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そしてまた月は満ちる  作者: 春日野霞
四 生活
12/89

神頼み

2021.01.06 投稿

 晴瀬は海から顔を出した。飛沫が、高々と昇った太陽に煌めく。近くに浮かせた舟に器用に乗り込み、石の錨を引き上げる。棹で波をかいて、肌色の浜に乗り上げる。波打ち際に降り立ち、舟を元あった場所まで引き摺る。腰につけた網袋を解いて、舟の中に転がった貝や海老を入れる。

澄んだ海は多くの生物を泳がせていた。晴瀬は肌を擦る波に、海中に揺らめく日光に胸が一杯になって、夢中で海の恵を集めた。

 風と太陽に乾いた肌に、服を着る。潮のべたつきさえも懐かしく、顔が綻んだ。腰に網袋を下げ、両腕にオオガイを抱えて塔に戻ろうとする。

「暢気なものだな」

 岩陰から、マキが姿を現す。晴瀬の脳裏に、あの桜の里でのことが蘇った。

「帰りたいとは思わないのか」

 出会った時とはまるで別人になったマキが、海の彼方を指さす。晴瀬は彼女が何を示しているのかを分かっていながら、振り返る。風のやってくる方に、黒ずんだ大きな陸地の影。

「今は、思わねえ」

 故郷から顔を背け、彼女を見る。

「それでは、ここで暮らすつもりなのか」

「俺は、みちを死の底から引っ張り上げてやりたい。それで、一緒に生きていきたい……故郷に戻ったら、あの場所が遠くなっちまう。だからここにいる」

「あの女は死の底に落ちたのだろう?あの荒野ですら形を保てなくなったら、本当に死んだということなのだ。もうこの世に戻ることもできない」

「そうかもしれねえ。でも俺は、そう思えない」

「そうかもしれない、ではない。そうなのだ」

 背後から潮騒が、沈黙を包み込む。彼の胸の内で、理屈と無視できない直感がせめぎ合っていた。彼女の言うことは、理解できる。あの荒涼たる死の世界の更に底に落ちたのに、まだ会えるのだと思う自分はどうかしている。

「……でも、どうしたって、死んだと思えねえんだ。それが答えだ」

 マキは馬鹿にするように鼻を鳴らした。

「お前は本当に、あの英雄の晴瀬なのか?」

「俺は……ただの人殺しだ。英雄じゃない」

「たしかにそちらの方が妥当かもしれないな。お前があんな阿保なことをしなければ、術士の立場もマシなものになっていただろうに」

「それは……分からない」

 とは言ったが、自信はなかった。春軌の力を以ってすれば、反乱は成功したかもしれない。晴瀬は己の過失が、何十年……ひょっとすれば何百年と後を引いて膨れ上がっていることに気が付き、目の前が暗くなる。

「今のお前は、どう思うんだ」

「何が……」

「例えば反乱をしようとする術士がいたら、お前はそれを止めるのか?」

 晴瀬は何も、考えられない。ただ、首を横に振った。

 マキはそれを、「止めない」と答えたと解釈する。

「私は故郷に戻り、術士による反乱を起こそうと考えている。春軌がどのようにそれを行おうとしたか、教えてほしい」

「お前、そんなこと考えてるのか」

 彼女は光を孕んだ瞳で頷いた。

「このまま術士が虐げられ続けるのはおかしいだろう。我々も人間だ」

「……それは、そうなんだ。でも春軌さんは、術の力でそれをどうにかしようとしたんだ。関係の無い人まで死ぬことになるだろう?」

「口を開けば軟弱なことしか言わんな、お前は」

 吐き捨てるように言った。

「ぶち壊してからでないと始まらないというのに。全てを守ろうとすれば何も選択できず、結局前には進めない」

 彼女は束ねた髪を揺らして踵を返す。

「永久に変わらぬ円環の中に生き、惨めたらしく死ねばいい」

 去っていく彼女の背中を見送りきれず、手元のオオガイに目を落とす。胸の内に浮かんだモヤモヤを脳に上らせあれこれ考える前に、やらねばならないことをやろう。晴瀬は岩の階段を上り塔へ向かった。

「へえ。怖い事言うねえ美人さんは」

 晴瀬の成果にひとしきり感心した凌光は、マキの話を聞いてそう言った。

「青颯は?」

「自分の部屋にいるよ。用があんの?」

 晴瀬は頷く。

「運が良きゃ話聞いてもらえるけど、悪かったら追い返されるかも。そのつもりでな」

 彼の不機嫌な顔が目に浮かぶようだった。

 晴瀬はそっと、戸の前で声をかける。しばらく間を置いて「なに」と返ってきた。開けて良い、という意味だととらえ、晴瀬は戸を開ける。

 青颯は窓際の椅子に座り、難しい顔のまま書物から顔を上げていた。「悪いな。邪魔して」と軽く詫びて戸を閉める。

「みちを、死の底から引っ張り上げたいんだ。何か、知らないか。向こうに行く方法とか、一緒に戻ってくる方法とか」

 彼はそれを聞いて、口をへの字に曲げた。

「感覚がおかしくなってるよ、晴瀬。普通は死地に落ちて帰ってくることなんてできないんだ。一回できただけでも有り得ないのに、もう一回やろうったって難しい話だ」

「分かってるんだ。でも、何かないか」

「うーん、そんなこと言われてもなあ……」

 と首を傾げて宙を睨む。しばらく考え込んで「……そんな感じの神話があったかもしれない」と呟く。

「なんだ、それ」

彼は答えず、椅子から下りる。

「ついてきて」

 青颯は上の階に上がると、黒ずんだ戸を開けた。真っ暗の部屋から、古臭いものの溜め込んだ匂いが溢れ出す。青颯が石の器に火を灯すと、部屋の像が浮かび上がる。

 夥しい数の書物が、部屋中に敷き詰められていた。天井まである棚には隙間なく書物が並び、床の上にもいくつか置かれている。灯りの置かれた机にも何冊か積まれていた。晴瀬はなんとなく立ち入ることができず、入り口で待機する。

 青颯は奥の棚にある灯りにも火をともす。迷わず書物を抜き取り、パラパラと頁をめくった。しかし探していたものでなかったのか、棚に戻して隣の書物を手に取る。それを何度も繰り返すが、目当てのものが無かったのか、首を傾げて振り返る。

「思ったところに無かったから、調べとく。また今度言うよ」

「頼んだ」

「あと、俺じゃ分かんないけど、昨日の、塔の一番上に住んでる「人」なら分かるかもしれない」

「ほんとか」

 と身を乗り出す。

「多分ね。でも、上の階には行けない。ここは五階まであるけど、階段は四階でなくなってる」

「じゃあ、会ったことないのか?」

「いいや……あっちに会いたい用事があるときに呼び出される。いきなり、意識を奪われるんだ。ご飯食べてるとき、急にあいつの部屋にいたこともある。こっちから行けたことは一度もない。昨日みたいに呼びかければ答えてくれるけど……神様みたいなもんだよ」

 晴瀬は神社を想像した。

「じゃあ……教えてくれって言ったら、教えてくれるか」

「五分五分だね。お願いした次の日に呼ばれたり、全然呼ばれなかったり、一年後に呼ばれたりする。気まぐれなんだ」

 せっかく掴みかけた希望に、肩を落とす。

「すぐ諦めるもんじゃないよ。やるだけやってみな。四階に行ったら、背筋を伸ばして立って、二回手を叩く。そして名前を呼ぶんだ。その後、自分の願いを口にすればいい。終わったら一礼して、背を向けないで階段を下る」

「ああ……ありがとう」

 部屋を出ていこうとする晴瀬を、彼は呼び止める。

「その神様の名前、知ってたっけ?」

 晴瀬は首を横に振った。

「ゆすら、っていうんだ」

 ぐるぐると階段を上り、晴瀬は四階に至る。そこに部屋の区切りはなく、塔の床をそのまま使った広い場所になっていた。四方に空いた窓から吹き抜ける風が、びょうびょうと音を立てる。

 晴瀬は息を一つ吐き、肩を引いて背筋を伸ばす。念を込めて手を二つ叩くと、広間に勢いよく鳴り渡る。

「ゆすら様」

 自然と手を合わせていた。

「死の底に落ちたみちを、救い出して、一緒に生きていける方法を、教えてください」

 風の音に負けじと声を張り上げた。

 しかし景色が変わることは無く、ただ遠くから潮騒が聞こえてくるばかりだった。

 晴瀬は深々と一礼をして、言われた通りに後ろ向きに階段を下りる。三階に足をついたとき、緊張が解けて自然と息が漏れた。

「何をしていた」

 背後から鋭い声が刺さる。

「願い事だ」

 と振り返った。マキは相変わらず険しい顔をしている。

「上に誰かいるのか」

「……ゆすらっていう、人の形をした神がいるらしい。それが、一番上の階にいるんだとよ。今はその下の階で、願い事をしてきた」

 マキは天井を一瞥し、「どうやって願えば良いのだ」と晴瀬に聞く。彼は、青颯に言われた通りを伝えると、彼女は礼も言わず、階下におりる。

 よく分からない奴だな、と晴瀬は首を傾げた。

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