隔たり
2021.01.07 投稿
翌日。
晴瀬と青颯は、砂浜に下りていた。晴瀬が術の練習をするためである。
「標的と自分の沖を繋げる方法だけど、どうやるのかってのを言葉で説明することはできない。沖のクセは人によって違うし、感覚の問題だから言葉は却って邪魔になることもある。とにかくやって、体得するしかない」
青颯は闇の棒を片手にする。「あの木ね」と遠い方の崖に生えている木の方を指さす。青颯は少しも間を置かず、軽く銛を投げる。すると銛は矢のように空を裂いて、崖の一番突端に生えている木に当たった。
「あれに、百発百中で当たるようになるまでやる」
晴瀬は「おう」と両手を握る。
「どうやってやるんだ」
「眉間から、標的に意識を伸ばすんだ。それで、投げてみる。力は入れずに、自分の眉間から標的までを繋いだ糸に添わせるような感じでね。何度も繰り返している内に、意識に沖が伴ってくる。その中で、一番手応えがあったときの感覚をよく覚えておくんだ。そしてそれを再現するように、何回もやる。ちょっとずつ調整しながら、完璧になるまで……百発百中当たるようになるまでやるんだ」
気が遠くなるようだったが、やるしかない。自分はもっと強くならなければならなかった。拳を握って、闇の棒を手にする。青颯はそれを萌黄の瞳で見ていたが、「じゃあ頑張ってね」と立ち去る。
それから晴瀬は、ひたすらに棒を打ちまくった。繰り返す内に雑念が消えて、透明の意識が標的を近いものに感じさせた。機織のように何度も何度も繰り返していると、日が暮れる頃には、五十発五十中になり、次の日の昼頃には百発百中を達成する。
「やった!」
山を駆けあがり、台所で昼食を待つ青颯に「できたぞ!」と報告する。笑顔の彼に対して、青颯は「ふうん。おめでと」と無表情だ。
「……なんか寂しい反応だな」
「だってあれ五歳児がやるようなことだよ」
晴瀬は驚いて身を乗り出す。
「どうなってんだお前の村は」
「村を守るには術が不可欠だからね。小さい頃から鍛えるんだよ」
「じゃあ、もっと、教えてくれよ。最低でも、お前の村の年相応になるまで」
二人は昼食後、再び浜辺にいた。晴瀬が的にしていた木は削れて、白い中身を露わにしている。
「あの的にしてた木を、今から粉々にするね」
そう言うと、トカゲウオを狩ったときのように銛を投げる。それでどう粉々にできるのだろう。と弧を描くそれを見送る。突き立った瞬間、木の幹に光が走り、木が内側から爆ぜる。粉々になった木片が浜や海にはらはらと落下していった。
「光なんて、術で使えるのか?」
「闇が使えるのに光が使えない道理はないでしょ」
言われてみれば確かにそうだが、今まで闇一つだと思っていた晴瀬は、にわかに信じられない。
「いや、でも、術で出現させられるのは水、火、風、闇だって」
「大きく言えばそうかもしれないけど、もっとたくさんできる。でも光は、その四つの内の一つだよ。闇がなきゃ光は光にならない。光はその逆だ。だから闇ができれば光もできる」
理屈は分かるが、それまでの常識を覆すことは簡単ではない。
「でも……闇みたいに光が使えたら、いい」
「そういえば、晴瀬が闇以外を使ってる所を、そんなに見た事無いけど、使えないの?」
晴瀬は首を横に振る。
「四つ全部できないと、養成所は出れないからな。でも闇が一番得意だ。だから光を使えるようになりたい。暗い所でも、闇みたいな感じで術が使えるんだろ?」
青颯は頷く。
「刃物の使い方ができるよ。光の方が、形を保つのがちょっと難しいけど……まあそんな事前情報はない方がいいね」
例によって「言葉よりも感覚で掴んでほしい」と、青颯は彼を連れて森へ移動する。薄暗い中、青颯は岩の上に腰を掛けた。
「これが闇でしょ」
と広げた手の平の上に、闇の球を浮かせる。暗がりの中でも、濃く、形を保っている。
「これを、こう変える。沖をよく読んでいて」
黒い球が、上からゆっくりと光に変わり、まばゆい光を放つ。
「分かった?」
「いや」
晴瀬は眩しさに手をかざす。
「ほんとに読んでた?ものすごく分かりやすくやったんだけど」
晴瀬にはぼんやりとしか分からなかった。変わったことは分かるのだが、それがどのように変わったのか、まで鮮明に捉えられない。近眼の人間が、数十歩先にある記号が変わったことは分かるが、何に変わったのかは分からない、といった感覚に似ていた。
「駄目だな……」
「もう一回、よく読んでよ」
と同じことをする。晴瀬は意識を集中させるが、それでもやっぱりぼんやりとしか分からない。
「分かんねえ」
「集中してる?」
「してる」
青颯は「それなら読めるでしょ」と言いたげな顔をしていたが、晴瀬はあくまで真剣な顔をしている。
「もしかして読沖できないの?」
「ドクチュウ?」
「沖を読むことだよ」
「苦手だな」
「もしかして、養成所では読沖も教えられない?」
首肯する晴瀬に、「呆れたね」と溜息を吐く。
「基本中の基本じゃん。本当に、奴隷として使う気しかないんだ」
「……そうだな。そういう所だ」
「おい」
マキはいつも、音も無く現れる。二人は軽く驚いた。
「先ほどの光はなんだ」
「術だよ」
「教えてほしい」
「こうやって、こうだ」
と晴瀬に見せた通りに、手の平の上で闇の球を光に変える。
「こうか」
とマキはそっくりそのまま再現してみせる。
「なんですぐできるんだよ」
「ああいうのを天才というんだ」
マキは手の平の上で何度も何度も繰り返す。
「どうやったら、できるんだ」
彼女は答えない。
「おい」
「集中してるんだよ。それに、天才に教えるのが上手い人は少ないもんだよ」
「お前も天才じゃないのか」
「術に関しては努力だよ……読沖は元々得意だったけどね」
「じゃあ教えるの下手なのか」
「ちょっと今、考えてる。だって、「どうやって目で物を見ればいいのか」って聞かれて、なんて答える?」
目で見るように、沖が読めるものなのか。晴瀬は愕然とする。
「複雑な沖の見方なら、教えてあげられるよ。これはまあ、文字を読むのと一緒だね。文字が存在しているのは見えても、書いてあることを分かるのには知識がいる。でもそもそも見るところから分かんないってのはなんとも……」
青颯は顎に杖を突いて考え込む。マキは闇と光を繰り返しながら、二人の元を離れていった。
晴瀬はその背中を見る。彼女の沖を読もうと意識を凝らすが、青颯のように掴みどころがなく、全てを捉えきれないことしか分からない。これが「複雑な沖」なのだろう。
「もう、地道にやるしかないかもね。簡単な沖がどんな風なのかを読んで、言葉にしてみる」
「それは、言葉を使うのか」
「うん。目で見ていることだって、言葉にしてみたら意外と色んなことに気づくもんだよ。なんとなく、じゃなくて、意識して、って段階になるからね。それを簡単な……それこそ自分で作り出せるような闇や水から始めていかないといけない」
「……つまんなそうだな」
「ほんとだよね。俺は絶対にやりたくない」
それから晴瀬は毎日、一人でぶつぶつ言いながら森の中にいた。確かに、口にすると様々なものの違いがはっきりしてくる。闇の沖は、「粒みたいなのがてんでバラバラに飛び交っている」ようで、火の沖は「大きい波が、ゆっくり行ったり来たり」している。
青颯にそれを言うと、「いい感じだね」と頷く。
「その要領で、光の沖も読んでみたらいいよ」
言われて、晴瀬は食糧の調達がてら海に飛び込む。
光の沖は、捉えにくかった。海の音に沈んで意識を凝らす。光は、粒のようにも読めるし真っ直ぐな線のようにも読めるのだ。何十回も潜ってよくよく読むが、すぐには分からない。日が傾いて光が黄金になったとき、その粒が高速で流れるために線に見えるのだと気づく。晴瀬は夕食に間に合わない、と大急ぎで服を着て、「粒が走って線になる」と唱えながら山を駆け上がる。
青颯が、光は形を保つのが難しいと言っていたのを思い出す。確かに、粒はどこまでも真っ直ぐに突き進んでいってしまいそうだった。
闇の濃い森に、光がちらついた。何かと思って見てみると、マキが鈍く光る槍で素振りを繰り返しているのだった。それはもう、光にすら見えなかった。完璧な形を保っており、まるで金属だ。
晴瀬は途方に暮れる思いでそれを見る。彼女と自分の差は、ここまでに広いのか。
試しに、手の平の上で光の沖を再現してみる。すると、危惧した通りにまばゆい光が目を貫通しどこまでもどこまでも伸びた。晴瀬はすぐに沖を消す。視界が真っ黒に塗り潰されて何も見えなかった。
今は刃物としての性質を持たせていなかったが、刃物として使うときに制御ができないと大変なことになる。視界が戻り、夜闇の迫る山道をとぼとぼと上った。
マキは、どれほど練習したのだろう。始まりの地点から差があるが、あそこまで綺麗な形を、それも青颯の助言も無しに作るに至るまでは、相応の試行錯誤を重ねただろう。思えば、彼女とは顔を合わせるがことがほぼなかった。凌光に聞けば、塔を出入りしているそうなのだが、食事を共にすることはない。朝や夜も、与えられた部屋にいる気配はなかった。
きっと自分が起きるよりも前に起き、自分が寝るよりも遅くに寝て、その間はずっと鍛錬を重ねているのだ。
「どしたの」
がっくりと肩を落とした晴瀬から貝を受け取り、凌光は顔を覗き込む。
「マキに全然、敵う気がしねえ……」
「張り合ってんの?」
青颯が両手に光の球を包み、机の上にそっと置きながら口を挟む。
「それ、それ!どうやるんだ。光を使うの。ちょっと、出来たんだけど制御ができなかった」
「最初に、沖の限りを決めておくんだ。そうしたら、どこまでも進んでいかないよ」
「……それもどうやったらいいのか分からない」
「練習しな」
青颯は机の上の光を減光させながら、天井の上まで浮かせる。
「何やってるんだ」
晴瀬は目を細めて、それを追う。
「今までやらなかったけど、光を灯りにしてみようと思ってさ。光って操るのが面倒だし、火に比べて眩しくて嫌だと思ってやってなかったけど、書庫は光にした方がいいって気付いた」
光の球が平たくなる。と、部屋の隅々まで光が行き渡り、明るくなる。
「前から思ってたんだけど、火の玉を自分から離れた所に浮かせておくのって、どうやるんだ」
「自分の沖とその辺に漂ってる沖を混ぜた所に、光なんかを灯しながら外の沖を操って、自分の沖をおさえながら切り離して、外の沖を操っておく……って感じだけど、時間かかるしめんどくさいから、もうその辺の沖をそのまま操るようにしてる」
晴瀬はもう驚かない。「すげえな」と他人事で頷く。自分から離れた沖を操るなど、想像もつかない。
「火ちょうだい」
凌光が言う。青颯は振り返りもしなければ、指で竈を指すこともない。にもかかわらず、竈に勝手に火が灯る。
「お前くらいになったら、見もしない方に術を飛ばせるようになるんだな」
「は?」
と竈を振り返る。
「俺やってないけど」
「術の勝負をしてほしい」
入り口にマキがいる。竈を指さした手をゆっくりと下ろした。
「いつからいたの」
「さっきからいたよ」
と凌光は笑う。
「気づいてたなら言ってよ。怖いな」
「術の勝負をしてほしい」
彼女は繰り返し、淵色の瞳で青颯を見る。
「今?」
「鈍ってかなわんのだ」
「嫌だよ今からご飯だし」
「俺からも頼む!」
晴瀬が手を合わせる。
「なんで」
「見て、勉強したい」
「それなら明日にしてくんない」
「せっかくなら早いほうがいいよ。ご飯食べたら見たい見たい」
と凌光が一番乗り気だ。
「関係ない人は黙っててよ」
「こういうのは観客が楽しいもんだから、盛り上げていかないとね……マキも一緒に食べてきなよ。晴瀬の獲ってくる貝は、よく肥えてておいしいよ」
「そんな軟弱者の選んだ貝など食べられるか」
と言い捨て、彼女は出ていってしまう。
「可愛げがないねえ」
と言いながらも、凌光は笑っていた。




