06:犬の噂
ダレスが去って以降、村は人同士の諍いが少ない元の生活へと戻りつつあった。いざこざ自体は以前よりも増えているが、殴り合いの喧嘩になる事は滅多に無い。それはダレスが去る以前よりも圧倒的に人が増えている為であり、時間の経過によってゼライムが減らず、寧ろより一層増えているためだ。
「なんだって?」
「ですから犬のような何かに襲われた。と…」
そんな中、ジャレッドは自警団の詰所として扱われている建物内で同じ自警団の一員であるウェインから齎された一件の奇妙な報告に耳を疑った。
それは村の周辺を探索している冒険者が何かに襲われた。というありふれたものではあるが、その何かが問題なのだ。
「ハウンドドッグじゃないのか?」
「ええ、違うようです。襲われた冒険者によるとその犬のようなモンスターは、全身が真っ黒で影のようだった。と」
ウェインは手に持った書類を読みながらジャレッドの質問に答える。
「この村周辺の犬型の生物はハウンドドッグしかいないはずなんじゃないのか?」
「ハウンドドッグ以外の犬型の何かに襲われたから態々報告されてるんですよ」
何を当然の事を言っているんだ。という風にウェインはジャレッドの疑問に答える。ハウンドドッグによる被害も出ているのだが、この村の周辺が生息地域である事は周知の事実であるため余程の事でなければよくある事として被害件数だけが記録されている。
「他に特徴は?」
「後は持っていた鉄の大剣を噛み砕かれた事だけみたいですね。その時に偶々罠に引っかかったのでそのまま逃げてきたそうです」
ジャレッドは黒いだけならハウンドドッグのメラニズム個体という可能性も考えたのだが、鉄を噛み砕いたとなればその可能性も無くなる。冒険者が破損寸前の武器を使っていたのであれば有りえなくも無いのだが、その場合はハウンドドッグならばその破片で口内や内臓を傷つけて死んでしまうのだ。
「その罠は?」
「トラバサミですね。後で確認したところ破壊されていました」
「そうか…」
鉄を噛み砕くようなモンスターが捕まったままである可能性は低いとは知りつつも罠について聞くと、「罠は発動はしたものの何も掛かっていなかった」という報告を受けジャレッドはがっかりとした。
「まぁ僕としては何もなくてホッとしましたけどね」
あからさまに項垂れたジャレッドに対し、青年はやれやれという風に言った。
そんなウェインにジャレッドは頭を持ち上げて「まぁ、お前はそうだろうなぁ…」と返した。ウェインは以前アリスと共に森の奥の広場を見て吐いた者の一人でもある。彼は自警団に入って日が浅い事もあり戦闘能力は低く、グロテスクなものに耐性が無いのだ。
因みにジャレッドが報告を受けているのはディスト襲撃以降の村の自警団のリーダーにジャレッドがなったからである。それは以前リーダー格に居た男がディストによって殺されてしまったからであるが、それ以外にもジャレッドは元々冒険者であり、魔獣や他の村人達よりも知識があったためだ。
ジャレッドとしては自身はリーダーという柄ではないのだが、ジャレッドの先輩に当たる元冒険者は殆どがディストの件で亡くなっているか引退しているかなので、今現在ジャレッド以上の適任が居らず渋々引き受けているのだ。他に適任の者が居れば代わってほしいと思っている。
「他にはあるか…?」
少し憂鬱な気分になったジャレッドが他に報告は無いかと確認するとウェインは書類を見ながら「えーと、他は…」と呟いてから、「今のところはこれだけですね」と言った。
ウェインの呟きもしっかりと聞いていたジャレッドは書類に「他」と呼ばれるような何が書かれているのだろうかという疑問を浮かべつつも「そうか」と返した。気にはなるが、少なくともここで言う事では無いのだろう。「では、これで失礼しますね」と言って部屋から出て行くウェインを見送った。
「…仕方ない。今度からそのモンスターも探しながら行くか…」
青年が出て行った後、少ししてジャレッドはめんどくさそうに今後の調査項目にその謎のモンスターの事を追記した。
◇
「どうなってるんだ…?」
後日森の中、ジャレッドは以前奥の広場で見たモノ程酷くはないが、その日何度目かになる散乱した魔獣の死骸の前で呟いた。
「どうかしましたか?…うぇ…またですか…」
集団の先頭で立ち止まったジャレッドを心配して後ろから現場を覗いたウェインは嫌そうに顔を顰める。"また"というのはこれ以前にも何度か同じようなモノを見た為だ。この散乱した死骸は村に冒険者達が来て数日目以降急激に増えている。
未開の地である森の中に魔獣の死骸がある事自体は何ら不思議なことでは無く、冒険者が村に来た事によって多少増える事は予想していたのだがあまりにも多いし、その状態が問題である。通常、野生の動物が他の生物を殺すのは食べる為であるか、相手が自身の縄張りに入った時だ。それ以外の理由も無いわけではないが多くはない。
にも関わらず目の前の死骸には爪や牙などによって傷付けられ、殺された後に一口も食べる事なく放置されていた。こうした状態の死骸を見るのは基本的に同種同士の争いの時のみであり、繁殖期でない魔獣の死骸も多数発見されているのは不自然である。
この一切捕食痕のない生物の死骸が大量に存在する事が今現在森でゼライムが増えている原因だ。放置された死骸の肉や骨は微生物によって少しずつ分解されて行くのだが、体内に残った魔力は分解されずに残滓として残り、それを回収するためにゼライムが現れるのだ。
捕食されていれば幾分かは捕食者に摂り込まれるのだが、どういうわけかその魔獣を殺した犯人は、その死体を放置している。殆どの死骸に剣や弓等の綺麗な断面や返しが付いた物を使ったような傷跡は無く、爪や牙等の先が尖ったもので引き裂いたような傷跡によって死んでいる為、恐らく人以外の生物だろうといわれているのだが、その理由が分からない。
時折明らかに人によるモノも見られるが、それ以上に何らかの獣に襲われたと思しき死骸が多く、その中には当然人の死体も混ざっている。亡くなった人の大半は以前村から追放された者ではあるが、それ以外にも数日前から村に戻ってこなくなった冒険者や何処から来たのかも判らない兵士らしき人物も居る。
彼らの荷物から食糧が見つからなかった事や人に殺された生物の死骸と共に発見される事もあるため、追放された者達が森の中で隠れて狩りをしていたのではないかという憶測が飛び交ったが、そうなると今度は彼らを殺害した存在が問題になってくる。
人を除いた場合、ハウレルの村の周辺の生態系の頂点は熊の魔獣であり、新米の冒険者や兵士であれば殺されてしまうかもしれないが、亡くなった冒険者の大半は村の異常事態に集まって来たベテランである。素行が悪かった為か有名ではなかったが、少なくとも熊の魔獣に負ける程弱くはない。追放されてからずっと森で生活していたのであれば有りえなくもないのかもしれないが、そうなると荷物に食糧が残っているのはやはりおかしいのだ。
また、兵士らしき人物はその着ている金属製の鎧ごと切り裂かれている事も問題だ。村の周辺に生息する熊の魔獣は比較的生命力や感知能力に長けた種が多く、金属の鎧を裂く程強い生物はいないのだ。大体そんなにも強い生物が村の周辺を跋扈していればこんな森の中にある村などディストの襲撃が無くとも滅びている。森の奥であれば居るのかもしれないが、少なくとも村人達は一度も出会った事が無い。
かと言って犯人は人であると断ずることも出来ない。亡くなった彼らの体には剣や弓のような鋭利な刃物による傷跡は一切存在せず、他の生物と同じように爪や牙によって傷つけられているためだ。中には引き千切られてバラバラになった状態で発見された者も居る。
そういった者達も引き千切られた部位が周囲に散乱しているだけでやはり喰われてはいないのだがしかし、短期間に何度もそんな惨殺死体を見たせいか、以前森の奥の広場で吐き気を催していた自警団の者達も慣れてしまっていた。
「終わりました」
勿論慣れたとは言っても見ていて気分の良いものではないので、ウェインはその発見された魔獣の種類と状態を書類に記載した事を報告するとそそくさとその場を離れた。
「よし、埋めるぞ」
「おー!」
その報告を受けてジャレッドは他の者達に指示を出す。他の死骸が捕食痕なく残っている事からもわかるが、この森にはハイエナやハゲワシような腐食性動物が殆ど居ない。それ故に残った死骸は分解されるまで殆どそのままであり、それがゼライムを増やすのだ。
それを埋める事によって、本来ならば死骸が腐って崩れ落ちた後の残りカスしか食べる事のない地中の虫が食べるようになり、僅かながらもゼライムの増加を抑える事が出来るのだ。本当に極僅かしか効果は無いのでしないよりはした方が良い程度の事ではあるが、単純に「グロテスクなので放置してまた見たくない」と言う理由もあり間違って掘り返される事が無いよう念入りに穴を深く掘って埋める。
「あああああああああああああああああ!」
死骸を埋めて一息ついたその時、ジャレッド達の進行方向―森の奥から叫び声が聞こえてきた。
「大丈夫かっ!?」
その叫び声を聞き森の中を急いで駆け付けたジャレッド達が見たのは数十匹のハウンドドッグと数匹の猪、それから4人か5人の惨殺死体の前で木を背に呆然と座っている1人の冒険者の女性だ。
「何があった…?」
自分達は間に合わなかったのだろう。そんな事を思いつつもジャレッドはその女性に声を掛けた。
「ひっ……い、犬が…犬が…」
女性は声を掛けられたことにビクッと体を跳ねさせると、震える声で話始めた。恐怖からか同じ言葉を繰り返しあまり要領を得ずたどたどしいが、後で落ち着いた女性の話も交えて纏めるとこうなる。
まず始めに、女性は数匹の猪と戦闘になったという。女性が付けているその新品の安い皮鎧からも分かる通り新米であったために複数の敵との対処に慣れておらず、次第に押されて行ったのだ。丁度そこへやって来たのが今現在、人であった事しか判らないほど無残な姿になっている者達であった。
彼らは女性に声を掛ける事もなく突然戦闘に介入し猪を屠ったが、あと少し遅ければ死んでいたかもしれないのでそこに文句は無いらしい。だがその直後、その者達は口笛を吹き音と先程屠った猪を餌にハウンドドッグを呼び寄せたのだ。
そうしてやって来たのが数十匹のハウンドドッグだ。初めは数匹だったのだが彼らが来たものから殺していくうちに増えて行ったらしい。数十匹のハウンドドッグの死骸を積み重ねた彼らが帰ろうとした時、突如樹上から現れた黒い何かが彼らのリーダーの頭を刎ねたのだ。
そこからは一方的な虐殺であったという。突如としてリーダーを失った彼らは困惑している内に全員が武器を破壊され、その事に気付いて逃げ出そうとした者は脚を捥がれて倒れ、武器を失って尚それに戦いを挑んだ者は両腕を引き千切られた後にリーダーと同じように頭を刎ねられて絶命したそうだ。
その後倒れていた者の首も刎ねたそれはゆっくりと女性に近付いてきた所で突如顔を上げ、何処かへと去ってしまった。何事かと思っているところにジャレッド達が到着したようだ。
亡くなった者達は冒険者ではないようだが、外から来た者である以上この場に埋めるわけにはいかない。仕方なく回収して村へと戻ることにした。戻っている最中も発見した死骸を埋めては先へと進むため比較的ゆっくりとした進行ではあるが、黒い犬のモンスターは現れることはなかった。
◇
ジャレッド達が落ち着いた冒険者の女性から事情聴取をした後日、森のあちこちで同じような事が起こっているらしく、時折冒険者から黒い犬の報告がされるようになっていたある日の事。
村の外、街道側からガチャガチャと金属がぶつかり合う音を鳴らしながら村へと入ってくる集団が現れた。集団の先頭には成金趣味な服装の茶髪の男性―ダレスが居た。
一見すると彼の後ろに居る全身鎧の集団は彼の私兵のように見える。しかし金属性の全身鎧であるという一点を除いては幾つかのグループに別れた統一性の無い物であり、とてもではないがまともな兵には見えず、また武器も大剣や長槍等と大型の物ばかりでこれから森の中で活動しようという者の装備にも見えない。
「この村の代表はどいつだ?」
ダレスは集団から離れて前に出ると近くに居た村人にそう
1人の亜獣人の老人がダレスの元へとやって来た。
「私が村長のああああです」
「…なんだその名前は、ふざけているのか?」
その老人は自らが村長であると伝えたのだが、ダレスはその老人の自己紹介を聞いてきょとんとした後、揶揄われていると思ったのか不機嫌そうに返した。しかし残念ながら村長は至って真面目である。この村の風習がおかしいのだ。
「…まぁいい。この村は今日から俺が領主だ。俺に隠し事は許さん!」
ダレスは自身満々にそう宣言した。当然彼を知る村人や冒険者からは「嘘つけ!」とか「ふざけんな!」とかとブーイングが飛び交うのだが、ダレスが「これがその証明だ」と言って懐から1枚の公文書を取り出し、村長へとその文書を渡してみせた事で止まる。安易に渡して見せたのはその文書と同じモノがもう一つダレスの手元にあるためであり、またもしこの文書が失われたとしても相手側にも同じものがあるはずだからだ。
「これなら文句は無いだろう。さぁ、俺にこの村の魔術を教えろ」
「は、はぁ…」
村長が渋々といった様子でダレスを集会所の建物へと案内しようとした時。
「…これおかしくないですかね?」
「また貴様か。何がおかしいというのだ?」
文書を確認していた集団の中に居たウェインがその公文書を見て疑問を呈する。
「この村はハウレルの森にあります。この森はエインベルク伯爵の土地なのでこの村もカストール男爵の領地ではなくエインベルク伯爵の土地なのですよ」
「つまり…どういうことだ…?」
「つまりカストール男爵がここの許可を出すのはおかしいって事ですよ」
ウェインの言う通りこのハウレルの村はカストール男爵の領地ではない。故にダレスが持って来た公文書は全くの出鱈目であると看破されたと言う訳である。
「俺は騙されていたのか…?」
「ええ」
「…クソがっ!」
ダレスは自身が騙されたのだと理解すると共にその偽の文書をくしゃりと握り潰して地面に叩きつけた。
「…まぁいい。無理矢理にでも聞き出せばいい話だ。やれ!」
元々強行策をとるつもりではいたのだろう。ダレスが兵士達に声を掛けると、兵士達はそれぞれの得物を村の人々に向けた。
ジャレッド達自警団の人々や冒険者達はそれを見て即座に自身の武器を抜き、襲い掛かってくる兵士達を迎え討つ。
村は村人だけでなく冒険者達も居るが兵士達の方が数が多く、また冒険者の殆どは以前から村と交流のあった者達であり、危険な魔獣の少ない森で活動する彼らの装備は人と戦う事を想定した兵士達の装備と比べると防御性能に欠け、幾分か見劣りする。
「大地よ、敵を退ける波と化せ!【アースウェーブ】!」
しかしそれでも何とかなっているのは、フウカ以外にも呪文を扱う事の出来るようになった者が居る為だ。村人の一人が唱えた呪文によって突然波打つように動き出した地面に人々は困惑し、その土の波に足を取られバランスを崩した者は転んだ。
詠唱の部分で失敗している為に殆ど呪文名だけで発動しており、敵も味方も関係なく無差別に影響を与えているものの、寧ろそれによって発生する予測困難な地形の変化に対応できていない為だ。呪文を唱えた本人でさえもその変化に足を取られているが、ダレスの兵は重装備であるがために被害が大きいのだ。
「へっへっへ、坊ちゃん!捕まえましたぜぇ!」
その為徐々に村優性の戦況に傾き始めた時。村の後方からそんな声が上がった。見ればユウリが兵士の一人に捕まって連れてこられていた。本人に歩く気は無いようで、兵士がユウリの胴体を持ち上げユウリは腕を掴み足をプラプラと浮かせている。そんなユウリを捕まえている兵士は両腕をユウリに塞がれている為、どちらが捕まっているのか少々判断に困るがその兵士の代わりに別の兵士がユウリに剣を向けていた。
「…何故そうなっているんだ?」
その様子を不思議に思ったダレスが兵士に問うが兵士は何か言いにくそうにするだけで答えない。だが兵士としてもここまで連れてくる前にユウリに脚を足で絡められ転ばされ、剣の柄で殴った際にユウリの体はびくともせず、剣を通して返って来た反動によって自分だけが痛かったために諦めている事など言いたくはないだろう。
「武器を捨てろ!この子どもがどうなってもいいのか!」
ユウリを捕まえた兵士を見てダレスが叫ぶ。その声に人々は一瞬硬直するが、その捕まっている人物を見て人々は視線を戻し倒れた兵士にしっかりと止めを刺した。
「こっこいつがどうなってもいいのか!」
まさか兵士も自分が捕まえた子どもがこの村で最も怪我の心配をされない人物だとは思っていなかったのだろう。再び呼びかけた所で誰も見向きもせず、兵士だけでなくダレスも捕まったユウリをみて誰も手を止めない事に戸惑っている。
予想外の出来事にダレスは暫く固まっていたがユウリが兵士の腕にただぶら下がっているのに飽きたのかバタバタと手を暴れさせる。それによってユウリは腕ではなく手を掴まれることになった。
「…ちっ、他の奴も連れてこい!」
そんなやり取りがダレスの視界の端で行われた後、ダレスは舌打ちをして手の空いている兵士に指示を出した。そうして暫くしてフウカを盾にモヨモト達が連れてこられた事によってようやく人々の手が止まった。
フウカはユウリとは違い普通の4歳児より少し高い程度のステータスしかない。そうでなくともユウリ程生命力のステータスが高い者自体が珍しいのだが、他の子ども達の事もあり人質として十分な機能を果たした。
「…せーのっ」
「はっ?」
「…ぅぐっ!」
ユウリは掴まれた自身の手がしっかりと兵士の手に固定されている事を確認すると、相手の手を握り返しその場で小さく後ろに反動を付けて勢いよく前転した。その際にユウリに向けられていた剣に当たるが、ユウリを傷つけることはなく、剣を持っていた兵士はユウリと共に前転させられた兵士の足によって蹴り倒された。
ユウリは前世の知識を生かし魔技によって届かない足の長さを補強することで自身を捕まえている兵士ごと前転し、兵士を頭から地面に突っ込ませ尚且つ自身のクッションとして利用することで何とか脱出する。
前世の世界であれば四歳の幼女に重装備の大人を持ち上げるような力は無いだろうが、この世界にはステータスという能力補正があるため、ほんの一瞬持ち上げるだけなら魔技を使えばユウリにも可能である。脱出する事に成功したユウリは脚の魔技を解いてフウカを捕まえている兵士の元へと走りながら武器となる槍を創り出す。
「あのガキを捕まえろ!」
その間にもユウリの後ろから他の兵士がユウリを捕まえようと追いかけるが、波打つ不安定な地形をまるで意に介さないユウリには追い付けない。
ユウリが全く影響を受けていないのは兵士とは違い重い装備を付けていないためでもあるが、彼女が普段から悪路を好んで歩く事も理由の一つだ。村は森に囲まれている為何所へ行くにしても森の中を通ることになる。
多くの者は人々が何度も通った事によって生まれた獣道を通るのだが、ユウリはあえて凹凸の激しい道を通ったり、道の脇から飛び出ている木の根に乗ったりとするのだ。それはユウリが自傷行為をしている事を隠すため、多少の怪我をしていてもおかしくないと思われるためのカムフラージュではあるが、それが今不安定な地形を進むために役に立っている。
「ぁがっ」
そしてそのままフウカを拘束する兵士の元へと辿り着いたユウリは走りながら創っていた槍を鎧の隙間から横腹を下から上へと抉るように突き入れた。
通常鎖帷子に護られるはずのそれは通常の武器としてはあり得ないほど細長い針のような槍によって突き抜かれ、兵士の体に傷を付けていた。兵士がその痛みに呻いた事で針は帷子に挟まれ、ユウリの力ではそれ以上動かす事は叶わないが、フウカの拘束が緩みが逃げ出すには十分な隙が生まれた。
フウカの位置からでは短い詠唱文の呪文では届かず、射程のある呪文を唱えるには時間も余裕もない。
暫くは動けまいと油断していた為全く注意を払っておらず、気がついた時にはユウリの後ろに一人の兵士が大剣を構えて立っていた。
「このっクソガキがああぁぁぁぁ!」
「ユウリ!」
フウカが叫ぶが間に合わない。先程までフウカを拘束していた兵士は自身がユウリに刺され、邪魔されたのだと理解するや否や叫びながらユウリに向けてその大剣を薙ぎ払った。
怒りの叫びと共に薙ぎ払われた大剣にユウリは叩き飛ばされ、ゴロゴロと転がった後、近くの民家に強く頭を打ち付け倒れた。ユウリは未だ4歳の幼児ではあるが、ディストの猛攻を耐えたのだからすぐに立ち上がるだろう。とユウリを知る誰もが思ったのだが、ピクリともしないユウリに次第に誰もが様子がおかしいと気付いた。
ユウリの耐久力は防御力ではなく体力によって裏付けられたモノだ。故に一見あまり効果が無いように見える攻撃でもそのダメージは蓄積され、先日のディストから受けた傷も癒え切っていないユウリは偶然にも後頭部に受けた強い衝撃によって意識を失ってしまったのだ。
「へっへへ…へっへっへっへっへ…俺の邪魔した事、あの世で後悔するんだなぁ!」
ユウリが倒れたまま動かない事に気を良くした兵士は嗤いながら意識のないユウリに近付き大剣を大きく振りかぶる。
周囲を見ればジャレッドやリディア等他の大人達も似たような状況であり、誰もが助けに行く事の出来ない状況に歯噛みしユウリに大剣が振り下ろされようとしたその時―
「へぶっ」
―近くの家の陰から飛び出した何かがユウリに剣を振りかざした兵士に襲いかかった。
メラニズム:皮膚や組織にメラニン色素が過剰に形成されている事で本来の種としての色より全体的に黒く暗い色の個体の事。白くなるアルビノの逆で黒くなるやつと思えば多分問題は無い。