03:幼女は怪物と戯れる
「せいっ」
掛け声とともに出来上がったその槍を怪物に突き出された槍はコツンと音を立てて止まった。その直後に怪物はもう片方の鎌を横に振いユウリをこれまでの子ども達と同じように遠方へと払い飛ばそうとした。が、しかしユウリはその鎌を槍で防いだことでダメージは殆どなく、飛ばされた先に壁を作った事で遠方へと飛ばされる事もなかった。
「…やっぱり駄目かー…」
怪物の攻撃を防ぎ、自身が作った障壁に体を打ち付けつつも着地したユウリは自身の攻撃の結果の感想を呟いた。ユウリはその手に生み出した槍で怪物の胴体を突くも、その体を貫くことなく止まってしまった。これはユウリの力が足りず、武器の耐久力も怪物の体力も殆ど減らす事も出来ない威力だった場合に起こる事象の一つである。
それに対してユウリがあまり驚かないのはユウリの筋力が大人達より低い事を知っているからであり、それまで幾度も大人達からの攻撃を受けていながら軽微な損傷しかない怪物に傷を負わせることは出来ないだろうと予想していたからである。
そして再び近づいて槍を突き立てる。先程とは違い、直前で止まることなく助走の勢いを付けて突き出したが、ほんの少し音が大きくなっただけで結果はあまり変わらなかった。上から鎌が迫ってくるが、それを障壁で反対の鎌側に逸らすことで追撃を防ぎ、今度は槍で叩く。
複数回攻撃したところで怪物に対し小さな傷さえ作る事は出来ていないが、ユウリが気にすることはない。まだ3歳のためゼライム相手の戦いに参加する事すらないユウリにとってはこれが初の戦闘であるからだ。また、ユウリの目的はフウカが逃げる時間を稼ぐことであるため、敵に与えたダメージよりも怪物の注意を引き続ける事が重要であり、そのついでに自身の戦い方を考えているのである。
ユウリの武器は魔技によって作られた物であるため、ユウリ自身が創り出せるものであればすぐに交換が可能である。その為ユウリは剣やハンマー、鞭に鎌とコロコロと思い付く限りの武器を変更しながら使い勝手や怪物への効果を確認しながら戦っている。因みに鞭は扱えず、斧や大剣等の大型武器はユウリの筋力で扱えるハンマーが軽すぎて全く意味がなかった事から1度しか使っていない。また銃器や水圧切断機のような固形物以外の熱や電気等の力を使った武器はユウリには創れない。ユウリが魔技でできるのは自身の魔力で固形物を創り出す事と創った物の形を変えて動かす事だけと言っても良く、後は前世と同程度の事しか出来ない。
ユウリが怪物を攻撃する度に鎌が飛んでくるが来ると判っているのであればその方向へと障壁を創り出す事が出来るので、怪物からの攻撃を防ぐのは比較的簡単である。障壁はたったの二撃で割れ、一撃で盾としての役割を失うため怪物が鎌を持ち上げれば横に広く、横に広げれば縦長にと新しく障壁を作り、間に合わなければその手の武器で攻撃を防ぐ。武器は怪物への攻撃にも使用するため1撃で破壊されてしまう事もあるが、ユウリの生命力は1歳の頃から約二年間毎日意図的に上げられている為、殆ど自然に上昇する分しか増えていない大人達の殆どよりも高くなっており、数度受けた所で魔技に護られたユウリが動きに支障が出るような傷を負うことはない。
小さいが故に当て辛く、高い体力を持つユウリを怪物は無視して先に行ったフウカを追いかけたいが、ユウリがいる限りそれは叶わない。広場を囲う障壁には人が通れるほどの隙間があるが怪物には小さく、破壊してもすぐに復活してしまうからだ。また、越えようとすると障壁から槍が伸びて押し飛ばすのだ。刺さるのが理想ではあるが、ユウリの能力値を参照して発射されるその槍が怪物に刺さることはない。それでも押し出せるのはユウリの魔力が高く、槍を射出するという動作が怪物に妨害されながらも半強制的に行われたためである。それでも越えようとする場合は槍の上から更に槍を生成して妨害し続ける事で自身へと注意を向けさせ続ける。
◆
「なんだあれは…」
「あの子は…さっき追いかけられていた子か…?」
暫くして倒れている男達の中から声が上がった。ユウリが転がした者は多かったはずだが、どうやら大半が無事なようだ。男達はユウリが盾と共に様々な武器を展開しながら戦う光景に唖然としていた。
「転生者だったのか?」
「そうかもな…」
「…だが何で今まで誰も気付かなかったんだ?」
転生者というのは大抵何らかの強力な力を持つため目立ちやすい。本人にその気が無くとも周囲の注目を集めるほど大きく特異な力を行使できるのだ。
本人が極々普通の事だと思ってしたことをきっかけにばれる。それが無くとも前世の記憶がある為子供らしくない言動やこの世界では非常識な言動を繰り返すのですぐにばれるのだが、ユウリ達にはそれが無かった…というよりまだ幼く、またどちらも他人と積極的に接するタイプではなかったので、そもそもユウリ達の人柄を知る人物が少ないのだ。なのでジャレッドは「隠してた…んだろうな」と自信なさげに言うしかなかった。
ユウリはこれまで一度として人前で魔技を使ったことはない。それは転生してから一度も誰かが魔法陣と呼ばれる紋様を使った魔技以外を使っているのを見た事が無い。というのもあるが、それ以上にユウリの前世でも魔技が使えるようになるとされるのが5歳前後からだったからだ。フウカも同じような理由で、まだ4歳にもなっていないユウリ達はこの世界の人々が普通はどちらも使わないという事など知らず、前世の平均よりずっと早くに使って天才とか神童とか呼ばれるのを避けたかっただけだ。
無視しても良かったはずだ。ユウリが怪物の邪魔をしなければこうして戦う事もなかったはずであるし、誰かに見られることもなかった。しかしそれをしなかったのは彼女が「自身の双子の片割れをこんな巨大な虫の怪物に奪われたくなかった」と「理解できない生物が好きに暴れているのが気に食わなかった」という2つの利己主義的な理由である。
「…戦える奴は援護に迎えよ」
「でも武器がないですよ」
そんな理由で戦っている事など知る由もない。ジャレッドは比較的傷が浅く、自力で起き上がった者達を見つけると声を掛けた。しかしそういった者達の殆どは飛ばされた最に気を失い、それと共に武器を無くした者である。動けない者から武器を借りれば良いのではないかと思ったが、そういったものはジャレッド同様、武器を破損させた者達であり、魔法陣が残っている者も居るがそもそも魔力はここに来るまでに全員使い切っているのでやはり武器が無かった。
僅かに残った武器を携えた男達はユウリの加勢に入るがすぐに払い飛ばされ、武器を破壊されてしまった。そんな男達を見て武器の無い者達は何をしているのかと呆れ、溜息を吐いた。
残った僅かな武器も失った現在今度こそ本当に武器が無い。ジャレッドは痛みを我慢すれば戦いに復帰できるほどに回復したものの武器が無ければ戦う事は出来ず、どうするかと思案しているとそれまで動く事さえ出来なかった者の中から一人自力で立ち上がった。
「あれ、使えませんかね?」
起き上がったその男は立っている者達に近付くとユウリの周囲に大量に落ちている武器を指差ししながらそう言った。それはユウリが創り、手放した事で破損を逃れたまだ使用可能な武器達だ。
「…無理じゃないか?」
それを見て先程武器が無いと言った男は否定的な意見を述べる。ユウリが生成した武器は破損した際に破損部位から消えてなくなる為、落ちているものは全て数度振った後に投げ捨てられた物である。その雑な扱いから何らかの欠陥を抱えているのではないかと見ていた。
勿論そういった物もあるが全てが"そう"とういう事はなく、ただ単 に消すためにも意識を割く必要があり、それを面倒に感じたユウリが次の武器を生成する際に手放しただけなのだが、そんな事は思考を読む手段でもない限り当人以外に判るはずもない。
「使えたとして誰が取りに行くんだ」
「うっ…それは…」
ユウリの近くにある。という事は怪物の近くにあるという事でもある。当然近付けば斬られる可能性があり危険である。鎧があるとはいえ武器を持たずに接近し、そこに落ちている使えるかどうかもわからない武器を拾いに行きたいと思う者は少ないだろう。提案した男も自ら死地に飛び込むような真似をしたいとは言えず、言葉に詰まってしまった。
「俺が行く」
誰もが沈黙したことでユウリ達の戦闘音だけが鳴り響く中、ジャレッドが名乗りを上げた。ジャレッドも否定的な考えではあったが、使えるかもしれない。という可能性に賭けてみようとも思った。だが自分が持ったところで動くのもやっとな状態では意味が無いだろう。ならば自分が取りに行って、仲間が使えばいいと考え走り出した。
「無茶だ!」
「戻れ!おい!」
ジャレッドは仲間の声に振り返ることなく走る。脚に力を入れる度に体が痛みを訴えるが歯を食いしばって我慢する。ジャレッドに気が付いた怪物がユウリごとジャレッドを斬ろうと横薙ぎに鎌を振るったのを前転することで避け、捨てられた武器の元に辿り着くと怪物の攻撃を避ける事を中心に武器を拾っては仲間達の方へと投げる事を繰り返した。
そうして全ての武器を集め、後は戦線から離脱するだけとなった時、全身の痛みから足を縺れさせバランスを崩したジャレッドのを怪物の鎌が捉えた。
「ジャレッド!」
そのままジャレッドの身体は飛ばされ、近くの樹に激突した。
「くそっ…良い奴だったよ…」
「っ…勝手に殺すんじゃねぇよ…」
少し離れた位置から見ていた男達はジャレッドが死んだと思い弔いの言葉を投げかけ始めたが、しかしそれはジャレッドのぼやき声によって止められた。
「…生きてるのか…?」
「ああ、なんとかな…」
不思議そうに問う男に対し、ジャレッドは応答しながら別の男の手を借りながら立ち上がり、まだ離れた位置にいる仲間達にも伝わるように手を上げて生きている事をアピールする。怪物の鎌は確かにジャレッドの首を捉えており、ジャレッド自身死んだと思ったほどだ。だが今生きている事は確かであり、なぜそうなったのかと疑問に思ったジャレッドは自身の首に手を当てると何か硬いモノに触れた。
「なんだ…?」
ジャレッドが触れた事で落ちて割れ、消えてしまったがそれは半透明の板であった。
後方からやって来たジャレッドが見えずとも、何度も怪物の動きがユウリ一人に対してするには大袈裟なものに変われば当然ユウリだって気付く。武器も持たずボロボロな鎧姿で怪物の攻撃を避け続けるジャレッドに対し、ユウリは怪物の対処しながらジャレッドを護る防具を付与していたのだ。殆ど急所しか護られていないがそれでも十分な効果を果たした。
ジャレッドが拾い集めた武器を持って男達がユウリの加勢に入るとユウリは攻撃を辞めて少し後ろに下がり、鎌を防ぎながら武器を創り続ける事に専念し始めた。それはユウリ自身が戦うよりもそちらの方が良いだろうという考えからのものであるが、下がった際に男達が持つユウリが創った武器を見て先程ジャレッドが何をしていたのかを理解したからだ。
武器を持った男達は怪物の脚を狙ってそれぞれの得物を振り下ろす。中にはユウリ自身が使えないと判断した武器を持っているものも居るが、そういった者の大半は鎖鎌なら普通の鎌として扱ったり、鞭なら帯を持って柄を振り回したりとその武器本来の使い方ではない方法で怪物に叩きつけていた。
武器が壊れたら後ろに下がりユウリが創り溜めた武器を拾って戦線に戻る。今度は始めから後ろにあるので一々誰かが死線を潜って拾い集める必要が無いのだ。
大人達が加勢に入ってから数十分、突如怪物の脚の関節ではない場所が折れ、前方に居た大人達を巻き添えにしながら前のめりに倒れた。怪物の脚、特に前方の右脚を集中的に攻撃したことで壊れ、それによって怪物がバランスを崩したのだ。
バランスを崩した怪物は歩く事が出来なくなったようで、残った足で這うように移動する事しかなくなった。これで少なくとも回復するまでは再度フウカを追いかけることは出来ないだろう。だが怪物が倒れた際に巻き添えになった者は多く、腕や脚が下敷きになっている者もいる。そういった者達も戦えはしないだろう。
脚を失った事で怒ったのであろう怪物は強く牙を打ち鳴らしながら鎌を振り回すようになった。そんな怪物に正面から近付く事は出来ず、男達は脚に近付く度にピンッと蹴飛ばされて追い払われる。その際に運の悪い者は後頭部を打ち付け、そのまま動かなくなってしまった。ならば後ろはと思ったもののそこに攻撃を仕掛けた者が尻尾から飛び出てきた液体によって肌を溶かされ悶え苦しみ始め、即座に中止になった。そうして大人達は立っていても殆ど攻撃に加われず、ほぼユウリと怪物だけになってしまった。怪物は倒れているものの鎌は健在であり、ユウリが相手になっていなければ下敷きになっている者達が狩られてしまうだろう。そんな者達を見殺しにするわけにもいかず、ユウリは怪物の攻撃を防ぎ続けていた。
「…ん?」
それは一時間程した頃だろうか。ユウリが攻撃を防ぎ続けるうちにピシッと音がし、大人達の元へ黒い破片のようなモノが飛んできた。
それは障壁を何度も攻撃し続けた事で破損した怪物の鎌の破片である。
ユウリが攻撃してこないのを良い事に一方的に攻め続ける怪物は気付いてないようで、鎌を振るい続けているがよく見れば怪物の鎌は罅が入っており、鎌が振るわれる度に破片が飛び散っていた。
「やっとか…」
ユウリが呟く。彼女の筋力と魔技だけでは怪物に傷をつけられない。だが怪物の力で怪物自身は傷付くのだ。どんな物にも耐久値があり、使えば減る。それは腕や脚などの生物の部位であっても同じ事であり、休み無く使い続ければいつかは壊れてしまうのだ。
そして自身よりも硬く頑丈で、動かせず反動を抑えられない物を殴れば当然その損耗は早くなり、罅がどんどん大きく広がって行く。
そして遂には怪物は自身の鎌に遠くからも見える程大きな裂け目が入っているにも関わらず、そのまま次の障壁を攻撃した瞬間、バキッという音と共に怪物の鎌が折れた。
しかし、今しがた自身の鎌が折れた事で警戒したのか怪物は先程よりも強く牙を打ち鳴らすだけで何もしてこない。ゲームの敵のように反動ダメージで自身が死ぬまで殴り続けるという事は無いらしいとユウリは思う。
今なら通じるのではと罅だらけのもう片方の鎌に魔技の槍をぶつけてみたが、ただ鎌を押しただけで通じない。攻撃手段が無く、どうするかと互いに睨み合いを始めたその時
「『ファイアバレット!』」
という声と共にどこからか飛んできた火の弾が怪物の頭に直撃した。
◆
ユウリと別れ、森を抜けて街道に入ってもフウカは走り続けていた。
(誰か呼ばなくちゃ!誰か、助けてくれる人!)
遠くに街を囲う城障壁らしき障壁が見えはじめたその時、こちらに向かって土煙を上げながら迫ってくる何かが見えた。フウカは先程の怪物のような何か恐ろしいモノが近づいてきているのではないかと身構えたが、やがてその何かが近づいてくると走る人影だと判りほっと胸を撫で下ろした。
その人影は、フウカに気が付くとゆっくりと減速して行き、「そんなに慌ててどうしたんだ?」と声を掛けて立ち止まった。フウカに声を掛けたその人物は鴇色のミディアムヘアに紺碧の瞳を持つ女性だ。
しかし声を掛けられたフウカはその女性を見て困惑し、すぐには答えられなかった。
ハウレルの村では見た事も聞いたこともない髪色と目色を持つ女性だった事もあるが、その事よりも白地に瑠璃色の装飾が付いたドレスと金色の装飾が入った瑠璃色の鎧を同時に着ているかのような服装であり、頭には鎧と同じ色のバイザーを付けている。そんな格好で土埃を上げながら走っていたという事がフウカを困惑させていた。困惑してパタパタと動くだけのフウカを女性は不思議そうに見ていた。
「あ、あのっ助けてください!」
「よし。じゃあいこうか」
少ししてその女性が腰に剣を差していることに気付いたので勇気を振り絞って助けを求めると何故かその女性は内容も聞かずにフウカを腰に抱きかかえて森に向かって走り出した。
「…へ?…あっあの!」
フウカは再度困惑した。突然抱き抱えられた事にも女性が次の脚を踏み込む度に強く揺れ、鎧が当たって痛い事にも文句があるが、自身が歩くよりは間違いなく運ばれた方が速いのでそれはまぁいいとする。そんな事はよりも頼み事どころか目的地すらいっていない。なのに何故この女性は一直線に村へと向かっているのか。
「うん?君はハウレルの子だろう?ならこのまま行けばすぐだ」
フウカの戸惑いに気付いたのかそう女性は答えた。
何故分かったのだろうかとフウカは考えた。この女性が出会ったのは森を抜けた後、森に隣接するように通っている街道を少なくとも10分は走っていた時だ。
しかし間違っていないのでフウカはそのまま黙って女性に運ばれることにした。
森に入ってすぐにギチギチという今まで聞いたこともないような音が聞こえ、女性は迷うことなく音のする方へと向かうと、ユウリが透明な障壁の向こうで板のようなものを使って怪物の攻撃を凌いでいるのが見えた。
その光景を見てフウカは間に合ったと安堵したが、すぐに周囲に倒れる男達に気が付き驚愕した。村を護る自警団が幼女を矢面に立たせて何をしているのかと。一部に至っては寧ろ護られているようにも見える。
怪物が現れた際、誰もが動けない中すぐに自分を引っ張り逃げ出した時にも感じた事ではあるが、自分の妹は幼児らしくない。勿論双子なのでどちらが姉でどちらが妹ということはないし、幼児らしくないのはユウリも転生者だからであるが、フウカはそれを知らないので仕方のない事だろう。そんな事を思っていたせいか女性が何か小さく呟いたのを聞き取れなかった。
その事で不思議そうに女性を見上げたフウカに対し女性は
「何でもない。それよりフウカ、君は魔法が使えるだろう?ちゃんとここでも使えるから、火の呪文であれの頭を焼いてくれ」
と言ってその場にフウカを置いて近くの木登り、木々を伝って障壁を越えてしまった。
「何で…」
何で自分と呪文の事を知っているのか。その疑問は女性が居なくなってしまった事で止められた。
フウカ・フェイルはユウリとは別の世界の転生者である。 彼女の居た世界は呪文と呼ばれる文言によって成る魔法が存在する世界だった。
前世で彼女は呪文を使って空を飛んでいる時に誤って転落死したのだが、転生してからその事を一度も誰かに言った事もないし、呪文を唱えた事さえない。それどころか女性に対して自身の名前すら言っていない。にも関わらず女性はフウカの事を知っていたのだ。訳が分からない。
「…はぁ」
分からないが、疑問をぶつけようにもこの場に女性は居ないし、そんな事を気にしている状況ではないので女性について今は考えない事にした。
呪文を使うに当たり目の前の障壁は射線を遮ってしまい非常に邪魔である。呪文は術者から飛ぶように発動するため、対象との間に壁があれば遮られてしまうからだ。呪文によっては壁を周り込ませたり、通過させたりすることもできるが、火の呪文でそれは難しい。
フウカは障壁が一体いつの間に出来たのだろうかと思いながら怪物から最も遠い障壁へと回り込み、怪物の上で剣を手に待機する女性を見つけると魔術を放つために怪物の頭へと手を翳した。
しかしすぐに詠唱する事は出来なかった。
フウカは怪物に気付かれないためにそれなりに距離を取っている。そこから怪物の頭というそこそこ大きな的を狙っているのだが、怪物が鎌を振った勢いでぶんぶんと体ごと頭を振っていることもあり上手く狙いがつけられないのだ。
手間取っていると、怪物の鎌が突然折れ怪物の動きが止まり、ユウリとにらみ合いを始めた。
「『火よ、敵を穿て!【ファイアバレット】』!」
この期を逃すまいと素早く照準を合わせ、詠唱の開始と共にフウカの手に出現した火球は放たれ、弾丸となり怪物の頭部に直撃した。
◆
怪物に火が直撃すると共に瑠璃色の鎧の女性が木の上から現れ、残っていたもう片方のを腕の根本から切り落とし、直撃した火はそのまま頭を燃やし始め、突然の事に驚いたのか怪物は残った脚をバタバタと暴れさせる。
ユウリも驚いたが、火が付いたまま暴れはじめた怪物に火事を起こされてはたまらぬと障壁を増やして飛び散る火の粉から周囲の草木を護ると、後ろからやって来たフウカに気が付いた。
「呼んできたよ!」
「ありがとう」
ユウリはフウカが戻ってくる可能性については考えていたが、本当に誰かを連れてくるとは思っていなかった。それはフウカを信用していなかったというわけではなく、村の近くの街同士の交流が少ないと聞いていた事もあり村に出入りする人物が殆どいないので、そもそも呼ぶことの出来る人を見つけられないだろうと思っていたからである。
怪物が攻撃してこなければユウリには効いてるのかどうかもわからない攻撃手段しかなく、互いに攻めあぐねていたので助っ人は非常に有難い。
それにしても、とユウリは思う。
不意打ちでとは言え怪物の腕を斬ったこの女性は何者なのだろうかと。ユウリが防御し続けた事で損耗していたのは刃の部分であり、それ以外の部分は殆ど損耗していなかったはずである。
この怪物は自身が思っているよりも柔らかいのだろうかと一瞬考えたが、ユウリ達が追いかけられている間に何度か斬りかかって弾かれていた大人達を思い出していると、女性が燃えている怪物の頭を縦に真っ二つに斬った。それを見て女性の筋力が高いのだろうと思い直す。
分からない事は本人に訊こうと思いつつ、虫の形をしているからか頭が割れているにも関わらず今も暴れ続けている怪物を一方的に斬り続けているその女性に目を向けた。
女性はドレスなのか鎧なのかわからないひらひらとした動きにくそうな格好であるにも関わらず、怪物の足元で時々飛んでくる尻尾や折れ残った鎌を避けてすれ違いざまに斬ったり、そのまま剣で弾き返したりとしている。この世界にはステータスがあるので弾き返す事は不思議ではないのだが女性の細腕にあっさりと弾かれて仰け反る怪物は滑稽に見える。ユウリは一体どうしたらあんな芸当ができるのだろうかと思っていると突然怪物が女性に向かってひれ伏した。どうやら女性が何らかの方法で上から押し潰したようで2つに別れた怪物の頭と体がひしゃげているが、まだ息はあるようで這いつくばった怪物はどうにかして立ち上がろうと残った脚でもがいているがそれも時間の問題だろう。
暫くして鎧の女性は怪物が死んだのを確認すると、二人に近づいてきて
「すまない…私がもう少し早ければ…」
と大半が周囲で倒れている村人達を見て申し訳なさそうに言った。フウカの表情もどことなく暗い。
何を言っているのだろうかとユウリはその様子を見て少し考えて原因に気が付いた。
「…周りの人達はまだ生きてるんだよ…多分」
確証はない。フウカが戻ってくるまで周囲で倒れている者からも下敷きになった者からも何度か呻き声や喋り声が聞こえていたので少なくとも何人かは生きているのだろうとは思っているが立っている者も含めて全員沈黙している今、どれくらいの人数が生きているのかわからないからだ。
「え?」
「…あー…すまん。生きているんだが…なぁ?」
「…応っ…寝返りも辛いな…」
「人呼んでくる!」
「生きてる…?…間に合った…?」
倒れている内の一人、ジャレッドが仲間達に喋りかけ、それに他の何人かが返事をした事で生きている事に気が付いたフウカは男達を運ぶ人を呼ぶために村へと向かって再び走り出し、女性は男達が死んでいると思っていたのか不思議そうに呟いた。