逃げた。しかし、どこへ走っても高い木の柵が阻み、また門には人が立ち、出ることができない。結局追手に見つかり、なすすべなく捕まってしまった。また術を操り返されるだろうと、反抗すらしなかった。
桜の里で大蛇を倒したことを思い出す。よく、あんな力が出たと思う。今は自分が何をやっても叶わないだろう無力感に、全身を拘束されどうしても動けなかった。
終わった後に振り返ってみれば、もっとどう動くべきだったのかということが分かるのに。禰々島で、前よりも術ができるようになったのに少しも活かせない。
晴瀬は、膝に額をつけ、頭を抱える。暗闇に目を閉じ、精神を深く深く沈めた。




